第18話 レディ・アリカ
応接室では、先にクラウス様に“聖女”への説得を始めてもらっている。
作戦の詳細を言えば反対されることは目に見えていたから、あえて時間を置き、後から入って合流するとだけ伝えていた。
遅れてきたわたくしに、廊下に待機していた兵士たちが一斉に視線を向ける。
ジロジロと不躾に、疑うような視線が、引いてきたワゴンの上——カップとポットへと集まった。
話し合いに飲み物を出すのに何がおかしいのか、と言わんばかりに、堂々とその中を進んだ。
「すでに私からも彼女本人に意思を確認した。
レディ・アリカは、現時点で帰国を望んでいないという返答だった。
妹君の心身が落ち着き、判断が定まるまでの間、“聖女殿”におかれては、一度本国へ戻られるのが賢明ではないだろうか」
「妹の意思とおっしゃいますが、昨日の様子を見る限り、あの子は明らかに混乱していました。
冷静な判断とは言えません。 帰りたくないと、本当にそう言ったのですか?
あの子の意思を私は直接聞いていないのですから、受け入れられませんわ。
失礼ですが、貴方が言わせたのではありませんわよね?
私は家族です。 妹を守る責任があります。 妹のことなら、誰よりも分かっています」
かしましい声が扉の向こうから聞こえる。
相変わらず、わたくしの意思を聞きたいのではなく、思った通りに動かしたいだけなのだ。
そして、わたくしと話せば思い通りに運べると疑わない。
——その過信を利用してやりますわ。
まだ恐怖が消えたわけではない。
手の震えを落ち着けるように息を吐いて、軽いノックをして扉を開けた。
「遅れて申し訳ありませんわ。お詫びにカフェラテを淹れてまいりましたの」
開けた瞬間、中にいた兵士たちの警戒した視線が先に突き刺さり、その奥に立つアランと、ソファーに向かい合う二人がこちらを振り返る。
心配そうなクラウス様に一瞥し、ポットの中身をカップに注いで見せる。
甘い香りがするカフェラテを、ひとりずつ、順にクラウス様と“聖女”の前にカップを置く。
最後に自分が座る席の前へ置き、席に着いた。
「わたくしが淹れた物ですわ。“聖女様”もこれならお飲みになれるでしょ?」
「ええ、勿論いただくわ」
微笑みを崩さぬまま、クラウス様とわたくしが先に口をつけるのを待ってから、オフィーリアはカップを取り、一口飲んだ。
姉の好みは把握している。
甘さ、香り、ミルクの量——すべて、それに合わせて淹れた。
昨日はこの一杯のせいであれほどの騒動になったというのに、その味に、オフィーリアの表情はわずかに緩む。
「クラウス様、少し姉妹だけで話をさせて頂けますか?」
その言葉に、オフィーリアは嬉し気に微笑んだが、クラウス様は顔を曇らせる。
あんなことがあったのだから、当然だろう。
二人きりにしてよいのか逡巡する視線に、にっこりと笑って応えた。
その無言の返事に、クラウス様は静かに頷き、席を立つ。
「貴方たちも席を外してくださる? 大丈夫よ、姉妹だもの」
“聖女”の命令に、兵士たちは心配の色を隠さぬまま従い、外へ出た。
最後にクラウス様が一度だけ振り返り、退路を断つように扉が閉められた。
心臓が痛いほど鳴る。
それでも声を震わせぬよう、息を一つ吐いて背筋を伸ばした。
「クラウス様がおっしゃられた通り、わたくしは、ギルデンに帰るつもりはありませんわ」
そうはっきりと明言した。
これがわたくしの意思——この言葉を受け入れて帰ってくれるのなら、それでもよかった。
けれど——柔和に微笑んでいた“聖女”の顔が、スッと表情を消した。
「随分と偉そうになったのね? あの“魔王”を手懐けてると見せたかった?」
小首をかしげて、低い声でそう言う姿は、いつもの姉の姿だった。
オフィーリアはよそ行きの“いい子”の顔と、家族に見せる顔は違う。
誰しもがいくつもの顔を持つし、家族であれば、それは「家族の親しみや気安さ」と言ったりする。
でも、家族だから見せる姉のその顔は、恐ろしくて苦手だった。
「手懐けるなんて……クラウス様を尊敬しているだけですわ。
わたくしのような者の願いを聞き入れて、この島に置いてくださるのですから」
「貴女に人を尊敬するなんて感情ってあったのね。
常識もないくせに。 そのはしたない格好で誑かしたんでしょう」
鼻で嗤う姉の視線が、わたくしの胸元から膝へと這い、露骨な侮蔑を滲ませていた。
自分が淑女らしくない格好であるという自覚はある。
けれど、格好で他人を値踏みし、外側だけ繕っている彼女に、クラウス様までそんな眼で見る男と馬鹿にされる筋合いはない。
「貴女よりかは」
「は?」
ドスの利いた低い声と、イラ立ちを帯びた鋭い緑の眼光が、心臓を撫でた。
怯んで足が後退り、肩を縮める。
視線を逸らし、自分の手をそわそわと触れた。
「わたくしが帰っても、ギルデンにとっても何の利益にはならないもの……」
「貴女のためにトロイラス将軍とも掛け合って、特別に、アリカを特殊警察に入れてあげる。
あの人なら、貴女みたいな跳ねっかえりでも、“まとも”に直してくれるわ。
“魔女”なんて呼ばれるくらいだもの、女でも使い道はあるはずでしょ。
魔力があるだけで重用されるなんて、楽な立場でいいわね」
特殊警察に入れ、というのはつまり——
ギルデンのために魔女狩りをしろ、ということ。
“国家の犬”となり、魔術を使って同族を捕らえ、危険と判断された魔族や魔物を処分する。
戦争が起きれば、軍人として人間を、魔術師を殺す。
ローゼンクランツと事を構えれば、最悪——
クラウス様と刃を交えることになる。
だからこそ、わざわざこのキャリバン島を選んだのだ。
あのクラウス様とは、絶対に——。
“いい子”でいれば良い地位を得られるなんて甘言に、流されるなんて出来ない。
「そういうのには興味がないの」
「相変わらず怠惰で無気力な子。家に引き籠って、何も出来ない妹ね。
そのくせ私の邪魔ばかりして。
こうして貴女のために好条件の提示をしてあげているのに、何も分かってない。
もっと賢くありなさい」
相変わらず傲慢な姉だ。
わたくしの意思を無視して、自分の考えが正しくて善い行いとして押しつける。
「じゃあ、その腕に着けているブレスレット。
わたくしの工房から持ち出した物でしょ。返してくださる?」
「何言ってるの? これはお母様が買った物よ。
家族の共有の物を、勝手に持ち出して独り占めしてたのはアンタでしょ? 泥棒扱いしないで」
ブレスレットを隠すように手で覆う。
「じゃあ、それを使って“聖女”なんて名乗るのは止して。それは“奇跡”ではなく“魔術具”よ」
「私は”魔女”なんかじゃないわ! 世界に認められた“聖女”よ!
アンタたちが使う汚らわしい“魔術”なんか使ってない! 勝手なこと言って犯罪者扱いすんな!」
“魔女だ”なんて言っていないのに、言葉を乱し、机を叩いてまくし立てる。
家族であれ、家族だからこそ、自身の属性を見下される現実を突き付けられるのは苦しい。
もし、わたくしの意思を受け入れてくれたのなら、事態は変わっていたでしょう。
最後のチャンスだったのかもしれない……
そう思ってしまったのは、きっとどこかで期待してしまっていたから。
少しのがっかりと決意に、深くため息を吐いた。
「なら、仕方ありませんわ」
立ち上がり姉の元へ近づき、腕を掴む。
彼女の緑の眼は嫌悪に歪み、勢いよくわたくしの手を振り払った。
「何すんのよ!!」
その勢いで床に倒れたが、ふらふらと立ち上がり、ブレスレットを見せつける。
わたくしが作った物だから、外し方も熟知している。
オフィーリアは一瞬きょとんとし、はたと自分の手首からなくなっているのを見て、目を見開いた。
「こうしますわ」
床に叩きつけ、靴底で踏み潰す。
原型を留めなくなるまで——何度も何度も。
青い石が砕け、銀の金具が曲がる音が響く。
それを見た瞬間、オフィーリアはカップの中身を、カフェラテを、わたくしの顔めがけて浴びせた。
「冷静になりなさい!」
思ったより熱くはなかったから問題無い。
姉の癖は分かっている——怒りに任せて、手近な物を投げる。
以前にも、こうして飲み物をかけられたことがあるもの。
これが狙いだったのだから、これでいいの。
妹の保護を求めているのに、“聖女”自身が妹を害したと、これで分かるのだから。
姉は姉で、これを冷静で理性的な態度と思っている。
烈火の如くオフィーリアが、罵詈雑言を並べ立てている。
それを横目に、頭に水をかけられると妙にスッキリした気持ちになるのは本当ね、と自嘲気味に笑いが込み上げた。
「“聖女様”、お帰りくださいな」
「何を言っているの! 貴女も帰るのよ!」
「もう一度言いますわ。今すぐ帰らないなら——二度と帰れなくして差し上げますわ」
濡れて貼りつく前髪の隙間からジロリと睨むと、一瞬言葉を失い、わずかにたじろいだ。
「わ、私を脅すの!?
私を帰さなかったら、ギルデンとローゼンクランツが黙ってないわ!
それに逮捕されてる魔術師たちがどうなるか分かってるの?
見捨てるの?あなた達の仲間でしょ!?」
「別にいいですわ。 魔術師たちの解放も——今は、もうどうでもいい。
クラウス様が手を下さずとも、わたくしは出来る。
わたくしは“魔女”よ、お忘れですか、姉様」
テーブルに手を付いて、前髪をかき上げてにたりと笑うと、オフィーリアは顔を引きつらせ、カップが割れる音がした。
今まで反撃してこなかった妹が、敵意を見せるなんてありえないと——そう過信していたのが透けて見える。
その怯えた姿に——笑いが込み上がってくる。
ずっと恐れていた相手が、脅威ではなかったと気付いてしまったのが——
姉と同じになってしまった自分が——悲しくて笑える。
わたくしは今、きっと、悪い顔をしている——。
「レディ・アリカ」
声の方向を見ると扉が開いていて、クラウス様が言葉を失ったまま立ち尽くしていた。
傍から見たら、すぐに状況を呑み込めず、混乱するのも無理はないですわ。
カフェラテを頭から被ったわたくしと、取り乱して涙を浮かべる“聖女”オフィーリア。
「私のブレスレットを突然奪って壊したのです……!
さらには監禁すると脅してきて……でも私も抵抗しましたの!
そんなことしても何もならないって!」
必死に言い分を並べている相手は、クラウス様ではなく、その後ろから入って来た兵士たちだった。
緊張と動揺が広がる部屋に、兵士たちがなだれ込む。
彼らはわたくしと“聖女”の間に割って入り、こちらに、“魔女”に敵意を向ける。
中にはオフィーリアにジャケットをかけ、心配するように声をかけている男もいた。
濡れた髪をはらって雫を落とし、ため息が出た。
別に言い訳する気もない。
見たままが事実だ。
そう仕向けたのだから、思うようにさせておけばいいのよ。
「交渉は決裂ですわ! わたくしはギルデンには帰らない!
もはやリンドグレン家の庇護も、“聖女”の庇護すら必要ありません!」
わたくしの言葉に静まり返る応接室。
これは聖女と兵士たちに聞かせる宣言ではあるけれど、一番に聴いてほしいクラウス様を見て、決意の笑顔を向ける。
ずっと夢見ていた。
家を出て自由になること。
魔術を好きに使うこと。
好きな格好でいること。
自分でいられること。
そして——
「わたくし、レディ・アリカは——クラウス様の女幹部になりますわ!」




