1-2 ウサギの“人”助け
アイリスに手を引かれて俺達は屋敷まで歩いて行った。道中、俺のことについて尋ねてきた。以前住んでいた場所とか、死ぬまでの間何をしていたのか…とか色々なことだ(まぁほとんど話半分に聞いていたんだろうが)。学校を出て働かずに親の脛をかじっていたと言うと、アイリスは『では、ユージンはきっと高い身分の家柄だったのでしょう?』とポジティブに捉えてくれた。泣きそう。
屋敷は庭園から歩いて10分もかからない場所にあった。あの凸凹メイドたちは何時間も一体何をしていたんだか…。夕焼けに照らされたその外観は古めかしい大きな洋館という感じだ。こちらから見て前方にはズッシリとした門があり、周りにはやけに頑丈そうな壁があって衛兵が何人かいる。王家ともなるとやっぱスゲー重装備の家に住んでんだなあ。でも王族が住む家にしてはやけに小さいような…。
「ここが我が家です。私とあと数人の使用人しか暮らしていませんの。お客様を呼ぶのはあなたが初めてですのよ」
お姫様が一人暮らし?それって寂しい…というか、なんか変だな。上流階級特有の昼ドラチックな問題でもあるんだろう。詮索しないでおこう。ジョフリーが手を挙げて門衛に合図を送ると、頑丈そうな門が開いた。門が開くとあのメイドたちが不安そうに話していた。こちらを見て、チビのエーラが叫んだ。
「あっあっあーっ!!いたーっ!」
「うひっ」
俺はとっさにアイリスの後ろに隠れた。ジョフリーがやれやれといった表情でメイドたちをなだめた。
「カレン、エーラ。落ち着け。ところでこのウサギ殿を縄で縛ったのはお前たちか?」
ノッポのカレンが答えた。
「は…はい、おっしゃる通りですわジョフリー様。そこの魔物が急に庭に現れて私たちを襲おうとしたんです!それでエーラと一緒に叩きのめして縛り上げたんです。それでどうしたら良いかわからなくてジョフリー様を呼びに行ったら屋敷に居なかったものですから…」
「俺は襲ってない!」
「黙ってろ、あー、このウサギ殿は魔物ではない。僕が保証するよ」
ジョフリーの言葉で2人の緊張がほぐれたようだった。
「それよりもウサギ殿は体が汚れている。風呂に入れて差し上げろ」
「かしこまりました」
確かに体中は土で汚れてるし、芝生を食い漁ったので口の周りに青汁(?)がくっついててなんだか気持ちが悪いしな。いや待てよ…。ウサギに濡らすには厳禁なんだぞ?
「いや、風呂は…」
「何をおっしゃるのですか。そんなに汚れて居ては馬小屋ぐらいにしか住めませんよ」
カレンは俺を赤ん坊のように抱っこしてエーラと一緒に風呂場に連れて行った。ぎゃあ。
さて、メイドたちの話によれば、フォークス王国は北には大きな山があって南に海があるらしい。東にはボエティア公国、西にはよく分からない小国が乱立している。この屋敷はボエティア公国との国境の近くにある。さらに東に国境に近づくと湖があり、湖畔には町があってそこで買い出しとかをしているという。…すごくざっくりしてる説明なのは俺がよく覚えられなかったから。しかし、魔物、魔族の説明はとても面白かったのでよく覚えている。
まずこの世界にいる知的生命体は魔族と人間の二種類。魔族は魔法を使う奴らのことなんだって。じゃあジョフリーも魔族なのかと聞くと、人間でも魔族の血が流れているやつらがいて、ジョフリーもそういうタイプの人間だそうだ。フォークス王国領内には魔族はほぼおらず、魔法が使える人間はジョフリーのように王国が他国から招いた人間だけのようだ。
魔物は下級の魔族のことを言うらしい。言葉を発することはなく、頻繁に人間を襲うが自分より高位の魔族や魔族の血を持つ人間を襲うことはないようだ。アイリスも魔法が使えるのかと聞くと、メイドは言葉を濁して俺を湯船に放り込んだ。
それからの生活は退屈だった。アイリスは出不精のようで毎日ほとんど家の中で過ごしている。いわゆるロングスリーパーのようで、夜の9時くらいに寝ると昼ぐらいまでは起きない。俺はいつもアイリスのそばに置かれていて(ベッドは別)、外に出ることもできない。読書途中の手慰みに頭を撫でられたり、膝の上に乗せられて本を読み聞かせてもらったりしている。ほとんどフォークス王国外の話だ。ヒッキーのくせに外には興味津々なんだな。この屋敷から出られもしないのにこんなの読んだって俺は気が滅入るだけだ。
ジョフリーやメイドたちと言えば、俺を完璧に動物か謎生物扱いしている。ジョフリーは俺にかかってる呪い(?)が気になるらしく、俺のことを舐め回すように見ている。神様にこうされたというのは信じてもらえなかった。メイド達は俺を縛り上げた罪悪感からか申し訳なさそうに傷んだ野菜クズを差し入れてく“れ”る。俺が苦笑いしつつ齧ると2人とも嬉しそうにしていた。可愛いからと赤いマントを貰った。赤マントの白兎って…。
…これじゃペットのウサギじゃねーか。ここに来てから安泰な生活とは裏腹に段々と人間の尊厳が蝕まれてる気がするなぁ…。ちょっとくらい出ても…バレへんか。
時刻は早朝で夜明け前。アイリスが眠っているのを確認すると、窓によじ登って鍵を開け外に出た、のはよかったものの足を滑らせてドンと小屋の屋根の上に尻餅をついた。ズルズルと洋瓦を滑って、最終的に積み藁の上にボチャっと落ちた。積み藁って意外と硬いんだな…尻が痛いぜ。屋内からカレンとエーラの声が聞こえる。月の光が照っていて夜なのにとても明るい。外の衛兵たちに見つかる前にどこか身を隠さなきゃ。小屋の方を見ると、なんだか凄く懐かしいような匂いがした。馬小屋?そういや俺昔乗馬やってたな。
「おい、そこのウサギの兄ちゃん」
いきなり低い声で呼び止められて心臓が飛び出るかと思った。バレた!?
「なぁ、お前さん最近ここに来たんだろう?ちょっと話をしようぜ」
これ絶対やばいやつだろ。でも好奇心には勝てない。恐る恐る小屋の入り口に近づいていった。段々と暗さに目が慣れて、奥の方を見るとその声の主が分かった。馬だ。
「だ…誰?何だその格好は」
「よお、俺はグラーシュってんだ。ここの馬小屋に隠れて住んでる。よろしくな」
馬が手を出して握手を求めた。俺も小さい手(前足?)を差し伸べるとブンブンと振られて体が上下に揺れた。その長細い顔はまさに馬…#あいかも首から下が人間の。
「お前って馬なの?魔物?」
ヒヒンと笑って(なんだそりゃ)グラーシュと名乗る馬(?)が答えた。
「お前俺サマを見て魔物だと思うのか?ヒヒン、大概獣人とかに間違われるんだがな。あんた魔族を見るのは初めてかい?俺はケンタウルスの息子、れっきとした魔族の一員さ」
「俺は佑二。ケンタウルスの息子なのに随分中途半端な姿だな。それになんでここに住んでいるんだ?」
「よろしくなユージン。ケンタウルスの息子で俺みたいなのは別に珍しくないぜ。うちの兄貴なんか、上も下も馬だからケンタウルスの息子だなんて誰も信じないし。弟はまぁ、アレだけど…。その話はさておき、俺は本当は近所の湖に住んでいたんだ。だけど別の世界からやって来た人間が湖に毒を流して住めなくなったんだ。んでここに隠れ住んでる」
馬人間のくせに湖に住んでるのか…?なんだそりゃ。
「ここに居てバレないの?」
「俺サマは魔法で姿を消せるのさ。あの小間使いの女どもは魔法が使えないから俺には気づかないし、厄介な魔法使いの坊主は馬小屋なんかには足を運ばないからね。ここは一応安住の地ってわけだ」
「そうなのかー」
このグラーシュとかいう馬人間もなかなか苦労をしてるんだな。
「なぁウサギ殿、あまりこの世界のことを知らないのを見るにお前もきっと別の世界から来たのだろう?」
「おう。元々は人間だったんだ。諸事情でウサギになっちゃったんだけど…」
「やっぱりそうか。その強い呪いを見るにお前も苦労をしているようだな。…なぁ、外の世界から来たのであれば、俺の湖を汚した人間とも話が合うかもしれん。どうか湖を取り戻すために手を貸してはくれないだろうか」
でも環境問題にはそんなに興味がないんだよなぁ、俺。急に居なくなったらアイリスも寂しがるだろうし。毒が流れてもそれはそういう運命だったんだろ。騒音公害以外俺は別に気にしないし。渋い顔をしているとグラーシュがブルルと唸って話を続けた。
「俺サマの湖には伝説があってな。『湖の守人には神の祝福がある』というものだ。もしかすればお前の変な呪いを解く方法かもしれんぜ?」
マジ?…そういや神様が言ってたな、この世界に送られたのは「良き人間ではなかった贖罪」って。もしかして、湖を助けることが俺の贖罪の運命…!?だとすれば俺は行ったほうがいいのかも…。
「うーん…わかった、手を貸すよ」
「おお!そう言ってくれると信じていたぞ」
「ここからその湖までどれくらいかかるんだ?昼までには帰らなきゃいけないんだけど」
今は多分夜明け前だし5時くらいだ。正午まであと7時間ほど。グラーシュは俺を掴んで立ち上がり、
「ハハ、俺サマの魔法なら1秒もかからないさ。<ワープ>、リゼル湖へ」
「おわあっ!?」
柔道の技で投げ飛ばされたかのような感覚に襲われたかと思うと、次の瞬間にはすでにその湖に来ていた。
グラーシュの腕から抜け出して、周りを見渡す。湖はとても広く、向こう岸は霧に包まれているようでよく見えない。面積は琵琶湖くらいかなぁ。…なんだか変な匂いがする。
「見ろ、これが俺サマの湖だ」
霧が晴れて目の前に広がったのは黒っぽい色に染まった水面。なんだかドブみたいだな。
「今はまだ全ての水に毒が回ってるわけじゃない。少なくなったがまだ魚もいる。こんなことになったのはあの建物が出来てからだ」
グラーシュが指さした先には大きな煙突が立っていた。霧が晴れるとその煙突と周辺が見えてきた。湖畔に沿って細長く村が続いている。その村の端っこに、湖に向かって突き出すように工場らしきものが建っている。なんか○ィリー○ォンカのチョコレート工場みたいだな…。
「俺は一度話をしに行ったがダメだった。同じ世界から来たお前なら多分上手くいくだろう。見た目も良いからな」
まぁ確かに今の俺はかわいいと思う。毎日アイリスにブラッシングしてもらってるし。ほっぺたモチモチの白うさぎだもんね。
「ここからほとりに沿って歩いていけば直ぐに着くだろう」
「グラーシュはついて来ないのか?」
「あー…俺は一回話をしに行って断られて追い返されてる」
一度断られた手前話しにくいんだろうな。やけに人間臭いな…!
「とりあえず行ってくるけど、あんまり期待しないでね。俺交渉とか苦手なんだよ」
「期待しているぞ。終わったらこの笛を吹け。直ぐに駆けつけるからな」
笛を受け取るとグラーシュは<ワープ>と唱えて消えた。とりあえず俺はトボトボ歩き始めた。多分正午まであと6時間はあるし、大丈夫だろ。
工場に近づくと街道を見つけた。人の往来に少し抵抗を感じていたが、皆あまり俺の方を気にしていないようだった。というか、明らかに人間っぽくないやつが結構いるし全然俺が浮いてない。猫耳が生えてるやつとか、服を来た四つ足の狐の集団とか、馬っぽい耳と尻尾の女の子たちとか。こいつら魔族なのか?うさ耳の生えた女がこっちにねっとり一瞥をくれてちょっとビックリしたな。
工場の前まで来た。犬耳の門衛が門の前に暇そうに立って居た。そいつにここの責任者に会いたいと告げた。門衛は俺の言葉が分からないようだった。変な言葉で何かを喋ってる。なんだこいつら外国人か…?姫様連中となんとなく喋ってて通じてたけど、まさか通じない奴もいるのかよ。
「あの、あなたはキイチ様に会いたいのですか?」
ローブを着た物腰の柔らかそうな女が立っていた。歳はよく分からない。頭には猫の耳がある。この女も魔族なんだろうか。
「あなた…魔族でも獣人でもないようですね。キイチ様になにか御用ですか?私はシャノンと申します」
「あー…えっと、私は佑二と申します。あの、そのキーチ様にビジネスについてのお話があって来ました」
「なるほど、ユージン様。そういうわけなら別にお通ししましょう」
シャノンは門衛と外国語(?)を喋った。開けてくれるのかな?門が開いた。
「こちらへどうぞ。ご案内します」
シャノンの先導に従って、俺は工場の中に入っていった。