21.絶望と希望【side ルド】
脇目も振らず無我夢中で駆け出して、振り返ってリヴィの腕を掴んで逃げ出さないように全力で走る。
大通りを抜け、広場を抜け、足がもつれた所で大きな音を立てて転がった。
惨めだ、無様だ。
冷たい地面から放たれる冷気が未来を夢見て浮かれた頭を冷やしていく。
「ぐ……う……ぅううう…………」
枯れた草を掴み、漏れる嗚咽を堪える。
考えなくても分かるだろう。
レーヴェは何も罪を犯していない。
貴族籍のままでもおかしくないんだ。
スタンレイ侯爵は娘思いの方だ。
その幸せを望むのは当たり前だ。
親として、廃嫡を望み平民となった元王族の俺より、安泰な貴族──しかもレーヴェ自身を望んでくれる男の方がいいと思うのは自然な事なのだ。
『王太子殿下の婚約者にならなければ、私が求婚していましたのに』
そう言っていたのは一人では無かった。
あれから五年経過しているとはいえ、レーヴェを想い未だ独身でいる男もいるのだろう。
『市井に下るのは良いですが、先を見通しませんと。自らの稼ぎのみで生活していくのです。
今までは有り余るお金があったので宝石や好きな物を際限なく買えたかもしれませんが、これからはそうはいきません』
フレディ王太子殿下の言葉が甦る。
警備隊の給料では大きな宝石は買えない。
きらびやかなドレスも、望めば何でも手に入る事は無い。
この道を選んだのは私。
「……自分で自分の未来を潰すとか……、救いようが無いな……。……はは…」
いっその事笑えた。
レーヴェを傷付けなければ。
子どもじみた八つ当たりをしなければ。
今頃レーヴェと手を取り合い、共に国を治め、互いに想いやり、支え合い、──跡継ぎも生まれていたかもしれない。
一つ、また一つと、浮かんだ未来が消えて行く。
自らの手で潰してしまったものが、霧散していく。
あまりにも不甲斐ない自分に、己のした事への怒りに、何度も地面を殴りつけた。
血が滲んでも構わなかった。
こんな痛み、レーヴェに付けた傷に比べればどうって事無かった。
ひとしきり昂ぶった感情を出し切ると、気持ちを落ち着かせてから警備隊の詰所に戻った。
深呼吸をして、門を潜る。
「ルド、今帰りか……って、お前どうした、その傷は」
ちょうど近くにいた隊長が、俺の無様な格好を見て駆け寄ってきた。
「すみません、ちょっと、転びました……」
よくよく見ると手だけで無く、膝にも微かに痛みがある気がする。
それに枯れ草や土埃が服に付いていてボロボロだった。
「あー、とりあえず救護室行って手当て受けて来い。話はそれからだ」
「……いいです。治らなくても、別に」
「お前……」
こんな怪我、死ぬ程酷いわけでも無い。
むしろもっと傷付けたかった。
ナイフで抉ったらマシになるだろうか。
──生きてる意味、あるんだろうか。
「いいから行くぞ」
「結構です。治療なんか要りません。放っておいて下さい」
「いい加減にしろっ」
頬に走る鋭い痛み。
何が起きたか気付いた時には、隊長の足元で転がっていて殴られたのだと思った。
「何があったか知らねえけどな、自暴自棄になるのは最後まで足掻いてからにしろ!問題解決に動いても無い奴が格好つけてんじゃねぇぞ!」
地面を睨み付けながら、切れた唇の端を拭う。
何も知らないくせに。
「事情知らないなら黙ってて下さい。足掻いてもどうにもならないから諦めようとしてるんじゃないですか。
どうにもならない理由が自分だから、自棄にもなるでしょう!」
再び湧き起こる怒りで声が荒くなる。
事が終わった後にたら、ればを言ってももう遅い。
あの時、ああしていれば、こうしなければ。
何故、どうして、次々と浮かぶ後悔が侵食していく。
考えてもどうにもならないのに。
時間が巻き戻る事も無いのに。
全てが無かった事に、ならないのに。
「ざまぁねぇな、ルド。どーせリヴィちゃんの事だろうがよ。あんないい子にお前は勿体無ぇな。俺がいい男紹介してやるよ。お前はそこでいじけてろ」
「リヴィ……レーヴェは貴族ですよ。しかも侯爵家、高位貴族だ。平民なんか相手にするわけないじゃないですか。
実家に帰れば彼女を愛する男からの釣書が山のように届いてるでしょう。その中から」
「お前がリヴィちゃんを侮辱するな」
隊長から胸ぐらをつかまれる。
その表情は憤怒が宿っていた。
「お前リヴィちゃんの何を見てんだよ。あの子が貴族だの平民だので選ぶような女に見えてんならお前の目は飾りだよ。
誰でも平等に優しい子だろうがよ」
隊長の言葉に目を見開いた。
『婚約者様はとてもお優しくていらっしゃいました』
『いつも礼を欠かさず言って下さいました』
『仲裁する時も双方の意見に耳を傾ける方でした』
『あの方が妃殿下になられるのを楽しみにしておりました』
王太子の婚約者としていた時から、分け隔て無く接していた。
修道院でも子どもたちに慕われて、街の人に慕われて。
『ありがとう、ルド』
何の輝きも無い飾り石が付いたネックレスを嬉しそうにして。
『私は今のままでいたい。ルドと居たい。このまま、ここに居たいよ……』
何の肩書きも無い俺と居たいと言ってくれた。
『ルドも鎮魂祭で、アンジェリカ様の為に花を捧げたらいいんじゃないかな、と思って』
嫌いな人なのに、冥福を祈って。
優しくて、お人好しで、いつも笑顔で、困った人を見捨てない、誰しも平等に接してくれるリヴィ──レーヴェ。
「リヴィちゃんが何でお前を選んでんのか分かんねえよ。だがな!
リヴィちゃんが選んだのはお前なんだよ!腐ってんじゃねぇ!
周りの人間が『選んだのがルドで良かったな』って言えるくらいの男になれよ!」
隊長の言葉で曇っていた視界が晴れて行く。
そうだよ。
リヴィ──レーヴェはずっと俺を選んでくれていた。
いつも笑ってくれていた。
嫌いな男を嫌いと言える強さも持っている。
要らないなら要らないと、言える強さも。
ならば。
リヴィに要らないと言われるまで、足掻いてみてもいいだろうか。
「……隊長、すみません。俺が一番リヴィを侮ってました。
俺以上にいい男は沢山居ます。それでも、選んでくれるなら、結果がどうなろうと足掻いてもいいですかね……」
情けなさと惨めさと悔しさと不甲斐なさで涙が滲む。
じくじくと、手と膝が痛みだす。
まるで今、息を吹き返したかのように。
「リヴィちゃんに振られたら警備隊のみんなで慰めてやるよ。娼館にもつれてってやる」
隊長はニヤリと笑い、目線を周りにやった。
いつの間にか集まって来ていた警備隊のみんなが頷いたり溜息を吐いたり、拳を突き出したり。
廃嫡されて、色んなものがこの手から溢れたけれど。
残ったものや拾えたものもあるのだと気付かされた。
「ありがとうございます……。娼館以外でお願いします」
「失恋には新しい女だぞ?まあ、娼館で恋人は無理かもしれんが」
「そういうのは、好きな女性とがいいので」
そう言うと隊長は目を丸くして、豪快に笑った。
背中をバシバシ叩いてくるから痛い。
「ハッハッハッハッ、乙女かお前は!」
「好きな女性以外抱きたいとは思いません。今までも、これからも」
「え゛っ、まさか、お前」
周りが「まさか!」「そんな!」「ありえん!」とざわざわ騒ぎ出す。
「ノーコメントです!救護室行って来ます!」
「待て、ルド!」
周りや隊長を無視して救護室に向かった。
明日、昼休憩でリヴィに会いに行こう。
土下座して、謝罪して。
話し合って、それでダメならその時別の道を考えよう。
本音はもう離したくない。
側にいたいから。
足掻いて、藻掻いて、最後まで、諦めずに。
リヴィが願うなら、何でもできる気がしたんだ。




