7.王太子引き継ぎ【side ジェラルド】
「初めまして王太子殿下。僕はフレディ・フェルトン……改め、フレディ・サージェントでございます」
「気楽にしてくれ。私はもうすぐ王太子ではなくなるのだから。ジェラルドだ。名前で呼んでくれ」
「わかりました。よろしくお願いします」
フレディは少し緊張した面持ちで自己紹介をした。だが初めての、しかも目上の者を相手にしても堂々としている。肝も据わっているようで頼もしさを感じる。
彼はフェルトン公爵家から出て王宮に住んでいる。
この度父上の養子となったから私とは短い間だが兄弟となった。
血筋で言えば叔父にあたるが私の方が年上なので複雑な気持ちだった。
「私の我儘ですまない。君は望まない事だったかもしれないが……」
「いえ、人生何が起きるか分からないから面白いです。
先の事など何も決まっておりませんでしたので目標ができたと前向きに捉えています」
フレディは私を見据え、しっかりとした受け答えをする。切り替えも早い。第一印象は好感触だ。
「良かった。私は廃嫡されたらここにはいられなくなるし一切関わる事も無くなるだろう。
持ち得る知識を全て君に預ける。
私が言える事では無いかもしれないが、途中で投げ出す事の無いように頼む」
「かしこまりました。よろしくお願いします」
フレディの所作はフェルトン公爵がきちんと教育をなされていたのだろう。普通の貴族となんら変わりないレベルだった。
知識も年齢以上のもので、あとは実践経験を積めば及第点だ。
こればかりは場数を踏むしか無い。
「殿下は……ジェラルド様は市井に下られるんですよね」
「ああ」
「市井で、なにをなさるんですか?」
フレディから勉強の合間に質問をされた。
廃嫡され、市井に下り、その後は──。
「そうだな……。まずは仕事を探さなければならないだろうな」
国民の納める税で生活していた王族から抜けるのだ。臣籍降下でも無いからその扱いは平民と変わらない。
だから住む場所の確保、それから仕事を探す。
使用人もいない。
身の回りの事もできるようになっていなければならない。
「仕事の内容は?宛はあるんですか?」
「いや、それはまだ……」
フレディは呆れたような眼差しを向ける。
何も考えていなかった。
いや、やりたい事はある。
レーヴェを探したい。ただそれだけだった。
探して……何をする?
あれから一年は経過した。今更私がのこのこと現れたところで彼女にとっては迷惑かもしれない。
それに、わざわざ廃嫡されたと言ったら彼女でなくとも気にするだろう。
しかも一度婚約を解消した男が身分を捨てて側に来て、喜ぶ女性がいるのか?
会って話をするわけではない。遠くから見守れたらいい。
いや待て、これではただの危ない男では?
そこまで考え、手が止まる。
己の感情一つで突っ走っているが、独り善がりすぎないか?
ぐるぐる回る思考で完全に停止した私にフレディが声を掛ける。
「市井に下るのは良いですが、先を見通しませんと。自らの稼ぎのみで生活していくのです。
今までは有り余るお金があったので宝石や好きな物を際限なく買えたかもしれませんが、これからはそうはいきません。
まずジェラルド様は生活の仕方から学ばれ、実際に短期間でも暮らしてみてはいかがでしょう」
「す、すまない、善処する……」
フレディは私を見ながら小さく溜息を吐いた。
『本当にできるのか?』と目が言っている。
廃嫡は確定事項だ。
臣籍降下でも無い為爵位も無い、ただの平民だ。
やるしかない。
私は腹を括る事にした。
フレディが勉強を始めて半年が過ぎた。
最近ではフレディが執務をする事が増えた。私はサポートに徹している。
とにかく呑み込みが早く、私より国王に適しているのでは、と思わせる。
彼の婚約も整った。
アンジェリカの妹であるマリエッタだ。
ブラックリー公爵家の後見を見込んでの政略的なものだがフレディと相性もいいらしい。
二人が仲睦まじい様子は遠い過去を思い出す。
もう、二度と戻る事の無い時間。
マリエッタが笑う。
彼女も、こんなふうに笑っていた。
王太子妃教育の進みも良い。しっかり頑張ってくれているようだ。
彼女も……
そこまで考え、私はふとアンジェリカの事が思い出に変わっているのを実感した。
アンジェリカを思い出して寂しくて辛い記憶は、レーヴェの笑みで塗り替えられている。
現に思い出すのはレーヴェの事ばかり。
修道院に入った事以外、今何をしているのかも分からない。
どこの修道院なのかすら。
スタンレイ侯爵からは「そっとしておいてくれ」と言われたから会うつもりは無い。
ただ、彼女が生きていてくれたらそれで良い。
「ここ、僕が市井に下ったら就職しようと思っていた場所です。王都からは離れていますが寮もあるし食事も付いてます。給料から寮費等は引かれますが、剣の腕に覚えがあるなら誰でも入れるのでおすすめです」
フレディから手渡されたメモ書きには、王都から離れた街にある警備隊の詰所の所在地が記されていた。
視察で行った事がある。治安はそこそこ。
そして気になったのは詰所からほど近い場所に修道院がある事。
ここにレーヴェがいたらいい、なんて都合良過ぎるのは分かっているが願わずにはいられない。
「ありがとう。王都には住めないだろうから助かる」
「いえ。それより剣の腕は大丈夫ですか?」
「ああ。フレディも嗜みくらいあるだろう?
有事の際は身を守れるように鍛錬はしている」
「なら大丈夫ですね」
フレディはホッとしたように笑った。私の未来を心配してくれていたのだろうか。
誰かの優しさに触れ心温まると同時に、彼女にした事に対して申し訳なさが襲ってくる。
私もレーヴェに優しさを返せば良かった。
彼女からは惜しみなく与えられ、それを甘受していたのに。
私からの言葉は刃となり彼女の心を引き裂いた。
自害しようとする程に。
思い出す度自分のした事に苦いものが込み上げる。
言葉は、誰かを殺す武器になるのだと思い知る。
「フレディ」
「何でしょうか」
「……王族の発言は重い。自分の放った何気ない言葉でも相手には命令として受け止められる事もある。
私は間違えてしまった。だから、君は間違えないように気を付けてくれ」
フレディは何かを悟ったように顔に緊張感を持たせた。
「分かりました。自分の発言には気を付けます」
その表情は既に王族のそれで、彼からは頼もしさを感じた。
私の廃嫡まであと少し──。