27.私の望み【side リヴィ】
結果的に言えば、お父様への説得は失敗だった。
あの日から私は部屋に閉じ込められている。
時折心配して弟や妹が様子を見に来てくれるけれど、会わない間に成長した二人と何を話していいか分からずぎこちないままだった。
ぼんやりとした日々が幾日も過ぎて行く。
ずっと部屋の中にいるせいか食欲も湧かない。
アミナスで暮らしている間で食べていた質素な物より豪華な食事なのに。
それでも残さず全て飲み込んだ。
食材の大切さを知った。
料理人の苦労を知った。
残すなんて失礼な真似はできなかった。
アミナスで暮らした年月よりここで暮らした年月の方が長いはずなのに、何だか居心地が悪く感じた。
朝起きて、井戸の水の冷たさに喘ぐ事も無い。
洗濯や掃除も、メイドがやってくれる。
有り難いと思うのに落ち着かない。
私がしようとするとしきりに反対される。それがまた、私の中でもやもやとした。
服装も、ドレスの重さに肩が凝った。
きらびやかな色も、宝石の飾りも、全てが色褪せて見えた。
ふと、胸元に手をやる。
不安にかられた時はルドから貰った小さなネックレスに触れると不思議と落ち着いた。
私を連れて帰る時、べハティが荷物にしのばせてくれたらしい。
ここにあるどんな宝石より価値があるもの。
(ルド……会いたい。元気でいる?)
あれから一ヶ月が過ぎていた。
アミナスで猛威を振るったツェンモルテ病は、薬の供給もあって死者一人出さずに終息したらしい。
感染拡大阻止に尽力した警備隊と領主様に近々御礼がされるそうだ。
街のみんなが無事でホッとした。
あの場所で過ごした日々は確かに私の中に根付いている。
帰りたい。
私の居場所はここじゃない。
あの街に帰りたい。
その為にはここから出ないといけないけれど。
扉に護衛二人、バルコニーにも一人。
物理的に出るのは難しい。
悩みながら日々を過ごしていた私は、ある時「お前にお客様だ」とお父様に呼ばれた。
侍女からいつもよりきれいにセットされ、指定されたドレスに着替える。
案内されて、応接室に出向く。お客様は既に中で待っているそうだ。
「失礼致します」
中に入るとソファに座っていた男性が立ち上がり私に一礼した。
その隣にはお父様の姿があった。
「レーヴェ、こちらに来なさい。
彼はプラウズ伯爵だ。以前言っていただろう?お前を一途に想い待って下さっていた方だよ」
「初めまして、イクティノス・プラウズと申します。
王宮で文官をしております。どうぞよろしく」
クリーム色のふわふわした髪にブルーグリーンの瞳は優しそうで。
その笑顔にどきりとした。
慌ててドレスを摘み一礼する。
五年以上してなかったのに、案外上手くできるものだな、と心の中で苦笑した。
プラウズ伯爵様がにこりと笑う。
(胸騒ぎがする……)
ゾワゾワするのを必死に淑女の笑みで取り繕う。
そうでなければ嫌悪感を顕にしそうだった。
お父様の強引なやり方にも怒りと悲しみが湧いた。
貴族女性は結局のところ、男性には逆らえないのだと言われている気がした。
しばらくお父様とプラウズ伯爵様が談笑しているのをたまに相槌を打ちながら聞いていた。
「あとは二人で……。レーヴェ、庭を案内してげなさい」
途中でお父様が退室した。扉は少しだけ開かれ、その近くにはメイドが二人待機している。応接室から庭はそのまま出られるが、私はソファから立ち上がらなかった。
「レーヴェ嬢」
「名を呼ぶ許可をしておりませんが」
相手は伯爵、私はまだ侯爵家の人間だ。
こんな時だけ身分を使うのは嫌だけれど、不快で仕方なかった。
以前は微笑み返していたのに、随分と変わってしまった。
プラウズ伯爵様は一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐに微笑んだ。
「御無礼をお許し下さい。スタンレイ侯爵令嬢殿、貴女の名前をお呼びしてもよろしいでしょうか?」
手を胸に当て、窺うように見てくる。
本当なら断りたいのだけれど。
「貴女のお父上からよろしくと頼まれております。どうか五年以上も貴女を想い日々を過ごしておりました私めを哀れに思いますならば、その名を呼ぶ栄誉を賜りたく」
片膝を突き、右手を差し出して来た。
私は俯いたまま冷ややかに見据えた。
「貴方は……私を待って下さっている間、何をなさっていましたか?」
「ただひたすら貴女をお待ちしておりました。貴女に相応しい場を御用意し、貴女を想いながら宝石やドレスを作らせました。
貴女に受け取って頂けるならば、後程届けさせましょう」
ぴくりと、手が動く。
「私は、五年以上修道院で生活していました。その間、自分の事は自分でしなければならなかった。
手はあかぎれ、固くなり、日にも焼けて髪もバサバサです。それでも望んで下さいますか?」
その手を目の前に差し出すと、プラウズ伯爵様の眉根がピクピクと反応した。
「見た目はこれから侍女たちが君を手入れするよ。君には常に美しくあってほしいからね」
極上の笑みを浮かべながら、その顔は硬い。無理をしているのがありありと分かる。
「私が望むままに行動をする事をお許し下さいますか?望む言葉を下さいますか?」
「貴族夫人として慎みある行動を心掛けて欲しいな。今までのような生活は送らせないと誓うよ。君に使用人より酷い真似はさせない」
それは私の中で決定打となった。
プラウズ伯爵様の手のひらは天井に向いたまま、私の手を重ねる事は無い。
「申し訳ございません。私はこの縁談をお受けする事ができません」
伯爵様は信じられないという風に目を見開く。
ゆっくりと頭を振り、片手で口を押さえた。
「なぜですか?私と結婚すれば、貴女は貴族夫人となり今までの知識や教養を社交界で発揮できる。……もしや、五年の間に平民などと何かあった訳では無いでしょう?」
「私を侮辱したからです。社交界を離れている間、私は身の周りの事は自分でしてきました。
使用人よりひどい?そんな事はありません。
日々楽しく、慎ましやかに生きてきました。
それは私の中でかけがえのないものです。
それを貴方は……侮辱しました」
アミナスでの五年間を否定されたと感じた私は、伯爵様の手は取れない。
私らしくいたいのに、貴族夫人らしくいてほしい彼とは将来を共にできない。
「それに、私には愛する方がいます」
その言葉に伯爵様の表情が抜けた。
「平民になられた元王太子殿下ですか。
なぜです?貴方はジェラルド殿下に傷付けられた。彼こそ貴女を侮辱したではありませんか」
「確かに私は殿下から散々言われました。言われた言葉に傷付きもしました。
ですが、彼は私と同じ立場になってまでも謝罪し、その後は誠意を尽してくださいました。
今はもう酷い言葉を言う事はありません」
「人の性根はそうそう変わらない。
人は繰り返す。そういうものだ」
「いいえ、人は変われます。己の意志で、少しずつでも、変われるものです」
思い出すのはルドの瞳、声、笑顔。
じっと覗き込むように見て、私が「見ないで」と言ったら「ごめん」ってふっと笑い、目が細くなるのが好き。
遠慮がちに手を握ってくるのも、距離を測りかねて少し離れて座るのも。
『リヴィが、今日も元気だと、生きてると、実感していた』
生きていいのだと、言ってくれた。
「貴女はきっと後悔する。病気になった時、望むものを得られなかった時」
貴族と平民の差は歴然だ。
食事一つ、食材一つ、衣服もそう、住む場所も。
誰しも望むものが欲しいと言うならば。
「私が望むのは、愛する人の側で生きる事です。
後悔しないように、毎日を大切に生きて行きます。少なくても手に入れたものを大事にします。
限りある生命ならば、望むように生きたい。
私はあの方の側で生きて行きたい」
ルドと共に、生きていきたい。
それが私の唯一の望みだ。




