1-1 クズ、異世界転生
とある庭園で1匹の大ウサギが捕まったという。2人の若いメイドは生まれて初めて体験する不思議な光景を目の当たりにしていた。
「ねぇカレン…一体なんなの…これ」
背の小さなメイドが手に箒を構えて恐る恐るウサギを眺めている。
「エーラ、毛皮に覆われてて耳が長い生き物なんてウサギに決まってるじゃないの。あの耳と目をご覧なさいよ」
隣のノッポのメイドは手にハサミを持ってゆっくりと近づいて来た。
そのウサギの身の丈は1mほど。フワフワとした白い毛皮に包まれていて、目は赤く体型はややポッチャリとしている。ウサギにしては随分と非力で足が遅く、庭園の掃除をしていたメイド2人に簡単に捕まってしまった。
…まぁ俺なんだけどね。両手足を縄で縛られ庭園の柱(多分飾り)に繋がれた姿で、おまけに服も着ていない。毛皮はフワフワでモコモコな分蒸し暑く、ウサギだから仕方ないが汗もかけない。
「ひとおもいにやっちまおうよ。こいつまだ意識もはっきりしてなさそうだし」
箒の柄で耳の辺りを突かれている。
そもそもなぜ俺がウサギになっているのか、なぜ縛り付けられているのか。その理由は全部あの神様のせいだ。
俺の名前は洞木裕二。元の世界で俺が住んでいたのは某地方都市。会社員の父母に普通の家庭で育った。何となく親の言うままに地元の国立大学を卒業した。めんどくさかったので就職はせず、親の脛を齧って生きていた。
ことが起こったその日、俺は障害者年金の受給の“相談”に市役所まで行っていた。子供の頃手がつけられないレベルで暴れクソガキだった。そんな俺をなんとかしようと思った親は精神病院に連れて行き、無理矢理病人にしたてあげた。結果大学を卒業するまで薬漬けにされるはめになった。
散々薬の副作用や偏見で苦しい目に遭わされたんだから、少しくらいい思いしても構わないだろう。そこで年金を貰おうと市役所までいったが、窓口のうらなり野郎が、『年金は就労や労働に支障がある人のためのものです』なんて抜かしやがった。どうやら俺はまだまだ不幸が足らないと思われたようだ。
(ざけんじゃねぇぞボケ!現に今俺は働いてねえだろうが)
頭に血は上ったがキレることはなかった。舌打ちして『また来る』と言いその場を離れた。はらわたが煮え繰り返るような、叫び出したいような気持ちを抑え、ボロのエレベーターを降りて出口に向かった。公務員ってやつは全くもって腹立たしい生き物だ。スポンサーの俺ら市民の金を巻き上げるだけ巻き上げといて、使うべき金を使わず、自分たちの懐を温めている。このボロエレベーターと俺は同じなんだと悲しくなった。
市役所の職員と思われる男がベンチに座って缶コーヒーを飲んでいた。今の俺が本調子なら怒鳴りつけてた所だ。なるべく見ないように自動ドアに向かった。次の瞬間、ガラスに顔面をぶつかって唇を切ってしまった。反応の悪い古い自動ドアが俺の堪忍袋の緒を切った。俺は精一杯の憎しみを込めてドアの下の辺り蹴ってやった。瞬間、ガラスに大きなヒビが入った。警報が鳴った。焦って逃げた。
缶コーヒーを飲んでたぐうたら職員と、駆けつけた警備員に腕を掴まれたが上着を捨てて全速力で走った。普段運動してなかったので30mほど走っただけで心臓が破裂しそうになった。こんなことで捕まってたまるか。急いでどこか遠い場所に逃げようとして赤信号を見逃してしまい、全速力のトラックに跳ねられて死んでしまった。
気づけばあの世に居た。あの世と思しき謎の場所は薄暗く、妙にひんやりとしていた。周りにはいろんな年齢のいろんな人間が沢山。そいつら全員に足がないのを見て、やっと自分の足もないことに気づいた。やっと自分が死んだのを悟った。まさかこんなことで死ぬなんて…。
しばらく嘆いて居ると周りにいた奴らが消えていた。場所を変えた覚えはないのに、俺はどこかの部屋に居て気がつけば椅子に座っていた。そこに“誰か”が居た。なんとなく、その場所はその“誰か”との面談室のように見えた。その“誰か”は随分とみすぼらしい格好で、何故かはっきりと顔を見ることは出来なかった。ホームレスか?こいつは。そいつが俺に話しかけて来た。不思議と落ち着く声だった。
「佑二よ、お前は死んだ」
「やっぱり…!んで、ここはどこですか?あんた誰?」
「…ここはあの世とこの世の狭間だ。ここでお前のこの後が決まる」
こういうの閻魔大王がやると思ってたけど違うんだな。このホームレスのおっさんすげえ。
「俺はどうなるんですか?天国に行けますか?」
「お前は生前良からぬ人間であったな」
「それは納得できない。俺のせいではねえよ。周りが俺をわかってなかっただけだよ。親やら兄弟やら友人やら、それら全部ひっくるめて環境の悪さが、ぜーんぶ俺のせいってわけじゃないだろ。それに、いい事だってしたよ、献血には毎月行ってるし、あ、昔いじめられてた同級生助けてやったよ」
「たしかにお前が全て悪いわけではない。…その点で、お前は悪しき人間でもなかったとも言えるだろう」
「よく分かってる。そりゃ誰だって悪いことやろうと思ってやる奴なんかいないだろ。ホームレスみてぇな風体のくせによく分かってるじゃん。あんたきっと多分霊的ななんかナニカなんだろうけどさ、あんたの裁量でなんとか天国行きに出来ないの?」
おっさんは数秒黙った後こう続けた。
「天国とは、良い人間のためにある。地獄は悪しき人間が行くところだ。そのどちらでもないお前はまた人生をやり直さなければならない。それはお前が良い人間ではなかった贖罪であり、悪しき人間でもなかったことへの褒美と考えるがよい」
マジ?ラッキー!記憶そのままで人生やり直しとか、俺がいっつも妄想してるやつじゃん。
「しかし、別の姿、別の体で生きていかなければならない」
「はっ!?」
“誰か”は俺の額を指で小突いたかと思うと消えてしまった。突如として額を中心に体中が痒みとヒリヒリとした痛みに襲われ、全身の皮膚から白い毛が伸び始めた。また、両耳に上につねり上げられてるような激痛が走った。前歯も急激に伸び始めた。全身を襲う激痛の荒らしに耐えきれず俺は失神し、気づけばこの庭園にいたというわけ。
その“誰か”がいわゆる神様だったと気付いたのは自分がウサギになったことに気付いてからだった。
目を覚ますと芝生の上に全裸で立っていた。綺麗に剪定された庭木、芝生、そして真ん中の黒く丸い球形の石を中心にして同心円上に花壇が並んでいる。ここがどこかの庭園か。3月の割にやけに暖かいのでどこか日本から遠い場所に飛ばされたのだろう。体中にむず痒さを覚えてポリポリ掻きながら庭園の石畳の道を歩いた。花壇や芝生からやけにうまそうな匂いがする。まるでウサギのように(ウサギだけど)地面に鼻を近づけて匂いを嗅いでいると、あの凸凹メイド2人に出会った。
メイド達は俺を見て非常に驚いていた。二足歩行の巨大なウサギが歩いていたら無理もない。怪物だとでも思ったのだろう。その二人組の野蛮な女たちは少し後退り、こちらに石を投げつけてきた。
「庭から出て行け!」
「また魔物が出たわ!」
俺は誤解を解こうと思ってゆっくりと歩み寄った…のが不味かったらしい。ノッポの方のメイドが爆発したように叫び、チビの方は発狂して箒で俺を何度も叩いた。箒で叩かれて俺は怯んだ隙にノッポの女が背後からタックルを喰らわして来た。俺は失神した。
気がつくと手と脚、ついでに何故か耳も縛られていた。
転生した後にフルボッコにされるなんて聞いてないよ…。何とか2人を説得してこの窮地を脱さなければならない。なんとか説き伏せなければ、俺は多分悲惨な目に遭うだろう。
「あ、あの〜」
「うわっ…喋った。な、何?」
「一旦落ち着いて話あわないか?俺は別に悪いやつじゃないんだ。縄を解いてくれないか?」
神様のお墨付きだって貰ってんだぞコノヤロー。ノッポのメイド…カレンは怪訝な顔をして俺に問い返した。
「デカいウサギの化け物でさ、それも喋る化け物でさ、そんなの悪いやつじゃなくても気持ち悪いでしょ。あんただったら縄を解くわけ?」
今なら俺、カジモドの気持ちが分かるよ。チビのメイド…エーラがカレンに続けて喋った。
「でも、喋るウサギの魔物なんてあたし初めて見るわ。大概の魔物って人間の言葉を喋るほど賢くないと思う」
「…確かに。魔物のくせに喋るなんてとっても珍しいわよね。見かけからして大した魔族にも見えないし…」
当たり前ェだろうが!…と叫びたい気持ちを抑えて俺は大きくため息をついた。再びこのあほ女どもに語りかけた。
「不気味なのも至極ごもっともだ。俺自身この体になってしまって困惑しているんだ。君達と同じ気持ちなんだよ、メイドさん」
「あたし達メイドじゃないわ。姫様の“侍女”なんですからね」
2人の顔が微妙に曇ったのを感じた。何か違うのか?そんな違い考えたこともなかった。姫様?ここはどこかの王国なんだろうか。チビのエーラがフンと鼻を鳴らして続けた。
「…あなたが嘘をついてないって私たちには分からないわ。あなたのこと何もわからないんだから。ねぇカレン、ジョフリー様を呼んだ方がいいんじゃないかしら。あの人なら何かいい知恵を持ってるはずだからね」
血の気が引いた。頭の中に色々な考えが交錯する。ジョフリーとかなんとかいう奴は一体誰だろう?コックなのか?このメイドが言うところの“なんとかする“ってのはどういう意味だ。俺はもしやここで叩きのめされた挙句ウサギ料理にされるのか。
「じゃああたしが呼びに行くから。エーラ、あんたがこいつを見張ってて」
「えー魔物と一緒だなんて嫌よ…」
だから魔物じゃねえっつの!!
「じゃあ一緒に行きましょう。すぐ行って帰ればこいつも逃げないでしょ」
おい待て!…と言う間もなくメイド達は一目散に逃げるように走っていった。俺は取り残された。
…それから多分2時間ほど経っただろうか。『すぐ行って帰る』ってのは何だったんだ。夕焼けが眩しく、俺の白い毛皮をオレンジに染めている。あのクソ女どもが縄をめちゃくちゃキツく縛りやがったようでどうやっても抜け出せない。ウサギだから汗もかけない。なんだか暑い。腹減ったなぁ。
いや待てよ…。
…芝生食えるんじゃないか?ウサギだし。そういえばやけに花壇から食欲をそそる匂いがしてたな。腕と脚が縛られているので、うまく体が動かせないが、思いっきり体を伸ばして庭の芝生を齧った。あ、うめ…。死ぬほど腹が減っていたので芋虫のようにグデグデ動きながら周りの芝生を食いまくった。柱に縛り付けられたまま芝生を荒らしまくる巨大ウサギってキモすぎるな。これじゃあのメイドたちと同じように魔物みたいだ。しばらく貪ってると、
「大丈夫ですか?」
誰かが声をかけてきた。噂のジョフリー様?
「あン?」
驚いて口の中の芝を土ごと吐き出してしまった。銀髪とも思えるような薄い藍色の髪の女が立っている。結構美人だ。歳はまだ10代後半くらいに見える。花の形の髪留めと束ねた髪が特徴的。服からして中世のヨーロッパ?っぽい感じがする。ここは日本じゃないのか?というか俺はいわゆる異世界転生をしてしまったんじゃなかろうか。後ろからボサボサの髪でローブを着て鞄を提げた少年が走って来た。少年はヘトヘトになりながら女に声を上げている。
「ひっ姫様ぁ〜!待ってくださいよお!」
「ジョフリー…これは一体なんでしょうか?」
その女は俺の顔をまじまじと見つめた後、頬を両手でブニブニと撫回してきた。ちょっと待て、ジョフリー?このガキが俺の屠殺係?
「姫様どうかされましたか…って魔物!?お下がりください!!すぐに殺します」
「お待ちなさい。こんなに愛らしいのに魔物だなんて思えませんわ」
「あー、お姫様、私は人間です」
「うふふ、本当ですか?」
まぁ信じられないよな。
「こんなおしゃべりデカウサギが人間、ましてや普通の生き物なわけがありません!」
…そりゃそうだ。てか俺本当に魔物になったんじゃ…。とりあえず俺は話を続けた。
「私は遠い国日本からやってきました。洞木佑二と言います。私は一度死んだのです。死んだ後に神様によってこんな姿にされてしまったのです。多分この世界とは別の世界の人間です。死んだ後ここにやって来たのです。私は魔物ではありません。ここがどこかすら分かりません」
何言ってんだ俺…。パニクった俺の陳述に2人も少し困惑したようだ。訝しげな顔をしてジョフリーが俺に問いかけた。
「…ユージとやら、本当に別の世界からやって来たのか?おとぎ話でもあるまいし」
「本当です。私は元々人間でした」
「では、なぜそのような姿になったのだ」
「ああ、凶暴なメイドが私を箒で叩いていじめて縄で縛り上げたのです」
「まぁ可哀想に」
「いや、そういうことじゃなくて…ああもういい、話すだけ無駄だ」
クスクスとお姫様は笑っている。ジョフリーは的を射ない会話にイラついたようだ。雑な手つきで腰に提げたポーチから群青色に光る宝玉を取り出し、俺にこう言った。
「これは生物の魂に反応してその人間の能力値を見るための魔道具だ。魔物には反応しない。これでお前の魂を見て、魔物でないならば活かしてやる。魔物なら生かす意味もない。姫様、少しお下がりください」
お姫様が3歩ほど下がった。ジョフリーは指にオーラのようなものを溜めて呪文を唱えた。何する気だ?
「<ステータス・オープン>」
ジョフリーがなんとなく耳馴染みのある呪文を唱えると、宝玉から無数の青い光の塊が飛び出て俺の身体に入り込んだ。俺の秘められたステータスがいよいよ開示され……何も起きない?何も反応がないということは…俺は完璧にウサギの魔物になってしまったようだ。マジかよおっ!!
「ままままままま待って!!こっこ殺さないで!俺は本当に魔物じゃな…」
「本当です。魔物ではありません」
えっ?おっ?
「体こそウサギですが魔物でないのは間違いありません。何かしら強力な呪いがかかっているようですが…」
「そのよう…ですね」
あの魔道具で何が起こったんだ?何も反応はなかったし、特に俺のステータスが出されることもなかったけど…。
「何も起こってないんだけど、どうなってるんですか?」
「見えないのか?なるほど、お前には魔族の血が一滴も流れていないようだな。安心しろ、ちゃんと魔道具は反応したぞ。お前は魔物じゃない」
マジ?どういうことか全くわからないけどやったー!
「魔物ではないのなら縛っておくのは失礼ですね。ジョフリー、縄を解いてあげなさい」
ジョフリーが触れると簡単に紐は解けてしまった。
「ありがとうございます!」
お姫様はニッコリと笑い俺に手を差し伸べてくれた。
「別の世界から来たと言っていましたわね。暮らすあてもないのでしょう。よろしければ私の屋敷にいらっしゃいませんか?」
「本当ですか!?ぜh…」
「姫様、本当によろしいのですか?」
「このお姫様が言ってるんだからいいじゃないの」
「あのなぁ」
ジョフリーはやれやれとため息を吐いて続けた。
「姫様をどなたと心得ている…、ああそうか知らないよな。このお方はフォークス王国の第二王女であらせられるぞ。デカいウサギの…“何か”をお屋敷に泊め置けるものか。姫様、お考え直しください」
「そういうわけにもいきません。私の侍女によってこの…ウサギ様に失礼があったのは事実です。このまま当てもない方を見捨てるのは余りにも情けがありませんわ」
「は、はぁ…」
めちゃくちゃ言葉選んでるし…。んまぁ、とりあえず王家に転がり込めるとか超幸運じゃないか。しばらくは安泰だな。
「私の屋敷までここから歩いてすぐです。では行きましょう」
「あ、お名前を伺ってもよろしいですか?」
お姫様は答えた。
「アイリス、アイリス・フォン・フォークスです。よろしくね、ユージン」
俺の順風満帆ライフが始まる予感がした。…しただけだった。