反映
「何ニヤニヤしてるの?」
私はいつものお店で、いつもの席に座り、ビールを飲んでいた。
少し時間が早かったので、お客は私一人だった。
「えっ?」
私は不思議そうに顔を上げ、ママを見た。
「笑ってた?私…?」
「ええ。微笑ってたわ。」
ママはグラスを拭きながら微笑っていた。
「じゃあ。きっとこれね。」
私はニコニコしながら大きな紙袋を見せた。
「何?それ?」
ママが紙袋を覗き込んだので、私は自慢げに中の箱を取り出した。ママは、
「あぁ!」
と納得した声を出し、
「高かったでしょ〜。」
と、言いながら、また、グラスを拭いた。
「奮発しちゃった。」
私は箱の中身を取り出して、まじまじと見つめていた。
「会社…辞めるのにね〜。」
ママはそう言いながら、拭き終わったグラスを棚に並べた。
「そうなんだよね…。」
私は手にしていた一眼レフのカメラをテーブルに置いた。
「父には怒られたの…。会社まで辞めてって…。無意味な事…って…。」
私は父との会話を思い出していた。
父は私を男手ひとつで育ててくれた。私が幼い頃に母は家を出て行った。
私の覚えている最後の母は、あの公園…。
「また、どうしてカメラなの?」
ママは、飲み物の入ったグラスを手にして私の前に立っていた。
「この写真。」
私は壁に掛けられた写真を指差して
「こんな写真を…。私も撮ってみたいと思ったの…。」
と、私は写真の隅々を記憶出来るほど見た。するとママがポツリと呟いた。
「その写真…。実はね…。娘が…撮ったのよ…。」
私は驚いてママの方を振り返った。
「娘さん…?」
ママはすまなさそうにこう言った。
「…私は…。娘を捨てたのよ…。」
太陽が眩しくて私は目が開けれなかった。
「まゆ…。少し遊んでいてね。」
私は公園のブランコで一人、母の帰りを待っていた。
沢山の子供達が遊んでいたけれど、みんな知らない子供達なので、私はその輪の中に入れなかった。
こんなにいっぱい人が居るのに、私だけ一人ぼっち…。寂しい…。
私は泣き出してしまった。近くにいた女性が私を交番へ連れて行ってくれた。
私は泣き疲れて、いつの間にか交番で眠ってしまった。目が覚めた時、私は父の背中に抱かれていた。
「若い頃に結婚してね…。娘が一人できたの。…娘が出来た時は嬉しかったわ。」
ママは昔を懐かしむように話していた。
「でもね…。育児ノイローゼになっちゃって…。」
そこまで話すとママは
「何か飲む?」
と、空になった私のグラスを下げた。私はウイスキーを注文してママに
「旦那さんは?」
と、問うた。ママは飲み物を持ってくると、
「旦那はね。いい人だったわよ。」
と、遠い目をしながら
「でも、仕事が忙しい人でね…。私の事を構ってくれなかったのよ。
私も若かったからね…。寂しかったのね。」
ママは少し俯いて思い出しているようだった。
「その時、相談に乗ってくれた男性がいてね…。」
一息吐いてから、またゆっくりと、話し出した。
「娘と一緒に家を出たの…。
すぐに旦那に連れ戻されたわ…。
…娘だけね…。」
遠い目をして話していた。
私を背負って帰ったあの日から、父は母の事を話してはくれなかった。
子供ながらに私は、母の話はしてはいけないんだと感じていた。
父が忙しい時は、いつも父方の祖母の家に預けられていた。祖母が私の母親代わりだった。
私は、良い子でいなくてはと、いつも思っていた。
ワガママを言えない子供になっていた。
一度だけ、私はワガママを言った事がある。
授業参観に祖母が来てくれる事になった。私は
「みんなのお母さんは若いのに…。…おばあちゃんは来なくていい。」
と言ってしまった。同級生にからかわれるのが嫌だったのだ。祖母はとても悲しそうだった。しかし、祖母はやってきた。祖母なりの若造りをして。
「お母さんは若くて当たり前。でも、おばあちゃんが若いのは少ないよ。」
と私に言った。あの当時では珍しかったのだろう。同級生も
「まゆちゃんのおばあちゃん若くていいね。」
と言ってくれた。
私は二人に感謝している。とても感謝している。
しかし…。
私はママに母を重ねてしまっていた。