濃霧
少し、ばつの悪い様な表情をして、テーブルの前に座っている。
テレビのリモコンをパチパチと色んな番組に変えながら、チラチラ私の方を見ている。
私は黙々とキッチンでご飯を作っていた。
「今日のご飯は…。」
「カレー」
健一の質問が終わる前に答えた。
「機嫌悪いの?」
「別に。」
「怒ってる?」
「全然。」
私は怒っていた。何に対してイライラしているのか分からなかった。
健一は何もしていない。ただ、「ご飯が食べたい。」と家に来ただけ。いつもの事じゃない。しかし私は、健一に対してなぜか腹が立っていた。
思いの外カレーは美味しかった。
「美味しい。」
カレーを口いっぱい頬張る健一を見ていたら、さっきの怒りはどこかへ行ってしまっていた。
少し落ち着いた様だ。
「良かった。」
私は健一の前に座り、一緒にカレーを食べた。健一は私を見ながら
「何怒ってたの?」
と聞いてきた。私はまた、怒りが出てこないように、
「本当に怒ってないよ。」
とカレーを見ながら呟いた
「本当に?」
顔を覗き込むように聞いたので
「しつこく聞いたら怒るよ。」
と眉間に皺を作り睨み返した。
「ごめん。ごめん。」
健一は、急いでカレーを食べ始めた。その焦り様に私は笑っていた。
「健一は…。何かあったの?」
食事が半分程進み、私は思い出したように聞いてみた。
「あぁ〜…。」
健一は深く溜息をつきながら
「実は、またダメだった。」
と、肩を落としながら言った。
「今回は自信があったんだ。」
目を見開き、興奮しながら
「俺の何が悪かったか、解らないよ。」
「今回は、君に。なんて言われたら誰だって期待しちゃうだろ。」
と主役に選ばれなかたった事に納得していなかった。
「でも、舞台には出るんでしょ?」
私の質問が、癇に障ったのか、健一は
「まゆちゃんには、解らないよ。俺がこの芝居にどれだけ懸けてたか。
チャンスだったんだ。大きな舞台に立てる、チャンスだったんだ。」
と、声を荒げていた。私は、黙って聞いていた。
今までだって何度かオーディションに落ちていた。
その度に、私の家に来ては
「今回も駄目だった。」
と落ち込んでいた。私は、ご飯を作り
「次回もあるよ。」
「健一の良さを表現出来る舞台がきっとあるよ。」
と、励ましてきた。
しかし、今回は違った。
健一は、明らかに舞台を憎んでいた。
毎日、バイトと稽古の往復で、休みは殆どなく、
「今は大変だけど、僕には夢があるから。」と楽しそうに話していた。
「舞台に懸ける情熱は誰にも負けない」と豪語していた健一はどこに行ってしまったの?
「あいつよりも、俺の方が…。きっと、あいつは、みんなに…。」
健一の暴走は止まらなかった。
「みんなも、あんなやつの言う通りにしやがって…。」
怒りの矛先は私にまでやってきた。
「まゆちゃんは良いよな。大手で、普通に働いてれば、給料だって毎月貰えるし。
嫌になったら結婚したらいいんだもんな。」
「俺も就職しとけば良かったかな〜。」
私の中で何かが弾けた。
「辞めたら。」
「えっ…。」
健一が吃驚した表情で私を見つめている。
「お芝居。辞めたらって言ったの。」
「な…。」
「そんなに嫌だったら、辞めて、就職したらいいじゃない。今からだって遅くないんだし。
それと、私の事。いいって何?私は私なりにこれでも頑張ってるんだよ。
仕事だって、納得いかない事だって色々あるけど、それでも、頑張ってるんだよ。
健一にそんな事言われる覚えはない。」
健一が口を開く前に私は勢いよく捲し立てていた。
聡と健一がダブって見える。
「・・・・。」
健一は何も言わないで俯いていた。
沈黙が私を少しだけ冷静にさせた。
「自分で選んだ道じゃない。遣りたい事やってるんでしょ。」
私は、健一が羨ましかった。
好きな事を好きと言える素直さや、遣りたい事や夢がある健一を。
私には無い物を持っている健一の事が、羨ましかった。
「もう、帰って…。」
「・・・・。」
「帰って。」
健一は何も言わないで私の家を出て行った。
私は一人泣きながら、残りのカレーを平らげた。