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1.想いの反比例【side 婚約者令嬢】

 

 私は、理解していませんでした。

 私は、軽く考えていました。


 私は──


 私には、覚悟が足りませんでした。




「私が生涯を通して愛するのは、亡くなったアンジェリカただ一人だ。

 この先貴女を愛する事は無いだろう。それでも良いのか?」


 初めての顔合わせの時、あなたに出逢えた私の胸は高鳴り、頬を薔薇色に染めながらじっとその瞳を見つめていました。


 煌めく瞳も、さらりと流れる髪も、血色の良いくちびるも、全てが好ましく色鮮やかに映ったのです。


「構いません。この縁談は私が望んだこと。……私は貴方をお慕いしております」


 己の胸の高鳴りをたしなめるように手を当て、薄く微笑みます。

 その姿を見たあなたは、軽く頷きました。


「貴女とは政略結婚だ。対外的な義務は果たす。だが会話や触れ合いは必要最低限だ。

 ……本当ならば、アンジェリカ以外触れたくなど無いのだがな……」


 どこか遠くを見つめるあなたは、私ではない方を想っているのでしょう。

 けれども、結婚するのは私です。


 だから、大丈夫だと。


 今は愛する人が別にいても、いつかは私を見てくれるのだと。

 この時の私は愚かにも、そう、思ってしまったのです。


 それが、私を破滅へ導くとは知らずに。





 初めて貴方をお見かけしたのは、デビュタントの夜会でした。

 王族席に座る貴方は、婚約者であるアンジェリカ様をそれは愛おしげに見つめ優しくエスコートされていました。

 お二人は比翼の鳥のように自然で、私はしばし見惚れていました。

 互いを思いやり、愛し合う二人。

 王太子殿下とその婚約者。

 ああ、一臣下としてこのお二人を支えていきたいと、そう思ったものでした。



 ですが、お二人に不幸な出来事が起きてしまいました。



 流行り病で、王太子殿下の婚約者であったアンジェリカ様が儚くなられたのです。


 それは突然の事で、王太子殿下はとても深く悲しまれたと両親から聞きました。


 曰く。

 アンジェリカ様の棺を抱き、いつまでも離れずにいたと。

 曰く。

 鎮魂の祈りが終わり、棺を埋める時になっても殿下の慟哭は止まなかったのだと。

 曰く。

 棺が埋められ墓石に代わっても、その場をお離れにならなかったのだと。


 人伝に聞く話だけでもその悲しみが伝わってくるようでした。


 私は殿下の悲しみが一日でも早く癒やされるように祈りました。

 ですが、時として残酷な現実が殿下に襲い掛かってしまいました。


 国王陛下のひと粒種である殿下は、悲しみに暮れている暇は無く次の婚約者を見繕わねばなりません。

 誰しもが嫌がりました。

 なぜならば。


『私は生涯アンジェリカ唯一人を愛する。

 仕方なく迎える妃を決して愛する事は無い。

 飾りで良いならその覚悟を持って来るが良い』


 殿下がそう、宣言なさったからです。


 その時の国王陛下は卒倒寸前でした。心労はいかばかりだったでしょう。

 いくら貴族の結婚が愛の無い政略結婚が主だとしても、最初から向き合えない相手と割り切ったものなど誰が望みましょう?

 ましてや子作りもしなくてはなりません。

 想いの通い合わない相手と行為をするなど、苦痛と虚しさを伴うものでしょう。

 そして王妃ともなれば心身共に負担も大きい。


 最初から支え合う気が無い夫など、誰が選びましょうか。


 相手が生きているならば、「そちらに行っては?」と割り切るなり、嫌がらせの一つでもすれば胸がすく思いもできましょう。

 ──ですが、割り切ることも嫌がらせをする事もできません。相手は亡くなった女性。

 比べようがなく、……ともすれば最初から勝てない相手なのです。

 更に王妃ともなれば、醜聞を避ける為男妾を置く事もままなりません。国王以外の種を宿すなど以ての外なのです。


 そもそも殿下は閨をなさらないかもしれませんが。



「お前はいつも笑っているな」


「ええ。……王家に嫁ぐ者としての心得でございます」


「ふん。だがお前の笑みは貼り付けたような薄気味悪さがあるな。アンジェリカならば私といる時くらいは自然な笑みを浮かべ、それは愛らしかった」


「……申し訳ございません」


 それでも私は笑みを絶やす事などできません。

 貴方を見ているだけで私は幸せになれるのです。

 私の目に映る貴方は、とても輝いてらっしゃいます。

 貴方が生きていることが、私は何よりも嬉しいのです。


 だから、私は貴方を見ているだけで笑みが溢れるのです。


 例え、貴方が、亡くなった方の話ばかりしていても。




「今度王家所有の湖に遠出する」


「さようでございますか」


「父上がお前も連れて行けと仰せだ。仕方ないから連れて行ってやる。……ああ、アンジェリカなら言われずとも喜んで連れて行ったのだがな」


「ありがとうございます……」


 私はこの時、喜びが抑えきれず胸に手を当て何度も自分自身を窘めました。

 貴方が私を誘ってくれた。

 それだけで私の胸は高鳴り、喜びが増すのです。

 我ながら簡単な女だと笑ってしまいます。

 ですが、貴方が気に掛けて下さったのがとても嬉しいのです。


 それだけで


「アンジェリカとも行ったことがある場所なんだ。あの時は──」




 私の胸は、ドクンドクンと、音を立ててしまうのです。





「ここは変わらないな。お前もそう思うだろう?」


「……え……?」


 笑顔で振り向いた貴方は、私の顔を見た瞬間表情を落としてしまいました。

 そして溜息を吐いて。


「お前はアンジェリカではなかったな……」


 そう言って、再び湖面に視線を戻されました。


 初めて見る綺麗な湖面にしばし見惚れていた私でしたが、水の中に自分が吸い込まれそうな気がして慌てて身を引き締めました。


 私が、アンジェリカ様だったら良かったのでしょうか。

 小さな疑問は、私の胸にチクリと小さな棘となって残りました。


「この花、アンジェリカが好きだった花だ」


 私はその花が一瞬にして嫌いになりました。

 今までは何の変哲も無い野の花でした。

 ですが、壊れものを扱うように優しく、愛しい女性を想う様なその瞳は、私が焦がれてやまないもの。

 野の花でさえそのように向けられるのに、私には遠くを見るような虚ろな目線だけでした。


「お前は……、………いや、何でもない」


 何かを言い掛けて、止めました。


 その間、私は湖に吸い込まれたらどうなるだろう?という思考で埋め尽くされていました。



 後日、王太子妃教育の帰りに、国王陛下にお会いしました。


「王太子妃教育はどうだ?」


「はい、滞りなく順調でございます」


「そうか……。……息子の様子はどうだ?」


「息子……?……どう、とは?」


「そなたに失礼な事は言っていないか?

 ちゃんと、そなたを見ているか?」


 私は国王陛下のおっしゃる意味がよく分かりませんでした。

 殿下は私を見て下さっています。

 殿下の瞳に私は映っています。

 殿下の瞳の中に映る私は幸せなのです。


「私は幸せでございます。私は……幸せでございます。私は……」


 私は、幸せ、なのです。

(ホントウニ?)

 幸せで、ある、はずなのです。

(ホントウニ?)

 私は、愛する人の妃に、なるのです。

(ソレハ)

 私は……、殿下の、婚約者、なのです。

(アンジェリカサマデハナイノニ)


 私が薄く微笑むと、陛下は青褪めた表情をなさいました。


「それなら……良いのだ」


 陛下は力無くお言葉を返され、その場を後にされました。

 私も頭を下げ、辞去します。



 そのすぐ後に、殿下にお会いしました。呼び止められたのでお話し致しました。


「王太子妃教育、頑張っているそうだな」


「勿体無きお言葉にございます」


「……アンジェリカはもっと頑張っていた」



 ぱりん。




 その時、私のなかで、何かが割れた音がしました。


「お前はもう帰るのか?アンジェリカは教育が終わると必ず私の元へやって来て、手ずからお茶を淹れてくれていたんだ」


 ぐしゃりと、割れたものが荒らされた気がしました。


「将来の事を話し合って、様々に意見を交換した。アンジェリカとは見ている未来像が同じだったからね。……あの頃に戻りたい」


「さようで……ございますね……」


 私は矜持を振り絞り、笑みを絶やしませんでした。

 そんな私を、殿下は愉悦を含めた表情で見ていました。



「ああ、なんで───────────」




 その後の殿下の言葉は覚えていません。

 気付けば私は、自室のソファに抜け殻のように座っていました。


 私は自室を見回します。


 何か、何か無いかしら。


 私を幸せに導くもの。私に望むものを与えてくれるもの。


 ──ああ、ありました。


 私は壁際の棚に向かいます。

 そこに飾られたものを落とすと、ほら、できましたわ。

 こんなに簡単に作れてしまうのです。


 私は欠片を拾いました。

 これは私を幸せに導く希望の欠片。

 落としたものに目をやれば、無惨な姿をしていました。


 まるで私の心のようで、なんだか笑えてきました。


 ねえ殿下。

 私は気付いてしまったのです。

 私はアンジェリカ様には勝てないのです。

 だって生きているんですもの。

 亡くなったアンジェリカ様は貴方の思い出の中にいつまでも綺麗に鮮やかに色付き、笑っているのでしょう。


 対して私は生きていて、ずっと殿下から紡がれるアンジェリカ様への想いを聞くたびに自身の愚かさを見せつけられ、真っ黒に穢れていったのです。


 亡くなった方には勝てません。

 思い出の中の方には、……私は勝てませんでした。


 亡くなった方を愛する貴方を、愛し続ける事は私にはできませんでした。

 なんと愚かなのでしょう。

 私は貴方と出逢い、恋に落ち、浮かれてしまっていたのです。


『私が生涯を通して愛するのは、亡くなったアンジェリカただ一人だ。

 この先貴女を愛する事は無いだろう。それでも良いのか?』


 貴方は私の意思を先に確認して下さいました。

 飾りでも良いと、願ったのは私なのに。


 亡くなった方を愛し続けて良いなんて綺麗ごとを口にしながら、本心では貴方の愛を求めていた浅ましい私。

 だって、相手はもういないのです。

 私は生きている。貴方も生きている。

 生きている者同士、未来があるのです。


 アンジェリカ様には未来はありません。望めるはずが無いのです。

 だから、私は。

 口では綺麗ごとを言いながら、勝った気でいたのです。


 そんな自分が醜くてたまりませんでした。

 苦しくて、ずっと自分自身が汚れていくようでした。


 ですが、それはもう終わりにします。



 私は壊れた欠片を振りかぶりました。



「やめなさい、レーヴェ!!」


 それは私の胸に到達する前に止められてしまいました。


「お父……様……」


 カシャン、と手に握っていた欠片が音を立てて落ちました。


「陛下からお前の様子がおかしいと伺って帰宅したんだ。帰って来て良かった……」


 お父様はそう言って私を抱き締めました。

 それがとても温かく、私は冷えきった身体が温かくなるような気がしました。

 雪が溶けて水になり、川に流れていくように、私の双眸から涙が溢れます。


「お父……様……、申し訳ございません、お父様。

 私には覚悟が足りませんでした。

 私は浅ましくもあの方の愛を欲してしまいました。とても醜い女に成り下がってしまったのです。

 私には……

 亡くなった方を愛する方を、愛し続ける事はできませんでした……」


 堰を切った様に次から次へと溢れる涙を止める術を、私は知りません。

 けれども、それは私の心の中にある醜いものを全て押し出し、洗い流してくれるような気もしました。


「よい、気にするな。大丈夫だ。

 愛する人から愛されたいと思うのは自然な事だ。自分を恥じる事はないんだ」


「婚約を……解消したいです……。

 修道院に行きます……。もう、苦しいのは……いやなのです」


 お父様はいっそう、抱き締める力を込めました。


「分かった。大丈夫だ。お前の悪いようにはしない。大丈夫だ……」



 ごめんなさい。

 私は貴方を幸せにはできません。


 だって、私は、アンジェリカ様ではなく



 レーヴェなのです──。


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