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転生者は魔術師に憧れる

作者: 彗鈴

連載中の作品の息抜きに書いてました。

 ある日、俺は転生するチャンスを得た。

 裏を返せば、不慮の事故で死んでしまったということである。

 前世に何か不満があったわけではない。

 平凡な人生であったが、楽しくやっていた方だと思う。

 ただ心配なのは仕事の引き継ぎや、家族、友人、知人に何も告げることが出来なかった事だろうか。

 しかし転生である。

 異世界、剣と魔法の存在する前世とは異なる世界。

 そんな世界に行ってみたいという気持ちは心の片隅に常日頃あったように思う。

 いや、別に異世界なんてものじゃなくてもいい。

 世界が急に変わってしまうような大きな変化を求めていたのかも知れない。

 平凡な日常に、刺激を求めていただけかも知れない。

 だが、もうそんな事を願う必要はない。

 俺は異世界に転生するのだから。


「アルフレッド、魔術師になるのは諦めた方がいい」


 転生して五歳となった辺りで、俺は現実というものを突きつけられた。

 田舎の長閑な村に生まれ育った俺は、現代社会とのギャップに戸惑いつつも、健やかに成長していた。

 転生者の物語で特有な、稀有な能力、整った見た目、高貴な家柄、その他諸々は特になく、所謂平凡なただの一般人として転生した。

 しかし、そんな夢のような環境に生まれなかったのは俺としてはどちらでも良かった。

 転生し、剣と魔法を用いて、冒険する。

 それさえ出来れば言うことはなかった。

 なかったのだが……先程の言葉が俺の儚い夢をもぶち壊した。

 この世界において魔法を学ぶ為には大きく三つの方法がある。

 一つ、魔法学校に入学する。

 一つ、魔術師に師事する。

 一つ、魔導書を読んで独学で学ぶ。

 この中で俺の取れる最も現実的な方法は魔術師に師事すること。

 魔法学校に入学すれば様々な魔法を教えてもらうことが出来るが、その入学金、授業料は並みの平民が払えるような額ではなく、貴族でないと払えない程法外な金額である為、俺には選択することの出来ない方法だ。

 魔導書も似たような理由であり、まずその希少性から高額なのは当たり前で、それは国家の研究機関に殆どが保管されている事が多く、冒険者が遺跡などから発見した物は冒険者ギルドが高額で買い取り、国家へ渡る為、掘り出し物があるとすれば、闇組織が独自に入手し、裏市場に出回っているもの程度。

 平民が手にする事は到底不可能である。

 故に魔術師に師事する事が一番現実的であり、それしか俺には選択肢が残されていないのだが、これも少し難点がある。

 まず、他人に魔法を教えられる程の魔術師は村にいない。

 魔法は呪文を唱えれば良いという訳ではなく、自身の魔力を知覚し、自在に操る事で初めて成立する。

 その魔力というものを知覚するにはじっくりと時間をかけて自分自身を見つめ直す方法と、熟練の魔術師に特殊な方法で強制的に魔力を知覚させる方法がある。

 そこまで出来る魔術師は村などには留まらず、冒険者などになり、世界を飛び回っている事が殆どである為、出会える可能性が低い。

 しかし、不可能ではない。

 現に、今俺の目の前には依頼で村を訪れた冒険者パーティのメンバーである白髪の魔術師がいる。

 しかも、冒険者の実力を示す首にかかる等級証の色は金、つまり熟練冒険者である事が分かる。

 それを知った途端俺のテンションは上がり、依頼を終えて冒険者が翌日帰ってしまうと知ると、こうして魔術師に接触を試みた。

 そして告げられたのが、先程の言葉であった。


「な、なんで、ですか……?」

「先程も話したが、魔法には魔力を知覚する必要がある。これは感覚的なものだが、時間をかければ恐らく誰でも出来るようになる。しかし、知覚出来たとしても、自身に操るべき魔力が無ければ話にならない。言いにくいが……君からは魔力を一切感じない」


 最後の一言で、俺は膝から崩れ落ちた。

 転生して希望に満ちていたはずの今世に、暗雲が立ち込めた。

 魔法が使いたいと転生したのに、魔法が使えないという本末転倒な事態。

 魔法が存在するだけで、自分で使えないのなら、まだゲームで魔法使いのキャラクターを操作していた方がまだマシだった。

 魔法が存在するのに、他人が使う姿を見るだけで満足出来るほど、俺は単純ではない。


「君はその歳にしたら利発的な子だ。もし冒険者を目指すなら、斥候か野伏、今から訓練をするのであれば戦士としても活躍出来るかもしれない。ただ、魔術師だけは諦めなさい」

「……訓練次第で、魔力が増える可能性は?」


 きっと俺は泣きそうな顔をしているだろう。

 中身は既におっさんの癖に、無様に目の周りを赤くしている事だろう。

 だが、縋るしかなかった。

 懇願するしかなかった。

 どうにかして、蜘蛛の糸程度でも良い。

 か細い、今にも千切れてしまいそうな希望で良い。

 何か、方法が欲しかった。

 見上げる魔術師の表情は、何処か悲しそうであった。


「君みたいな子を、私は幾人も知っている。村に私のような魔術師が訪れると、魔法を教えてほしいと寄って来る子が多くいた。しかし魔力というものは遺伝によるものが強い。経験を積み、レベルが上がれば、少しずつではあるが魔力が増える事は確かにある。だが、それは微々たるもので、私の魔力も生まれながらに持っている魔力量とほぼ変わらない」

「そう……ですか……」


 レベル……その者の魂の格、存在の大きさを示す指標となるもの。

 ゲーム程、それが上がれば成長するというものではないが、それの高さがその者の積んだ経験に付随する。

 戦闘でも、研究でも、それこそ農業でも、経験を積めばそれに関する技能のレベルが上がり、それらの総経験値によって自身のレベルが上がる。

 生まれた時は皆レベル1。

 しかしその初期ステータスには違いがある。

 これは両親のレベルの平均値によって変化するらしい。

 つまりこの世界は、生まれながらの才能という概念が存在する世界なのである。

 つまり村人は、平民は、生まれながらの凡人である事が決め付けられている世界なのである。


「一つ、君に呪文を授けてあげましょう」

「え……?」


 こんな俺を惨めに思ったのか、単なる彼の優しさか、哀れみか、何にせよ彼は俺に魔法を教えてくれるという。

 その言葉に俺は困惑しつつも、しっかりと耳を傾けた。

 魔術師は右手の人差し指を立て、静かに呟いた。

 それは世界の常識を捻じ曲げるほんの小さな奇跡を起こす不思議な言葉。

 俺の夢見た本物の魔法。


「火の精霊よ、我が魔力を糧に、顕現せよ──《トーチ》」

「凄い……」


 それはとても単純な魔法。

 指先に蝋燭程度の火を灯す魔法。

 現代社会であればマッチやライターがあれば事足りる、使い道の無い魔法。

 この世界では、火起こしの手間が省ける便利な魔法。

 その程度と言われればお終いな、彼にとってはお遊び程度な初歩の初歩。

 それでも俺は、目の前の小さな奇跡に感動さえ覚えた。

 そんな目を輝かせて魔法を見つめる俺に対して、魔術師はボソリと呟いた。


「君のような子が、本来使えるようになるべきなのだろうな」

「え?」

「何でもないよ」


 魔法に気を取られていた俺は魔術師の呟きを聞き取る事が出来なかった。

 しかし、魔術師は薄く笑い、右手を振り払い、魔法を消した。


「現実を突きつけてしまった私が言うのは間違っているかもしれないが、君がいつか、魔術師として大成する未来があれば、私の目が節穴であったと笑って欲しい」


 微笑む魔術師に対して、俺は涙が出そうになっていた。

 憧れはある。

 未だ、魔法が使いたいと心の底から願っている。

 でも、人生は短い。

 前世のように、不慮の事故で早死にする事だってあるだろうし、冒険者を目指すのであれば、寿命で死ぬことの方が少ないだろう。

 だから俺は、だからこそ俺は……。

 決意を込めて、しっかりと自分の二本の足で立ち上がって、魔術師の目を真っ直ぐに見つめて言う。


「俺、冒険者になります」


 俺の宣言を聞き、魔術師は目を見開いた。

 彼が俺の言葉をどう受け取ったのかは分からないが、少しの間を置いてから彼は相槌を打つ。


「……そうかい」

「金等級の、冒険者に……なります」

「うん」

「努力、します……」

「ええ」


 涙が、溢れそうになる。

 いや、既に俺の声は鼻声混じりで、涙も鼻水も垂れ流してしまっているかもしれない。

 それでも彼は、笑わずに俺の言葉をしっかりと受け止めてくれた。


「魔術師に……なりたかった、です……」

「……」


 少し、魔術師の目に光が反射した様な気がした。

 哀れんでくれているのだろうか、しかし俺のような村人は多くいると言っていた。

 彼にとってはこんな光景も見慣れたものなのかもしれない。

 故に、その結末も多く知っているのかもしれない。

 それ故の、涙なのだろうか。

 その真意は、彼自身にしか分からない。

 俺は最後に、最大限の強がりを、両手の爪を手の平に食い込ませながら言ってみせた。


「魔術師は……弱っちいから……俺が、守ってやらないと……」

「……お願いします」

「任せとけ……絶対、指一本、触れさせてやるもんか……!」

「ありがとうございます」


 こうして、俺は魔術師から別れた。

 決まったのなら、即行動。

 時間は有限だ。

 五年も既に過ぎているのだ。

 ここからはもう無駄にしない。

 そんなにすぐ諦め切れるような夢ではない。

 今でも魔法が使いたくて仕方ない。

 だが、この剣と魔法の世界に転生して、無駄に過ごすなんてことはもっとしたくない。

 だから俺は、冒険者を目指す。

 きっと、何か方法があると信じて……。


 狙う。

 獲物を的確に仕留めるべく、狙いを定める。

 呼吸を整え、緊張感を持ちながらも、力まず、落ち着いて、弓を引く。

 張り詰めた弦が抵抗するのに耐え、矢がブレるのを抑える。

 獲物が止まった瞬間を狙う。

 その前に俺は小さく願掛けのように呟く。


「火の精霊よ、我が魔力を糧に、顕現せよ──《トーチ》」


 それは呪文の詠唱。

 少年が唯一知っている、奇跡を起こす言葉。

 幾度も口ずさんで来たこの言葉が、意味を成したことは一度もなかった。

 しかし、これを呟いた時、少年の矢が外れた事は一度としてないのも事実であった。

 そして今日とて、少年が放った矢は獲物に吸い込まれるようにして喉元を貫き、程無くして獲物は生き絶えた。

 それを遠くから見届けた少年は、本当に死んだかを確認するため、しばらくの間茂みに身を潜めながら獲物を観察し、動かないと判断してから近付いた。


「仕事を手伝わない代わりに獲物一つ。中々に無理難題を言ってくれるなぁ」


 射抜いた野ウサギの足を持ち上げながら俺は愚痴を吐いた。

 これは俺が訓練すると言い出してから、父親に課せられた課題だ。

 農業を生業としている俺の村では当然のように父親も農夫であり、毎日土弄りをしている。

 そんな家に生まれた男児である俺は大事な働き手であり、将来家の畑を継ぐ身である。

 にも関わらず、俺は両親に冒険者になると言った。

 最初は猛反対された。

 それはそうだ、冒険者など命を賭け金として金を稼ぐような仕事。

 人々の平和を守っていると言えば聞こえは良いが、何もしなければただの無職のゴロツキでしかない。

 大事な息子をそんなものにしたくないと考えるのは、普通の村人であれば当然の事であり、俺の両親とて例外ではない。

 故に両親は俺が弓の訓練を始めてから五年、十歳になった頃に課題を出した。

 始めの頃は一人で森に入り、獲物を獲りに行くなど危ない事はさせられるわけもなく、村の猟師と共に森に入り、色々と教わりながら獲物を獲っていた。

 しかし、猟師から許しを得てからはずっと一人で日課の狩りをし続けていた。

 獲物は毎日一つ。

 獲り過ぎれば数が減ってしまうため、俺は一つ確保すれば森を出る。

 朝早くから森に入り、昼前には森から出て、そこからは自由時間。

 秋の収穫時期などは流石に両親を手伝ったりするが、それ以外であれば専ら訓練である。


「母さん、今日分」


 家に帰ると、丁度仕事に向かう所だった母親とバッタリ出くわし、丁度良いと逆さにぶら下げた野ウサギを母親に向けて差し出す。

 それを見て母親は慣れた手付きで受け取り、笑顔になる。


「あらあら、今日は早いのね」

「入ってすぐ見つけたからね」

「アルのお陰でうちは肉に困らなくて良いわぁ」

「最初は猛反対してた癖に……」


 村で肉を食うためには猟師の人が獲ってくるか、たまに来る旅商人から干し肉を買うしかない。

 前者は猟師の獲れる量も制限があり、中々村全体に行き渡るには時間がかかるため、毎日あり付けるわけじゃない。

 後者はそもそも保存食である干し肉であるため、あまり美味しいとは言えない上に高い。

 それらを考えると、自分の家に獲物を獲ってこれる人間がいるというとはとても大きな利点であるのだ。

 しかしいくら自分のところで賄えると言っても、独り占めしていれば周りの家から反感を買う可能性もあるため、たまにイノシシなどの大きな獲物が捕れた時はお裾分けをしてご機嫌取りをしている。


「猟師なら別にお母さん何も言わないけど、冒険者は今でも反対よ?」

「……でも、来年には街に行くから」

「そう……」


 来年、それは俺が十五歳になる年。

 この世界では十五歳からが成人とされており、尚且つ冒険者になるにも十五歳以上でなければならない。

 故に俺は例の課題を出された時に宣言した。

 十五歳まで毎日欠かす事なく獲物を獲り続けたら、冒険者になる。と。

 その事を母親に告げると、毎回寂しそうな表情になる。

 親になった経験は無いが、俺だってその気持ちを想像することくらいはできる。

 だが、もうこればかりはどうしようもない。

 俺の気持ちは誰にも抑えきれない。

 もう一年を切った。

 これまでは概ね順調だ。

 もっと訓練をして、レベルを上げて、そしていつか俺は──


──魔法を使えるようになってみせる。


 母親に野ウサギを渡したら、俺はそのままの足で訓練場に向かった。

 訓練場と言っても俺がそう呼んでいるだけで、ただの村はずれの大きな木が生えている場所だ。

 そこには使わなくなった襤褸雑巾で作った的が木の枝や幹、地面にいくつも設置してある。

 俺はいつもその的をいろんな角度、距離、体勢で射抜くという訓練をしている。

 果たしてこれに意味があるのかは分からないが、やらないよりはマシだし、村の猟師の人に試しにやってもらったら出来なかったので、きっと俺の方が今では弓の扱いに関しては上手いはずだ。

 矢筒を背負い直し、弓の状態を確認してから、俺は息をゆっくりと吸い込み、ゆっくりと吐く。

 そしてもう一度吸い込んだ後、お決まりの願掛けをする。


「火の精霊よ、我が魔力を糧に、顕現せよ──《トーチ》」


 相変わらず何も起きない事を確認してから、俺は走り出す。

 木の周りを走りながら、目に入る的に向かって矢を構え、放つ。


「一つ」


 枝や幹の的に正確に当てて行く。

 正確さもそうだが、矢を放つ速度も重要だ。

 いかに早く、いかに正確に全部の的に当てられるか。

 目標は枝と幹にある十の的を木の周りを一周するまでに全て射抜く事。

 今はまだ二周だが、街に行くまでには一周にしたい所だった。

 次に行うのは高所からの射撃。

 森などでは木に登り、身を潜めて上から獲物を狙う時もある。

 冒険者においても魔物と戦う場合そういったケースもあるだろう。

 故に不安定な足場でもしっかりと狙えるだけの安定感が求められる。

 今日の場合であれば枝に足を引っ掛け、逆さ吊りの状態から地面にある的を狙う。

 集中し、呼吸を整え、また俺は唱える。


「火の精霊よ、我が魔力を糧に、顕現せよ──《トーチ》」


 さながらこれは俺にとって必中の祈り。

 現代風にいうなら矢を射る時のルーティン。

 始めは魔法を少しでも練習しなければと、集中し、自分の中の魔力を探し、やはり何も感じないと思いつつ、詠唱し、矢を射るという変な練習法をしていただけだったが、今となってはそれが癖付き、やらないと落ち着かないようになってしまったのだから仕方ない。

 もし、本当に精霊なんてものが存在するのなら、もしかしたら俺の矢に力を与えてくれているのかもしれないな。

 そんな妄想をしながらも、俺の放った矢は地面の的に全て的中していた。

 既にアルフレッドの弓の腕は村の猟師を遥かに超えていた。


 夕食の時間、テーブルを囲むのは両親と俺、そしてもう一人。


「兄貴、また弓の訓練?」

「またとは何だ、いつもだ!」

「バカみたい」

「バカだと!?兄貴に向かって何だ!今食ってる肉返せ!」

「最近ウサギばっかりね……」

「贅沢舌になりやがって……!」


 俺の事を敬う気の一切ない様子の少女は俺の妹のアイシャ。

 歳は二つ下、最近は少し反抗期気味で、あまり可愛くない。

 少し前までは俺の弓を凄い凄いと言って褒め、俺の獲ってきた獲物を美味しい美味しいと喜んで食べていたというのに。

 その歳にしては発育の良い体付きなのが俺の獲ってきた肉のおかげだと何故分からん!

 クソッ!見た目が可愛いのが更に腹立つ!


「別に、兄貴の腕が落ちてイノシシ狩れなくなったのかなーって思っただけー」

「……良いぜ、分かった。明日はイノシシだな?」

「やたっ!」


 上手く乗せられてしまった気がするが、まぁアイシャの言う通り最近はイノシシよりも先にウサギを見つけることが多かったから、たまにはイノシシをあえて狙ってみるのも良いだろう。

 それに、やはり俺はこいつの兄貴なのだろう。

 喜んでくれるのは、素直に嬉しい。


「あまり無茶はするなよ」

「……分かってるよ」


 口数の少ない父親はそう言うだけだったが、十四年もこの家にいれば父親の気持ちは大体分かる。

 口数が少ないということは、たまに口にする一言は、本心から思って出ている言葉なのだと。

 この人は俺の事を本気で心配してくれているのだと、俺は感じることが出来た。

 父親とて俺が冒険者になることは未だ反対なのだろう。

 だが、あの課題以来、父親が難癖を付けてきた事は一度もない。

 つまりは達成出来たら本当に冒険者になっても良いということ。

 恐らく父親は俺の気持ちを、望みを、夢を汲んでくれているのだと思う。

 だからこそ俺は頑張るのだ。

 この唯一無二のチャンスを掴み取るために。

 その為にはしっかり食って、また明日に備えねば。


「母さん、おかわり!」

「さっきのアイシャので最後よ」

「バーカ」

「こんにゃろ……!」


 こうして俺の日常は過ぎて行く。

 家族が笑い合う、こんな日常をずっと過ごしているのも悪くはないと思う。

 でも、俺はやはり転生者。

 血湧き肉躍る、希望と絶望が隣り合う冒険の旅に出たいのだ。

 その為に、俺は弓を取った。

 前衛が出来るような経験を俺は前世でして来なかったし、それを教えてくれる人が村にはいなかった。

 魔術師のあの人が言うように、斥候や野伏、後は錬金術師なども考えたが、俺の頭は現代社会で得た知識があるのみで、こちらの世界に通用する学はないし、何より俺が利発的に見えたのは中身がおっさんだから。

 魔術師が論外なのは理解してる。でも諦めない。

 ならばと俺が思い至ったのが弓士。

 村出身の俺としてはピッタリだと思った。

 猟師に基礎は教えてもらった。

 道具だって揃ってる。

 練習するのに前衛のように相手をあまり必要としない。

 何より、後衛の魔術師を側で守ってやることが出来る。

 あの約束を違えない為にも。


 俺の朝は早い。

 村人の中でも早いと思う。

 まだ皆が寝静まっている頃に起き出し、井戸から汲み上げた冷たい水で顔を洗い、目を覚ます。

 手早く寝間着から狩りの装備へと着替え、弓の状態を確認する。

 テーブルの上に置いてあるパンを一つ取り、バターをたっぷり塗って一口で頬張る。

 咀嚼しながら家を出て、まだ肌寒い早朝の空気に身を震わせながら、節々を伸ばして寝ている間に固まっている体を解す。

 体を動かす中で徐々に温まって行くのを感じながら、俺は呼吸を整えて右手の人差し指を立てる。

 相変わらずと思われようが、これも俺の日課である。

 早朝のこれは今日の無事を祈願してのものに近い。

 猟師の人に言わせれば、猟師には猟師なりのそういった祈りがあるそうだが、俺としてはこれが一番しっくりくる。

 特に何も感じない自分の体の内側に集中し、右手の人差し指に少しだけ力が入る。


「火の精霊よ、我が魔力を糧に、顕現せよ──《トーチ》」


 何も起こらない。

 だが、それで良い。

 まだ、俺は本気を出していないだけ。

 きっと、俺の本気はこんなものじゃない。

 まだ、焦るような時間じゃない。

 はぁ……。

 やはりこう毎日毎日やっていても、何も起こらないと分かっていても、落胆せずにはいられない。

 俺の夢はまだまだ遠い。

 だが、不可能と言われたわけではない。

 諦めるにはまだ早い。

 俺のレベルはまだまだ低い。

 冒険者になって、ガンガンレベルを上げて、いつか、ほんの小さな灯火程度であったとしても、使えるようになったなら、俺はあの魔術師に言ってやるんだ。

 あんたの目は節穴だったな、と。


「しかしイノシシとは言ったものの、最近あまり見かけないんだよなぁ……」


 昨日の妹との会話を思い出しつつ、俺は森の中でボヤいていた。

 俺だって毎日毎日ウサギが狩りたいわけじゃない。

 シカやイノシシだって狩りたいのだ。

 だが、見かけない。

 そういう日もあるだろうと、あまり深く考えないようにしていたが、いざ探すとなると不気味なほどに痕跡が見当たらない。

 足跡や糞、木の実や小動物の食い残しなど、そういったものが全くないのだ。

 これはおかしい。

 ウサギたちは普通にいるというのに、イノシシやシカといった大きい獲物が見つからないなどあるのだろうか。

 基本的にこの森においてシカやイノシシを狙う天敵などはいなかったと思うのだが。

 なら何故?

 俺は森から感じる不気味な雰囲気を訝しみながらも、森の探索を続けた。

 探索を続けている内に、大分奥の方まで来てしまった。

 普段はあまり立ち寄らない森の深部。

 あまり深いところまで行き過ぎると魔物が出ると猟師の人から教えられていた。

 故にここまで来たのは俺自身初めてかも知れない。

 流石にここまで来てしまってはイノシシどころではないと、引き返そうとした矢先、近くから人の声が……悲鳴にも似た声が聞こえて来た。


「誰か……いるのか?」


 こんな奥深くに人がいるとは思っていなかった俺は、不思議に思いつつも声のした方へとゆっくり移動した。

 確かこの辺りからだと思い、周囲を見渡すと、俺は小さな洞穴のような場所を見つけた。

 そしてそれと同時に、先程よりもハッキリとした女の人の悲鳴が、洞穴の中から響いた。

 俺は困惑した。

 どうすれば良いか、分からなかった。

 洞穴の中に確実に女の人が捕まっている。

 悲鳴が聞こえて来たということは、何か酷いことをされているのだろう。

 しかし、その中に潜む、女性を脅かす敵が何か分からないことが、俺にとってとても恐ろしかった。

 でも、この場で俺が立ち去った場合、中で苦しんでいる女性はどうなってしまう?

 俺が助けを呼んだところで、村に戦える人なんてそんなにいない。

 何より、相手がもし盗賊であれ、魔物であれ、相対すれば最悪死人が出る。

 そんな危険を、見ず知らずの女性のために冒してくれるだろうか。

 答えは否。村人かどうかも分からない者のために、村人はおそらく動かない。

 今から冒険者に依頼を出したとしても、彼女は確実に助けが間に合わず助かる事はないだろう。

 なら、だったら、どうする?俺はどうするべきだ?

 俺は冒険者になりたい。

 だが、戦闘経験もなければ装備も整っていないこの状況で、素人の俺に何が出来る?

 最悪無駄死にするだけだ。

 弓はあるが、矢は有限だ。

 今ある矢は全部で十本。

 もし敵一体に対して一本で上手く仕留めることが出来たとしても、十一以上であれば俺は死ぬことになるだろう。

 ……だが、ここで逃げていいのか?

 そんな気持ちが俺の中で波打っている。

 どうせ冒険者になれば危険と隣り合わせ。

 いつ死んでもおかしくない生活の日々。

 ここでもし死んでしまったとしたら、俺の転生はその程度の価値しかなかったのだと諦めよう。

 どうせチートも何もない転生人生、ここで死んでも悔いは……結構ある。

 そうだな、死亡フラグっぽいな。

 もう少しそれっぽくまとめよう。

 そしたら、仕掛けよう。


「俺、この戦いが終わったら、妹と結婚するんだ」


 ……ただの変態じゃないか!

 中身の年齢考えろ馬鹿野郎!既に中年のおっさんよろしくな年齢の男が十二歳の幼女と結婚とかロリコンにもほどがあるわ!!!

 てかそれ以前に妹に手を出すとか犯罪だから!!!ふざけんな!!!

 ふぅ……多少は、落ち着いたか。

 そうこうしている内にも、途切れ途切れではあるが女性の悲鳴は聞こえてくる。

 まだ手足の震えは止まらない。

 やはり、今から命のやり取りを、今までの狩りとは全く違う、戦闘をしようとしていると思うと、緊張で、恐怖で震えて仕方ない。

 だが、行かなくちゃならない。

 行くしかない。

 俺の夢は魔術師だ。

 その夢が叶うまで、死んでなんてやるものか!


「火の精霊よ、我が魔力を糧に、顕現せよ──《トーチ》」


 いつも通りのルーティン。

 これのおかげで俺の震えは気休め程度にマシになったような気になる。

 だが、その程度でいい。

 後はしっかりと狙いを定めて、射るのみ。

 俺はゆっくりと、足音を極力立てないように洞穴の入り口に近付く。

 距離があるとあまり気にならなかったが、近付くと洞穴の中からはとてつもない異臭が放たれていた。

 まるでそれは糞尿のような臭い。

 思わず鼻を押さえてしまう程強烈な臭い。

 しかしこの臭いで、俺は確信した。

 敵は魔物だと。

 盗賊だった場合の選択肢をこの時点で破棄し、俺は魔物用の選択肢の中から一つ選び出す。

 洞穴の中は入り口付近であればいざ知らず、中の方は暗くてよく見えない。

 そんな状況下ではまともに戦闘など出来るはずもないため、俺は敵を誘き出す作戦でいくことにした。

 洞穴から離れ、茂みに身を隠しながら、手頃な石を持って洞穴へと投げつける。

 石は上手く洞穴の入り口付近の岩にぶつかり、離れていてもハッキリと聞こえるくらいの音を出した。

 それを何度か繰り返していると、洞穴の中から二体の魔物が現れた。

 ゴブリンだった。

 緑色の肌をした、小さい鬼のような姿。

 下卑た笑みを常に浮かべている奇妙な魔物。

 数が多く、世界各地にその生息区域が分布している魔物。

 小さな村を襲い、男は食って、女は犯し、村の家畜や作物も全て奪う、平民の天敵。

 俺はこの世界では初めて見たが、ゲームなどとそう大差ないその見た目に少しだけ安堵する。

 ゴブリンは決して強くはない。

 だが、村が崩壊する程には驚異の魔物。

 その一番の理由は数、物量の違いだ。

 村人も、ゴブリン数体であれば対処出来る。

 しかしそれが一度に十、二十と村を襲ってくると、どうしても手が足りず、壊滅する。

 故に、俺は安堵した。

 誘き出している内は、安全だと。

 俺は矢を番え、弓を引き絞る。

 一体仕留めたら、その次も迅速に仕留める。

 右手には番えた矢の他に、直ぐ次射を射ることが出来るようにもう一本矢を持っている。

 呼吸を整え、狙いを定める。

 いつもより呼吸が整いにくいのを鬱陶しく思いながら、俺は右のゴブリンの首筋に標準を合わせる。

 そしてゆっくりとした呼吸の後、いつも通りに俺は矢を放つ。


「火の精霊よ、我が魔力を糧に、顕現せよ──《トーチ》」

「グギィッ!?」

「ゴ──ボゲィ!?」


 二射命中。

 洞穴の入り口には首筋に矢が突き刺さり、痙攣して倒れているゴブリン二体。

 上手くいった。

 だが、今のゴブリンの断末魔が洞穴の中に聞こえていた場合、偵察に行ったゴブリンが戻らないと不審に思った場合、次に何体出てくるか、油断は出来ない。

 暫く身を潜めていると、再びゴブリンが二体現れ、仲間の死体を見て驚愕する。

 俺はその隙を見逃さず、またしても連射を試みる。


「ゲガギャ!?ゲゲグ──イギャ!?」

「ガゲ──ゴエァ!?」


 命中。

 しかし、次はヤバそうだ。

 先程、仲間の死体を見つけた後、洞穴に向かって何かを叫んでいるようだった。

 そしてそのすぐ後、仲間の悲鳴。

 もしかしたら、中に潜んでいる奴らが全員出てくるかもしれない。

 そんな不安を抱えつつ、じっと茂みで待っていると、不意に背後から気配を感じた。


「っ!?」

「ゲキャアアア!!!」


 ゴブリンだった。

 気配を感じた瞬間、その場から飛び退いた俺は背後を確認すると、俺が元いた場所にゴブリンが棍棒を振り下ろしている姿を見た。

 危なかった……一瞬反応が遅れていたら……今頃……。

 恐怖で足が竦んでしまい、上手く体勢が整わない中、俺は矢筒から矢を取り出し、即座にゴブリンに対して矢を放つ。

 しっかりとゴブリンの頭を貫いた矢は、ゴブリンを即死させるのには十分であった。

 しかし俺の心臓は破裂しそうな程に鼓動が激しくなっていた。


「これが……命の、やり取り……」


 どうにか荒い呼吸を整え、平静を取り戻そうとするが、早鐘のように脈打つ心臓がどうにも治らない。

 手で胸を押さえつけながら、視線を逸らしてしまっていた洞穴の方へ注意を向けると、総数六匹のゴブリンが入り口付近の死体を見つめていた。


「六……」


 俺は矢筒に手を伸ばし、矢の本数を確認するが、どう数えても五本しかない。

 先程のゴブリンの頭から矢を引き抜いてみるも、鏃が外れてしまいもう使い物にはならなかった。

 一本足りない。

 いや、本当に一本だけか?

 まだ中にいるかもしれない……そしたら本当にもうお終いだ。

 どうすればいい……。

 俺は自分の装備を今一度確認する。弓矢以外にはロープと小さなナイフくらいしかない。

 もしかしたら最後の一体だけならば何とかなるかもしれないが、それはつまりミスをしない事が前提。他に味方がいない事が大前提。

 だがもうここまで来たらやるしかない……。

 俺は一向に治らない心臓を無視して、集中する。

 まずは三体、その後に二体、最後に一体。

 矢筒から一気に三本の矢を抜き取り、一本目を番える。

 まだ奴らは死体が気になっている様子。

 ならばっ!

 ゴブリンに向かって三連射を繰り出す。

 三本はそれぞれ違うゴブリンの首筋に命中し、三体のゴブリンが倒れた。

 しかし残ったゴブリンは倒れた仲間を一瞥すると、矢の飛んできた方向、つまり俺の方を見つめ、俺の存在に気付いた。

 俺が矢筒から残りの矢を抜き取るまでに、ゴブリンは俺の方へ駆け寄ってくる。


「グガギァ!!!」


 一体が俺に飛びかかろうとするのを確認し、まずはそいつ目掛けて矢を放ち、しっかりと命中させる。

 痙攣しながら飛んで来るそいつを躱し、すかさずもう一矢。

 それで残り一体。

 矢を使い切った俺は弓を手放し、ゴブリンに背を向けて走り出す。

 当然の如くゴブリンは俺を追いかけて来るが、それは望むところ。

 俺はゴブリンが跳ぶ瞬間を待った。

 暫くゴブリンとの追いかけっこが続き、俺の体力もそこそこ限界に近づいて来た頃、漸くゴブリンが痺れを切らしたのか飛び掛かってきた。

 それを確認した俺は、目の前の木に向かってジャンプし、その勢いのまま木の幹を蹴った反動で後ろに飛び上がる。

 ゴブリンの着地点よりも後ろに飛び、ゴブリンの頭上を通り過ぎる間際、俺はロープをゴブリンの首に巻き付け、着地と同時に締め上げた。


「グギィッ!グガッ!ギャガッ!」


 悶え苦しむゴブリンを後ろから足で押さえつけ、ロープで締め付けながら首をあらぬ方向へ捻じ曲げる。

 骨が折れる音と共にゴブリンは静かになり、泡を吹き、ロープや足への抵抗感がなくなったことを確認してから俺はゆっくりとゴブリンから離れた。

 しかし念には念を入れて、俺は小さなナイフでゴブリンの首筋を指した。


「はぁ……はぁ……はぁ……や、やった……」


 計十一体のゴブリンに対して無傷で勝つことが出来た。

 初めての魔物との戦いにしては上出来なのではないだろうか。

 やった、やったぞ……これで少しは、経験になっただろ……。

 初めての勝利への高揚感に包まれ、気分が良くなっていた俺はスッカリと洞穴の女性のことについて忘れてしまっていた。

 しかし高揚感が収まった後、俺はふとそのことを思い出し、慌てて洞穴へと向かって走り出した。

 弓を回収した俺は、念のために石を洞穴に投げつけ、中にゴブリンが残っていないか確認してみたが特に反応がなかった。

 そのため俺は落ち着きを取り戻し、光源を得るために周辺の枝を用いて火を起こす。

 簡易的ではあるが、上着の袖をロープで木に巻き付けただけの松明を作り、意を決して中へと入っていった。

 中に入ると異臭はもっと酷くなり、鼻が馬鹿になりそうだったが、臭いに耐えながら奥へ奥へと進むと分かれ道があり、俺は取り敢えず右に向かった。

 右に暫く進むとそこそこ広い空間に出たが、ガラクタのような物が散乱しているだけで特に何もなかった。

 恐らく奴等にとってのリビングのような場所なのであろう。

 であれば左は当然この洞穴の臭いの原因がある場所となるのだろう。

 俺は鼻をしっかりとつまみながら左へ進むと、そこにも広めの空間があり、そこら中に汚物が散乱していた。

 虫が多く飛び交い、俺の松明の光に寄ってきては燃えて死んで行く。

 早くこんな場所から出て行きたいと思いつつその空間を見渡すと、やはりと言うべきか女性が何人か倒れていた。

 女性たちの元に駆け寄り、松明で照らしてやると、それはもう無残な姿であった。

 ゴブリン共の慰み者になった挙句、殴る蹴るの暴行など当たり前であったかのような傷跡。

 到底見ていられるものではなかった。

 しかし、奇跡的に彼女たちは生きていた。

 ゴブリンたちも大事なメスを簡単には殺さないということなのだろう。

 彼女たちが生きていたのは良いことなのだが、ここから運び出す術がない。

 こんな所にいては傷口がどんどん悪化して、最悪死んでしまう。

 今にも死にそうな彼女たちをこのまま置いて村まで戻っている時間が惜しい。

 俺は取り敢えず洞穴の入り口まで彼女たちを運ぶ事にした。

 焼け石に水だろうが、死ぬにしてもあんな糞尿まみれの中で死ぬよりも、新鮮な空気の中で死んだ方がよっぽどマシだと思ったからだ。

 計三人の裸の若い女性を運び出すのに、何故こうも悲しい気分になるのだろうか。

 状況が違えばきっともっと別の感情が生まれそうなものだが、事ここに至っては一切そういう気分にならない。

 三人目の一番小柄な、女性というより少女と呼ぶべき人を運び終えた俺が村に助けを呼びに行こうとした時、周囲を囲まれていることに気付いた。

 茂みに潜んでいる者の正体が分からないほど俺も愚か者ではない。

 ヒントはあったのだ。

 俺が洞穴に戻った時、まだ入り口にゴブリンの死体はあった。

 しかし今やどうだろう、入り口付近に横たわる女性の傍にその死体は見当たらない。

 つまり、誰かが片付けたのだ。

 では誰が?決まっている。

 ゴブリンの死体をわざわざ片付ける輩などゴブリン以外に考えられない。

 つまり奴らは、俺を洞穴の中へとわざと導いたのだ。

 俺を袋叩きにするために。

 幸運だったのは、ゴブリンが馬鹿……いや、変に悪趣味であった事だろう。

 今の俺など、洞穴に入ってすぐに奇襲をかければ殺せたはずだ。

 しかし奴らはそれをせず、わざわざ女性の救出を待った。

 何故?それはきっと、俺を絶望させるためだろう。

 苦労して助けた甲斐なく、ゴブリンに殺される。

 そうした光景が、奴らは見たかったのだろう。

 そして今、状況は整った。

 なら、後は仕掛けるのみ。

 徐々に何体ものゴブリンが茂みから姿を現し、俺に近付いてくる。

 俺の装備は弓とナイフと火の消えた松明だった木の棒。

 到底敵うわけもない。

 必死に抵抗してみるが、きっとここで俺の人生は終わってしまうのだろう。

 前世よりも短かったこの転生人生。

 ここで終わってしまうのはとても悔しいが、一応、冒険者っぽいことが出来たから、満足──出来るわけがない。

 俺はまだ魔法を使っていない。

 剣と魔法の世界で、猟師の真似事しかしていない。

 俺が望んでいるのはこういった状況でも、起死回生の一撃を放ち、九死に一生を得るような魔法。

 それを夢見た転生が、こんな所で終わって良いわけがない!!!

 覚悟は決まった。

 武器は弓とナイフと木の棒。

 こんな装備じゃ全然大丈夫じゃないが、今の俺は弓士だ。

 弓士は、後衛の守りの要!

 俺が逃げたら、彼女たちはまた洞穴に逆戻り。

 それだけは、許してはいけない。

 いつものように呼吸を整える。

 ゴブリンは絶体絶命な状況で落ち着いている俺を奇妙に思ったのか、いきなり飛びかかってくることがなかった。

 そうだ、怯えろ。

 何も持たない俺に、意味もなく怯えろ。

 転生のテンプレよろしくなチート能力も、急成長も、運もよくなければ生前何かを極めていたわけでもない。

 あるのは今世で鍛えたこの体と弓の腕。

 これに何の不満がある。

 誇れ!自分を!ゴブリンを十一体も倒した自分を誇れ!

 やることはいつもと同じ。

 矢を番え、弦を引き絞り、放つ。

 だがその前に、意味ある言葉を意味なく呟かなければ、俺じゃない。

 俺の左手には愛用の弓、俺の右手には矢の代わりの木の棒。

 十分じゃないか。

 矢の代わりなんていくらでもある。

 その辺に落ちてる枝葉は全て矢だ。

 弓士は動き回ってなんぼ。

 動き回り、飛び回り、的確に一体ずつ射抜き殺す!


「さぁ、さぁさぁさぁ!!!火の精霊でも何でも良い!この場に在わす全てのものよ!ご笑覧あれ!!!これぞ俺の、アルフレッドの一世一代の大立ち回り!瞬きすることなく、目を見開いてご覧あれ!!!」

『ふふ……』


 俺の雄叫びにも似た掛け声に対し、何処からか小さな笑い声が聞こえた。

 しかしそんな事は今の俺に気にしている余裕などなく、ゆっくりと構えを取る。


 木の棒を番える。


「火の精霊よ──」

『──私は火の精霊ではないけれど』


 そよ風が吹く。

 弦を引き絞る。


「我が魔力を糧に──」

『──貴方に魔力はないけれど』


 強風が渦を巻く。

 狙いを定める。


「顕現せよ──」

『──頑張る貴方に褒美をあげる』


 竜巻は木の棒に纏わり、勢いを増す。

 後は、放つのみ。


「《トーチ》──」

『──《ストームブレス》』


 俺自身、その時何が起きたのかはあまり覚えていない。

 ただ、目を覚ますと自室のベッドの上にいて、側に泣き喚く妹の姿があった。

 ゆっくりと体を起こし、妹の背中をさすってやると、急に態度が一変し、泣き腫らした目元を隠しながら悪態をついてきた。

 そして部屋を出て行く妹と入れ違いに、冒険者っぽい人が現れた。

 とても軽装で、前衛とは思えない彼の顔を、俺は何処かで見た事がある気がした。

 彼は俺が無事である事を確認すると、微笑んでこう言った。


「弓士、前衛を補助しつつ、後衛を、魔術師を守る良い職業ですね」

「貴方……は……!」


 声を聞いて、俺はその人物のことを思い出した。

 約九年ぶりの再会。

 俺は背が伸びて成長し、彼は少し老け込んだように思える。

 だが、間違いなく俺の知る唯一の魔術師。

 過去、俺に現実を突き付けた白髪の魔術師。

 俺に、ただ一つの魔法を教えてくれた魔術師。

 俺は何故この人がここにいるのか分からず、驚きを隠せなかった。

 何も言えずにいると、彼はポツリと呟いた。


「やはり、私の目は節穴でした」

「え?」

「きっと君は、魔術師よりも素晴らしい存在に至るでしょう」

「え……?」


 言われている言葉の意味が分からず、俺の頭は更に混乱する。

 しかし、彼の目を見ると、何故だかその視線は俺ではない何かに向いている気がした。

 俺の……後ろ?

 視線を追って俺も後ろに視線を送ってみるが、そこにはただ壁があるだけだった。

 どういうことだろうと不思議に思っていると、魔術師はまた少し笑った。


「見えず、契約も無く、ただそこにいる……ふふ、これは凄い」

「あの、どういう事ですか?」

「そうだね……君は、君のままで良いという事だよ」

「はぁ……」


 意味が分からなかったが、魔術師の彼が紡ぐ言葉の意味を魔術師でない俺が分かるわけもない。

 きっと魔術師の彼には何かが見えていて、俺が今ここに無事でいる理由も知っていて、俺がどうするべきかも分かっているのだろう。

 俺が魔術師になれば、その答え合わせが出来るのだろうか。

 そんな淡い期待を胸の奥にしまい込み、俺は再び訪れた睡魔に身を委ねるのだった。


「風の精霊シルフ……私は、彼に教えるべき魔法を間違えてしまったかな」


 眠りにつくアルフレッドを見つめ、魔術師は苦笑しながら静かに部屋を出て行った。


 後から聞いた話であるが、あの魔術師はとある依頼で偶然近くを通りかかっただけだったそうだ。

 そこで森の中で倒れる俺と女性たちを見つけ、保護してくれたとのこと。

 彼から直接事情を聞いたわけではないが、恐らくこの惨状は、彼の魔法の結果なのだろう。

 俺はゴブリンがいた洞穴へ再び来ていた。

 しかしその周辺の景観は一変しており、まるで大型の台風がこの場所にいきなり発生し、この場で消えたかのような惨劇。

 洞穴の入り口から直線上に真っ直ぐと、木々が根こそぎ薙ぎ倒されていた。

 地面も抉れ、まるで舗装している途中の道のようだった。

 こんな事が出来るのは彼しかあの場にはいなかった。

 それ以外に、考えられなかった。


「これが……魔法……」


 その力の強大さを実際に感じ、俺は体が震えた。

 こんな事が出来るのか、こんなにも凄いのか、こんな事が出来るようになれば、どれだけ素晴らしいことだろうか。

 俺は興奮が収まらなかった。

 今はまだだが、いつかは俺も。

 そんな夢を胸に、俺は森を引き返して行く。


 ゴブリンの事件があってから約一年、遂に運命の日がやって来た。

 俺の十五歳の誕生日である。

 それはつまり、俺の冒険の始まりでもあった。

 今日は誕生日であり、成人祝いでもある。

 テーブルの上には今まで見たこともないようなご馳走の数々が並び、三人の家族から祝福される。

 しかし、その笑顔の裏に不安の色が見えるのは仕方ないことだろう。

 明日、俺はこの家を出て街に行く。

 今生の別れとまではいかないが、運が悪ければ来年を迎えることなく一生会う事がないかもしれない。

 そんな世界へと足を踏み入れようとしている息子を心配しない親がいようものか。


「兄貴」


 ご馳走に舌鼓を打つ中、アイシャがポツリと小さな声で俺を呼ぶ。

 俺の妹は未だ反抗期で面倒くさい。

 だが、根が優しい子なのは家族みんな知っている。


「なんだ?」

「イノシシ、忘れないでよね」


 あのゴブリンの一件以来、結局俺はイノシシを獲れていなかった。

 森に深く入り過ぎたからあの様なことになるんだと、両親や猟師の人たちからこっ酷く叱られ、あれ以来森の浅いところでの狩りしか許してもらえず、イノシシに出会う事がなかったのだ。

 しかし妹がご所望とあれば、獲って来てやるしかあるまいて。


「当たり前だ。俺を誰だと思ってやがる」

「馬鹿兄貴」

「そうだ。妹にイノシシを食べさせるために生き続ける、馬鹿兄貴だ」

「……ばか」


 きっと、俺が死ねば両親は悲しむ。

 きっと、今のように馬鹿兄貴と言いながら、妹も泣くことになる。

 絶対とは言えないが、極力死なないように頑張ろう。

 そして毎年、妹にイノシシを届けてやろう。

 いや、街に行けばもっと美味いものがあるかもしれない。

 イノシシより美味いものが見つかれば、それを持って帰って来てやっても良い。

 けど、多分この妹のことだ。

 イノシシって言ったじゃん、と俺を批難するのだろうな。


 夜、俺は明日の支度を整えていた。

 といっても大した荷物じゃない。

 一番大事なのは弓、これを忘れては話にならない。

 その次に金、これは少ないながらも両親から貰った軍資金だ。大切に使おう。

 後は生活に必要な細々としたもの。主に着替えなどだ。

 事前に用意していたため、これは最終チェックのようなもの。

 忘れ物がないことを確認すると、鞄の中に出した物を全て入れ込む。

 そんなことを既に数回行っているあたり、俺自身全く落ち着きがないことは自覚している。

 しかし、どうにも落ち着かない。

 明日からの新たな門出に、期待と不安が入り混じった感覚を覚える。

 俺は少し外の空気が吸いたくなり、家の外へ弓を持って出ていった。

 そして何の気なしに歩いていると、やはりと言うべきか、訓練場に辿り着いてしまった。

 ……最初は、的に当てるだけでも精一杯だった。

 止まっているのに、全然当たらない矢に、苛立ってばかりだった。

 何度も何度も、毎日毎日、同じ動作を繰り返した。

 指には何度もマメが出来、潰れ、また出来てのエンドレスリピート。

 今だって、ずっと弓を引いていればマメが出来る。

 だが、昔よりも遥かに硬くなった手の皮だけが、俺の努力の証。

 きっと魔術師には必要の無い、硬い皮。

 今ではもう、このままでいいのではないかと思ってしまう自分がいる。

 なんて言ったって十年だ。

 これ程まで何かに長期間打ち込んだことなど、前世ではなかった。

 恐らく、弓士としてなら俺の実力はそこそこあると自負している。

 いずれ魔法が使えるようになれば、矢に魔法を付与して放つ、魔弓士なんてものになってみるもの一興かと考えていた時期もあった。

 不意に溜め息が出る。

 何故俺には魔力が無いのか。

 幾度となく自問自答したこの議題に対する答えは未だに出ない。

 魔術師の彼に聞けば、もしかしたら何か分かるのかもしれないが、何か分かったところで俺に魔力が宿るわけではないだろう。

 もう一度、溜め息が出そうになったのを堪え、俺は深呼吸に切り替える。

 もしかしたらこれが最後になるかもしれない。

 俺がこの村で放つ、最後の一射。

 そんなことを考えながら、俺は弓を構える。

 いつもと変わらない動作。

 何度も繰り返し、目を瞑っていても今自分がどういった状態であるのか理解出来る程に決まり切った構え。

 弦が抵抗し、腕に力が篭る。

 最後には、いつもの言葉を紡ぐ。


「火の精霊よ、我が魔力を糧に、顕現せよ──《トーチ》」


 放った矢は、吸い込まれるようにして木の幹にある的の真ん中に突き刺さる。

 今更、ここで外す事があれば、明日の出発を見送ろうなんて弱気になりかけていたが、どうやらそれは杞憂であったようだ。

 心配することなど何もない。

 俺にはこの弓がある。

 この十年、手入れや調整をしながら使い続けたボロい弓。

 今の俺には少し小さいが、子供の頃は大きく感じた中途半端な大きさの弓。

 大弓などを使える程の膂力も無く、森の中で動き回るには丁度いい大きさの弓。

 俺は自身の弓に感謝しつつ、的に刺さったままの矢を抜き取る。


「──《トーチ》」


 その時、不意に背後から光を感じた。

 弱々しいが、夜の暗闇を照らすには十分な、小さな光。

 俺はその光が何かを知っている。

 バツが悪そうに苦笑しながら、俺は後ろを振り返る。

 そこにはいとも簡単に右手の指先に蝋燭程度の火を灯す、妹の姿があった。


「明日、早いんでしょ?」

「興奮して眠れなくてな」

「そう」


 そこで一旦会話が途切れる。

 家を出て行く俺の事を、妹は一体どう思っているのだろうか。

 その事は結局聞けずじまいでいた。

 羨ましいとでも思っているのか、それとも愚かだと蔑んでいるのか。

 思春期の女子の気持ちなど、彼女がいたことのない俺にはてんで分からないし、兄しかいなかった俺には妹の扱いだってよく分からなかった。

 でも約十三年、共に同じ屋根の下で生活していたからには、ある程度の察しはつくようになるものであった。


「魔法、上手くなったな」

「こんなの、誰でも出来るわ」

「俺には出来ない」

「……ごめん」


 申し訳なさそうに妹は俯き気味に謝る。

 別に気にしなくたっていいのにな。

 いや、今のは俺の言い方が悪かったか。

 妹は俺のように魔術師と出会い、魔法を教わったわけじゃない。

 ただ、俺を見ていただけだ。

 俺が唱える呪文をいつの間にか覚え、いつの間にか出来るようになっていた。

 そりゃ、最初にそれを見た時、妹の指先に灯る火を見た日の夜、俺は枕を涙で濡らしたものだ。

 悔しくて、家を飛び出したい気分だった。

 だが、指先に火が灯り、嬉しそうに俺に報告する妹を見ていると、俺は確信した。

 俺が守らないと、と。

 まぁ、その守るべき対象から離れようとしているのは本末転倒な気がするが、俺はその前に決めていた事があった。

 魔術師を守る。

 か弱い妹はまさにそれだ。

 魔術師は魔法の研鑽を積むのに必死で、決して体力の必要な冒険者に向いているとは言い難い。

 熟練の冒険者の魔術師ともなれば違うのだろうが、最初の頃など冒険について来るだけでも必死だろう。

 敵と出会った時、落ち着いて魔法を放つ時間を稼いでやる必要がある。

 その為に、俺は彼らの側にいてやらねばならない。


「兄貴はなんで、魔法が使いたいの?」

「……」


 不意に妹から出た質問に対し、俺は口を開きかけたがすぐに閉じ、少し考え込む。

 だがそれもしばしの間。

 俺は頭の中で整理がついていないまま、再び口を開く。


「最初は、夢だった」

「夢?」

「何でもいい、ほんの小さな火でもいいから、世界の常識を無視した、不思議な力に憧れた」

「魔法なんて、常識じゃない」

「そうなんだけどな、俺にとっては非常識なものだったんだ」

「ふーん……」


 納得のいっていない様子の妹を見て、そりゃそうかと俺は心の中で呟いた。

 剣と魔法の世界の住人にとって、魔法は最初からあって、それがある事が常識で、何ら不思議な事ではない当たり前の事象。

 普通なら妹の考え方が一般的で、俺の考え方が異常なのだ。

 だが、この気持ちが抑えられないのは、もうどうしようもない事だった。


「初めて魔法を見た時、感動した」

「あの魔術師の?」

「あぁ、あの人に初めて魔法を見せてもらってからは、止まれなかった。俺の気持ちを抑えていた何かが、弾け飛んだ気がした」

「使えないって分かってて?」

「諦め切れるほど、柔な気持ちじゃなかったんだ」

「そう」


 つまらなさそうに相槌を打つ妹に、俺はほんの少しだけ、心の奥底から這い出してきそうな醜い妬みを抑えながら、腹が立ってしまう。

 どうして俺だけ、何で兄妹なのに、同じ両親から生まれているのに。

 そう思わずにはいられなかった。

 だからだろうか。


「私、魔術師になる」

「……へ?」


 妹から突然このような言葉が出て、間の抜けた声が出てしまったのは。


「私も後二年で成人。そしたら魔法学校に通って、魔術師になる」

「いや……流石にそれは……」

「兄貴の代わりに、私がなってあげる」

「アイシャ……」

「だから、お金はよろしくね!」


 笑いながらそう言って、妹は家の方へ走り去ってしまった。

 俺の返答も聞かずに。

 まぁ、俺は優しい優しい超優しい兄貴だから?妹の夢くらい、応援してやるんだけどさ。

 振り返り、今一度木の的を見つめる。

 妹がそう言ったからといって、俺はまだ諦めるつもりはない。

 だから、これは競争だ。

 俺と妹、そのどちらが早く、魔術師となるか……いや、魔術師として大成するか、にしておこう。

 魔術師になるだと、確実に負ける。

 というか、既に負けてる。

 最後と言ってしまったからこれは的には当てない。

 俺はもう一度だけ矢を番え、今度は的ではなく、頭上に照準を合わせた。

 今はただの矢に過ぎなくとも、いつかはきっと、闇夜を照らす光の矢だって、射ってみせる。

 放つ矢は夜空へと消えていき、アルフレッドはその場から去っていった。

 しかし矢はいずれ落ちるもの。

 重力に負け、地面に突き刺さった矢は、奇跡か、はたまた偶然か、アルフレッドが矢を放った位置に寸分違わず突き刺さった。


 翌日、俺は家族に見送られながら村を出た。

 不思議と悲しくはない。

 それはきっと、妹との約束があるからだろう。

 生きて帰る、イノシシを持って、金を持って。

 もう後戻りは出来ない。

 進んだからには振り返らない。

 漸く始まる俺の物語。

 今後どうなっていくのか、俺自身も分からない。

 ちゃんと、それっぽい冒険の物語になってくれたら、言うことはない。

 まずは街で冒険者になる。

 全てはそこからだ。

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