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2.想いの反比例【side 王太子】

 

 ずっと、死んでいた私の息を吹き返してくれたのは新たに婚約した彼女だった。


 己の内に抱えた持って行き場の無かった苦しみを笑顔で聞いてくれて「忘れなくて良いのです」と言ってくれる度、あれだけ忘れられなかったアンジェリカの事が一つずつ思い出に変わっていった。


 周りは「早く忘れろ」と言っていたが、婚約者だけは「忘れなくても良いのです」と、いつも笑顔で言ってくれた。


 苦しみをぶつけても、いつも笑顔で。

 愛する事はないと酷い事を言っても笑顔で。

 皮肉を言っても笑顔だった。


 なぜだ。

 なぜそんなにも笑顔でいられる。



「生きているのがお前ではなくアンジェリカであったなら」



 こんな人でなしな言葉をぶつけてもなお笑顔でいる彼女。


 いつしか彼女のその笑顔に癒やされている事に気付いては、自分は生きている事を実感した。


「殿下はそのままで良いのです。愛する方を忘れるなんて、できませんから」


 違うんだ。

 貴女に出逢えて、私の世界が色付いてきたんだ。


 その時、本当は生きたいのだと。

 ただ、思い出の中に生きるのではなく、未来を生きたいのだと、思ったんだ。


 思えば初めての顔合わせの時、貴女に出逢えた私の胸は高鳴り、頬を薔薇色に染めながらじっとその瞳を見つめていた。


 煌めく瞳も、さらりと流れる髪も、血色の良いくちびるも、全てが好ましく色鮮やかに映ったのだ。


 己の胸の高鳴りをたしなめるように手を当て、薄く微笑み、貴女の姿を見て一つ頷いた。


 自分の中にいるアンジェリカの面影が薄くなる気がして怖かった。

 だから、ずっと。

 辛く当たっていたのに。


 貴女はいつも私を包み込むように優しく微笑んでいた。



 そんな貴女に惹かれていったのだ。

 亡くなった人を愛し続けるなど、私にはできなかった。

 アンジェリカに対する裏切りだと思った。

 けれど、私は生きている。

 これからも生きたいのだ。

 願わくば愛し愛され、支え合える女性に触れ温もりを享受したい。


 アンジェリカではない女性と共にありたいと願ってしまった。


 それに気付いたらこの想いを伝えたくてたまらなくなった。

 早く夜が明けないかと、目が冴えてなかなか寝付けなかった。


 早く貴女に逢いたい。

 逢って……


 今までの非礼を詫びて、貴女に愛を伝えたい。

 そしてこれから貴女を大切にすると。




「殿下、陛下がお呼びです……」





 早く、貴女に愛していると、伝えなければ。




 ──だが。



「は……、父上、今、何……と……」


 国王である父から告げられたのは、婚約者の彼女との婚約が解消されたというものだった。


 うまく、事態が呑み込めない。

 侍従が呼びに来たとき、浮かない表情をしていたのはこの事に気付いていたから……?


「お前がアンジェリカ・ブラックリー嬢を未だに深く想っているとは知らなかったんだ。……許せ」


 父上は悲痛な顔をしている。

 周りを見渡せば婚約者の父親もいた。彼は無表情に目を伏せている。


「生涯ブラックリー嬢だけを愛したいお前の気持ちを無視してすまなかった。私が……息子の気持ちを尊重しなかったから……

 罪もない令嬢の人生を、奪ってしまった……」


「陛下が気に病む事はありません。

 娘が望んだ事でした。ですが……、これ以上は申し訳ございません。我が侯爵家は婚約を辞退させて頂きます」


 恭しく一礼した侯爵の言葉を即座に理解することは俺にはできなかった。


(なん……なん、で、何で、婚約……辞退……?)


「侯爵……スタンレイ侯爵、お待ち下さい。何故です……」


 鼓動が胸焼けしそうなくらい苦しく重く響く。

 喉奥が焼け付くようにひりついて、言葉を上手く紡げない。


「彼女は……、っ……、彼女、とは、うまく……いってた、っく、はず、です……」


 いつも微笑んで、全てを許してくれるかのように優しく。

 どうして。どうして、どうして、どうして。


 頭の中のどこかで理由は分かっているのに、肯定したくない自分がいる。


 スタンレイ侯爵は私に視線をやり、そっと目を伏せた。


「娘は……心を病み、修道院へ行く事になりました」


「なぜっ……」

「娘は……、自害しようとしていました」


 ヒュ、と思わず息を吸い込んだ。

 じ、害……なんて、そんな、そんな……と、ばくばくと鳴る胸を押さえる。たらりと、額から汗が伝う。


「王太子殿下。元々貴方はブラックリー令嬢以外を愛する事は無いと宣言なさっていた。

 それでも良いと手を挙げたのは娘です。

 愛されずとも良いと言いながら殿下の婚約者となり、実際に愛されなかったからと心を病むのでは、王太子殿下の婚約者として相応しくありません」


 違う。それは違う。彼女は良くやってくれていた。本来ならば数年かけてやる教育も必死に勉強して、寝る間も惜しみ励んでいると教師も褒めていた。

 それだけでなく慈善活動も、社交も積極的に行い、私の地位を、次代を盤石にしようと動いてくれていると報告もあった。

 そう、言いたいのに私の口から言葉が出ない。


「侯爵……ちがう、すまない、彼女が悪いわけではない……違うんだ……すまない、私が悪いんだ」


 しきりに頭を振りながら、許しを乞うように絞り出す。

 額から汗が吹き出し、顎から滑り落ちる。


 そんな常ならぬ私の様子に、侯爵は訝しげな目線を投げている。だがその目を見る事ができない。


「お前が悪いとは、どういう事だ」


 父上の低い声が響き、肩がびくりと跳ねた。

 乾いた口に残ったなけなしの唾を飲み込み、口を開く。


「ずっと……、婚約者、に甘えて、彼女が笑ってくれているのをいい事に、酷い言葉を、ぶつけていました」


 足が震える。唇が冷たくなる。

 それなのに顔は熱く汗が落ちる。


「それは、どのような言葉だ?」


 父上の声が胸を刺す。

 ばくばくと鳴る鼓動を窘めるように胸を押さえた。

 ぎりぎりと痛んで苦しい。


「ずっと、……アンジェリカと、比べ

 アンジェリカなら良かった、アンジェリカの方が優れていた、共にあるのがアンジェリカなら、湖に一緒に行った時も……アンジェリカは、と……、それから」


 険しくなっていく父上の顔。

 眉間に皺を寄せるスタンレイ侯爵。


 自分の言った言葉を思い出し、唇は震え吐きそうになるが逃げるわけにはいかなかった。

 己の拳をきつく握り締める。鋭く痛みを感じるが──婚約者はこれ以上の痛みを感じた筈だ。


「生きているのがそなたではなくアンジェリカであったなら、と」


 その言葉に父上も侯爵も目を見開いた。

 おぞましいものを見るような目は、私に対する軽蔑が含まれている。


「そ、んな……言葉を、娘に……。

 殿下は、娘を何だとお思いで……?」


「申し訳ない。すまない、侯爵、すまない……」


 私は床に額を擦り付けるようにして土下座した。

 怒りを抑える侯爵の声は震えていて、きつく握り締めた拳は行き場を求めているようだった。


「お前がブラックリー嬢に深い愛情を持っていたのは分かっていた。傷心のお前にもっと寄り添うべきであった。無理矢理婚約を推し進めた私の責任だな……」


 その言葉に反射的に顔を上げる。

 父上は項垂れるように目を伏せゆっくりと頭を振った。


「違います!私が、私が愚かでした!

 彼女が何も言わないのをいい事に尊厳を傷付け続けた……私が、悪いのです……」


 私が、誰にも理解されない想いを彼女に八つ当たりしてしまった。

 早く忘れろ、今の婚約者を見ろ、そう言われて腹を立て、全てを受け入れてくれる彼女に鬱憤をぶつけていたのだ。


「殿下。娘を傷付けて、貴方は何も思われませんでしたか……」


 スタンレイ侯爵は長く溜息を吐き、悲しげな目を私に向けた。


「わた……しは…」


「心に付いた傷は、見えません。本人すら気付かない事もあります。

 ですが、確実に人としての何もかもを奪ってしまう。尊厳も、生きる気力さえも」


 侯爵の言葉が私の胸を抉っていく。

 それは私がした事への報いだ。

 私の言葉は婚約者の心を傷付けた。笑顔の下は血の涙で濡れているのに見て見ぬ振りをした。


「すまない……、侯爵、彼女に、っ……彼女に、謝りたい。本当は、貴女を愛していると伝えたいのだ」


 スタンレイ侯爵は私をじっと見る。

 暫しの沈黙が流れ、侯爵は口を開いた。



「殿下は、娘の名前をご存知でしょうか?」


「は……?」


 それは私をバカにしているような質問だと思った。

 だから私はカッとして、婚約者の名前を口にしようとして──止まった。

 口を開くが言葉が出ない。

 思考を巡らせるが頭の中は真っ白だ。


 私が婚約者を呼ぶ時は。


『お前』


 私は今まで、婚約者の名を口にした事は無かった。

 アンジェリカの名前は意識的に出してきたのに。

 忘れないように、新たな女性に惹かれないように、と、毎日口にして。



「あ……」


 婚約者の名前が出て来ない。

 頭文字はおろか、文字数すら出て来ない。


「あ……」


 そして、私も彼女から名前を呼ばれた事が無い。

 呼ばれる筈が無いのだ。

 教えてさえもいないのだから。


「殿下は娘を婚約者どころか、生きる者としてお認めでは無かったようですね。そんな方が語る愛など、誰が信じられましょう」


 侯爵は心底失望したと言うように目線を落とした。

 私は床に座り込んだまま暫く動けなかった。




 侯爵が帰ったあと、私は自室で謹慎するように言われて下がった。


「お前は知っていたか?私の婚約者の名を」


 側に控えていた侍従に問い掛ける。


「勿論でございます。貴き方ゆえお呼びする事は叶いませんが、殿下の婚約者の方の名前を覚えるのは当然の事ですから」


 護衛、侍女、メイドに至るまでその名を知らぬ者はいなかった。

 私だけ。

 私だけ、知らなかった。認識していなかった。

 姿形さえアンジェリカと重ねてまともに見ていなかった。

 それに気付いた時、「愛している」と宣った自分の言葉が滑稽に思えた。

 何が愛しているだ。

 彼女の名前すらろくに知らなかった癖に。

 ただ、八つ当たりしたいだけの為に彼女の心を引き裂いて溜飲を下げていただけの自分に反吐が出る。


「ああああああああ…………」


 こんな己が愛を語る資格などない。

 アンジェリカに対しても、彼女に対しても失礼だ。


 今はアンジェリカしか愛せなくても、せめて個を尊重し大切にすべきだった。

 永の時を共に歩むなら、その想いも、いつかは穏やかに変わったかもしれないのに。


 生きていれば、常に変化していくのに。



『私は貴方をお慕いしております』



 柔らかに微笑む彼女を思い出し、胸を掻き毟る。

 その笑顔が歪んで、粉々に砕け散る。

 それは自ら壊したもの、自らが踏み躙ったもの。


 身体の傷のように見えるなら止まれたのだろうか。

 彼女が笑顔を歪ませたなら気付けたのだろうか。


 ──否。


 私は愚かだからきっと気付かない。



 もう二度と戻らない彼女を想っては漏れる嗚咽を止める術すら、私は知らない。


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