18.変わりゆくもの【side リヴィ】
ルドに気持ちを伝えて、一週間が経過した。
「最近寒くなってきたわねぇ」
べハティは買い物から帰って来て荷物をテーブルに置くと、冷たくなった手に、はーっと息をかけた。
「お帰り、べハティ。お疲れ様」
「ただいまぁ!」
べハティが買ってきた野菜や果物を袋から出してカゴに入れる。
「今日も輝いてますねぇ、リヴィさん」
べハティがにやにやしながら私の胸元を指す。
鎮魂祭でルドから貰ったネックレスはあれから肌身はなさず身に付けている。
その事にルドも気付いて嬉しそうに笑ってくれるのにまた私も嬉しくなる。
『似合ってる。贈って良かった。ありがとう』
何度もお礼を言われて、「私こそありがとう」ってお礼の言い合いになって。
おかしくなって二人で笑い合うのがまた楽しい。
とはいえ、相変わらずルドと会えるのは昼休憩の時だけ。
夜は修道院が閉まる為、出掛けられないのだ。
「そろそろ本格的にここを出ちゃうのかな」
寂しそうに呟いたべハティの言葉にどきりとした。
夜もルドと会おうと思うなら、やはりここを出て働いて家を借りなければならない。
「どこか良い所があれば、働いてみたいな」
元々修道院は身寄りが無い女性の為の場所だ。
貴族からの寄付やバザーの売り上げが主な活動資金で、ここプリエール修道院は孤児院と教会も併設している。
だから、目的や行く場所を見つけたら退所するのだけれど。
「リヴィなら何でもできるよ。読み書きできるし、頭も良いし、引っ張りだこだね」
「だといいなぁ」
「大丈夫だよ。応援してるね」
べハティの優しい言葉に、勇気が湧いてくる。
「ありがとう、べハティ」
今の私なら何でもできそうな気がした。
「そんなわけで、そろそろここを出て働こうかな、と思って」
いつものようにお昼休憩に来たルドに話すと、ルドは言葉を失って呆然としていた。
「……ルド?」
「あ、ああ、うん。リヴィならどこでも行けそうな気がする」
「ふふっ、べハティにも言われたわ」
「そうか。うん。頑張れ、リヴィ」
「ありがとう」
ルドからも応援されて、ますますやる気が出てきた。
ルドは久し振りに兜の口元を開けようとする仕草をして止まり、照れたように昼食を食べだす。
あれから随分と時間が経つのに、無意識に出たその仕草に気まずくなったのかそっぽを向いて食べ始めた。
それが何だかおかしくて。
この何気ない日常が嬉しくて。
私は声を出して笑ってしまうのだ。
「リヴィの前では格好つかなくて笑える」
「ふふっ、私は面白くていいんだけどな」
「男は好きな女性の前では格好つけたい生き物なんだ」
「そんなものですか?」
「ああ。良く見せて、自分を選んでもらいたいんだ」
「そうなんですね。……でも、ちょっとくらい弱音を吐いてもいいですよ?」
「リヴィに弱音を吐くと甘えて益々好きになるから今はやめとく」
「そ、そう…ですか」
「そ、そうだ……」
さらりと流れた言葉に二人で照れてしまい、俯いた。
顔が熱くなってくる。
以前より少しだけ縮んだルドとの距離につい顔が緩んでしまう。
貴族であった頃は感情を殺していた。
特に王太子の婚約者だった時は常に微笑み、隙を見せないように、侮られないようにと教育がなされていた。
今では考えられない。
嬉しい時は笑ってしまうし悲しい時は泣いてしまう。
それは新鮮で、自分らしくいられる事が楽しい。
「じゃあ、また来る」
「じゃあ、また、ね」
修道院の門の前で、ルドと別れる。
自然と繋いでいた手に、そっと、触れるだけの口付けをされ、また、顔が熱くなってしまった。
ゆっくりとルドが離れて行く。
何度も振り返りながら。
私も手を振って、今すぐにでも駆け出したい衝動を必死に押さえた。
やがてその姿が見えなくなって、手を降ろす。
(本格的に働ける場所を探そう)
そう決意して、修道院の中へ入ろうとした時。
「レーヴェ」
私の本当の名前を呼ぶ声に振り向くと。
そこには複雑そうな顔をした両親が立っていた。
「お父様、お母様、いらっしゃいませ」
「レーヴェ……。──っ、ああ、久し振りだな」
声を掛けると、両親は戸惑ったように返事をした。
不意に木々がざわめく風が吹いた。
「寒いから、どうぞ中へお入りになって」
「ああ、ありがとう」
戸惑いの表情のまま、両親を中へ案内した。
修道院の客室に案内し、腰掛けた二人にお茶を出す。
五年もいれば手慣れたものだ。
「美味しいわ……」
貴族からしたら安物の葉っぱで淹れているけれど、お母様はいつも褒めて下さった。
それに嬉しくなって思わず顔が緩んでしまう。
最近の私は本当に緩くなっていけない。
でもルドから言われた『自分に正直で良い』という言葉を思い出してまたにやけてしまう。
そんな私のひとり芝居を見て、お父様が口を開いた。
「レーヴェ、そろそろ戻って来ないか?」
「戻る……?」
その発せられた言葉に戸惑った。
戻る、って、どこに……?
「お前はまだ侯爵家の籍に入っている。
五年前は表情も無くなっていたが、今はまた戻って来た。
お前を……待ってくれてる方もいるんだ。
レーヴェが社交界に戻りたいと言うならば、私も協力しよう」
その言葉を理解して、私は押し黙ってしまった。
両親が社交界への復帰を望んでいるなんて思わなかったから。
「無理にとは言わない。だが、このまま修道院にいるわけにもいかないだろう?」
「それについてはお父様、私は働ける場所を探して自立しようと思います」
私が望みを言うと、お父様は目を見開いた。
「それは……。平民の給料は……お前が暮らしていける程あるのか?」
「まだ分かりません。が、私一人分くらいは働けば何とかなるんじゃないかって」
お給料や家賃の相場は分からないけれど、でも探せば住み込みだってあるかもしれない。
ルドも寮付きの職場だし。
「……だめだ。レーヴェ、帰っておいで」
お父様の悲しげな顔を見て、どきりとした。
「縁談も……、ずっとお前を望んで下さる方がいるんだ。伯爵だが、誠実な方だ」
「お父様、私は、ルドが……」
「彼は廃嫡された元王族だ。何かに利用されないとも限らない。狙われるかもしれない」
ひゅっ、と息が漏れた。
廃嫡された元王太子。
その利用価値は無限大だ。
今はルドの跡を引き継いだ王太子殿下がいらっしゃって、お子様も産まれたと聞く。
安泰だけれど、もし、何かあったら。
途端に怖くなって服をぎゅっと掴んだ。
ルドと離れるなんて考えたくない。
でも、現実的な話をされると何も言えなかった。
「……今すぐには決断できないだろう。だが考えておいてくれ」
お父様の言葉が、私の中にずっと残っていた。
貴族籍が残ったままだという事にまず驚いた。
縁談が来ているというのにも。
ルドが危うい存在だという事や、ここを離れなければならないのか、と思考がぐるぐる回っている。
お父様たちには沢山迷惑をかけた。
このまま侯爵家に帰り、私を望む方と結婚して、子を設け、嫁ぎ先の家を盛り立てていく……事を望まれているのだろう。
──それに、危険から遠ざけたいと思っているのかもしれない。
本来ならば帰るべきだと。それは貴族として産まれた私の使命だ。
服をきつく握り締める。
〝嫌だ〟
そう思ってしまった。
一連の流れが嫌なのではない。
ルドと離れたくない。嫌だ。
こんな時こそ逢いたいのに。今すぐ不安を消してほしいのに。
その日の夜は、眠れなかった。
「リヴィ」
お昼の休憩をこんなに待ち侘びた日も無いかもしれない。
肌寒くなってきたので修道院の片隅で待っていると、いつものようにルドが私を見て声を掛けて、それにホッとした。
「何か、あったのか?」
半ば縋るようにルドを見てしまった為か、心配そうに見て来る。
何も言わず俯いてしまった私の隣に一人分の隙間を空けてルドは腰掛けた。
「俺で良ければ話を聞くよ」
優しい声音に、目頭が潤んでくる。
どうしたらいい?
「私は……まだ、貴族だったの……」
ルドがぴくりと止まった。
私たちの間に、あとどれくらいの壁があるんだろう、とぼんやりと思ってしまった。




