第4話 監獄の主
※本話はクラウス視点です。
燭台の明かりに照らされた部屋は、いつもと変わらぬ静寂に沈んでいる。
ここは“監獄”だ。
もとはローゼンクランツ王国が大罪人を収監するために建てられた施設だった。
だが魔族がこの島に棲みついて以来、人間は立ち入ることすら出来ず、城は長く放置されていた。
そして今では——私が、クラウス・ローゼンクランツが投獄されてから、“魔王の住む城”と呼ばれる。
十三年前のあの日から——。
なのに今になって、私を訪ねる人間が来るなど考えもしなかった。
その静寂が、わずかに軋む。
「あの令嬢の様子はどうだ?」
「あれは肝の据わったご令嬢ですよ」
誰もいなかった空間に訊ねた言葉に、背後に立ったアランは、呆れと苦笑交じりの口調で答えた。
「トリッキーで本意を語らない性格ではありますが、全くの礼儀知らずというわけでもない。
わざわざクローゼットと自身の工房を繋げる魔法陣を描く許可を求めてきました。
勝手にすれば、工房の場所も知られることなく、呪物の一つでも持ち込めたでしょうに」
空間を繋ぐ術式……随分と懐かしいものが出てきたものだ。
それを使って罠を張るとして、考えられるのは——。
偽物を見せびらかし、本物の工房は別に繋げるだろう。
「ダミーでは?」
「その可能性もありますが、工房と彼女に染み付いた匂いが一致していました。間違いなく彼女のテリトリーです。
ペンで省略しても正常に機能する陣を描き慣れていた。あれは魔法陣の内容を理解し、普段から使用している手癖ですね。
あれを簡略化して見せるなんて、警戒心が強いんだか弱いんだか」
アランの喉の奥から、クツクツと笑いが漏れる。
無理もない。
空間を繋ぐ術式を開発したのは、他ならぬ彼なのだから。
あれは本来、扉に彫り刻む前提で作られた。
何度も描くことを想定しているのではなく、むしろ暗号化し、複数の場所と繋げ、侵入を阻む罠を刻む術式だ。
簡略化など、解読されやすく危険を招くだけだが——彼女の場合は隠し通路、一定の場所に留まらない目的で使われているのかもしれない。
その使い方を見る限り、ギルデン王国も、ローゼンクランツとそう違わぬものだと察せられる。
「気に入ったか?」
「クラウス様によく似ていると感じました」
どこが似ているのか。
私には、あの令嬢のような言葉も、行動力も、目も…。
「あまり情を移されませんよう」
それはつまり、私が彼女を気にしている、と暗に告げている。
「本気で言っているのか?」
「ええ、よく似ていらっしゃる」
「どこが似ている」
「どこだと思います?」
アランがこう問いかけてくる時は、すでに理解していると、分かっているはずだと、ずる賢く答えさせようとしている。
「彼女が真実を言っているかすら分からぬのに。私は、あのような人間ではない」
「あの女は素直ですよ。そして、貴方が何を望んでいるかくらいは、分かります」
アランの細めた視線が、蝋燭の明かりを弾いて赤く光る。
言っていることはちぐはぐに聞こえるが、嘘を禁じているのだから嘘は無い。
まるで私の心を見透かしているかのような口ぶりで、この“悪魔”は言葉で惑わす。
「彼女に重ねているのでしょう?ご自身を——」
「下がれ」
燭台の炎が一つ、揺らめき消える。
アランもまたその場から掻き消えた。
残る煙のように、瞼を手で覆ってもなお、思考が燻ぶり漂い続けている。
突然、この“監獄”に青い目の魔女が現れた。
私を訪ねて来たのだ、と。
更には、あらぬ疑いをかけられて逃げてきた、と。
母に似た魔女——と言っても私が生まれた日に死んだ。
記憶など無い。
その姿を遺したのは、ただ一枚の肖像画。
その目が青く、髪が黒い——そして魔女だったことしか分からない。
私には何一つ似ていなかった。
優し気な青い眼差しも。
黒い艶を流す髪も。
私には無い。
ローゼンクランツでは、それはありふれた色だ。
父も黒髪で青い目をしていた。
それなのに、生まれた私は——色の無い白髪に血のような赤い目。
不義の子という噂は立った。
魔族に多くある特徴に、赤い瞳がある。
だから魔族ではないかとさえ囁かれた。
アルビノという突然変異の事例があると知ってから、気持ちだけはマシになった。
恥じることはないと言い聞かせた——こんなに、醜くても…。
——だが、もう疲れてしまった。
今夜も眠ることが出来ない。
本を読み、魔術を研究し、実験を繰り返し、それを書き留める。
思考の亡霊を払い除けながら、夜が明けるのを待つだけ。
日が昇れば何かが変わるということも無く、鬱屈とした日々が繰り返され、そしてまた、夜が来る。
何も無い。何も、無かった。
だから、私は——無意識に望んでしまったのかもしれない。
リンドグレン令嬢が言ったように“この結界を解く魔術師”を——。
そうすれば、何かが変わるかもしれないなどと。
眠りを失った私が、愚かにも、夢を見てしまったのかも知れない。
蝋燭の明かりが、愚か者だと——瞬き嗤っているように見えた。
こんな下らないことをして、また後悔するかもしれない。
また夜が明けるまで、
答えのない問いを、何度でも、繰り返すのだろう。