穏やかなる水のため
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
君の家では浄水器は使っているかな? あれには色々と注意ごとがある。
例えば、水はしばらく出しっぱなしにしてから使う、っていう注意を聞いたことはないかい? あれ、最初に出てくる水は蛇口内でとどまり続けていた水だから、錆とかを大いに含んでいる可能性を持ち、浄水器の寿命を削るという話だ。
ややもすると「水の無駄遣いだ」とかで、あまり水を出さないことが求められがちだけど、それによって錆の潜んだ水で洗ったり、飲んじゃったりして済ませろってわけだろ? どうかと思うねえ。やはりきれいな水を使いたいものだ。
私もあることをきっかけに、浄水に気を配り出した。恥ずかしい話でもあるが、少し聞いてもらえるだろうか。
まだ中学生だった時分。
喉が渇きやすい私にとって、水飲み場で水をがぶ飲みすることは、至福を感じる時間のひとつだ。
たとえろくに身体へ吸収されず、ほどなく下から出て行ってしまうとしても、満ち足りたのどごしが、腹と頭を潤す瞬間が好きだったんでね。家まで我慢できないあたり、相当なこだわりがあったなと、しみじみ思うよ。
その公園の蛇口は、上向きと下向きがそれぞれひとつずつ。私が使うのはいつも下向きのもので、手ですくって飲んでいる。
上向きだとほら、万有引力があるだろ? 前に飲んだ人がへたくそで、つばが混じった水が口の部分へかかっていたらと考えると、汚いじゃん? その点、さすがに下向きの蛇口に、吸い付きながら飲む人はいないだろう……いないよね?
そう信じて水道を利用し続けていた私だが、ある寒さが厳しい夕方のこと。
その日、ひときわのどの渇きを覚えた私は、いつものように公園へ向かう。
水道とは反対方向にある砂場で、遊んでいる子供が二名。他の人影はなし。子供たちは小さいバケツ持ちで、水くみに来る恐れあり。
ささっと済ませようと思い、蛇口をひねってみたが水がなかなか出てこない。さらにひとひねり、ふたひねりしていくが、水滴がぽたぽたと漏れ出すばかり。
これが朝早くだというなら、分からないこともない。夜間には氷点下になるこの地域。管の中に溜まっていた水が凍り、出なくなるのはなきにしもあらず。
だが、今は夕方。カチコチに固まるにはまだ早いはずだ
「出てくれよ〜」と願いを込め、蛇口の根元にチョップを数発かます私。
叩けばどうにかなる。当時のラジオとテレビを相手に培った概念だ。
がぼぼ、と今にも溺れそうな声を出す蛇口。そこからにょきっと頭を出したものがある。
花が咲いていた。蛇口の管の部分をあたかも茎のようにして、六枚の花弁を広げた白い花は、中央に緑色のめしべをたたえ、それを取り巻くように黄色い「やく」を持ったおしべをしたがえている。花弁のすき間からどくどくと、水が漏れ出していく。
思わぬ事態に面食らいながらも、私は水の勢いを緩めて、蛇口からわずかにはみ出る「がく」の部分をつまみ、引っ張ってみる。「ブチ」と蛇口の奥で根っこが切れる音がした後、あっけなく花は引っこ抜けた。
花から主根と思われる白く細長い先端まで、長さはおよそ10センチ。この辺りでは、よく見かける花だったこともあり、いたずら目的かと思った。
嫌な感じがして、私はその花を公園の茂みの中へ投げ込む。
この直後で水を飲む気にはなれない。私が水飲み場に背を向けかけると、あの砂場で遊んでいた子供のひとりがバケツを持って蛇口へ近づいていく。つまみをひねり、砂で半端に汚れたバケツの中へ水を満たしていく少年。
せいぜい汚いダシを持って行ってくれ、と私は頭の中で願った。
翌日のこと。件の公園で事件が起こった。
子供たちが遊んでいた砂場の近くにあるベンチ。その足元にロープでつながれた犬と、倒れている老人がいたのを、犬の吠え声を聞いた通行人が駆けつけ、救急車を呼んだんだ。
老人は頭部をけがしていた。何か固いもので殴られたと考えられるが、凶器は出てきていない。老人の家族の話では、あの公園は散歩する道の途中にあり、歩き疲れるとあそこでしばしば休むことは、以前に本人が話していたらしい。
老人は意識が戻らず、そのまま入院。危険な通り魔が出たとうわさになり、件の公園へもあまり近づかないよう指示が出される。小学生の帰り道にも、親御さんが立つ姿が増えて、警戒が強まっていた。
李下に冠を正さず。変に疑われないため、私も水を飲むことは自重したものの、帰り道にある関係でそばを通ることは変わらない。
そして、事件から数日後。そばまで来た時、公園にほど近い場所に車を停めた人が、下を向いた蛇口にホースを取り付けて洗車をしているのを見かけたよ。すぐ逃げられるようにだろう、エンジンをかけっぱなしだった。
見たことのある車。付き合いはないが、近所に住んでいる家に停めてあった一台のはず。洗車代すらも惜しいのだろうか。
車を洗っている二十代そこそこに見える男性は、こちらに気づいていない。私も因縁をつけられるのは勘弁で、そそくさと遠回りしながら帰宅する。
そしてまた起こった。今度は事故だ。あの洗車をしていた車が原因。
自宅の車庫の正面にある月極駐車場。そこに立っている看板を壊し、契約している車の側面へ突っ込んだ。話に聞いたところ、当てられた車は運転席のドアがひしゃげて外れかかり、窓も全損でひどい有様だったらしい。
できた傷の具合からブレーキを踏んだ様子もなく、車の持ち主はかなりご立腹で、あの洗車をしていて男性へのアタリは強かった。
対する男性は「アクセルに少し足をかけただけで、車が急に飛び出したんだ」といって聞かない。あくまで車のせいで、自分には非がないと訴え続けていたよ。
素直に頭を下げたくない気持ち、わからなくもないが、はたから見ると見苦しいことこの上ない。あの公園の水を勝手に洗車に使うという、ルール違反の姿を見ていると、なおさらだ。
でも、この時の私はあまりにも気楽に過ぎた。
「あれだけ使われた後だったら、ダシも残っていないだろう。またのんびり水が飲めるな」と考えていたのさ。
およそ半月後。私は念願のがぶ飲みに着手する。蛇口から勢いよく出る水を、すくっては飲み、すくっては飲み。久しぶりで口にする公園の水は、以前よりも格段においしくなっているように感じられた。
ご無沙汰だったこともあり、たぶん一リットル近くはお腹に溜め込んだだろう。歩くと時々、水音がするのを感じながら、私は自分の部屋で大の字に寝そべる。
飲水に続く、当時の私の楽しみ、その二だ。夕飯ができるまでの間、たぷたぷに水が溜まった「満腹感」を抱いて、うとうとするというのがね。けれど、その日はいつもは何ともないお腹が妙に熱くなったのを覚えている。
異変は夕食時に現れた。
私が握る食器は、どれもおもちゃかと思うほど、もろく壊れてしまうんだ。
いつもと同じ感覚で挟んだ箸は、二本とも中ほどから完璧に折れた。茶碗も同じで、私が指をかけた縁が、ボロリと取れてそのまま落下。中身のご飯を残して、大破してしまう。しまいには勢いよく引いた椅子も、背もたれが外れて足までもげるという惨事。
どうにかケガをせずに済んだが、虚栄心の塊である私にとっては、耐えがたい醜態。「ごめん」と一言だけで席を立った私に、親たちは「大丈夫?」とだけ声をかけて、他に何も言葉を掛けてこなかったのが、かえって助かったよ。
――どうしたんだ、一体。
心なしか、歩くたびに床板どころか、家そのものをきしませているような感じがする。身体は重く、でも力は強く……家に帰る前の私とは大違いだ。
まるで力加減を知らない子供のよう。身体のコントロールが効かなくなってしまっている。
部屋のドアがノックされ、入ってきたのは祖父だった。「具合はどうだ」とのこと。
僕が正直に感じるままを話すと、「少し待ってろ。わしが戻るまで動くなよ。ものを壊しかねんからな」と部屋を出ていく。
十分ほど待ったろうか。祖父がまた部屋に戻ってきた時、花を一輪携えていた。あの日、公園の蛇口から私が引っ張り出したものと同じだ。
私の顔を見て、祖父は「やはりか」とつぶやいて続ける。
「じいちゃんも若い頃にな、水を飲んだ後に馬鹿力を授かったことがあった。触ったものの大半を壊し、ちょっと人とぶつかっただけで、相手の骨を砕いてしまうほどにな。
そんな時、お前にとってのひいばあちゃんは、いつもこの花を探して茎を折り、しゃぶらせてくれた。すると、次第に身体から力が抜けていき、一晩で体調が戻ったんじゃ」
私は言いつけ通りに茎をくわえる。苦い汁がにじみ、のどを垂れて胃に注がれる。生温かささえ感じるのに、お腹はひんやりと冷たくなっていった。
祖父の話では、この力が湧く水はずっと昔から、散発的に姿を現すらしい。その水を受けたものは生き物ならば頑健に。生き物でなければ命に似た力さえ宿る。
伝説ではずっと昔にこの水が湧いた時、通行の邪魔になる岩へぶっかけたところ、一刻ほどで勝手に岩が転がり出し、崖下へ消えていったこともあったとか。
だが、この水。人に使うと強い力を授かる代わりに、放っておくと良くて三日で死に至るという。その浄水効果を担うのが、この花だ。
そのため件の症状が出ると、しばらくは生活用水にこの花を漬けて、扱う日が続いたらしい。
ただ歴史上、数十年の間隔が空くことが常なので、うっかりしないようにと、水道を任された誰かが、自動浄水装置として仕込んでおいたのだろう、と祖父は語ったよ。
翌日。私の力は元に戻っていた。祖父の手回しがあったのか、ほどなく例の公園の水道はしばらく使用禁止となる。
だが、不安は残っていた。最初に老人の頭を殴打した犯人は、まだ見つかっていないんだ。
もしも、あの花を通さない水が、命なきものへ命を与えるのならば、思い当たる犯人は、あの日、バケツに汲まれた水を存分に浴びたであろう砂たち。
それらがまた、どこかに姿を現すんじゃなかろうかとね。




