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第5話 魔王の影


 キャリバン島に来て何度目かの朝。

 案外すぐ慣れる、自由で、少し退屈な生活。


 晴れてあたたかくなりそうな日和につられて、散歩に庭へ出てみれば、アランが花に水を撒いた。


 さも当然のように、魔術具も使わず、詠唱ひとつで指先から霧状の水を散らしている。

 普通の人間なら、井戸から何度も水を汲んでは、重たいバケツを運ばなければならない仕事を、魔術師はただ散歩するように済ませてしまう。



 実にいい光景。

 魔術が当たり前のように日常に溶け込んで、生活を営むために使われる様子は、理想そのもの。


 ギルデンでは魔女として隠れるように生きていたわたくしも、ここでは特別ではなくなる。



 クラウス様はどんな魔術が得意かしら?

 彼を見かけ挨拶をすることはあっても、寡黙であまり話はして下さらず、すぐに去ってしまう。


 だったら、アランから情報を聞き出せばいいじゃない。

 それに気になっていたこともあったし、丁度いいところに、アランがいるのだから。



「ねえアラン、ちょっと訊いていいかしら?」

「なんでしょうか?」


「まあ、大したことではないのだけど」


 庭の木陰に据えられた椅子に腰かけ眺めていたわたくしに、次は紅茶でも出せと言われるのではと考えるような、いかにも面倒そうな顔を浮かべて歩いてくる。


 そして目の前に立つなり、先ほどまでの表情とはうって変わって、絵に描いたような笑顔を貼り付けてこちらを見た。


 数日とはいえ、この腹黒そうな笑みにも、笑って返せるようになるものですわ。



「貴方、魔族でしょ?」


「おや、バレていましたか」


 その黒い瞳が、じわりとインクが滲むように、瞬く間に鮮やかな赤に変わる。


 これが彼の本来の色。

 魔族に多い目の色だから、わたくしに悟られぬよう変えていたのでしょう。


「魔族に会うのは初めてだから確信は無かったのだけど……本当に魔族だったのね」


 アランの姿も所作も言動も、人間と同じと言うより、理知的で洗練されており、粗暴さはないことはよく理解している。


 だから無用に恐れる必要はないと、わたくしは平静を装ってガーデンテーブルに頬杖をついた。



 生まれながらに魔力を持っているという点では、魔術師や魔女と同じ。


 魔女であるがゆえに迫害されてきたわたくしが、魔族という理由だけで彼を恐れるのは、あまりにも滑稽ですもの。


 それに、過剰に反応されるのも嫌でしょうし。



 ……とは言え、本物の魔族を前にすると、好奇の眼で見るのはよろしくないと分かっていても——興味が湧いてしまいますわ。


「カマをかけられたので?」


「魔力の使い方が独特なのは最初から気付いていましたわ。もうバレたのだから、魔力の無駄づかいしなくて済むでしょう?」



 魔術師や魔女は、魔力を心臓か魔石に蓄え、使う時は意図的にそこから魔力を動かす過程を経る。


 対して魔族は、全身が魔石のようなもの。


 全身に魔力を巡らしているため、その手間は不要な生態なのだといわれている。


 魔術の発動や操作の感覚、人間とは魔力の使い方がまったく異なると——知識としては知っていたけれど、この数日観察して気付きましたわ。



 アランは鼻で息をつき、思案してぐるりと視線を巡らせた後、開き直ったようにこちらを見据えた。


「まあまあ、どうぞお座りになって?」


 木陰の外にあった椅子を浮遊させ、木の葉を払ってからわたくしの正面に寄せると、アランはやや渋々といった様子で腰を下ろした。


「クラウス様の“燕尾”になってから長いの?この島に来てから?それとも王宮にいた頃から?」


「なぜそんなことを訊かれるので?」


「憧れの方のことは、何でも知りたいのが乙女じゃなくて?」



「“魔王”の通り名にでも憧れておられるので?」


 その言葉には、わずかな棘が込められていた。


 口調も冷ややかで、少し顔を上げて見下すような目付き。

 探るような、牽制するような——警戒、威圧と言うのかしら?



「ええ、そうよ。“魔王クラウス”と聞けば、誰もが畏れるほど有名でしょう?」


 アランは否定も肯定もせず、表情も変えぬまま沈黙する。


「兄王を呪殺して王位を狙ったのが、甥である現王ディオメデスによって暴かれ……その結果、この魔族と魔物しかいないキャリバン島に幽閉されたという、あの話」



 この有名すぎておおやけに語ることも憚られる話を語る内に、薄氷の上に立つような冷たい緊張感で、朝の庭にいるはずなのに鳥の鳴き声も消え、ドキドキと心臓の音だけが響いている。


 触れられたくない、タブーを犯したような圧に笑顔も引きつってくる。


 この沈黙の奥にある“違和感”の正体は、少しだけ分かる気がしますわ。


 とても似ている。

 あのローゼンクランツなら、やりかねないと。


 でも、もし、それが真実だったとしたら——これを彼に今訊くのは……違う……。


 真実は、本人から聴きたい……。



「真実は存じ上げませんけれど……噂も当てにならないと、ここに来て思いましたの。これが“幽閉”とは到底呼べませんわ。

 魔術師なら容易に出入りできてしまう。城壁なんて、人間と、空も飛べない魔物くらいにしか、意味をなさないのに——」


「でも噂にあてられて来た。なぜ憧れたのですか?」


 わたくしが言い切らないうちに、アランは静かに、遮るように問うてくる。



「う~ん、そうですわね……。弁明せず、慈悲を乞うこともなさらなかった所かしら?

 真偽はともかく、何も申されずに連れてこられ、そのままここにおられる。逃げようと思えば逃げられるはずなのに、そうなさらなかった——から?」


「つまり?」


「少なくとも、クラウス様はご自分の意志でここにおられるのでしょう?

 王宮の生活ではなく、魔術師としてのあり方を選ばれた。わたくしは、そう思いましたの」



 赤い目を細め、アランはまじまじと、わたくしを観察してくる。


 ……何かまずいこと、言ったかしら?

 クラウス様に失礼だと思って、嘘は言っていないけれど……。


「ご自身がスパイの容疑をかけられたから、シンパシーでも感じられたので?」


「ああ、そう言えば、わたくしそうでしたわね……。すっかり忘れておりました。でも憧れたのは、もっとずっと前ですから、関係ありませんわ」



「では、実際にクラウス様とお会いになって、どう思われましたか?想像とは違っていたでしょう?」


 妙にクラウス様の印象に食い気味で訊かれるのは、不思議ではありますが……。

 こちらが知りたいくらいなのに、向こうから興味津々と伺ってこられると——少し焦る。



「そ、そうですわね……。

 イメージでは、もっとこう、がっしりと力強くて、スーツをばっちりお召しになっていて、キラキラで眩しい、“魔王様!!”と圧倒されるような、カリスマと威圧感のあるお方を想像していたのは……正直ありましたわ」


「がっかりしました?」


「う~ん、がっかりは……したのかもしれませんわ」


「そうですか……」


 アランは、ほんの少しだけ目を伏せ、唇を結び、落胆したような顔をした。


 わたくしに何か期待していたのかは分からないけれど——罪悪感が湧いた。

 “魔王クラウス”が偶像であったとしても、この島に来る動機になったのは事実ですし——。


 それに本物は想像よりもずっと……。



「……いえ!でも!実際のクラウス様にお目にかかって感服いたしましたわ!

 とっても素敵なお方ですもの!

 寡黙で読書家で、アルビノの麗しく透き通る白髪に、鋭く冷たい眼差し。本をめくられる手の所作の美しさ。

 そして、わたくしのような“厄介者”を拒まず迎え入れて下さる度量!

 何より——あの圧倒的な魔力量!魔術で闘われたらどうなるのか……あの方のこと、もっと教えてくださらない?」



「クラウス様なら、何でも良いのですか?恋煩いでもなさっているので?」


「こ、恋とは限りませんわ!偉大な魔術師に対する尊敬と憧れの気持ちは、ごく普通の感情ですもの!」



「ハア~~~」



 アランはここに来て一番盛大で、深く長い溜息を吐いた。


 呆れかえって言葉も出ないと態度が語るほど、脚を組み、椅子の背にうなだれ、その勢いに木製の椅子がギシリと軋む音を立てる。


 普段完璧な——いえ嫌味ったらしいですけど——完璧な立ち居振る舞いをする彼も、こんな人間らしい仕草をするのだと、意外で驚いてしまいましたわ。



「な、なんですの!?本当ですわよ!」


「他意は無いのは分かりましたので、念のために忠告しておきます。“魔王”と呼ばれることをクラウス様は好んではおりません。呼ばれない方が、誤解されずに済みますよ」


 驚いてうわずってしまった言葉に、彼は強く真剣な声で言った。


 今まで何を量られていたのかは知りませんけれど、この口振りなら、わたくしにクラウス様を害する意図は無いと伝わったというところかしら?



「そうなの?あの“魔王”のお呼び名、とても素敵ですのに。魔族や魔物の主にして、魔術師の頂点に立つ偉大な王——という意味でしょ?

 魔族である貴方も、ふさわしいと思っているのではなくて?」



「その意味を含んでいたとしても、です」


「……分かりましたわ」


 思わずムスッと口を尖らせてしまったけれど、アランの言っていることはもっともですわ。

 どれほど好意的な意味で呼んでも、当人が嫌なら、尊重して引くべきですものね……。





 しばし、沈黙が流れた。

 情報を引き出したいのに、逆に渡してばかりいる気がする……。


 結構、アランも頑ななのよね。


 普段は物腰柔らかそうにしているけど、こっちの腕を組んで座る姿が、彼の自然体なのかしら。

 居心地が悪いわけではなくて、何かしっくりくるものがある。


 そう、この、態度の悪い嫌味を混ぜて追究しつつも、的確に物事を言い切る感じ——どこか覚えがある……確か——。



「……あの本を書いたのは、アランでしょう?」


「どの本ですか?」


「十年前に手に入れた……赤い革の表紙に、銀と黒の字で綴られた——タイトルの無い魔術書。クラウス様の研究内容を事細かに書き綴られていたの……」


「ああ、あれ。さて、どうでしょうね」


 曖昧に答えているが、あの本を知っていて、視線を逸らして片側の口角を上げる様子を見れば、肯定しているも同然だった。



「ローゼンクランツ王国は、この島の存在を機密情報として秘匿しているわ。混乱を避けるための名目で。

 なのに、あの本には島の正確な位置まで記されていた。でも、クラウス様本人が書かれた風でもない。

 なら考えられるのは、長く側に仕え、魔術に精通し、この島から本土に送れる者——当てはまるのはアラン、貴方だけ。

 だから貴方に最初に訊くのが礼儀でしょ?」



「俺の扱い方をよくお分かりで」


「だって、貴方もクラウス様のこと大好きでしょ?」


 あの本を読めば分かりますわ。

 どれほどクラウス様を見つめ、思案し、存在を忘れられたくなかったのかを。


 それを最初に尋ねる相手として選ばれるのは、側近中の側近と認めているようなものですもの。

 聡い彼が、このおだてを理解しないわけがありませんわ。



 にしても、アランがあれを書いたのだとしたら——だから「がっかりした」というわたくしの言葉に、あんなに残念そうな顔をなさったのね。


「……それで?それを訊いて、どうしたいので?」


「ありがとう。わたくしをこの島に案内してくれて」



 驚くほど自然に、口をついて出た言葉だった。


 あの本の作者と知って気持ちが急いていたとはいえ、巧く翻弄したいと考えすぎて口を滑らせましたわ——だってあの本は……。


 アランもまた目を見開いて、わたくしを見つめていた。


「……意外ですね」

「素直じゃない子だと思っていたでしょ?わたくしは案外“いい子”ですのよ」


「あまりご自身を卑下しなくてもよろしいですよ」



 焦って強がったのを、彼は見抜いて否定しているのだと分かった。


 “いい子”という言葉は、わたくしにとっては褒め言葉ではないのに……とっさに出てくる言葉がこれとは。



 とはいえ、わたくしがこのキャリバン島に来られたのは、あの魔術書のおかげで、クラウス様の存在を知ったのも……それは否定できませんわ。


「皮肉が通じないのね」


「あれを読んで、ここまで辿り着けたのは貴女の実力ですから。それは俺も認めています」


 その声色に、嘘も皮肉も感じられない。

 沢山の言葉を知っているつもりだったけれど、そんな風に言われたのは、多分初めて。



「素直に来られると、それはそれで困りますわね……調子が狂いますわ」


「分かりました。アリカ嬢の弱点として覚えておきます」


「っ!……な、何ですのそれ!やっぱりムカつきますわ……!」


 鼻につく笑いではなく、こんな風に優しく笑うこともあるのだと気付いた。

 案外、彼とわたくしは似ているのかも知れませんわ。



 肌に当たる朝の涼しい風が昼の日射しであたたまる頃には、濡れた土の匂いは植えられた花の香りに変わっていく。


 他愛もない話が弾む庭の、息のしやすい空は、ただ青く、蝶がゆったりと飛び穏やかで——心地良かった。




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