イモシチジの肉
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
記憶力。つぶらやくんは、この手のものに自信があるだろうか。
私は必要な時以外、たいていの知識は記憶のかなたへうっちゃっておくタチでね。仮にずっと前に自分が説明した経験のあることでも、まともに答えることができず「ほんとに調べたんか?」と疑われることはしばしばある。
メモや日記などをつける人であったなら、そこへ知識を託してしまい、振り返ることも簡単だろう。私もひと昔前はそれらのことを試みていたのだが、このごろはやっていない。
というのも、頭をすっからかんにしたのち、あらためて見直してみて不可解な記録がつづられているのを見てね……それが普段の私がするであろうことから、かけ離れている、ともなれば信じたくもなくなるんじゃないか?
この前、実家に帰ったときに処分しきれていなかった断片を、たまたま見つけてしまってね。記憶の話、聞いてみないかい?
だいぶ前に、すべて荼毘に付したはずだったんだが、どうも当時の私は少し気がふれていたのかもしれない。
こいつがそのページだ。切れ端で申し訳ないけれど……意味は「きょう、マーケットでおじさんと、おにくをたべる」だ。
――いや、どうみてもオレらの知らない言語で書かれているんだか?
ご名答。
この日記の文面をはじめてみたとき、私は意味を直感的に理解できたが、理屈的にはさっぱりわからなかった。私の知らない文字で書かれていたからだ。
漏れがあったら申し訳ないが、世界中に存在している文字表記を調べた限り、この形や法則性で類似する点を発見することはできなかった。私にできる範囲で、だ。
こいつを書き始めたのがいつだったのか。
確か16歳の8月16日だったと記憶している。15日までの内容は標準的な地球言語で書かれた、ごく普通の日記だった。内容に関してはプライバシーにかかわることもあるので、必要なこと以外はあまり深くは話さない。
あの16日、どのように過ごしたかはほとんど覚えてはいなかった。ただ、夏休み中という、だらだらと家の中で一日を過ごしてもおかしくない時間の中、外へ出かけたような気がする……という覚えだけは、ぼんやりとあった。
で、17日の朝に見る16日の日記が、例の不明な文字によるものだったのさ。
文量そのものは、私が普通の言語で書いたものより短いぐらいだ。でも、初めて見るはずの言葉なのに、内容を理解できてしまうという体験も、またお初。正直、とまどいのほうが勝って、すぐには頭が働いてくれなかった。
それでも、何が書かれているか、私は落ち着いて内容を拾っていく。
――きょうは、マーケットでおじさんに、あった。
漢字がない文章なんだ。どのような意味合いの文字を使ったつもりか分からないが、細かいところをはぶくと、この部分が要旨だった。
おじさん? と私は首をかしげる。
少なくとも血のつながるおじさんたちは、すぐに会えるような場所にはいない。愛称でもっておじさんと呼ぶような間柄の人も、ぱっとは思いつかない。
おじさんとは、何者なのか? 家族にもそれとなく尋ねたものの、私の考えている範疇と似たり寄ったりな内容が帰ってくる。
そして、出てくるマーケットという言葉。この近辺、歩けばスーパーマーケットのたぐいは少なくはない。そのうちのひとつに出向いた、と考えればまだ「おじさん」より分からなくもないけれど、どこかを具体的に書かないのは、また謎だ。
それとも……私の知るどこかでもないのか?
日記に気を配り始める私だが、この日の日記は確かに私たちのよく知る言葉で書かれていた。
いくらか同じような日が続き、気を抜きかけた8月20日に、再び怪文書のときが。
――きょうは、マーケットでおじさんと、おにくをわけた。
おにくとはなんぞや? と聞きたそうな顔をしているな。
すまないが、こいつは話すのがむずかしい。プライバシーというより、私自身が分かっても、例の言語と同じようにこの世界のどこにあるか、さっぱり分からないものなんだ。
最初に見た時は頭にぼんやり像が浮かんだが、すぐに頭痛に見舞われてさ。そのあといくら思い出そうとしても、同じように頭が痛んでしまう。
拒絶反応というやつかなあ。身体がそのことについてアクセスするのを拒んでくるんだ。今でもだ。
――せめて、名前とかあったら教えてくれないか?
ん、まあそれならなんとか。ただ、これもまた人間の声帯じゃ完璧に表現できそうにない発音だ。あえて、この人間の声帯を借りるなら「イモシチジ」が一番近い。
もし、つぶらやくんがこれに似たような語を見つけることがあったら注意してくれ。
そして8月30日に、例の内容だ。
――きょう、マーケットでおじさんと、おにくをたべる。
翌日。私は一日の大半をトイレで過ごした。
そこから出てくるものの量は非常に多く、測ったわけではないが、おそらく私の体重分は出たのではないかと思ったよ。それでいて、私の身体はやせ細った様子などみじんも見られないのだ。
食べるも飲むも、一切していないというのにどこから現れたのか。
あのとき流れたのが「おにく」であったのか、それとも「おにく」になりかわられた私の身体なのか……。