#2 本屋さん
東京、吉祥寺。
都心、新宿から電車で15分。西東京の武蔵野に位置するその都市は、高層ビルの建ち並ぶ都心に比べると幾分落ち着いた雰囲気を醸し出している。
度々行われる住みやすいランキングというアンケートでは、もはや常連とも言える都市である。
知紗は大学進学を期に生まれ育った埼玉県の秩父市から上京した。
初めは街の歩き方すら分からず戸惑っていた知紗も駅前を中心に少しずつ土地勘を磨いてきた。
知沙の住むマンションは駅前から少し離れた閑静な住宅地にある。
「さてっと。」
履いていく靴を一瞬迷って手が宙を踊る。そう、これから今日発売のコミックを買いに行くのだ。
目的地はここから1番近いショッピングビルだ。この辺りはあまり本屋さんが多くない。駅周辺に近づくにつれて増えては来るのだが。
「スイッチが入れば速いんだけどね、あんたは。」
よく母親に言われた一言だ。余計なお世話だっての。
それを言われるといつも突っかかってしまっていた。今考えれば自分はとっても子供であったし、早い話が図星だったのだ。
子供の頃からやろうと思っても、行動に移すのが億劫で、何もしないことが多かった。
夏休みの宿題は休み最後の3日で片付けていたし、テスト勉強もだいたい一夜漬けだった。
その結果、皺寄せが終わりにやってくる。でも、不思議と後悔はしていなかった。負けず嫌いとかじゃなくて、本当に。
まぁ、だから今もその癖は変わっていない。
何故か突然入るスイッチも健在だ。
今だって、10分前までは家でごろごろしていたのにこうして本屋さんに向かっているし、その歩くスピードはいつもよりも1.5倍は早いと思う。
「あれ?」
その出会いは突然だった。
『美寿々堂』年季の入った木看板に白字でハッキリと書かれていた。
こんな所に本屋さんなんてあったっけ。
外観はいかにも田舎の本屋さん。でも、その割に入口にはネットニュースに載るような小説の宣伝ポスターが貼ってあるし、店内もそこそこに広そう。
最近本屋さんに改装されたとか?いや、看板は古っぽいし。まだまだ知らない場所は多いってことかな。
知紗は見知らぬ本屋に様々な憶測を重ねると同時にその足は店内へと向かっていた。
そんなことはどうでもいいのだ。大事なのは探しているコミックがあるかないかだから。
半分諦め、半分期待で中に入って見ると一目で杞憂だったことが分かった。
新作のコミックはもちろん、小説やビジネス書、雑誌も一通り揃っているという徹底さ、間違いなくハイスペックな本屋さんだ。
よく地元でコアな雑誌を探している時、チェーン店の本屋さんに行っても全然なかったのに、街角の本屋さんに行くとあったりする、そんな感じである。
あと、入ってみて分かったのだがこのお店、奥にとても広い。
へぇー、こんなにあるんだー。とどんどん奥の方へと足を踏み入れて行くと、ふと小説の棚の近くに机が置いてあるのが見えた。
なんだろう。あれ。
足は自然とその方向に向かっていった。
しまった。そう思った時には既に時遅し。
『紫 ゆかりサイン会』
長机の奥にポツンと座っている、おそらく紫 ゆかりさんと目があってしまっていた。
その間、2秒。
次の瞬間にはその空気に負け、視線を横に逸らしてしまった。それがさらにいけなかった。
割と並んでいる列の後ろに最後尾というプラカードを持った40代くらいの女性店員さんと目があってしまったのだ。
気づいた時には私はその列に並ばされていた。いや、だって、店員さん自ら連れに来るなんて思ってなかったんだもん。