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第2話 亡命者


 夜の暗闇の中で、城の門の松明が煌々と照らしていた。


 ここはすでにローゼンクランツ領にあるキャリバン島——別名「怪物の島」。

 そして、魔王クラウスが幽閉された監獄。


 つまり、不法入国ですわ。


 それはさておき——あまりにも粗雑ですわね。

 人の気配もなく、静けさに包まれて門番すらいない。

 加えて、島に入るにあたって、幾重にも魔術結界が張られていた。


 すなわち、この島は魔術によって、外側に対して護られていたのですわ。

 “魔王”と恐れられる最強の魔術師を幽閉する監獄なのに——

 

 逆ではありませんこと?


 だいたい、ギルデン王国よりも魔術嫌いで潔癖なローゼンクランツ王国が、魔術で魔術師を幽閉しているなんて、矛盾していますわ。


 そうなると、このキャリバン島は、すでにクラウス様が掌握していると考えるのが自然ですわ。

 魔術師にとって、人間が造った監獄など、ただの箱にすぎませんもの。



 静寂の中、わたくしの靴音だけが響く。

一人の門番にも出会わず、重々しい城塞の扉を叩くと、隙間の闇から青年の黒い瞳が覗いた。


「……何者ですか?」


 不躾な視線、怪訝に警戒心を漂わせた眼つき。

 まあ、それも無理はありませんわ。

 この島は魔族と魔物しかいないと言われる場所。


 この黒い目の男も、人間なのか魔族なのかさえ分かりませんわ。


 それに、魔術師なら誰かがここまで入って来たことくらい、すでに把握しているはず。

 だったら、こちらも遠慮はいたしませんわ。


「わたくし、今日から幹部として働かせていただきますアリカ・リンドグレンと申しますわ。つきましては、クラウス・ローゼンクランツ閣下にお目通り願いたく存じますの」


「リンドグレン?」


 扉を開きはしたものの、遠慮という言葉を知らぬように、ジロジロと値踏みするような視線。


 まあ、この姓を知っているなら、こんな場所に貴族の娘が一人で現れれば、珍獣扱いするのも致し方ないのかもしれませんわ。


「わたくしの名前をご存じでしたら、話が早くて助かりますわ」


「“あの”厄介者のリンドグレンか」

「まあ!厄介者などと!」


 生意気に片目を細めて、鼻で笑うこの青年。


 燕尾服をきっちり着こなしているところからして、執事なのでしょうけれど……それにしては若すぎますわね。


 黒髪に黒い瞳、背丈もわたくしより少し高い程度。

 十代後半から二十代前半といったところに見える。


 しかも、“魔女”としてのわたくしを認識して、この態度なのが腹立たしい。


「お帰りください」


 そう言い放って扉を閉めようとする彼を、とっさに隙間に足を差し込み、手で押さえた。

 こちらがにっこり微笑めば、向こうも嫌味ったらしく、冷たい眼のまま笑みで応戦してくる。


「あら、このようないたいけな令嬢を、ひとりで外に放り出すおつもり?お話だけでも聞いてくださいまし?」


「ここに来られる時点で、いたいけな令嬢と呼べるはずもありません。お帰りください」


 ……ごもっともではありますわね。


 なんてことも百も承知で押しかけているのですもの。

 このわたくしを簡単に追い返すだなんて、させませんわ。


「では、こう言いますわ。ここまで厳重な結界を張っていたのに入られたのですから、わたくしに言いたいことがあるのではなくて?

 このわたくしに、解かれてしまったというのに?何も尋ねずに帰してしまって?何をしでかすか分からない相手に?不用心ではありませんこと?」


「……分かりました」


 押し勝ったわたくしがニッと笑ってみせると、彼は呆れたように片方の口角を上げ、渋々ながらも中へと入ることを許してくださいましたわ。




 案内された“魔王様の城”とは、どんな所かと思えば——

 まあ、全体的に暗いこと。


 最低限の明かりに、最低限の調度品だけで揃えられた玄関ホール。

 貴族の屋敷としては、正しく最低ライン。


 ただ、ここが牢獄であるという点から見れば、想像していたよりも整然としていて、むしろずいぶんと“まともな城”と言えるかもしれませんわ。


 看守や門番、それに魔物がうようよしていて、迷宮のような恐ろしい場所かもしれないと覚悟しておりましたから——拍子抜けと言ってもいいくらい。


 歓迎はされていないけど、拒絶もされていない……というところかしら。



 通された応接室も簡素ながら、どこにも鉄格子や石壁の冷たさはない。

 打ちっぱなしの湿った牢獄…なんてことはなく、絨毯も執務机もガラス窓もある、ごく普通の応接間でしたわ。


 その一番奥、暗い窓を背に座る人物がジロリとこちらを睨んでいる。


 話では聞いておりました。

 白髪に赤い目を持つ“魔王”


 この方こそ、クラウス・ローゼンクランツ様、その人だと、すぐに分かりましたわ。


「クラウス・ローゼンクランツ閣下にお会いできて光栄ですわ。わたくしギルデンのリンドグレン伯爵の娘、アリカと申します」


 お辞儀をし、にっこりと微笑んで見せた。


 ギルデンとローゼンクランツではマナーに大きな違いもないはず。

 問題はないでしょうけど……少し緊張しておりましたわ。


 ……ただ、“魔王”と呼ばれるクラウス様だが、思い描いていた姿とは少し異なっておりました。


 おそろしく策略に満ちた大公と語られるわりに、思ったよりもずっと細身で痩せていて、白い髪も雑に束ねられ、着崩されシワの寄ったシャツに、羽織っただけのようなジャケット。


 姿勢も悪く、猫背気味に椅子にもたれかかり、得体の知れない者を見る眼差しで、深いクマのある、落ちくぼんだ赤い眼を細められている。


 威厳が無いとは申しませんけれど、“魔王”と言うよりは——


 師匠に似た、身なりに頓着しない学者肌の男性——そう表現した方がしっくり来ますわ。


「いかにして結界を解いた?」


 初めて聞いたクラウス様の声は低く、闇にこちらを覗かれたような暗く重々しい響き。

 わたくしの事情や身元ではなく、まずそちらを訊ねられたのは意外でしたわ。


「あら、それは貴方様が——解いてほしいとお思いになっていたからでは?」


 隣りに控える執事が視線を逸らし、面白がっているように片方の口角をクイと上げた。


「ここまで数々の結界を張っておられましたが、どれも“抜け穴”がありましたわ。結界など、閣下と使用人だけが通れるようにして、他は拒めば済むことなのに。

 なぜ、わざわざ解読可能な“抜け穴”を用意していられたのですか?」



 クラウス様は沈黙のまま眉をひそめ、肘置きをトントンと指で叩きはじめる。

 イラ立っているのか、それとも考える時の癖なのかは分からないけど……。


 でも、言ったことは事実。

“抜け穴”のある結界を、時間をかけ解いてここまで来たのですから。


 何人の侵入をも拒むと言うよりは、むしろ——そう、試されているような仕掛け。


「閣下は、この結界を解くだけの魔術師が来るのを、お待ちだったのではありませんか?」


「……ならば、なぜお前は入った?目的は何だ?」

「それは勿論!こちらの使用人不足を補うため、幹部として働かせていただきたく——」


「あまり長い冗談は好きではない」


 今までよりもずっと重く、低い声が、わたくしの軽口を遮った。

 その声色に、背筋がゾクリと凍り、癖である軽薄な言葉が怯えて喉から出てこなくなる。


 これ以上、怒らせるべきではないという警告に、畏怖の念すら覚え、冷や汗をかきながらも、口元には思わず笑みが込み上がってしまう。


「では……わたくしを雇っていただけませんか?」

「……あまり話が変わっていないが?」


「嘘偽りは一切ございません。魔女として、幹部として、閣下にお仕えしたくございます」

「断る、と言ったら?」


「この島を追い出されても、わたくしに帰る場所などありません」


 クラウス様の眉が少しだけ上がり、肘置きを叩いていた指が止まる。

 執事の視線が刺すように向けられ、意図は分からないけれど、空気が変わった……。


 なら、ここが押しどころですわね。


「祖国からスパイの疑いをかけられ、ギルデンの魔術警察から追われる身……。

 一介の魔女が囚われずに生き延びるには、それ相応の後ろ盾が必要です。さもなくば、姿を隠して、誰にも悟られずに慎ましく逃げ続けるしかありません。

 ならば、最も強い魔術師であらせられる貴方様に、わたくしの力を遺憾なくお使いいただく方が本望というもの。それをお見捨てになると言うのでしたら……わたくし、閣下をお恨みいたしますわ」



「……恨むだけなら、恐るるに足らんがな」


「恨みのあまり、ついうっかり、ここの結界の解き方を漏らしたり——、あるいは、新たな魔術武器を開発した折に、試験としてここに飛ばしてしまうやもしれません」


「ついうっかり、か」

「はい。ついうっかり」


「閣下に向かって無礼です」


 苦笑混じりとは言え、和みかけた空気を執事が遮った。

 それはそう、クラウス様を攻撃する可能性を匂わせた冗談を言ったのだから。


「あら、ごめんあそばせ。わたくし、貴方になら勝つ自信はありますの。もし執事の席が空いた時は、わたくしが代わりに座って差し上げますわ」


 とは言え腹立たしく鼻で嗤い返した言葉に、今度はクラウス様が片方口角を上げ、呆れている執事とアイコンタクトで無言の会話をしている。


 ——このふたり、思っていたよりも仲が良いですわね。


 と言うより、所々の癖が似ているように感じる。

 予想よりも、ずっと長くクラウス様に仕えているのかもしれませんわ、この執事。



「大層、自信家なご令嬢のようだ。……まあ良い。客人として滞在を許可しよう」


「まあ!寛大なお心に感謝いたしますわ!」


「しかしクラウス様——」

「構わん。アラン、部屋は適当に見繕ってやれ」

「かしこまりました」


「かの有名なクラウス・ローゼンクランツ閣下の城の客室に恥じぬ、素晴らしい部屋でしょうね。楽しみですわ」


 アランと呼ばれた執事が、あからさまに嫌そうな視線をこちらに向けてくる。

 本当に“適当な地下牢”に案内されたかもしれないのを、その前に釘を刺しておいたのが気に食わないのでしょう。


 ——ふふっ、最高の微笑みで迎え撃ちますわ。


「待て」


 執務室から出ようと踵を返したわたくしを、クラウス様の声が呼び止める。


「……手を怪我しているな」


 言われて初めて気づいた。

 森を飛び、木々をすり抜けて逃げ回っていたせいか、口元に添えた左手に、赤い血が垂れていた。


「まあ、本当ですわね。……ですがこの程度の傷、クラウス様のお気に留めるほどのことでは——」


 そう言いかけた瞬間、彼が手を差し出し、空を掴む動作をしたかと思うと、ふわりと風が吹いたような魔術の匂いが漂った。


 手を見ると、血は一滴も残らず、傷跡がどこにあったかすら分からない。


「……治癒魔法ヒール……感謝いたしますわ…」


 正直、ずっと気を張っていたせいか、痛みなんて最初から感じていなかったけれど、魔力をかなり消耗していた今、有難くはある……。


 でも、亡命してきた得体の知れない魔女に、クラウス様が手ずから治癒魔法をかけるなんて。

 ……随分と親切な。


「さっさと行け」


 扉を開けた執事に促され、わたくしは一礼して部屋を出る。

 案内されるまま廊下を歩きながら、左手の傷があった所に手を触れてみる。


 ……綺麗に何も無い。

 

 傷跡も、魔術の痕跡も、監視用のマーキングですらない。

 クラウス様ほどの魔術師なら、これくらい簡単なことなのでしょうけれど——。


 無礼な客人にすぎないわたくしに、ここまでする理由でもあるのかしら……?



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