山姥切国広の出立準備
一、薙刀
大侵冠から一週間経ったその日、山姥切国広は初めて薙刀を握った。
池田屋攻略中の本丸のため、国広はボロ布で全身を覆っている。
国広が居る道場には、彼以外誰も居ない。
天井近くにある窓から昇ったばかりの日が差し、庭や裏山から鳥や虫の声が聞こえてくる。
薙刀を振るうと、それらの声が一瞬だけかき消された。
国広の動きに合わせて、ボロ布が舞い踊る。
その動きはどこかぎこちなく、隙も多かった。
国広は本丸の図書室にある映像資料で視た通りに、基礎動作を繰り返していく。
そうして黙々と鍛錬に励んでいると、道場の扉が開いた。
「おお、山姥切か。朝から精が出るな」
手を止め振り返ると、道場の入口に三日月宗近が立っていた。
内番着であることから、鍛錬に来たという雰囲気ではない。
「あんたこそ早いな」
朝食前のこの時間、本丸にいる大半の者は眠っており、起きていても朝餉の準備や本丸の見張りなどの業務を行っていることが多い。
そのためこの時間の道場は誰も居ないことが多く、国広もそれを見越して早起きしていた。
「俺はじじいだからな。
朝の散歩をしていたら、素振りの音が聞こえて寄ってみたのだ。
して、何故薙刀を?」
国広は一度視線を手元の薙刀に落とし、頭の中で順序立ててから口を開く。
「……防人作戦の時、岩融が援軍として現れたんだ」
国広を隊長とする第一部隊は、中央戦線で巨大な敵に苦戦を強いられていた。
そこに前線から援軍として駆け付けたのが、別本丸の岩融だった。
「そいつはたった一振りで、遡行軍を蹴散らしていった」
時には敵の群れに突っ込み、時には散り散りになった敵を引き付け、次々に撃破していく。
まさに一騎当千。
戦いの最中にも関わらず、国広はその姿に見惚れてしまった。
「それで……俺もあれができればと思ったんだが」
まだできて間もないこの本丸に、薙刀はいない。
そのため国広は独学するしかなく、いつか薙刀が来た時にと審神者が用意した模造刀を借りて練習していた。
「そうか。うまくいきそうか?」
答えを分かった上で聞いたであろう三日月に、国広は首を横に振った。
「……いや。予想はしていたが、ここまで違うとはな」
薙刀と刀は間合いや重さだけでなく、柄の長さも違う。
そのため柄に手を滑らせて持ち替えたり、柄を防御や攻撃に使ったり、その特徴を最大限に活かした戦い方をする。
つまり、全く別の武器なのだ。
「……結局、時間を無駄にしただけだったな」
鍛錬を続ければ多少は扱えるようになるだろうが、何年掛かるか分かったものではない。
それなら普段の任務で経験を積み、剣の腕を磨いた方が堅実というものだ。
「何事も経験だ。これもいつか、役に立つ日がくるかもしれん」
「……だといいがな」
国広はそう言って、少しだけ名残惜しそうに薙刀を刀掛けに戻した。
二、雑談
正午を知らせる鐘が鳴り響き、本丸全体が昼休みに入った。
警備の数振りを除く全員が業務の手を止め、食堂や自室で厨当番が用意した昼食をとり始める。
審神者 倉敷加奈も例外ではなく、執務室の文机に昼食を広げていた。
加奈は端正な顔立ちと釣りあがった眉が、凛とした印象を与える十八歳の少女だった。
業務中のため白い着物に赤い袴を穿いて、長い髪を水引で一つにまとめている。
彼女の正面――用意された料理の向こうでは、空中ディスプレイが浮いていた。
ディスプレイは設定で透過させることも可能だが、今は少しも透けていない。
本丸内ならどこでも投影させることが可能で、加奈の動きに合わせて移動するすぐれものだった。
普段は出陣状況などを映し出すそれには、半年だけ先輩の少女が映っている。
「思うんだけどさ、そのうち刀剣男士の監視が強化されそうじゃない?」
「は?」
先輩の突拍子もない言葉に、加奈は思わず箸で掴んだ焼鯖を皿の上に落としてしまった。
その反応が不服だったらしく、先輩は頬を膨らませる。
「大侵寇の時三日月が単独行動して、刀剣男士が自分の意思で行動できるって証明しちゃったでしょ。
謀反の可能性とか考えたら、監視の強化はあり得ると思うんだけど」
そう心配する先輩の背後では、近侍であろう加州清光が跪座で控えている。
加奈の後ろには近侍の燭台切光忠が居て、その姿が先輩から見ているのは間違いない。
つまり先輩自身は、刀剣男士を微塵も疑っていない。
「彼は自分の仕事をしただけよ。
勝手な行動を咎めることはあっても、その思いを疑ったりするかしら」
三日月は本丸と外部の接続を切った上で、敵の勢力を分散させた。
そのおかげで防人作戦――敵の侵入経路を限定し、全本丸の勢力で敵を叩くことが可能となった。
それがなければ、次々と押し寄せる群敵に数多の本丸が滅ぼされていただろう。
いや、そんな生易しいものではないかもしれない。
本丸に現れた大型の敵は結界でも貼っていたのか、こちらの攻撃が通用しなかった。
それを考えれば、全滅もあり得たと加奈は思う。
「まぁ勝手に折れようとしたのは、許さないけど」
加奈は当時のことを思い出しながら、落とした焼鯖を口に放り込んだ。
自身を本丸と誤認させ、椿寺を放棄して敵を隔離する自己犠牲的な作戦。
隔離される敵の中には、翼を持つ巨大な敵『混』もいたはずだ。
しかし初期刀が迎えに行ったことで三日月は本丸に戻り、それを追って『混』も本丸へと進行。
三日月と初期刀が力を合わせて『混』の結界を破壊し、部隊全員の総攻撃で勝利を掴み取ることができた。
「あーあれには、あたしもビックリしちゃったよ。
うちは一発ぶん殴って水に流したけど。
で、さっきの話だけどね。あたしはやっぱり、政府が警戒するのはあると思うんだよ。
古参の審神者が昔、反乱を起こしたら無事では済まないって脅されたらしいの。
それってつまり、政府は反乱を危惧してるってことでしょ?」
「……監視なんて、それこそ反乱のリスクを高めるだけよ。
男士の監視を強化するって、男士と一緒にいる私達の監視も強化されるってことなんだから」
三日月の行動に困惑した者は居ただろうが、よもや寝首をかかれると思っている者は少ないだろう。
反乱までいかなくても、反発があるのは間違いない。
そう思いつつも、話している間に不安が募って箸の進みが遅くなっていた。
「そんなの、力でねじ伏せられそうだけどねぇ」
「それでも、ただでさえ少ない戦力を無為に失うことになる。
いくらなんでも、そんな馬鹿なことしないと思うけど」
先輩は納得いかない様子で何か言いたそうにしていたが、その時モニターの向こうが騒がしくなった。
先輩は音がしたであろう方を見て、それから何かに気づいたように驚いた表情を浮かべ、申し訳なさそうに加奈を見た。
「ごめん、前田が修行から帰ってきたみたい。迎えに行ってくるね」
先輩はそう言って、モニターを切ろうと画面に向かって手を伸ばす。
手が伸び切ったところで、先輩は謝罪した。
「変なこと言ってごめんね。
よく考えたら三日月に修行許可出てるんだから、心配いらなかったわ」
三、池田屋攻略
夜十時を過ぎた頃、山姥切国広は審神者の執務室に呼ばれた。
本棚と文机があるだけの、ただ仕事をするためだけの部屋。
そこに巫女装束の加奈と近侍の燭台切光忠がいた。
加奈は国広の来室に気がつくと、燭台切に目配せをして、部屋を出ていくよう合図を送った。
国広は燭台切と入れ替わる形で室内に入ると、加奈の向かいに座る。
「初陣の時のこと、覚えてる?」
国広が座ったのを確認して、加奈はそう切り出した。
「……忘れるわけがないだろう」
初陣の函館で国広は重症を負い、撤退まで追い詰められた。
あの出陣の目的は歴史改変を阻止することではなく、審神者と初期刀に戦争の現実――傷を負い、折れることもあるのを突きつけること。
しかしそれを知らされていなかった国広達にとって、あれは忘れられない出来事となっていた。
当時の事を思い出しながら、国広は自分が呼び出された理由について考える。
説教か任務の話でもされるのかと思ったが、初陣の話がそれらにどう繋がるか見当もつかない。
「貴方が三日月を迎えに行った時、私はあの初陣を思い出した。
でも貴方はあの頃に比べて、随分強くなった。
だからお守りを渡した上で、許可を出したの。
昔の貴方にだったら、二振りとも折れる可能性が高いと考え、三日月を見捨てるよう言ったでしょうね。
本当に、そうならなくて良かった」
幸い椿寺での戦闘はなかったが、敵が集中している以上激戦の可能性は高かった。
加奈は指揮官として、時に冷酷な判断を下せる人だ。
国広が弱いままだったら、本当に三日月を見捨てただろう。
そうなった場合を想像して、国広は少しだけゾッとした。
「本題に入るわ。
今剣率いる第二部隊が、池田屋を攻略したのは知っているわね」
「……ああ、凄い騒ぎになっているな」
修行の許可条件である池田屋攻略は、審神者にとって一つの大きな目標となる。
この本丸も当然それを目指していたが、大侵寇への対応で三ヶ月程中断された。
池田屋への出陣が再開したのは、三日前に大侵寇の報告を終えてからのこと。
大侵寇を経たことで皆強くなり、重症者を出しながらも池田屋攻略の悲願を達成することができた。
だからこそ本丸の皆の喜びもひとしおで、明日は大規模な宴会が計画されるほどだった。
国広も密かに楽しみにしており、先程まで折り紙で輪を繋げた飾りを作っていたところだった。
「それによって、この本丸に刀剣男士を修行に出す許可が下りたわ。
ここまで言えば予想できると思うけど……」
加奈はそこで一度言葉を切り、決意をかるように大きく息を吸い込んだ。
「山姥切国広、貴方に修行の許可を出します。
修行では見たくないものを見ることも、今までの価値観がひっくり返されることもあると聞くわ。
生半可な気持ちで行けば、折れることもあるかもしれない」
国広が知る限り、修行で折れた男士は存在しない。
しかしだからといって、今後もないとは限らなかった。
「だから、貴方が決めるのよ。
三日待つから、その間に返事を頂戴。
もし今回断っても次の機会はあげるから、決断は慎重にね」
四、月に問う
深夜皆が寝静まったのを見計らって、国広はランタンを手に外に出た。
空は少し欠けた月が浮かんで明るかったが、部屋の明かりが消えているため地上は暗い。
国広はすれ違う警備の短刀達に挨拶しつつ、小さな明かりを頼りにして、本丸の敷地内にある菜の花畑へ向かう。
花畑の中にある道を通って、一番最初に見つけたベンチに腰掛け、ランタンを置いた。
夜なのでほとんど何も見えないが、頬を撫でる潮風と磯の香りが遠くにある海の存在を教えてくれる。
国広は何をするでもなく、ただ静かに空に浮かぶ月を見上げた。
「夜ふかしは体に毒だぞ」
背後からの声に振り替えると、寝間着の浴衣を着た三日月宗近が遠くに立っていた。
手にはランタンが握られていて、穏やかに微笑む顔を照らしている。
「……三日月、なんで」
国広は目を大きく見開いて、近づいてくる三日月を見つめた。
国広はここに来る時に三日月の部屋の近くを通ったが、部屋の明かりは消えていたはずだ。
「夜中にふと目が覚めたら、山姥切が出ていくのが見えたからな。少し気になったのだ」
国広は考え事をしたい時、いつもこの場所を訪れていた。
ここはあまり人が来ない上、柔らかい潮風と波の音は国広の心を落ち着かせてくれる。
国広はそれを誰にも教えていなかったが、どうやら三日月は知っていたらしい。
三日月はゆったりとした動きで国広の隣までやってくると、同じようにランタンを置いてベンチに腰掛けた。
「……主に、修行を打診された」
少しの間をおいて、国広は三日月にそう告げた。
三日月は国広をまっすぐに見つめ、静かに言葉を待つ。
「強くなりたい、とは思う。
だが、俺は自分の逸話と向き合う勇気がないらしい。
そもそも向き合うべき逸話が分からないんだ。
写しであることならば、打たれた時代なのか?
それともいつかどこかで、誰かに振るわれていた時なのか?
……見当がつかず、覚悟を決められない」
三日月は何も言わず、欠けた月だけが浮かぶ空に視線を向ける。
「山姥切、月を見て何を思う」
唐突な問いに国広は驚いたが、三日月の横顔は真剣そのものだった。
国広は再び月を見上げ、その問いの答えを必死に考える。
美しいとか、明るいとか、そんなありふれた言葉だけが浮かんでは消える。
しかし求められる答えは、恐らくそれらではないだろう。
「古くから、人は月に様々な物語を与えた。
時には神格化して神を生み出し、時には魔なるものに力を与える神秘の存在とし、時には異星人が住まう地と夢想した。
そんな月の物語の影響が、月の名を持つ俺には多少なりともあるような気がするのだ。
――だから主に問うてみた。月を見て何を思う、と」
「……それで、主はなんて答えたんだ」
三日月はすぐには答えず、ほんのわずかな静寂が訪れる。
少し寂しそうに、しかしすべてを受け入れるような落ち着きをもって三日月は呟いた。
「別に何も。あれはただの天体で、恒星でしかないと一蹴されてしまった。
……人々が月に神秘や浪漫を感じていたのは、はるか昔。
主の言う通り、月はただの恒星になり果てた。
宇宙研究が進んで、地球から隠されていた裏側も暴かれ、その地表や内部までもかなりが解明された。
よもや月に住む異星人を夢想したり、魔的な力を見出す人間は少ない」
残酷なようだが、それが現実なのだろう。
審神者である加奈は現実主義者だから顕著だが、他の者でも似たような答えを返す可能性が高い。
現に国広は、浪漫のある答えを出せなかった。
「逸話とはそういうものだ。
時代とともに変容し、時に否定されることすらある。
それを受け入れるのは難しいと理解したうえで、あの慎重な主が修行の打診をしたのだ。
信じていいと思うぞ。
――主も、山姥切自身のこともな」
視線を感じて横を見ると、いつの間にか三日月はこちらを向いていた。
修行先で何を見ることになるのか、この本丸でそれを知る者はいない。
だが三日月と加奈が大丈夫だと言うなら、無事に帰ってこられると国広は信じられる気がした。
それに、理由はそれだけじゃない。
「そうだな。あんたの話を聞いていたら、大丈夫な気がしてきた。
……やはりあんたは、月に似ている」
驚いたようにかすかに目を見開いた三日月を見据えて、国広は続ける。
「さっきあんたも言っただろう。
月の裏側は地球からは見えないと。
秘密があるのは俺でも分かるのに、しかしその詳細は分からない。
それに、綺麗だと思う。……あんたも、月も」
認識しようがしまいが、物語は刀剣男士に影響を与え続ける。
物語がどのように変化しようと、本質的な物はそう変わらないはずだ。
国広はそう確信して、ボロ布の下でほほ笑んだ。
そして池田屋攻略を祝う宴会の翌朝、国広は修行に旅立った。
出立の日時を審神者以外に告げず旅立った国広が、本丸の皆に詰め寄られるのは、そこから更に四日後のことであった。