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第17話 わずらい(後編)


 運び込まれたのは、クラウス様の自室だった。


 初めて入る場所。

 夜の静けさを、そのまま閉じ込めたような部屋。


 暗く静まり、重たく厚いカーテンが開かれて、月の青白い光だけで染められていたが、灯された蝋燭の火が、その色を溶かした。


 軟らかいソファーに座らされると、クラウス様がご自身のジャケットをわたくしの肩にかけられた。


 その温もりで、どれほど自分の手や体が冷えていたかに気付く。


 まだぼんやりとした頭で周囲を眺めると、明るく照らされたテーブルには新聞が無造作に置かれ、さっきまで見ていたのが窺える。



「アラン」


 名を呼ばれたアランが、闇を開いてするりと姿を現し、甘い香りのお茶が、わたくしの前へと置かれた。


 チラと見やると、いつものふざけた顔ではなく、真顔でこちらに視線を向けてくる。


 カップに触れると、冷えた指が溶かされていくようで——。

 一口含むと、熱さが心地良く、さっきまで忘れていた息が自然とこぼれた。


「俺が説明しましょうか?」


「いや、私がする」


 クラウス様もひとつ息を吐いて、口を開く。



「私は“聖女”の言葉を何一つ信用していない。彼女はとんだペテン師だ」


 その言葉に胸が氷のように、冷たく体が固まった。


 勝手に目が泳ぎ喉を塞ぎ、温まったはずの体の奥が震えるのを感じる。


「こんな子供騙しのオモチャに“聖女”だなどと、担ぎ上げている奴らの気が知れない」


 クラウス様はテーブルに広がった新聞の上に、別の紙を無造作に放り投げる。

 乾いた音とともに最上段に現れた一面には、オフィーリアが柔和に微笑む肖像があった。


 正直、姉の顔を見るのも名前を思い出すのさえ、心臓を掴まれるほど恐怖を感じ、顔が強張る。


 だから名前を呼ぶのさえ恐ろしい——。


 ——だけど。


「……わたくしの、言葉を信じますの?」


「信じるも何も、このブレスレット、元々は君の物だろう?」


 肖像の手首を指さして叩く。


 確かに、今日“聖女”が着けていたのと同じブレスレットが手首を飾っている。


 指の先にある“聖女”のブレスレット。

 あの青い石のはめ込まれていた、あの……。


「……話が見えません」



「あのブレスレットに溜められていた魔力は、“奇跡”の現場に残っていた君の魔力と一致していた。

 そして、“聖女”と直に会って、彼女自身には魔力が無いこと、あの魔術具は魔力を持たぬ者でも起動できる代物だと確認できた。

 つまり——“聖女”は、君の魔術具を使って“奇跡”を演出しているにすぎない」


「え……」


「記憶に無いか?水を出す呪文を彫った魔術具」


 ブレスレットや装飾品の類いは、作った覚えならある。

 両親が隣国から安い石を買ってきて、その中に紛れた魔石を見つけては、魔術具に仕立てていた。


 自分が身に着けている装身具は、そうやって集めた物がほとんどだから。


 色々作ったが、水を出す物……。


 ああ、庭の水やり用に作った。

 水を操る魔術を覚えてからは要らなくなって、どこにしまい込んだか……。


 どこだったか、肝心の場所が思い出せない……。


 あの頃の記憶はどれも曖昧で……いや、思い出すこと自体を拒んでいる……。


「……昔、その類いの魔術具を作ったことはあります……」


「一度工房をひっくり返して確認すべきだな。盗まれている可能性がある」


 そうか……あの家はそうだった……。

 

 家族の物は全員の共有の物でしかなく、わたくしの工房でさえ入ろうとするから、外出する度に工房に繋げる魔法陣を消し、開く度に描いてきた……。


 そうやって隠してきたけれど……気付かない間に盗まれていたと……。


 クラウス様がブレスレットについて尋ねておられたのは、それが魔術具だと報せていたのね……。

 姉の存在に気を取られて、考えに至れなかった。



「……私は、君が、あの“聖女”と通じて、魔術具を使いギルデンに返り咲く算段をしているのだと考えていた。

 この島に居るのは一時しのぎだろうと。

 なら、詮索せずに、自然な形で切り出せる機会を作るつもりでいた」


「……納得致しましたわ」


 クラウス様は、もしわたくしが帰ることを本当に望んでいるのなら、いつでも許してくださっていたのだ。


 「帰れ」ではなく、「好きにしろ」だった。

 わたくしに、選ばせてくれていた——。


 与えられていたのに受け取る余裕もないせいで、気付くのが遅すぎた——。




「あんな聞くに堪えない説教を信じると思っているなんて、俺たちも見くびられたものですね」


「アラン」

 

 普段は滅多に耳にしない、クラウス様の叱責の声。


 わたくしなら一言で怯みそうなのに、アランはまるで気にも留めず、クツクツと嗤いながらお喋りを続けていた。


「同じ魔術で“魔女”と“聖女”が分けられるのも皮肉ですよね?

 俺は魔術を聖女の力にすり替える作戦いいと思いますけど?

 今度、“神”と“悪魔”をすり替えてみます?」


「やめておけ、話がややこしくなる」


 二人のそのやり取りに、つい笑いが漏れた。

 額に手を当てるクラウス様は怒っているのではなく、呆れているだけなのですわ。


 “主人”と“悪魔”という関係はずっと気になっていた。

 こうして見ると、やはり仲が良い。


 言葉のやり取りの自然さから、普段も同じ空気で軽口を叩いているのだと伝わってくる。


 主従関係でも、こんな世界もあるのかと、少し——羨ましい。


「私としては“聖女殿”には早く帰ってもらいたい。

 だが、君の思惑を妨げるのも本意ではない。

 君の出方を見てからと判断したが……良い結果にはならなかったな……すまない」


 クラウス様は心を砕いてくださったのに、わたくしは、自分のことで手一杯だった……。


 一人で必死になって、人前で涙を流してしまったのが恥ずかしい。


 わたくしの落ち度なのに、クラウス様に謝罪させてしまった……。


「そんな……それよりも、わたくし」


「あの“聖女様”の悪口大会なら俺も乗りますよ。

 悪評を自ら拾い歩いて被害者面を厚くする自己愛者。

 自身の善良さを証明するために“悪役”を必要とする差別主義の偽善者。

 挙げ句には傲慢な臆病さで悲劇を“本物”に作り上げてしまう“厄介者”」


「アラン、席を外してくれ」


 手の平を挙げただけで、完全に言葉を制した。


 アランも即座にそれを読み取り、軽い咳払いをひとつして、よそ行きの笑みで背筋と襟を整える。


「では、お客様にお食事を運んでまいります。毒は御入り用ですか?」


「やめろ」


 いつもの嫌味なケラケラという笑い声を残して、アランは扉の向こうへ消えて行った。


 ふざけているようで、彼なりに励ましているつもりなのでしょう、多分。


 ちょっとやりすぎだと呆れる気持ちが先立つのに、口元が緩んでしまう。




「最初に君は“帰る場所はない”と言っていた。 あれが本当なのだろうな」


 その言葉を口にしたのは、初めての謁見でのこと……憶えていらしたのか。


 あれもこの島に居座るための口実だったけれど、嘘ではなかった。

 家も国家も、わたくしにとっては、大して変わらないのだから。


「家族の問題に口出ししたいわけではない。

 だが、何が君を亡命まで至らせたのか、私が知っておくべきことはあるか?」


 クラウス様の視線が真っ直ぐに突き刺さる。

 責め立てられているわけでも、詮索されているわけでもないのは分かっているけれど——。


 そんな優しさに、慣れていないから受け取れない。


 その視線から逃げるように、顔を逸らした。


「……クラウス様がお心をわずらわせる必要などありません」


「わずらうような事なのだな」


 喉の奥が絞られるような、鈍く苦い味がする。


 あからさまな沈黙は悪手なのは分かっている。

 こんな不機嫌で嫌な態度を取りたいわけではない。


 感情の渦はあっても、言葉に代えられるほどの形は持たないまま。

 喉を潰されたみたいに、吸った空気は重く吐き出されるばかりで、嫌気が差す。

 

 知ってほしいのに、未だ知られることが怖い。


 まだ——話す勇気がない……。



「……まだ期ではない」


 心を読まれたのかと思うほど、核心を突いていた。

 言い逃れもできない。


 ——そう、まだ告白できる状態ではない。


 「いつか時間が癒してくれる」なんて、悠長なことを言わせてしまっている——。



「私の本心を言うと、君が……君をギルデンにくれてやるには惜しいと思っている」


「それは、わたくしを正式に臣下にしてくださると?」


「そう捉えてくれて構わない。君が私のもといることは、私の利にもなる」


「とても魅力的に褒めて下さって光栄ですわ」


 その言葉を慰めと軽く受け取って、作り笑いしている自分がいる。


 臣下になれるのは嬉しい——勿論だ。


 けれど、それ以上に、役に立って評価されないと意味がない。

 正しい働きをして認められないと、わたくしのような“厄介者”がクラウス様の側にいても——。



「だが、役に立つから置いているわけではないと、知っていてほしい」


 言われた瞬間、ぐるぐると不安を回していた頭が、静かになった。


「……どういう意味ですの?」


「君は、役に立たねば居場所が無いと、功を焦っていただろう?」


 否定できなかった。

 功績にすがり価値を認められなければ、自分はこの島に相応しくないと思っていた。


 でも、結果を出さなければなどと、条件を出されたことは一度もなかった。


「何も出来なかったとして、居場所が無い者を見捨てるほど、私は冷徹に見えていたか?」


 思わず顔を上げた。


 クラウス様は窓越しの月明かりを背にして立っていた。


 色素のない透明な髪を通した白い光が輪郭を縁取り、複雑な影のような、哀しみとも躊躇いともつかない眼差しを浮かべ、静かに佇んでいた。


「いいえ、そんな……クラウス様はお優しい方です、最初から……」


 肩に掛けられたジャケットにそっと触れる。


 わたくしにとっては、この島に導いたあの赤い本を手に入れた時から——

 彼だけが、ずっと——“英雄”だった。


 そして今は——。


 ……生き延びるために“いい子”であることが嫌いだったはずなのに、誰かの期待に沿って形を変えられるのが嫌だったはずなのに。


 結局わたくしは“いい子”であろうとしすぎた。


 あまつさえ取り乱して、また逃げ出そうとした。

 さっき口走った自分の言葉を思い返して、羞恥心が目を熱く染め、冷や汗が込み上がる。


「クラウス様、その、わたくし、“嫌い”などと、困らせることを言ってしまいました……申し訳ありません……」


「……いや、困ったが、あれは……いや、気にしていない。 疲れただろう、今夜は休むといい」

 

 そんな風に許されるのかと、胸の奥がギュッと痛む。


 わたくしにとっては黒歴史そのものでも、彼にとっては「気にしていない」と流してしまえるほどなのかと。


 ——傷つく覚悟も、甘える覚悟も持っていないから、嫌われるように仕向けさえしたのに……。


 クラウス様は、優しすぎる。




 ——そして、クラウス様のお心が分かった今、わたくしがどうすべきかは決まった。


 あの“聖女一行”を、この島から追い出すこと。


 それがクラウス様やキャリバン島、ひいてはわたくし自身にとっても最善ですわ。


 ——これはわたくしだけの問題ではない。

 ギルデンとローゼンクランツの両国が、“聖女”を偶像化して担ぎ上げているのは明白なのだから。


 向こうの条件は、ギルデンが拘束している魔術師十人を解放する代わりに、“聖女の妹”であるわたくしを差し出せ、というもの……。


 重要なのはおそらく、わたくしの身の安全よりも、

 「聖女の妹を魔王から救い出した」あるいは「魔王が聖女を害した」という、どちらでも都合の良い筋書きでしょう。


 だから、どんな理不尽な要求をされても“聖女”に手は出せない。


 「可哀想な聖女の妹」でなければならなかったから、あの優男の兵士は“囚われの女を救う英雄”というていで誘導してきた。


 彼から感じた魔力の気配は、魔術具か……あるいは特殊警察の魔術師。


 そう疑うなら、こっちが説得の本命だったのかもしれない……。

 舐められたものですけど。


 こう見ると、ローゼンクランツもクラウス様の存在を“悪役”に仕立て上げ、利用したい思惑があるでしょう……。


 わたくしが帰ったところでプロパガンダに利用されるだけ——。



 ……冷静になると、今の状況はすこぶる悪い。

 だけど……よい手がある。


 わたくしが、この城の中で、最も“聖女”を知っているのだから。

 経験はいくらでも利用してやろう。



 カップの中身を飲み干し、立ち上がった。

 肩にかけられていたジャケットを両手で整え、ソファーの背へとかけ直し、笑みを浮かべて振り返る。


「クラウス様!わたくし、考えがあります!明日、必ずあの“聖女”を帰らせてみせますわ!それと、一枚拝借致します!」


 新聞の中から、“聖女”の肖像が描かれた一枚を引き抜き、その勢いのまま部屋を飛び出した。


 クラウス様の視線だけを背中に残していたが、

 廊下に足を踏み出した瞬間、頭はすでに思惑の段取りを始めていた。



「マリー、至急の用事をお願いするわ」


「はい、アリカ様」


 足音も立てずに現れたマリーが、寄り添うように後ろに続く。


 その静かな信頼が頼もしく、策に必要な物をそろえさせた。




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