澄清
少し早めに目が覚めた。目覚まし時計が鳴る15分前には起きていた。
いつもなら、ベッドの中で時間が来るまでゴロゴロしていたけども、そんな気分になれなくてベッドから飛び起きた。
昨日は気になっていた事が一つ片付いた。
未来の自分の為に、もう少し素直に生きよう。
大きく伸びをして、朝の空気をお腹いっぱい吸い込んだ。
いつもより早く、朝の支度が出来たので、ひとつ早い電車に乗る事にした。
玄関のドアを開けると、太陽の光が眩しく雲ひとつ無い青空だった。
「おはようございます。」
何事も無かったように会社に出社した私をみんなはいつも通りに接してくれていた。
…一人を除いては…。
「有岡君。会議室までいいかな。」
低い声が部署全体に響き渡った。
みんなの視線が一斉に、私に向って注がれた。
「本当に…辞めるのか?」
「…はい…。」
広い会議室の大きな机に、向かい合わせで私は聡と話していた。
「辞めてどうするんだ…。」
私は何も答えず、ただ目の前に座っている聡をぼんやりと見つめていた。
聡が本当に存在しているのか、何だか曖昧な気持ちになっていた。
「どうして…。って僕が聞くのも野暮かな?」
「…いえ…。」
大きな窓から、太陽がキラキラと隣のビルに反射しているのが見えた。
聡は椅子から立ち上がり、ブラインドを閉めた。
ブラインドの隙間から光が、二人の間を裂く様に照らしていた。
私は聡の目を真っ直ぐに見つめていた。聡は私の目を見ずに話しだした。
「僕にも…。責任があるのかな…。」
私は黙って聡から目を逸らした。
飛行機雲が空高く綺麗な線を描いていた。
「高橋君とは、すでに終わっていたんだ…。…しかし…。」
私は聡の方へ目線を移し、
「今の仕事が私のやりたかった仕事だと思えないんです。」
と、聡の言葉を遮った。
「あぁ…!!」
聡は椅子に座り直して、私を真っ直ぐ見つめていた。
やっと聡が鮮明に見えてきた気がする。
席に戻るとデスクの上にチョコレートが置かれていた。
「それ。新商品…。」
と、裕子が口をモグモグさせていた。
「美味しい。」
私も透かさずチョコレートを食べ、モグモグさせながら言った。
新商品は定番のミルクチョコレートが少し濃厚になった物だった。
「有岡さん。少し良いかしら?」
廊下を歩いている時に、高橋さんから声を掛けられた。
「はい。」
私は大きく頷いた。
休憩室の中央の丸テーブルに向かい合わせで座った。
「…仕事…。本当に辞めてしまうのね…。」
「はい。」
私ははっきりとした口調で答えた。
「そう…。」
彼女は少し間を置くと
「私ね…。最初は一人で産もうと思っていたの。」
と、小さな声で話出した。私は黙って聞いていた。
「お腹も大きくなってきた時に、部長に話したの…。仕事の事もあったし…。」
彼女は少し上を向いて
「そうしたら、部長…。一緒になろうって…。」
少し涙が滲んでいた。
「本当は不安だったのよ。一人で育てれるか…。でも…。」
そこまで言うと彼女は、私の目を見て、
「彼を信じようと思ったの。」
と、力強く言った。
何もかも、知っているんだな…。この人は…。
私は、涙が出そうになった。
それでも、聡と一緒になる事を選んだんだ…。
信じると言う言葉がこんなにも胸に突き刺さるとは思わなかった。
私は、彼女がとても強くて素敵な女性に思えた。
「幸せになって下さい。」
私は心からそう思った。
「ありがと…。」
彼女は小さく呟いた。