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第14話 聖女と魔女


「ようこそ、我がキャリバン島へ」


 手を広げて「どうぞ」と降りるよう促したが、誰一人、桟橋に足を踏み出そうとしない。

 どうやら“魔族と魔物の島”が、余程恐ろしいらしい。


 ——まあ、わたくしとアランがいれば危険などあるはずもないのに。


 女のわたくしが先に靴音を響かせ降りて見せると、ようやく腰の抜けた兵士たちも後に続いた。



「本当に恐ろしいわ……こんな所に人は住めないわね……」


 まだ何も起きていないのに、もう船に戻りたそうに“聖女”は呟いた。


 “こんな所”にだって、わたくしもクラウス様も、魔族たちも普通に暮らしているというのに。



「馬車を手配していますので、どうぞお乗りください」


 用意されたのは八脚馬スレイプニルを繋いだ、一頭立ての馬車。


 普段は農場での作業や荷車の運搬の仕事をしているが、今回は客を運ぶ役。

 とても力強く賢いので便利である。


 それに馬車の手綱はアランが持っているから安心だわ。



「アリカ、本当にこれに乗るの……?これ馬じゃなくて魔物じゃない……」


 まあ、脚が八本あって、本気で走れば世界の端まで駆けるといわれる馬ですものね。

 “聖女”はその異質さに顔を引き攣らせている。

 

「温厚な子ですから問題ありませんわ。乗らないなら、城まで道は歩いていただくしかありませんが?」


「……乗らせていただきますわ」


 意を決して馬車に乗り込んだ“聖女”は、わたくしも同乗するよう促した。


 ——絶対嫌ですわ。


 にっこりと笑って「“聖女様”を魔女と二人きりになさるの?」と返すと、兵士たちは慌てて「二人きりは危険!」「とんでもない!」と口々に反対の声を上げた。


 おかげで、わたくしは同乗せずに済み、兵士たちと一緒にスタスタと歩き出すことになった。


 ——こういう相手は扱いやすい。



「アリカ、本当にあの“魔王”に会わせる気?話せるの?」


 ソワソワして不安そうな聖女が窓を開け、わたくしを呼びつけて開口一番に悪口とは——。


「クラウス様はとてもお優しい方ですわ」


「恐ろしいわ……だって兄王殺しの“魔王”でしょ?兄弟を殺すなんて、酷い悪党だわ、家族なのに」


 ローゼンクランツの偉大な英雄王ダミアンを呪殺し、“魔王”と呼ばれ島流しにされた、という話——。


 その話を恐れるのは当然なのかもしれない。



 だとして何が言いたいのか、という気持ちをグッと呑み込んだ。


 正直なところ、魔術師を抑圧し、締めつけたのはダミアン王だ。

 クラウス様が領土拡大戦争に駆り出されたのも、この王の命令——。


 だから気に食わない。


 けれどそう考えるのも、わたくしが魔女であるからとも言える。

 立場が違えば見えるものも違う。


 魔術を知らない人間にとっては、無関係な事柄なのでしょう——。




「こちらが閣下の住まう城になりますわ」


 にっこりと微笑み手で示すと、隠されていた結界が解けて城の姿が現れる。


 兵士たちも思わず「ヒッ」と声を上げ、数人は咄嗟に剣の柄へと手をかけた。


 兵士に支えられ馬車から降りた“聖女”も息を呑み、神妙な面持ちで立ち尽くしていた。

 まるで嵐を前に身構える戦士一行のよう——。


 でもわたくしから見れば、さっきまで寝食を共にしていた住み慣れた館である。


 アランが扉を開けて迎え入れるが、まるで化け物屋敷に足を踏み入れるかのように怯えていた。





 暗く涼しく静かな玄関を抜け、廊下を進み、応接室の扉を開けると——。


 クラウス様は分厚い黒のコートをまとい、部屋の奥の座席の横に立ち、胸に手を当てて礼を取っていた。


「ようこそお越し下さいました。聖女オフィーリア・リンドグレン殿」


 その立ち居振る舞いと所作は、かつて王族だった頃を思わせる優美さと威厳があった。


 ——わたくしの時には、見せてくださらなかった姿だ。


 自分は図々しく押しかけた身なのだから当然なのだが……こうして迎えられるのは、少しだけ羨ましい。


 ソファーに座るように案内され、“聖女”はクラウス様からできる限り距離を取って腰を下ろし、わたくしには隣に座るよう指で促してきた。


 その意図は察しながら、わざと反対側のソファーに腰を下ろす。

 案の定、彼女は不服そうな顔で睨んできた。


 全員で護る気満々だった兵士たちには、三人を部屋に入れ、残りは外で控えて頂いた。

 邪魔……部屋が狭くなりますので。



 アランが紅茶を注いで差し出したが、“聖女”は口にせず、わたくしが平然と飲む様子をジッと見ていた。


 兄王を呪殺した“魔王”から出される飲食は警戒するという考えなのだろうか。

 ここで害しても利益など無いと、考えればすぐに分かるのだけど。


 ——こんな状態で“友好的な外交”というのも変な話ですわ。




「“聖女殿”は」


 クラウス様が口を開いた途端、聖女はびくりと肩を震わせた。

 兵士たちの固唾を飲む音がやけに響く。


「随分と変わったブレスレットをしておいでだ」


 何を言い出すのかと思えば、視線は彼女の腕にはめた青い石の飾りに落とされていた。


 緊張感が漂うこの場を、他愛もない話で温めようとしているのか、それとも何かを探っていらっしゃるのか……。


「これですか?結構気に入っておりますの」


「だが、貴女よりも妹君の方が似合いそうな一品ではある」


 クラウス様の視線が、ちらりとわたくしに流れた。


 確かに、姉の趣味からは少し外れている。

 繊細なチェーンやリボン、ピンクや瞳の色に合わせた緑を好む彼女に対して、派手な金属細工や青色の石を選ぶのはわたくしの方。


 とは言え、奇抜な装飾というわけでもない。


 普段わたくしが身につけているアクセサリーを思い出しての言葉だとしても、わざわざ比較までなさる意図が分からなかった。



「……女性を比較するのは不躾ではありませんこと?これは私の物ですわ」


「そうだな、失礼した」


 クラウス様は一度アランに視線を送り、アランもわずかに首を振った。


 ただ、そのやり取りが何を意味するのか、わたくしには見当がつかなかった。




「では本題に入ろう。“聖女殿”がこのキャリバン島に訪れたわけを説明してもらいたい」


「……書簡の通りですわ」


 “聖女”は露骨にクラウス様との会話を避けているようだった。

 でも、そんな言い方をして、もし齟齬が生じたら、どうするつもりなのだろう——。


 わたくしは事前に知らされていたおかげで、話に遅れずに済みそうだけれど——。


「つまり、ギルデン王国と友好的な外交を望むと?」


「それもありますけれど……私には、もっと気がかりなことがありますわ……」


 ちらりとわたくしを見やる。

 言いたいことは明らかだ。


「妹君が、なぜこのキャリバン島に居るのかと?」



「ええ。この子はかつて、伯爵家の内情や機密情報を外部に漏らしておりました……。

 けれど、それは過去のこと——。

 今は心を入れ替えて、良い子に戻ってくれると信じています。


 本来なら、ギルデンでは魔女は警察に引き渡し、法に従い国に奉仕すべきです。

 ですが……アリカはこのように変わり者で、危うい子でしたから……。

 私たち家族の判断で、屋敷に置いて自由に育てました。

 もちろん、それは国家に背く行為と見なされても仕方のないこと。

 ですが、私たち家族は、この子のためにこれが最善だと信じ、そうしてまいりました。


 ——それなのに、自由にさせ過ぎたせいでしょうか……。

 家を飛び出し、誤ってこんな所に……。

 私たちも、ただただ戸惑っているばかりですわ……」



 当人であるわたくしでさえ、聞いたことのない話を並べられて、思わず天を仰いだ。


 まず「機密情報を漏らした」……何かあったかしら?

 思い当たる節が無くてこっちが戸惑っている。


 ——スパイとして指名手配されたのは、ここからかしら……。



「レディ・アリカがこの島に来た日に会ったが、“誤って迷い込んだ”とは見えなかった」



「そうとしか思えません!

 家の外を知らないはずのこの子が、こんな恐ろしい島に辿り着くなど考えられませんもの……!

 何かの偶然……誤って来てしまったのです!」



 偶然? 誤って?

 あの日の結界を解いて入ったわたくしの演説を聞いているのだから、その言い分は無理がある。


 クラウス様から見れば、矛盾だらけなのは一目瞭然のはず。



「それにどうやってこの場所を知ったのでしょう?

 私でさえ、この地図から隠された島の場所を知らなかったのですから!


 もし国家機密を盗んだスパイだったとして……

 わざわざ“魔王”が幽閉された、魔族と魔物しかいない危険な島に来るでしょうか?

 きっと事故だったのです。あるいは連れ去られたのです。私はこの子を信じています!」



 うるうると涙を浮かべ、“妹を信じている”と語る“聖女”。


 その言葉ひとつひとつは、わたくしの意志を丁寧に否定し、ヤスリのようにじりじりと削ってくる。


 でも、アランはあの本の地図の仕掛けに気付いて、わたくしの意志で来たことは知っている。

 

 後ろの兵士たちが“聖女”の演説に感動し酔わされようとも、クラウス様もアランも騙されるはずがない。



「ですから、どうかアリカを、妹をお返し下さい……!

 この子は何も知らないのです!

 私が“聖女”となった今、アステリオス王太子殿下とかけあって保護してくれると約束を取り付けましたから!

 妹を家族の下にお返しください……!

 “魔王”と呼ばれる貴方にも慈悲の心はあるはずです!」



 よくもまあ、お涙頂戴な侮辱を並べられるものだ。


 彼女の中では、悪い“魔王”に囚われた妹を取り返す——という素敵なシナリオなのだろう。


 不安よりも怒りがふつふつと湧いて唇が歪む。

 でも、ここで感情的になっては、クラウス様の名誉に傷が付く……。


 それに、こんな言葉で説得されるわけがない——。




「レディ・アリカを帰すことに関しては、私は反対していない」


「え?」


 間の抜けた声が響き、部屋に静寂が落ちた。

 わたくしですら言葉が出なかった。


「好きにするがいい」


 クラウス様の視線が、わたくしに向けられる。

 なのに、声が遠く霞んで……視線が自分に注がれているのかさえ分からなくなった。



「ああ、良かったわ!私の言葉を聞き入れて下さったのね!

 これで大丈夫よアリカ!私と一緒に船でギルデンに帰りましょう!」



 待ち切れないと言わんばかりに立ち上がり、わたくしの手を取ってくる。


 その手に触れられた瞬間、頭の中で「ブツン」と何かが千切れたような音がした。



「——嫌ですわ」


 姉の手を振り払い、クラウス様を睨み据える。


「わたくしはここに望んで来ましたのよ!クラウス様もアランも、それは分かっておいででしょう!?」


 黙ったままの二人が何を考えているのか、分からない。


 その沈黙が、どれほど流れたのか——失望が膨らんで胸を締めつけ、目が回ってぐらりと揺れる。



「アリカ?何を言っているの?」


 姉の声に思わず息が跳ねる。


 息苦しさに口元を手で押さえ、頭を動かしても何とも掴めず空回り、震える唇を噛んだ。


「わ、わたくしはキャリバン島を出る気はありませんわ!」


 応接室のドアを体当たりするように押し開け、廊下に飛び出した。

 冷や汗とも脂汗ともつかない汗のせいで、じっとりと髪が首元にまとわりつく。


「あの子、ずっとこうなのです……我儘ばかり言って部屋に引き籠ってしまって……。

 ああ、伯爵家で甘やかしたのがいけなかったのかしら……」


 そんな大声が廊下まで響いている。

 外に控えていた兵士たちを押し退け、ただ、早くここから遠ざかりたい一心で——


 逃げ出した——。




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