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彼方に叶え

作者: 04号 専用機

『この後の天気です。西からの低気圧の影響で、関西の天気は崩れる見込みです。次に、各地の天気は――』

「あらら、こっちは雨だってさ」

 水を張った鍋に塩を一つまみ。それから火にかけ始める。

「残念。出かけるって言ってたのに」

 彼女はそんなことを言いながら、昼食のパスタを作り始めた自分を見ていた。

 今日は自分の好みで行こうと決めた。冷蔵庫から幾つか取り出す。

 そうだな……まずはニンニクを刻まなければ。

 一欠だけ取り出して、ヘタと根の部分に包丁を入れて皮を剥く。最初こそ手を焼いたものだが、この工程にも随分慣れたものだ。

 トントンと刻み始める。

「ねぇ、それ毎回やってる。私ニンニク苦手って言った」

 そう彼女が言った。

「なーに、その内好きになるさ。これの匂いがたまんないんだから」

 素早く包丁を動かしながら、無駄な力みを抜く。かっこいいところを見せようとして、みじん切りが荒くなってしまったことは記憶に新しい。

『各地の気温ですが――』

「あらら、結構暑いのね」

「そうみたいねぇ」

 部屋の中でラジオを聴きながら話す。数か月前から始めたことだけど、今ではすっかり日常の一部だ。

 部屋の中、いつものラジオと、違う話題。似たような料理を作りながら、しばし二人の時間を楽しむ。

「今日は何作るの?」

「うーん、ナポリタンかな……玉ねぎ多めでさ。そろそろ痛み始めるだろ」

「それ、いつ買ったやつ?」

「フフフ、それは内緒」

 冷蔵庫にはまだいくつか、小さめの玉ねぎが残っていたはずだ。全部使いきってしまおう。ゆっくり火を通せばそれなりのものになるはずだ。

 小さく刻まれたニンニクを、温めておいたフライパンへ移す。

「ねぇ絶対入れすぎだって」

「仕方ないよ。残ってるのが大きい奴だけだったし」

「それいつも言ってる!」

「わはは、大きいのしか買わないもん仕方ないって」

 そろそろパスタも茹でないとな

「まったく、次の――」パスタを袋から取り出す。「――あれすごい匂いするんだから」今日はちょっと多めにするか。「……ねぇちょっと聞いてる⁉」

「ごめんなんて?」よし、これくらいでいいかな。「換気扇はつけてるよ?」

「そうじゃなくって、いっつも油使いすぎだし、香りづけもやりすぎって話!!」

 鍋を火にかける。

「あーそっちか」玉ねぎを切らないと。「次のデートの話じゃなくて?」

「……次は晴れてる日に出かけたいんだからね」

 三つ残っていた小玉の玉ねぎの皮を剥いて、軽く指で押してみる。……うん、大丈夫そうだ。

「天気のことはね。ある程度読めるけど、やっぱり最後は分かんない。ほら、僕ってば雨雲に好かれてるからさ」

「根っからの雨人間だもんね。頭が痛いって口癖になってる」

「ごめんねぇ……」

 ふむ、この玉ねぎ中々やるな。いつもより目に染みる。

 思いがけず零れた涙を拭うと、彼女の申し訳なさそうな声が聞こえた。

「こ、こっちこそごめん。ちょっと言い過ぎた、かも」

「え、なんて?」

「あ! それってあれ⁉ 玉ねぎ切ってるだけ?」

「そうだけど」

「なに、もー。騙されたんだけど!」

 滲む視界でちらりと彼女を見て、僕は再び調理へ戻る。

「見てほら、今日は雨だけど調子いいんだ。いつもより綺麗に薄く切れてるでしょ?」

「いつもと同じくらいじゃない?」

「てことは、普段通りにはできてるわけだ」

 まな板ごと持ち上げて、玉ねぎをフライパンへ投入する。

「多いね、玉ねぎ」

「……炒めたの好きだし」

 なんて強がりを言ってみたものの、確かに量はかなりある。嵩は減るだろうが……。

「ベーコンは少なめにします……」

「ん。よろしい」

 少しだけ火を強めて、早めに火が通るようにする。

「野菜もいっぱい使うようになったよね」

「そう?」

「うん。マイタケも入れるんでしょ?」

「なんで分かったの?」

「だって、お湯多めだもん」

 大した洞察だと思った。それほどたくさん調理中の姿を見せた覚えはないけれど、彼女はしっかり癖というか、僕のやり方を覚えているらしい。

「あ、ほら、そろそろ玉ねぎをかき混ぜる」

「いやぁ、敵いませんわ……」

 まさかそのタイミングまで読まれているとは。

「私はなんだって分かるんだから、貴方のことなら」

 冷蔵庫からマイタケを取り出して、食べたい分だけ鍋に放り込んだ。

 少しだけ空いた手で包丁とまな板を洗っていると、ポツポツと、窓を叩くような音がする。

「降ってきた」

「早いねぇ」

「ホントにね……」

 シャンシャンと音を立てるフライパンと鍋のおかげで聞こえにくいけど、雨脚は少し強いようだ。

「思い出すね、雨の日は」

「つらいよ、雨の日は」

「そう? 私は幸せだけど」

『次のリクエストは、ラジオネーム――』

 沈黙を許さないのはラジオである。こうして黙ってしまうからラジオをかけてBGMにしようと言い出したのは僕の方だが、もう何度助けられたことか。

「ふふ、面白い名前だ」

「ヤッターヤッターワンさん? なんか最近よく読まれてるね」

「センスあるんでしょ。選曲もいいし」

 玉ねぎにも火が通っている。中火で炒めているから、いつもより注意しなければ焦げてしまう。


「好きよ」


 ガチャガチャとフライパンの中を忙しなくかき混ぜた。

「ホント分かりやすい! そういうとこ好きだなぁ」

「あのさ、ホントに。今火を使ってるから驚かせるのはやめて……」

「フフフ、この前のお返し!」

「なんだよもー」

 そろそろ時間が迫ってきたか。

 まずはパスタの茹で具合を見なきゃ。

「雨の日はね。初めて会った日のこと思い出すから好きなの」

「……」パスタうめぇ。「……んむ」

 茹で上がりには少し早いが、もう引き揚げてしまうことに決めた。

「そんなの僕だってそうだよ。だから辛いんだ」

 パスタとマイタケをザルに、ゆで汁をボウルに、それぞれ移す。

「こうしてると、なんだかあの日に戻ったみたいな気分になる。体調だって悪くなるし、それに」

 それから、フライパンの隅へ具材を寄せて、そこにケチャップをぶちまける。

 隠し味はいつも同じ。

「一人は辛い」

 みりんを少々。


 音を立てて変色していくケチャップの匂いを嗅ぎながら、すかさず火加減を調整する。

 グツグツと、少しずつ、加えた調味料と共に、その色は鮮やかさを失う。

「あの日会えてよかったって、もう何十回、ううん。何百回も言ってるけどさ。あと何千回か言わせてくれない?」

「何万回じゃなくて?」

「何億回でもいいかな」

 とっておいたゆで汁を足すと、少しだけフライパンが冷えた気がする。炒めたケチャップと具材とゆで汁。三つを馴染ませて、コンソメを入れる。

「僕も好きだよ」

 あっという間に、ソースが出来て沸騰し始める。

「一緒にいられるのが幸せ」

 ほんの少しだけ歯ごたえのあるパスタを入れて、一緒に茹でた。

「そうだな……濃い目の味付けも大丈夫ならもっと好きかも」

「善処しましょう」

「そうしてくださいな」

 水かさが減って、フライパンの奏でる音が変わり始めた。

 ちょっと慎重になって聞く。

「時間、大丈夫なの?」

 チラリと画面を見る。

「食べて片づけるくらいの余裕はあるよ」

 コンロの火を落とした。

「仕上げるね。一緒に食べよ?」



 皿に盛り付けてテーブルに向かうと、彼女は先に席についていて、退屈そうに待っていた。興味なさげにぼんやりテレビを見ているようだ。

「お待たせしました」

「お待ちしてました!」

 その笑顔に何度救われたことか。

「じゃあ」

 二人で手を合わせて。

「いただきます」


「今日は上手にできた?」

「うんまぁ、いつも通りかな。玉ねぎもうちょっと炒めても良かったかも」

「今日多かったもんねぇ」

「あのさ、今度の休みは一緒に出かけようよ。雨でもさ」

「珍しい。いつもは遠慮してるのに」

「なんか、今日は思い出すんだよ。あの日だって雨だったんだ。次の時だって雨でもよくないか?」

「うん、確かに――こら、落ち着いて食べなきゃダメでしょ」

「んぐ、ごめん。美味しくてつい」

「もうこんな時間かぁ。あんまり話もできないね」

「明日はもっと早く起きてるから」

「ホントかなぁ? そういっていつも昼前まで寝てるし」

「ホントホント。明日は見送るってば」

「無理に起きなくてもいいよ。こうして話せるだけでも私は満足」

「ちょっとくらいは無理もするって……うん、美味い」

「いいなぁ。私もそういうの作れたらなぁ」

「すぐできるようになるよ。それに充分うまいじゃないか、料理」

「そう? そうかな。ホント、一人でいる時は適当になっちゃうんだぁ」

「そういうものだって。僕だって、独りだった時はすごい適当だったしさ」

「変わったよね」

「そりゃあもう。……うん、そこは君が一番よく知ってるでしょ」

「そうでした」

「そうそう」

「えへへ」

「……一人が気楽な時もあるけどね」

「でも、それって私がいるから分かることでしょ」

「美味しいなナポリタン」

「あ、照れてる」

「なんだよ! もう! 恥ずかしいこと真っ直ぐ言わないでって言ってるのに!」

「いいもん。今は包丁も火も使ってないから危なくないもん」

「まったく……」

「ほら、口の端に付いてるよ。あんまり一気に食べないの」

「うむ……食べ終わるの早くない?」

「だって私は先に食べ始めてたし、量も少ないもん」

「……いつもより早い気がするんだけどなんかあった?」

「だって、一人は辛いもの」

「…………そろそろ食べ終わるよ。もうちょっと待ってて」

「いいよ、焦らなくても。私は大丈夫だから」


 皿をシンクに持って行ってもなお、僕と彼女の会話は続く。

「今日は体調大丈夫そうなの?」

「うーんちょっと頭は重いかも……」

 よ、と声を出して、フライパンを狭いシンクになんとか収めた。

 水を出して、落とせるものは先に落としていく。

「今度、初めて会った場所に行こうよ。二人でゆっくりさ。散歩でもいいし、昼寝でもいい。広い河原なんだから、時間つぶしなんていくらでもできるだろ?」

 浮いた汚れをできるだけ流し、洗剤とスポンジを手に取った。

「またゆっくり話したいな」

「私もそうしたい」

 彼女はニコリと笑う。

 その笑顔を見るだけで何かが、心の奥からわいてくる気がして、今日も頑張ろうと思えるのだ。

 今日は確かに雨だけど、彼女の笑顔が見られるなら、それも悪くないな。そう思った。

 皿もフォークも、同じように洗っていく。少しづつ泡にまみれていく様を見ると、時折しっかり洗えているか不安になってしまう。

「ねぇ、僕はちゃんとできてるかな」

「できてるよ? 無理してないか不安になるくらい」

「君程じゃないよ。頑張りすぎないようにね」

「お互いにね~」

 あははと笑ってごまかすと、彼女は言う。

「あ、やっと笑った」

 どうやら、彼女はそれが心配だったらしい。

「ずっと険しい顔してるから、どうしようかと思った」

 洗剤を濯ぎ始めた僕を見て、彼女はそんなことをいう。

「あんまりさ、気張らなくていいじゃん。今は自分のやりたいことを見つけるのが大事。言ってたでしょ?」

 フライパンが綺麗になった。

「今やりたいのは、君にご飯を作ることかな」

 チラリと時計を見る。

「だから結構満足してる」

 皿を濯いで。

「君は?」

「なんの、まだまだ。私が貴方を支えるんだから!」

「ふふふ……じゃあ期待して待とうかな」

「そうしてくださいな!」

 濯ぎ終わったものを見つめて、汚れが残っていないかチェックしていく。ついでに拭いておかないと。乾かしている暇はないだろう。

「まぁ、考えておいてよ、さっきの話。雨なら映画でも見に行こう。一緒に見たいのがあるんだ」

 使い古された布巾で水滴を拭い、今日はバスで移動かなと考える。

 できれば自転車の方がいいが、まぁ、我儘も言っていられない。そろそろ出ないと。

「私は晴れがいいなぁ」

「そりゃそうだ」

 バイトの時間に、まぁ乾いていくだろう。この、ほんの少し湿ったままの心だって、そのうち忘れてしまうはずだ。

 外を見やると、雨脚が強くなっている。僕は自転車を諦めることに決めて、

「じゃあ、そろそろ行くね」

 と、彼女の映る端末に手をやる。

「もう行っちゃうの? もうちょっとだけ――」

「ダメダメ、遅刻しちゃう」

「ふん。いいもんね。私も頑張るし」

 どうやら向こうも弁当箱を洗い終わったようだ。

 彼女が地元から離れてからもうしばらく経つが、うまく自炊も続けているらしい。色々と言ってきたかいがあった。

「今日のお弁当はなんだったの?」

「昨日、鮭焼いたから、それの残りと卵焼き。あとオレンジ持ってきたんだ」

「えらい! じゃあ午後からも頑張れるね」


  部屋の中でラジオを聴きながら話す。数か月前から始めたことだけど、今ではすっかり日常の一部だ。

 部屋の中、いつものラジオと、違う話題。似たような料理を作りながら、しばし二人の時間を楽しむ。

 今日もそろそろお開きの時間がやってきたらしい。

 ほんのちょぴり寂しいけれど、それは言うまい。彼女だって同じ想いのはずだから。

 画面の向こうで振り返るのが見えて、何かを見つめてため息を吐いた。

「……私も行かなきゃ。時間だし、切るね」

 そう言って、画面がただの通話へと切り替わる。

「じゃあ、また後で」

「うん。終わったら絶対に連絡してよね!」

 わかってる、行ってきます。

 ついでに愛してるの言葉も添えて。

 通話を切って、ポケットに端末を収めてから。

「一人で食べても、美味しくないな」

 僕はポツリと呟いた。


 左手の薬指で、指輪がきらりと輝いて見えた。


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