遺影(仮タイトル)
ポクポクと室内に木魚の音が鳴り響く。
経を上げるお坊さんの声音が熱を帯びているのも、きっと気のせいではないだろう。
振り下ろされる棒には必要以上の力が込められていて、木魚が可哀そうになってくるほどだ。
だが、真に可哀そうなのは我々の方だろう。
お坊さんにはマスクを許されていて、自我を忘れるほどに熱中できるものがあるが、我々にはそれがない。
この場において、お坊さん以外の全ての人間がマスクの着用を許可されず、また他に集中できることもない。
ただただ顔を俯けて、肩を震わせることしかできない。
俺はこの空間でただ一人、声を震わせて号泣している諸悪の根源を睨みつける。
――思えば罠は最初から周到に張り巡らされていた。
高校時代の悪友から久しぶりに電話がかかってきたかと思えば、訃報であった。
電話口での友人は、普段のバカみたいな元気さは見る影もなくて、話してるこっちまで心配になるほどであった。
(さすがに奥さんが亡くなると、あの破天荒な野郎もあそこまで落ち込むんだな)
奥さんには会ったことがなかったが、少しでも友人の為になればと、地元に帰って式に出ることを決意した。
さすがにお通夜には間に合わなかったので、告別式に参列させていただくことにした。
ということで訪れた告別式。
受付で親族の方に挨拶をするのだが、誰もが目が死んで、虚ろな表情をしている。
(たくさんの人に愛された、素晴らしい人だったんだな……)
……そんな風に勝手に感動していた過去の自分を殴ってやりたい。
会場の前には看板が立てられていて、喪主の名前で一筆書かれていた。
『これが最後になるのですから、家内に皆様の顔を見せてあげたく思います。
どうぞ、マスクを外してご入場ください』
あぁ、コロナとはいえ最後の別れはそういうものか。
私語を慎むよう、また換気に対しての会場の姿勢も書かれていたので、俺は安心してマスクを外して会場へと入った。
中に入って襲ってきたのはまず困惑。
そしてヤラレタ、という感覚。
周囲の手前、今更マスクを付け直すわけにもいかない。
思わず目を伏せて、表情筋を殺す。
親族席に一礼するとそのまま俺は末席に座る。
ちらっと見た親族たちも、皆一様に受付の人たちと同じような顔をしていた。
それもそうだ。
棺の上に大きく掲げられた遺影。
まさか、その中で故人がアヘ顔Wピースしているだなんて、誰が想像したであろうか。
他の参列者たちも目を伏せて、必死になって表情筋を殺している。
ちらりと、再び写真を盗み見る。
綺麗なアヘ顔Wピースしてやがる。
こいつ、死んでるんだぜ????
多分……いや、どう考えてもこれは行為中に取った写真を引き伸ばしたものなのだろう。
CGでやっつけのように追加された和装が、なんとも違和感を覚えさせてくれる。
職人ももうちょっとやりようがあったろうに……。
いや、さすがの葬儀のプロCG職人でも、アヘ顔Wピースに似合う仕事はできなかったか……。
しょうがない……というより、同情を禁じ得ない。
なんとか写真から意識を逸らせようと、周囲を観察したりしていたところ、
喪主である友人が立ち上がり、号泣しながら挨拶を始めた。
「本日はお越しいただき誠にありがとうございます。
他界した妻も、皆様とお会いできたこと本当に喜んでいると思います。
遺影の中の妻と同じ、最高の笑顔で皆様のことを……見守っていると……思います……」
ひっくひっくと肩を震わせている。
いや、あれ絶対笑ってるだろ。
だがしかし、しとどに流れ落ちる涙がそれを否定している。がってむ。
冗談とかドッキリであってほしかった。
「皆様も……妻と最後のお別れを……笑顔で……お願いします」
なんでだよ、あいつ絶対とち狂ってんだろ。
チックタックで祖父のご霊前で踊ってたJ〇や、祖父の死をネタにしたさくら〇こが可愛く見えるレベルだぞ。
多分親族たちは全員が必死に止めようとしたのだろう。
だが、喪主が決断してしまったのだから、止めようがない。
いわんや葬儀屋をや、だ。
号泣する狂人を白い目で眺めつつ、表情筋を殺すことに全神経を集中させる。
……ここに小さい子供がいなかったのが幸いだ。
「お母さん、あの女の人、とっても楽しそうだね」
なんて無邪気に言われた日には、もう耐えられない。
誰か一人でもクスリとしたら、きっと場内は失笑の渦に包まれてしまうことだろう。
さすがにそんなことになったら奥さんが報われないだろう。
(いや、もう十分すぎるほど報われちゃいないんだけどさ)
笑いの一触即発。
まさに全員がピリピリとうかつに呼吸をすることもできない、そんな会場である。
やがてお坊さんが入ってきて、読経を始めて冒頭の描写に至る。
一瞬取り乱した様子を見せたものの、すぐに持ち直して、無我夢中で読経をしているあたり、さすがは平常心を訓練されたお坊さんである。
元来長く感じるものとは言え、読経がこんなに長く感じるのも初めての経験である。
できることならば手短に終わらせて、一刻も早くこの煉獄から逃れたい。
多分この場にいる誰もが俺と同じことを考えていることだろう。
ポクポクポク。
お坊さんが羨ましい。
ポクポクポク。
せめて、お通夜にしておけばよかった。
そうすればお焼香だけしてすぐに逃げることもできた。
ポクポクポク。
お通夜に参列した地元の友人たちも、警告ぐらいしてくれてよかったのでは?
ポクポクポク。
いや、っていうかお坊さんもマスク取れよ。フェアじゃなくね??
ポクポクポク。
ダメだ。思考が攻撃的になってる。
いや、もうこれしょうがなくない? 違うこと考えてないと必然的に……
チラッと遺影を見てしまう。
人としての尊厳を捨てた笑顔と、綺麗なピースサインが……くっ!!
笑うな……笑うな、俺。
全ての心を凪いで、表情筋を殺せ。
チーン。
ひと際甲高い音を立てて小さな鐘が鳴らされると、お坊さんのお経が終わる。
やった。これで解放される……。
耐えきった……。
この場の誰もが同じことを思っていたようで、
どっと、会場中に安堵の空気が流れる。
「えー、皆さま、最後に妻に一声かけてやってください」
顔を涙で濡らしながら、悪魔が棺を示す。
みな、彼女に同情の意志を伝えようとその周囲に集まる。
すると親族から皆に花が配られる。
何か一言声をかけて、花で彼女を彩るという趣向らしい。
棺の蓋が開けられる。
くっ……
誰かが喉を鳴らした。
ぶはっ!!
誰かが呼吸を破裂させた。
ふふっ
誰かが鼻を鳴らした。
予測していたところで、この二段構えはキツイ。
そこには写真と同じ表情、写真と同じポーズをした死に装束の女が横たわっていた。
「実那……よかったね。これで……」
失笑が沸き起こる会場の中、悪魔だけがただただ涙を流していた。
正式タイトル
「絶対に笑ってはいけない遺影でイエーイ」
番外編↓
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