第20話 千年竜の咆哮
ヒカルは、信じられないものを見るように目を見開いた。
「……兄さん?」
崩れ残った防壁の上。
立ち込める煙の中に、一人の黒髪の青年が佇んでいた。
あれほど凶暴に暴れ回っていたブロルホーンが、その姿を見た途端、一歩後退した。
ズシン、と激しい地響きが鳴り響く。
青年の姿に気づいた新人たちが、次々と声を上げた。
「見て、レオン様だ!」
「キャーッ、本物よ!」
「あれは……天城レオン!」
誰かが叫ぶと、正門の内側へ避難していた住民たちの間にも、一気にざわめきが広がった。
「あの人、試練の階層トップテンランカーの……!」
「試練の階層で、最年少到達記録を打ち立てたって聞いたぞ!」
「月刊モンマスで特集されてた、あのレオン様だ!」
黄色い声と驚愕のどよめきが、崩れた防衛線を揺らした。
絶望に沈んでいた新人たちの顔に、わずかな希望が灯る。
青年――天城レオンは、そんな周囲の反応を気に留める様子もなく、弟へ一度だけ視線を向けた。
「話はあとだ、ヒカル。全員を下げろ」
怒鳴ることも、慌てることもない。
淡々とした一言だった。
それでも、その声が届いた瞬間、前線に残っていた新人たちは我に返ったように後退を始めた。
北側商業区の避難は、まだ完了していない。
レオンが現れても、目の前の脅威が消えたわけではなかった。
ブロルホーンが、二本の巨角をレオンへ向ける。
双角の間に、青白い光が急速に集まっていく。
それを見ても、レオンは眉一つ動かさなかった。
左腕のモンマスを掲げ、静かに告げる。
「アクセス・オープン」
モンマスが二重に光を放ち、レオンの左右へ二つの画面が同時に展開された。
片側には、ミラモンの状態や周囲の状況を映し出すタブレット型のアクセス画面。
もう片側には、所持カードが並ぶバインダー型のオープン画面。
二つの光が重なり合い、立ち込めていた煙を鮮やかに照らし出す。
「二重展開……?」
「アクセスとオープンを、同時に……!」
新人たちが驚きに目を見開いた。
レオンは二つの画面を前にしても、迷う様子を見せない。
「アクセス――千年竜!」
その瞬間、ブロルホーンの双角から雷撃が放たれた。
同時に、まばゆい光の柱が天を突く。
迫り来る青白い雷撃の前へ、巨大な翼を持つ千年竜が姿を現した。
広げた翼が、防壁一帯に暗い影を落とす。
ただ一度の羽ばたきで、辺りを覆っていた土煙が吹き払われた。
「せ、千年竜……!」
「レオン様の相棒だ……!」
戦場に残っていたミラモンたちが、千年竜の姿を見た瞬間、一斉に身を低くした。
クロウルガーとリリーフェアが恐怖に身を固くし、ヒカルのドラゴレッドも警戒するように低く唸る。
正面から迫る雷撃へ向かって、千年竜が大きく口を開いた。
次の瞬間――。
「グオオオオオオオッ!」
天地を揺るがす咆哮が轟いた。
空気そのものを震わせる衝撃波が、青白い雷撃と正面からぶつかる。
新人たちの防衛線を一撃で瓦解させた雷撃が、千年竜の咆哮に押し潰された。
青白い稲妻は無数の火花となり、空中へ四散する。
「雷を……咆哮だけで……?」
「これが、トップテンランカーのミラモン……」
誰もが呆然と千年竜を見上げていた。
ブロルホーンの巨体が、目に見えて震える。
レオンは、巨獣の先に続く北側商業区へ一瞬だけ目を向けた。
遠くでは、まだ住民の避難を急かす声が響いている。
片側のアクセス画面には、千年竜の状態と周囲の状況が絶えず表示されていた。
レオンはその画面を一瞥しながら、同時にもう一方のバインダーへ手を伸ばす。
並んだカードへ視線を向けることすらなく、一枚を指先で抜き取った。
そのまま、軽く宙へ放る。
バインダーから閃光がほとばしり、空に巨大な紋章が描かれた。
「《クロノ・ロア》」
淡い波紋が、ブロルホーンの巨体を包み込む。
周囲の土煙は風に流れ、新人たちも後退を続けている。
それなのに、ブロルホーンだけがまともに動けない。
持ち上げようとした前脚が、まるで深い泥に沈んだかのように、ゆっくりとしか進まなかった。
驚く新人たちをよそに、レオンはブロルホーンの姿を見つめていた。
その視線が、甲殻に走る細い亀裂へ止まる。
それは先ほど、ヒカルがドラゴレッドの炎を集中させたことで生じた亀裂だった。
「その亀裂は、お前たちが?」
「……ああ」
ヒカルが奥歯を噛みながら答える。
レオンは視線を巨獣へ戻し、短く言い放った。
「十分だ」
レオンがアクセス画面へ指先を滑らせる。
ブロルホーンの甲殻に走る細い亀裂が、赤い光で縁取られた。
「千年竜。狙うのは、あそこだ」
千年竜の口の奥に、白熱した炎が収束していく。
周囲の砕けた石や砂が浮かび上がり、炎の中へ吸い込まれていった。
燃え盛る炎と大地が混じり合い、赤黒い奔流へと変わっていく。
レオンが、静かに右手を振り下ろした。
「終わりだ――《インフェルノ・ロード》」
千年竜が咆哮とともに、灼熱の奔流を放つ。
炎と砕けた大地が渦を巻き、ブロルホーンへ迫った。
だが、その力は周囲へ広がらない。
まるで一本の巨大な槍のように細く絞られ、甲殻に走る亀裂へ正確に突き刺さる。
亀裂の奥へ、灼熱の炎が流れ込んだ。
次の瞬間――。
甲殻の内側から、激しい炎が噴き上がった。
「グオオオオオッ!」
ブロルホーンの絶叫が、崩れた町に響き渡る。
巨獣の四肢から力が抜けた。
岩山のような巨体が傾き、凄まじい地響きとともに石畳へ崩れ落ちる。
舞い上がった土煙の中で、その巨体はぴくりとも動かなかった。
あまりにも一方的な決着に、戦場は水を打ったように静まり返った。
アキラは《成長する刃》を握ったまま、言葉を失っていた。
サクラはリリーフェアを胸元へ抱き寄せ、崩れそうになる膝を必死に支えていた。
ヒカルは千年竜を見上げたまま、拳を固く握り締めていた。
タケルは、倒れた巨獣を見つめた。
それから、自分の左腕にあるモンマスと、足元のモチへ視線を落とす。
(俺たちが、あれだけやっても止められなかった相手を……)
その先の言葉は、出てこなかった。
「……倒したのか?」
誰かが、信じられないように呟く。
「レオン様が、倒した……!」
「やった……町が助かったぞ!」
張り詰めていた空気が緩み、歓声が湧き起こりかけた――その瞬間。
千年竜が、倒れたブロルホーンへ向けて、低く鋭い唸り声を上げた。
レオンの表情が、初めて険しく変わる。
「全員、離れろ」
「兄さん……?」
ヒカルが顔を上げた時には、すでに異変は始まっていた。
倒れたブロルホーンの巨体の下から、不気味な黒い染みがじわりと滲み出している。
その影は、まるで底なし沼のように、ブロルホーンの巨体を少しずつ呑み込み始めた。
ぴたりと風が止まった。
息が詰まるような重圧が広がり、新人たちは再び言葉を失う。
千年竜が、もう一度喉の奥で低く唸った。
黒い影の奥で、何かがゆっくりと起き上がろうとしていた――。
──つづく。




