第15話 優男
飛び出してしまった廊下に、わたくしの足音がカンカンと鋭く響く。
淑女らしからぬ響きに、自分でも癪に障った。
——本当なら、もっと冷静に対処すべきだったのに……。
結局、わたくしが逃げたせいで、クラウス様の顔に泥を塗った。
そうと分かっていても、あの場所に居続けることはできなかった——。
ふと、背後から小走りに、わたくしを追い駆けてくる革靴の足音がした。
思わず胸が鳴った。
クラウス様? アラン?
振り返った先に立っていたのは——
“聖女”が連れてきた兵士の一人だった。
「可哀想な聖女の妹、アリカ・リンドグレン伯爵令嬢」
長い金髪をゆるく巻いて、襟元で束ねた男が、廊下の壁にもたれ腕を組んでいた。
いかにも気取った笑みを浮かべ、耳にまとわりつくような甘ったるい声を響かせる。
——どちら様ですの??
この、いわゆる貴族の坊ちゃんか、王子様気取りな風貌……
わたくしが最も苦手とする手合いですわ。
「わたくし、そんな可哀想な女ではなくってよ?」
「気丈に振る舞っているが、家族と離ればなれ……祖国を離れ、魔族どもと“魔王”に囲まれてさぞ恐ろしかっただろうに……!」
男は勝手に感極まったように顔を歪め、目頭を押さえて芝居がかった溜息までついてみせた。
そしてよく分からない言葉を吐きながら近付いてくる。
——この優男は舞台役者か何かですの?
「別に恐ろしくありませんし、クラウス様はとてもお優しい方ですわ」
「ああ、やはり“魔王”に誑かされたんだね。
寂しさにつけ込まれ、甘言で懐柔されたのだろう。
洗脳されているなら仕方ないさ——君の責任じゃない。
だからこそ、僕が君の味方になろう」
勝手に頷きながら憐れみ、ご高説を垂れながら、わたくしの言葉を否定し無視する。
“アレ”と似て、話の通じない男ですこと……。
頭の中はお花畑なのかしら……。
でも、この男だけ、他の取り巻きとはどこか雰囲気が違う——。
わたくしが魔女であることを知っているはずなのに、怯える様子もなく、妙に飄々としている。
それに、この男——
魔力の気配がする。
「そんなみすぼらしい服を着せられて……さぞ酷い仕打ちを受けていたのだろう……。
黒一色なんて君には似合わない。
もっと繊細なシルクのドレスが相応しい……。
僕のもとに来れば、毎日でも違うドレスを贈ってあげよう。
その青い瞳と同じ色のサファイアのイヤリングとネックレス、黒髪には生花を……
どこの舞踏会に出ても恥ずかしくない、完璧な姿に飾ってあげられるのに……」
「まあ、この服はわたくしの好みで着ておりますの~。趣味が合いませんわねぇ~」
ギルデンの淑女はコルセットで胴を締め上げ、くるぶしまで隠したパニエで広げたドレスを着るもの。
でも、わたくしは膝丈の軽いスカートで、腹部を縛らない方が快適ですわ。
息苦しくもないし、動きやすい。
魔女の間では最先端の装いですわ。
それを知らずに「酷い扱い」などと言い切る男は、わたくしの服装を侮辱しただけ。
真っ当な紳士なら恥も芽生えるでしょうに——。
思えば、ここに来てから一度も言われなかったから、忘れかけていたけれど……。
祖国では散々聞き慣れてきた言葉を、久しぶりに浴びせられましたわ。
こういう脚の出した服装を見ると、娼婦だ、下品だ、と囁く男とかね。
ふいに顔を寄せてきたと思えば、とっさに後ろに下がったわたくしを壁に追い詰めるように、彼は顔の横に手を突いた。
「お退きくださいまし~?」
貴族らしいやり口にイラ立ち虫唾が走りながらも、にっこりと作り笑顔は崩さなかった。
近くに寄られると、より甘ったるい魔力の気配で胸やけしそう。
これ香水もつけているわね……混ざって魔力の種類が判別しにくいわ……。
金色の目で値踏みするように、ねっとりと視線を這わせ眺めた彼は、ふふんと鼻を鳴らした。
「こんな所よりも、もっと相応しい場所に迎え入れてあげるよ。
そうすればどんな男も君の美しさを知り、憧れることとなるだろう。
君は気が強いが、“聖女”と違った美しさがあるのだから」
——褒めているつもりなのでしょうけど、気に入られたくありませんわ~。
こういう気取った男は、なぜわたくし自身よりも男のことが好きなのかしら。
男に認められたいだけなら、素直にそう言った方がマシですのに。
「あらぁ、どんな所かしら~。興味はありませんけど~」
笑顔の体裁は保っているが、目元が引き攣るほどイラ立ちが零れそうになる。
それでもこの男はお構いなしに、両腕で行く手を塞ぎ、さらに顔を近付けてきた。
「国中の淑女が羨む場所だよ。そこで誰もが欲しがる世界を見せてあげよう」
耳元に落とす甘い囁き。
——何の罰ゲームかしら。
彼の腕の隙間をするりと抜け出し、距離を取る。
あんな至近距離、よく耐えたと自分で褒めてあげたいくらい。
「僕の誘いを断わるなんて勿体ない。きっとすぐ後悔するだろうよ」
その自信はどこから来るのかしら。
腕に立った鳥肌に、不快感がまとわりつく体を手で掃う。
「そんな時が来るとは思えませんわ。さっさと“聖女様”のもとへお帰りなさいませ」
シッシッと手を振ってあしらいながら、わたくしはその不満を表現するように、ヒールを響かせて廊下を進む。
それでも背後から、いやらしいニヤニヤとした視線が突き刺さってきた。
あの男の姿が角の向こうに消え、自室に入って扉を閉めた。
「マリー、聞いていたかしら?」
「はい、アリカ様」
マリーは聴覚や嗅覚といった感覚が鋭い。
その代わり、大声や食器の割れる音に飛び上がり、強い匂いに酔ってしまうこともあるけれど——。
それでも彼女は、足音や声から誰がどこにいるかを把握できる。
そして何より、観察力と状況判断能力が高い。
メイドとしてより、情報収集でも役に立つのではと、前々から考えていた。
「さっきわたくしと話していた兵士の男を探ってくださる?こっそりね」
あの優男からは魔力を感じた。
魔術師か、あるいは——強力な魔法具を持っているのかもしれない。
だったら、何かを企んでいる可能性がある。
「承知致しました」
マリーは頭を下げ、静かに部屋の外へ出て行った。
彼女の足音はしない。
とても軽い彼女は、髪が羽毛で耳に翼なのもあって、本当に鳥のよう。
か弱く見えるが、隠密行動には利点でしかない。
ようやく一人になれた部屋で、大きな溜息を吐き、椅子に座り込んで頭を抱えた。
“アレ”の相手は相変わらず疲れる——。
まったく、なぜまた、わたくしが——。
クラウス様も、さっさと放り出してしまえばいいのに——。
憤りを覚えつつも、でも結局、頭を占めるのはクラウス様とアランの態度だった。
なぜ、あんな風に言ったのか——。
また逃げ出してしまった自分への羞恥心。
それでもあの場所に留まれなかった悔しさ。
その入り混じった感情に任せて、絨毯を蹴りつけた。




