24.生きていて欲しいから【side ルド】
修道院のリヴィの部屋に通された。
ベッドに横たわるリヴィの姿を見て、これが夢なら良いのに、と思った。
フラフラと、側に寄る。
リヴィは苦しそうな顔でうなされていた。
「リヴィ……」
あれだけ感染しないように、と言っても、病は人を選ばない。
何故街中を駆けずり回っていた俺ではなく、病人を看護していたリヴィが発症する?
何故、俺が好意を持った女性の生命を奪おうとする?
ベッドの側にしゃがみ込み、リヴィの額に乗せている濡れタオルを、近くに汲んで置いてある水桶に浸し絞り、再び額に乗せた。
「……ん…」
うっすらと目を開けたリヴィが、ぼんやりと俺の方向を見ると、眉根を下げて笑った。
「えへへ、熱が出てしまいました……」
か細い声で、申し訳無さそうに苦笑する。
「苦しくないか?」
「は……い、だいじょぶ……」
声を出すのも辛そうに、だが心配をかけまいと笑顔で話すリヴィの姿に泣きそうになった。
「薬は飲んだか?飲んだなら大丈夫だから……」
王都から支援された薬は、数日前に届いた分で患者たちにほぼ行き渡っているはずだ。
だから今、高熱があっても薬さえ飲めば大丈夫。
だが、リヴィの言葉は信じられないものだった。
「ナハトが……、発症しちゃって。
ここにあったのは、それが最後だったの……。
だから、私は飲めてないの……」
ドクン……と、心臓が一際大きな音を立てた。
「でも、大丈夫、私は頑丈だから。心配しないで、ね?」
弱々しく笑うリヴィの姿が、儚く消える幻を見た。
「薬、飲まなきゃだめだ。待ってて、薬……どこかにあるはずだ」
フラフラと部屋を出て、詰所に戻った。
隊長に事情を説明し、まずは医療所に置いてあった薬の在庫を確認する。先日の残りがあるかもしれないと思って。だが。
「……なんてこった……」
医療所は荒らされ、保管庫は破壊されていた。
医師は往診に出て不在のようだった。
「うへぁ、火事場泥棒ってやつですかねぇ」
「ここ以外に薬のある場所は……」
隊長が苦い顔をしながら頭を振った。
「俺のツメが甘かったんだな。不足したらこういう輩が出て来ると想定しなきゃならんだった。警護人置いとくべきだった!クソッ!」
隊長が空っぽの薬の保管庫をガン、と殴った。
足が震える。
リヴィに間近に迫った死を感じて、背中がぞわりと寒くなった。
(なんで、こういう時、俺じゃなくてリヴィなんだよ……)
怒りと絶望でどうにかなりそうだった。
その後、街中を走って薬を探したが、たった一つが見つけられなかった。
「クソッ、王都からの物資はいつ届く!?」
「三日前に来たばかりですから、あと半月は先かと」
「馬がありゃあひとっ走りするんだが」
アミナスに馬を持つ家は少ない。持っているのは裕福な商家や領主様くらいだ。
だが街が閉鎖され、裕福な商家の主は馬車で街の外に避難した。
領主様の馬は売り、そのお金で食料と薬を近隣の街から買い集めている。
だから、今、アミナスの街に馬はいない。
だが、その言葉に俺は光を見出した。
王都からの物資を待つのではなく、取りに行けば良いんだ。
だが薬を持っているのは。
──ふと、思い出した言葉。
『君には世話にもなったし、何か御礼がしたい』
リヴィ──レーヴェの父親である、スタンレイ侯爵の言葉。
スタンレイ侯爵に会えてないのもあるが、まだ御礼を頂いて無い事を思い出した。
だが。
侯爵に頼ると、きっとリヴィは連れ戻されるだろう。
……もう、二度と会えなくなるかもしれない。
けれど、俺の中で選択肢は決まっていた。
「隊長、俺が王都に行きます」
「正気か!?馬も無いんだぞ!?」
「待ってるだけじゃ、リヴィの生命が危ない。走って行けば明後日には着くでしょう。
幸い俺は貴族に伝手があります。だからそこを頼ります」
隊長は戸惑いを隠せないように視線を泳がせる。
反面、俺の気持ちは穏やかだった。
リヴィが生きていてくれるなら、何だってしたかった。
「分かった。準備してやるから、リヴィちゃんに挨拶くらいしとけ」
「……はい」
ちょっとばかり泣き笑いになったのは許してほしい。
再びリヴィの部屋に来ると、リヴィは寝ていた。
「ル……ド…」
彼女の口から自分の名が紡がれる。
掛布からはみ出したリヴィの手をそっと取った。
「リヴィ、大丈夫だ。俺が助けるから待ってて」
優しくゆっくりと言い聞かせるように。
きっとこれが最後になるから。
「ルド……、行かない、で……、そばにいて……」
うなされながらも縋るリヴィの姿に、思わず『行かない、側にいる』と言いそうになる。
でも、それをすれば、リヴィの生命が危ない。
「ごめんね。俺は行くよ。薬を貰いに行ってくる。リヴィを死なせないから」
手に、触れるだけの口付けをすると、リヴィの閉じられた瞼からぽとりと雫が溢れた。
親指の腹でそっと拭い、頬に貼り付いた髪を避ける。
熱くなったその手をそっと掛布の中に入れ、額のタオルを交換すると、俺は立ち上がった。
廊下には心配そうな顔のべハティさんがいた。
リヴィの話によく出て来た先輩で、たまに会った事がある。
「すみません、べハティさん。リヴィをお願いします」
「それは勿論よ。でも……貴方達は……」
べハティさんの言わんとする事を想像して、ここにも、俺たちを応援してくれていた人がいたと知った。
「べハティさん。私はリヴィが生きてくれていたらそれで良いんです。
例えそばに居られなくても、彼女がどこかで生きている。そう思うだけで、幸せになれるから」
その時彼女が笑っているならば、今からやる事が正解だと思える。
彼女を死なせたくない。
もう、失いたくない。
瞳に涙を浮かべたべハティさんは、一度目をきつく閉じて、ゆっくり開いた。
「リヴィの事は任せて。頼んだわよ」
そうして俺は修道院を出た。
「ルド!必要なもんはこん中に入れといた。持ってけ。無理はするなよ」
隊長が準備した荷物を持たせてくれて、ばんっと背中を叩いた。相変わらず力が強いが背骨が折れる心配も無くなった。
それだけ警備隊で鍛えて来た。
体力を付けてきた。
それさえも、今日この時の為なんじゃないかって言ったら貴女は笑うかな。
「行ってきます」
そうして俺は王都を目指す。
走って行けば明後日には着くだろう。
アミナスに来る時はスタンレイ侯爵家の馬に騎乗した。
王太子だった時は馬車だった。
自らの足で行くのは初めてだ。
不思議と疲れは無い。むしろ高揚している。
王都に着いたらスタンレイ侯爵家を目指す。
侯爵は会ってくれるだろうか。
『私にできる事はさせて貰う』
そう言って下さったから、迷わずリヴィを助けて下さいと請う。
薬があれば、リヴィは助かる。
容態が落ち着いたらきっと侯爵が王都に連れて帰るだろう。
そしたらアミナスの修道院にいたリヴィは、レーヴェ・スタンレイ侯爵令嬢に戻る。
リヴィは説得すると言っていたが、死にかけた娘を侯爵は離さないだろう。
それで良いと思った。
リヴィが生きているなら、もうなんだっていい。
──本当なら、俺が幸せにしたかった。
リヴィと二人、慎ましやかに暮らせると、夢を見ていた。
頑張れば、いつかは、なんて、思っていたけれど。
叶わない願いもあると知った。
最後まで足掻くって決めていたけれど、今度ばかりは難しそうだ。
人は必ず別れがやって来る。
アンジェリカとは死で別れた。
それを、知っていたのに。
訪れる事が無い〝いつか〟がある事を、知っていたのに。
道が分かれたなら、潔く身を引こう。
これからは、リヴィ──レーヴェの幸せを祈ろう。
彼女には生きていてほしいから。
リヴィにはもう二度と会えないかもしれない。
今後、彼女以外の誰かを愛する事は無いだろう。
それでも、俺の気持ちは晴れやかだった。




