第9話 監獄の楽園
何度も、何度も岩を砕いては、四角形に、三角形に、多角形に——石畳の隙間にぴったり合う形に整え、注文通り割ってみせた。
まるで玩具の積み木のように軽々と——などとは、いかないのが現実で。
普段なら気にも留めない岩の割れ方の癖を探り、悪戦苦闘の末にようやくですわ。
でも終盤にはコツも掴んでくるもので、それを見ていたアランは、要求を次々と増やしてきた。
「巨木を根から引き抜け」だの、「石畳を敷くための穴を掘れ」だの、「地面を均して整地しろ」だのと……。
やいやい文句を言いながら手を動かし続けた結果——久しぶりに魔力切れを起こしてしまった。
疲れ果てて、柔らかい草地の木陰にぐったりと腰を下ろし、ぜぇぜぇと乱れた息を整えながら汗を拭う。
「流石ですね。注文通りのカット、リスクもロスも最低限、魔力消費も抑えておりました」
「……あら、そう」
隣に立っていたアランは、わたくしの魔力の総量と消費率でも測っていたのでしょう。
記録を紙に書き付けながら、次はどう活用してやろうかと思案し、顔は見なくても、ニタニタ笑っているのが目に浮かぶ。
休憩している間にも、砕いた岩も、引き抜いた巨木も、魔族たちがせっせと運んでいる。
崖の巨石をどかすついでに石材にし、掘った穴を道に。
均した平地で資材を運び入れ作業をし、抜いた巨木を建材に。
そのついでに能力テスト——。
いやらしいほど合理的な男。
わたくしの魔術を何だと思っているのかしら。
まあ、考えるまでもなく、本当に労働力と思っているのでしょうね。
「おや?」
アランの声に顔を上げると、一人の魔族の男が近付いてくるのが見えた。
角の生えた屈強な彼は、大きな木製のカップをおずおずと、わたくしに差し出してくる。
受け取ってみると、甘酸っぱい香りの赤い液体があった。
「……木苺」
たった一言、それだけ言うと、彼は所在なさげにキョロキョロと周囲を見渡し、やがてそそくさと他の魔族たちの方に去って行った。
一口飲むと、言われた通り、冷たい木苺のジュースだった。
砂糖も使われていて、美味しい。
「ありがとう!」
隠れて様子をうかがっている彼に手を振ると、困ったように笑って手を振り返した。
懐かしい。
子供の頃、庭の手入れをされていない一角で、隠れて木苺を探し、腹を満たしていた。
苦い思い出だけれども、それも上から塗り潰されるよう——。
「本当に、人間と変わらないのね」
「普通の人間なら受け取らないし、警戒もせず飲んだりはしませんよ」
アランが呆れた声で言う。
毒かもしれない——そう疑って口を付けないのが“普通”なのでしょう。
それが魔族から手渡される物に対する反応だと、知らないわけではありませんわ。
ただ、あまりにも自分が——どうでもいいと思ってしまっているから、仕方がない。
「いいじゃない、そんな人間がいても。疲れた時に、こんな美味しい飲み物で労ってくれるなんて、気が利くわ。貴方と違って」
魔族の男たちに比べれば、ずっと小柄なわたくしには、渡されたカップは大きすぎて、いくら飲んでも減った気がしない。
「歓迎されていて良かったです」
「きっと向こうも、わたくしが恐かったでしょうね」
「まあ、だから友好的と示すために、石材加工の労働をさせたんですが」
——そうだったのね。
突然、爆破魔法を使えと催促され、それに従ったとはいえ——攻撃と勘違いされないかと肝を冷やしていたのに。
この男は……。
共同作業をさせて、仲間意識を持たせようとしていたと。
「そこまで思惑があったのね、貴方」
はあ、と息を一つ吐く。
少し落ち着いたから周囲を見渡した。
魔族たちが石材を運ぶ姿は、どこか楽しそう。
本当に、自分たちのためにやっているのだと分かるわ。
完成したら祭りでも開くのかしら。
この道に屋台を並べて、朝市をするのかしら。
道沿いに家や店が建ち並ぶのかしら。
そんな風に心を浮かせながら、汗をかいているように想像してしまうほど、彼らには活気がある。
「魔族は発展を望んでいるのね。人間の文明を持ち込んだら拒絶されると思っていたわ。歓迎されるなんて考えてもなかった」
「ああ、今は“外”に興味を持った者だけを集めていますから。
……まずはアリカ嬢がどんな人間か窺がっている感じですかね。
事前に貴女が来ることを説明した限りでは、人間に不信感はあっても、大半は参加に好意的でしたね。
もともと島民が減って、不安を抱えていたので」
アランは、作業する魔族たちを見詰めながら、静かに微笑んでいた。
彼は彼で、街の設計とまとめ指示役という、大仕事を進めている。
力仕事はしていないけど、見ていれば話し合いをまとめ説明し、関わる村人たちの全員が納得する街造りを全体から見て指示する。
彼は現状把握の視野の広さと対人スキルとを、常に使い続けているわけだ。
これも疲れる仕事のはず。
図々しく隣に座った彼が見るのは、建物が立ち並び豊かになる街の姿なのだろう。
そして、そんな遠くを見られる彼らが、わたくしは羨ましい……。
「……ここは“楽園”のようだわ」
ぽつりと零したわたくしの呟きに、アランは首を傾げた。
「貴族令嬢らしくないですね。ここは“監獄”ですよ」
以前にも「令嬢らしからぬ」と言われたのが過る——。
でも、これも、そういう意味じゃなくて、純粋な疑問から出た言葉なのだと分かる。
「貴族なんて、親の爵位、親も先祖の爵位を借りているだけよ。
その威厳を子供に押し付けてばかりで、わたくし自身を受け入れることなんてないわ。
あるままで居ることを拒絶する。好きなものを“異端”と呼び、魔術を使うだけで叱られる……。
そっちの方が、“監獄”に相応しいでしょ?」
それに比べたら、ここはずっと、楽園に近い。
魔女であることが許され、魔術を使うことも日常の風景なのだから。
「それは理解できますね。魔族の間でも、長く生きすぎたり、特異な者は、“別の生き物”のように扱われることもありますから」
「魔族も似たようなものなのね。王都を吹き飛ばしてしまえばスカッとするでしょうに」
「そこまではしませんよ」
苦笑するアランは、冗談だと思っているのでしょね。
そりゃあ、“普通”はそうでしょう。
「わたくしは何度も思ったわ。“こんな世界滅んでしまえばいいのに”って」
「その破壊衝動は、できれば開拓に使ってください。まだまだ整備したい土地は山ほどありますので」
この力を——魔術を、そんな風に考えるなんて、思いもしなかった。
危険なものとして恐れられ、使うことを禁じられ、何のためにあるのか分からなくなるほど、ただ好きでいることも難しかった。
だから、反抗するしかなかったのに——それをこんな風に使える時が来るなんて。
「とても建設的な魔族ね」
「とても破壊的な伯爵令嬢には敵いません」
魔力の使いすぎと、平和でのどかな空気に、眠くてあくびが出る。
あんなに憎んで壊してしまいたかった世界から、海を越えただけなのに。
ほんの少し離れただけで、こんなにも心が穏やかになるなんて……。
「そういえばアラン、クラウス様は、眠られていないの……?目の下の隈も酷いし、痩せられておられるから……」
アランは、ほんの一瞬の間を置いた。
「……クラウス様は、眠りを失っておいでです。十三年前から。ご自身で睡眠薬を調合されていた時もありましたが……」
「何か原因があるの?」
「……俺から言うべきではないでしょう」
深い事情があるのだと。
アランはそれを知っていて逡巡しているのだろう。
彼が魔族であると知った時から、見た目の年齢で判断することは不可能だと気付いてはいた。
おそらくクラウス様に長く……この島に来る前から仕えている。
そして、知っているからこそ言えないと拒むのなら、これ以上は訊かない方が良い。
いずれ分かることもあるでしょう……。
だってこれからは、この島の住民として生きていくと決めたのだから——。
——けれども、この時のわたくしは、まだ知らなかった。
この穏やかなキャリバン島の外で——
ギルデン王国とローゼンクランツ王国の新聞が、“リンドグレン伯爵令嬢”の名で一面を埋め尽くし、世間を賑わせていたことを。
そして——
その嵐が、海を越えて、この島にも迫りつつあることを——。