第3話 工房の主
案内された部屋は——悪くありませんわ。
豪奢なわけではないけれど、上質な家具だけが集められている。
強いて言うなら、わたくしはこの部屋の主として想定されていないのでしょうね。
掃除は行き届いているけれど、誰も使った気配がない。
傷一つ無いのに、様式は古めかしく、真新しさはどこにもない家具たち。
男性用の高さに揃えられ、化粧台も男性用、クローゼットもドレスなど入りそうもない。
書物を書くための広い仕事机と、空っぽの本棚。
どれも女性が泊まるなど考えてもいなかった設えですわ。
——そして、長いこと誰一人として、この部屋を使っていないのだろうと想像できる。
「必要な物があればお呼びください。無ければよいのですが」
暗に、何も要求するな、と言いたげですわね。
「アランと呼べばいいかしら?」
「どうぞ」
プイとそっぽを向いた仕草、無愛想というよりは、雑。
丁寧にもてなすほどの要人ではない、と露骨な態度で示している。
——まあ、それはそれで気楽でもありますけど。
「ん~じゃあ、ちょっとこのクローゼット改造しちゃってもいいかしら?」
「お好きに」
「では、失礼して」
ペンとインク壺を取り出し、クローゼットの扉に魔法陣を描く。
案内されて早々に家具を汚す厄介な客人に、アランは当然微妙な顔をしていたけれど。
クローゼットを開ければ、そこには石で囲まれた地下室のような、奥まった室内が現れる。
いわゆる空間を繋げる術式。
——繋げたい扉と同じ木材を焼いて粉にし、それを混ぜたインクで双方に同じ術式を描くことで、空間を結ぶ。
昔からある、簡単な魔術式のひとつ。
「わたくしの工房を繋げさせていただきましたわ。誰も入れる気はないけど、閣下に報告なさっても構いませんわよ。後で怒られるのも嫌ですし」
アランは無言のまま、部屋と魔法陣をしげしげと眺めて、ふとわたくしの方に視線を向け、何かを考えているようだった。
「あら、ようやくわたくしの凄さに気付いたかしら?」
「術式自体は凡庸ですが……簡略化された魔法陣で、この短時間に繋げられるのは初めて見ました……と、認めましょう」
「意外と素直なのね」
まあ、認めることが不服と言わんばかりの顔をしているけれど。
描くのが速いのは事実ですわ。
なぜなら、外出の度に工房の扉を隠すため、術式を一旦消し、また必要な時に描き直す作業に慣れているのですもの。
だから、このインクをいつも持ち歩いている。
「クラウス様より正直に答えるよう言われています」
「そうね、正直で”いい子”ですこと」
「……貴女のその上辺だけ取り繕った言葉や、含みのある言い回しは、得体が知れず嫌いです」
「“正直でいい子”ね」
嫌われていることくらい、とっくに気付いていますのに、それをわざわざ口にしてくるなんて。
なんてまあ、“正直でいい子”なんでしょうね?
露骨に眉をひそめるアランに、わたくしはニタリと不敵に笑んで見せた。
「それから、工房に許可なく入ったら、ただじゃ済まさないから、覚悟してお入りなさいね?」
「工房に勝手に入るバカがいるとでもお思いで?親子でもありえませんから、ご安心ください」
「まあ、それが普通よね……」
パタリと工房の扉を閉める。
こんなにもあっさりと、魔術師のルールが通じるなんて——
魔女のコミュニティにいる時しかなかった。
それが住処になるかもしれないと思うと、肩の荷が下りるような気持ちだった。
「軽食と水を頂けるかしら?ここまで来るのに、お腹が空いてしまいましたの」
「かしこまりました」
やれやれ、といった顔を隠そうともせずに部屋を出ていくアラン。
張っていた緊張がようやくほどけて、長いため息を吐きながら、少し背の高い椅子に倒れ込んだ。
ここは、わたくしの体格に合ってないもので出来ている。
わたくしのために作られた部屋じゃない。
けれど、それが妙に心地良く、嬉しかった。
安心できる場所なら、どこだって良かったのだもの。
——いえ、望まれていないからこそ、安心しているのですわ。
しかも、ずっと憧れていた“魔王”様にお会いできた。
子供のように、柔らかい絨毯を何度も踏みしめて、足跡を付けた。