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第16話 厨房の攻防

※注意:差別やトラウマに関する表現があります。


 お茶を飲んで、気を落ち着かせたかった。


 マリーがあの優男の正体を探っているあいだは、自分のことは自分でしなければならない。


 当然ではあるのだけど——今はそれだけの問題ではない。


 “アレ” がこの館にいる——。

 ……姉である、“聖女”オフィーリアが。


 足音がするか、気配はないかと耳を澄ませ、ようやく部屋の外に出た。


 彼女の存在が、伯爵家にいた頃の感覚を呼び起こして、引き戻されそうになる。


 屋根の下にいるのに、まるで野良猫のような気持ちで厨房に向かう。



「キャアアアーー!!!イヤ!!来ないで!!!」


 廊下の先から悲鳴が上がり、思わず肩が跳ねた。


 聞き慣れた声……“アレ”の声に、体が固まった。


 コックのオースティンの怯えた声と、数人の男の怒鳴る声が聞こえる。

 全身の皮膚が、その音を聞いているように過敏になり、頭の中で警鐘が鳴る。


 ——でも、しかし、ここはクラウス様の城……混乱を鎮めるのも、わたくしの務めですわ。


 丸まった背を伸ばして息を吐く。


 勇気を出して一歩、また一歩と、事態の把握のために足を進めた。




「どうしたの?何があったの?」


 厨房の入り口で、剣を抜いた兵士たちに支えられるようにオフィーリアが倒れていた。


 その傍らで刃の切っ先に怯えて床に縮こまるオースティンと目が合う。


「アリカ様……!それが」


「アリカ!カフェラテをいただこうと調理場に来たら、魔族が! 魔族が入り込んでいたの! ここの警備はどうなっているの?!」


 状況は理解できた——。


 オースティンは人間離れした大きな体躯に角と牙がある。

 見た目のことは言いたくないが、魔族であると一見して分かってしまう。


 勝手に厨房に押しかけて、魔族たちと鉢合わせしたと慌てた。


 それでこの有様というわけね。


 見た目を変えられない魔族たちに、念のために隠れているよう告げていたけれど……杞憂であればよかったのに。

 ……悪い方の予想が当たってしまった。


 厨房の入り口に立ちふさがって、聖女一行に攻撃の意志はないと両手の平を見せた。


「落ち着いて下さい。 ここの使用人は魔族しかいないのは当然ですわ。

 彼らは雇っている料理人で、害意はありません。 剣を下ろして——」


「そんな! こんなおぞましい者が作った物なんて口に出来ないわ! アランという執事は人間でしょ? 彼にやらせて! アリカでもいいわ!」


 助けを求め、自分が被害者だと訴えてくる——。


 その姉の眼が——不快だった。


 ここでは島内の物もあるが、クラウス様とわたくしの口に合わせて島外からの持ち込んだ物が多くある。

 今回は特に使節団の者に合わせて、島外でよくある食事を選んで用意していた。


 だけど、“アレ”の言い分はそういうことじゃない。


 魔族の作った物だから嫌なのだ——もはや理屈ではない。


 背後を振り返ると、臆病で優しいオースティンは震えて萎縮してしまっている。

 厨房の奥に隠れていた使用人たちも身を寄せ合い、怯えた目で様子をうかがっている。


 とにかく、この混乱した聖女一行を切り離さないと話ができる状態ではない——。



「分かりましたわ。 では案内された部屋でお待ちください。

 “聖女様”も体調が悪そうでございますから、兵士の方々、彼女を休ませてくださいまし?」


 そう言うと、倒れている“聖女”を気づかった兵士たちは、意識を使用人からオフィーリアに向け、剣を下ろした。


「ええ、そうするわ……とても気分が悪いわ……」


 フラフラと頭を押さえて立ち上がり、兵士たちに支えられて心配の言葉をかけられながら、彼女は部屋へと戻って行った。




 “聖女”たちがいなくなったのを確認して、深く、長い溜息がこぼれた。


「アリカ様……ありがとうごぜぇやす……」


「オースティン、怪我はない?」


 近付いて確認しようとしたら、彼の巨体はとっさに後ずさった。


「いえ、大丈夫です……」


 怪我はない、とは言え、彼を含め使用人たちの顔色は悪い。


 彼らの気持ちを思うと、到底、良かったなどとは言えなかった。


「……あなた達に非がないことは分かっているわ。 ……嫌な思いをさせてしまったわね……」


 どうすれば会わせないで済んだのか……考えたところで、わたくしも向こうの行動を制御できるわけではない……。


 後悔を頭に満たさないように振り払う。


「あの人間、アリカ様の姉君と聞いておいますが、本当に“アレ”がそうなんで?」


「残念ながらそうですわ……」


 リンドグレン伯爵家の姉妹。

 同じ血を引いているはずなのに、似ていないと言われて安堵するような——そんな姉妹。


「オイが作ったモン食いたかねぇって言われたけど、どうすんですか? オイもあんな人間に食わせる飯作るの嫌です」



「気持ちは分かるけど、ごめんなさい。

 クラウス様もお食べになるものだから……明日までの辛抱と思って……向こうは味の違いなんて分からないから、いつも通りの美味しい料理を作ってほしいわ。

 アランが作ったと嘘を吐かせてもらうけど、やっぱり嫌かしら?」


「クラウス様とアリカ様の食事を作るのは苦ではないです。

 すぐに追い出して下さるなら、オイも辛抱はします」


「ありがとう、オースティン。お願いするわ」


「はい、アリカ様………」


「……ごめんなさい……」


「貴女が謝られることでは……」


 それでも、言葉がそれしか出てこなかった。


 わたくしが家に帰るのを選んだなら、彼らはこんな思いをせずに済んだ、などと……。


 そんな考えを過らせ、また振り払う。


「“アレ”でもわたくしの姉だから……それに……怖かったでしょう……」


「……ひとつ、訊いてもよろしいでしょうか?」


「あの“聖女”の反応は、人間の間では“普通”なのでしょうか……?」


「………」


 否定できない。

 沈黙が彼の言葉を肯定してしまうのは分かっていても、口に出すのに喉が詰まる。


 ——わたくしは違うなんて、到底言えない。


「………やっぱりオイは、人間が怖いです……」


「……そうよね……ごめんなさい……」


 そそくさと離れて行くオースティンを止めることはできない。

 遠目で様子をうかがう使用人たちの気持ちも間違っていない。


 彼らはこの島で生まれ育ったから、人間の世界を知らない。

 だから見せたくなかったけれど、もう触れてしまった前には戻れない。


 視線を落とした先の手の平には、食い込んだ爪の跡があった。

 またいつの間にか、力を込めて握っていたらしい。


 誰にも見られぬように、心配されぬように、そっと隠した。




「カフェラテはわたくしが準備しますから、皆さんは少し休んでくださいな」


 オースティンと使用人たちに微笑んで立ち上がる。


 わたくしがやれば済むのだから、彼らがこれ以上傷付く必要はない。


 厨房には煮込んだ鍋の蒸気が満たしている。

 夕食の支度は、ほとんど盛り付けるだけで中断されていた。


 コーヒーとミルクの場所くらいは分かっていますわ。

 使用人たちを迎える前にも、わたくしはここを使っていたのだから。


 鍋とカップとそれから……。


 シンと静まり返った厨房に、カタカタとカップとソーサーが揺れて音が鳴り響く。

 手の震えを抑えようとしても、どうしても止まらない。


 焦りだけが蓄積して、額に嫌な汗が滲む——。



「カフェラテでしたよね?」


 振り返ると、すぐ後ろにアランが立っていた。

 忘れていた息を呑んで、ようやく吐き出せた。


 手に持っていたカップとソーサーを奪うと、アランはテキパキとコーヒーを作り始めた。


「そんな顔色で突っ立っておられると邪魔ですので、部屋にお戻りください」


「……でも」


「貴女も客人で、俺は執事。なら俺がやるんで、すっこんでてください」


 荒く低い言葉が、彼もイラ立っていることを伝えていた。


 でも、今は有難い。

 汗をかいて震える手ではカップも割ってしまいそうだったから。


 作れているつもりだった笑顔が、崩れていくのが分かる。


「……お願いするわ……」


 後をアランに任せて、とぼとぼと厨房を出た。



 ——とても、不甲斐ない。


 姉に対して、もう吹っ切ったと思っていたのに。

 実際に会うと、やっぱり竦んでしまう。


 魔族とどんなに平等に振る舞っても、現実を見てしまった彼らを守る力も、弁明する言葉も無い。


 彼らが人間を嫌うのは当然だ。


 だって、人間がそう扱ったのだから……。


 そしてわたくし自身が、その中で育った人間なのだと、痛感させられる。


 わたくしは魔族ではなく、人間なのだ。


 そして、逃げ出した自分の罪悪感を軽くするために魔族を助けようとする、浅ましい人間なのだ。



 お茶を取りに来たのも忘れて、涙を堪えながら戻る部屋が、異様に遠い気がした——。




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