9.貴方の正体は【side リヴィ】
王太子殿下夫妻を乗せた馬車がゆっくりと遠ざかって行く。
貴方は、誰。
馬車に乗っていたのは、誰。
答えなんか出なかった。
ただ、一つだけ確かなのは、成婚パレードで馬車に乗っていたのは、『私の知らない王太子殿下』だった。
その事に気付き、息を呑む。
じゃあ、あの方は。
四年前の私が好きでたまらなく、逢いたくて希っていたあの方は何処?
でも、馬車に乗っていたのが彼ではない事に安堵すると同時に、何故?どうして?が同じくらい渦巻く。
「リヴィ」
ルドのくぐもった声が、やけに響く。
躊躇うような、窺うような、低い声。
「……行こう」
何が起きたか分からないままに、ルドに手を引かれ群衆から抜け出す。
そのまま少し人が少ない通りに出て、広場に出てきた。
ルドがぴたりと立ち止まる。その手は強く握られたまま。
「ル、ルド、は、知ってた?王太子殿下、代わったのね……」
「ああ……」
「以前の、王太子殿下、は、どうなさってらっしゃるのかしら。お父様から聞いてない?
以前の王太子殿下はね、こう、落ち着いた藍の髪色に、透き通るような金色の瞳が印象的で」
「あ、ああ……」
戸惑うようなルドの声にハッとなる。
ルドは以前の王太子殿下を見た事が無いかもしれないのに聞いてどうするのか。
でも、私は王太子殿下が変わった事を知らなかった。
意識的に耳に入れないようにしていたから。
先日婚約の話が耳に入ってきたのは偶然だった。
彼は、どうしているのだろう。
今更気にしても仕方無いのに。
「……リヴィ」
ルドが硬く声を発する。
「話を、聞いてくれるか……?」
自信無さ気な、弱い声。
不安そうな声音は否定したら消えてしまいそうで。
私はルドの言葉を促した。
「ある、愚かな王太子の話だ」
その言葉にどきりとした。
今の話の流れで、私の知る王太子殿下の話だと思うと嫌でも鼓動が音を立てる。
聞きたいような、聞きたくないような。
今すぐ逃げ出したい衝動をぐっと堪えてルドの言葉を待った。
「その王太子……ジェラルド・サージェントにはかつて婚約者がいた。名をアンジェリカ・ブラックリー。スノーホワイトの髪色にダークオーキッドの瞳を持つ女性で性格は……割と活発だった。
二人はいつもそれぞれの教育が終わった後婚約者が淹れたお茶を飲み将来を語り合っていた」
──やはり、王太子殿下の話だわ。
私は呼べなかった名前に、胸がずくん…と疼く。
それに、彼が愛している女性の事も聞きたくない。
でも、耳を塞ぐ事はできない。
その先の事を知っているから。
「だが、婚約者は流行り病で世を去った。悲しみに暮れる王太子だったが、周りは『忘れろ』と言っていた。
……彼女を深く愛していた王太子は簡単には忘れる事はできず、そのうち喪が明けると同時に新たな婚約者の選別が始まった」
そして選ばれたのが、私──。
「新たな婚約者など考えられなかった王太子は宣言した。『自分は生涯亡くなった婚約者だけを愛す。飾りで良いなら来い』と。
浅はかで、傲慢な台詞だ。それでも、来てくれた女性がいた。
──先の宣言をしておきながら、王太子は彼女に一目惚れしてしまったんだ……」
「……え……」
殿下が、私に……?
あり得ないわ。だって、あんなにアンジェリカ様の事を口にしていた。
「王太子は新たに恋をする事は、亡くなった婚約者に対する裏切りだと思った。
だから、ずっと……、新たな婚約者を遠ざけようとした。酷い言葉で傷付け、事ある毎に比較し、触れたい気持ちもごまかし、自分に言い聞かせていた。
『自分が愛しているのは亡くなった婚約者だ』と」
ルドが語る『王太子』はきっと彼の事ではない。
私はそう思いたかった。
だって、そうじゃなきゃ、そうじゃなきゃ……!
「八つ当たりもあった。当時周りにいた誰一人、王太子の心情に耳を貸さない。主張を無下にする。
……だが、新たな婚約者だけは、ずっと、笑って、『愛したままで良い』と、言って、くれて」
ルドの声がくぐもる。
どうして貴方が泣くの?
貴方は誰。貴方は──!!
「それで、霧が晴れたみたいに、なった。
彼女が微笑んで肯定してくれる度、亡くなった婚約者が思い出に変わった。
だが、王太子が救われる度、新たな婚約者は傷付いていた。……それに気付かなかったんだ」
〝私は──〟
かすれる小さな声で、ルドは呟く。
私はぎゅっと目を伏せた。
どうして。
貴方は誰。どうして。
嘘よ。ここにいるはずがない。違う。
私の愛した『王太子殿下』は王宮にいるはず。
こんな王都から離れた街の警備隊に所属して、お昼には修道院で持参した軽食を食べて寝転んでいるはずがない。
そう、思うのに、ルドの話す事が、本人だと言っている。
「彼女を傷付けていた事を知ったのは婚約が解消された時だった。
王太子が放った一言で自分を害そうとしたと父親から聞いた。『愛している』と言いながら、やってる事は彼女を殺そうとした。
肉体を傷付けるだけが人を殺すのではない。
言葉で、何の罪もない相手を追い詰める事もある」
ルドは拳を強く握り締めた。思い出して悔恨するかのように。
「……そんな、王太子に、また新たな婚約者を、と言われた時、頭の中を占めるのは亡くなった女性ではなく、婚約解消をした女性の笑みだった」
その言葉に伏せていた目を開ける。
「彼女にただ、会いたかった。だが、そんな資格は無いと思い、ならばせめて生きているのを見守りたかった。
だが、見守るだけでいいと、思っていたはずなのに、彼女の側は居心地が良くて、失うのが怖くなった。
……でも、それは彼女からしたら、迷惑でしかないのかもしれない…」
私がルドに向き直ると、彼は兜に手を掛けた。
カチャリと音がして、その姿があらわになる。
「──っ」
私はその姿を見て、「やはり」という確信と同時に言葉を失った。