第6話 仕立て屋
※本話はクラウス視点です。
窓辺から見える庭で楽しげに話す声が、暗い部屋の中にかすかに響いた。
本から顔を上げると、広がるのは——あまりにも平凡で穏やかな昼の日常。
明るい笑い声が、眩しい外界に、めまいがする。
カーテンの隙間から入る陽光が足元に線を引いた。
この沈黙を湛える“監獄”とは違う、断絶した世界であるかのように。
鬱々とした部屋に響く小さなノックの音が、現実に引き戻す。
決められた時間に、アランは食事を持ってくる。
眠れず、時間の感覚が薄い中で、毎日運ばれるそれが、肉体の時間は確かに流れていることを教えてくれる。
「随分と仲良くなったみたいだな、声がここまで聞こえていた」
「騒がしかったでしょうか?」
空腹感も無いまま、並べられる皿の上の物を腹に詰めるため、開いた本を机に置いた。
「いや……魔族と気付かれなければ、こんなにも親しくなれるのだな……」
「魔族とバレましたよ」
気にした風でもなく、あっさりと言った言葉が信じられず、私はアランの顔を振り返り、思わず眉が寄る。
魔女とはいえ、人間が魔族を恐れもせずに、あんなにも自然に声を弾ませていたなんて——。
「カマをかけられて、つい明かしてしまったので恥ずかしい限りですが……。魔力を見て勘づいてはいたようです」
魔力の纏い方も見えているのか……。
すべての魔術師や魔女が見えるわけではない。
先天的な素質があって、訓練を重ねてようやく習得できるものだ。
なら、純粋な実力でこの島に来たのも、本当なのだろう。
食事を口に運び、咀嚼し嚥下するだけの作業。
味は悪いわけでもないのに、楽しむでもなく、ただ努めて平らげるだけの行為になり果てていた。
「魔女として才能があることは全面的に認めます。育てれば優秀な幹部になるでしょう」
「そういえば私の幹部になりたいなどと言っていたな……何が目的だろうな」
「それに関しては、本気でなりたいと思っているようです」
理解し難い言葉に顔を上げると、アランは首をすくめ呆れたように笑った。
彼は私には嘘を吐かない。
「冗談だろ?」
「いえ、本気のようです」
そして、この“悪魔”は嘘を見抜く。
だから本気と断言しているからには、間違いはないのだろう。
だとして——
「はあ……意味が分からん……」
言葉にして、何度理由を考えても、理解には程遠い。
彼女が本当にスパイであろうとなかろうと、どうでも良かった。
ギルデンであろうが、ローゼンクランツであろうが。
スパイであれ、ただの亡命者であれ、すぐに出て行くだろうと。
何を盗もうと、騙そうと。
私には奪われて困るような価値のあるものなど、持っていないのだから。
——最初から。
だが「私の幹部になりたい」という馬鹿げた話だけは分からん。
なぜ、この私に近づくのか、と。
「俺はいたく共感いたしました。やはりスーツとコートでビシッとキメる!我らが王として威厳と風格に満ちたご衣装で、その手腕を振るって頂きたい!……毛皮も、いい!」
「……お前たちは、そんな話で盛り上がっていたのか……」
唐突に弾んだ声色に、眉間に指をあてた。
アランは私を魔族の王に仕立てようと目論んでいる。
威厳、風格、王としてのあるべき衣装。
その期待に応えられるわけでもないのに、未だ求められる。
幹部になりたいと目を輝かせて乗り込んできた彼女と、そこで気が合ったというわけか……。
「アリカ嬢の、魔族と知っても態度を変えなかった点も評価しております。いずれ領民に紹介してみたいですね」
何か策を巡らせているように、ニヤニヤしながら状況を愉しんでいる。
純粋な厚意と言うよりは、彼女をこちらに引き込んだなら、私の反応が変わるのではと考えて面白がっているのだろうが。
「そこまで出来るのか?」
「受け入れるかは彼ら次第ですが——。まあ人間に友好的な者から様子見しますが。そろそろ新しい人材が必要かと思っていましたので、丁度良いかと」
アランが他人に興味を持つのも珍しい。
主人である私以外には無関心だった男が、ここまで気に入るなら、それ相応のものがあるのかもしれない。
ただの伯爵令嬢を、この島の内情に巻き込むのは気が引ける点もあるが、アランにも試したいことがあるのだろう。
「やってみろ、許可する」
「はい。それと、女性には女性にしか話せないこともありますでしょうから、専属メイドを雇うのはいかがでしょう?」
「それは彼女が言ったのか?」
「いいえ。俺が後ろめたいくらい、何も言って来ないのが気がかりなほどで」
魔女とは言え、普通の令嬢として育ったなら、こんな何も無い島に長居できるはずもないと、高を括っていた。
だがアランは、彼女がこの屋敷に長居する前提で手配しようとしている。
「考えてもいなかった……伯爵令嬢に不便をかけるわけにもいくまい……」
確かにアリカ嬢はドレスを着ず、いつも軽い服装で出歩いている。
ギルデンの流行りは知らないが、たかだか十三年で膝を出して歩くような常識に大きく変わったとも思えない。
しかし、男が婦人の服装に口を出すのも無粋だろう……。
彼女が変わっているから——いや、貴族社会の規範から逃れた魔女だからと、気にしないようにしていた……。
だが——
着替えを手伝う者がいない不便を強いていただけだとしたら、話は変わってくる。
「では、ついでに、他の使用人を雇っても?」
「……分かった。不便の無い程度に」
「ありがとうございます」
他人と関わりたくないからと、アランに頼り過ぎていた自覚はあった。
これを機に使用人を増やして威厳と風格とやらを纏わせたい魂胆は見えているが……抗う必要も無いかと諦めた気持ちもあった。
空にした皿を片付けたアランは、満足げに出て行った。
これから騒がしくなるかもしれない予感に、ため息が漏れる。
あの“悪魔”に折れるのも癪だが——、だからといって、私が変わるわけでもない。
魔族を支配することも無ければ、魔術師を率いることもしない。
ただ、目の前にいる相手に礼を欠くのが、居心地が悪いだけなのだから。
また一人になった部屋で、移動した日射しに焼かれた本を取り上げた。
読み飽きた文字列に、ただ目を滑らせながら、気を逸らすようにページを捲った。