短編 白銀のバケツを拾ったら
お願いします、助けてください。
普段は仕事が忙しいから、って休日の礼拝もサボりがちでごめんなさい。
目の前にあるものから、ゆっくりと顔を背けながら、必死で神様にお願いしました。
でも、現実は現実のまま。
神様の助けをあきらめて、硬くて冷たいものにつつまれている手へ、ゆっくり意識を向けました。
「どうか、誰にも言わないでくれ」
こちらに向けられている真紅の宝石のような瞳が、今にもあふれそうにウルウルとしているのを見てしまうと、とても嫌とは言えない感じです。
「わかりました、誰にも言いませんから(手を離してくださいぃぃ〜っ)」
「ありがとう」
震える声で返事をすると、途端にウルウルと濡れて揺れていた宝石がキラキラと光を放ちました。
なにこれ、すごい。
バクバクと音を立てる胸は痛いほどで、顔が熱いのはなぜなのか。
信じられない、かっこよすぎです。
売られている絵姿を見て、本当にこんなに素敵な人だったら、顔見たら倒れるよーって思ってたのに、絵姿よりも素敵だなんて。
ああ、どうしてあたしは、ひざまずいた(土まみれで)半泣きの剣聖さまに手を包まれているんでしょう。
◆
一昨日、あたしの働く領主さまのお家に、剣聖さま御一行がやってきました。
長く仕える使用人さんたちに教えてもらったんですが、周りの何カ国かとの共同戦線が……この先、覚えられませんでした。
政治とか戦いとか、すごく苦手なんですよね。
話をまとめてもらって分かったのは、戦いに勝ったすごい人たち=剣聖さまたちが首都に向かう途中で、この街に滞在するそうです。
剣聖さまたちが旅で必要なものを補給する数日の間、領主様の家でお休みするらしいですけど「下働きの使用人は絶対に高貴な方々の前に出ないように」と言われました。
下働き使用人の洗濯女であるあたしが、どうして剣聖さま方の前に出ないといけないのか?
むしろどこに行けば出会えるのか?
もしも会えたって、何も起きませんって。
そんな風にしか思わなかったので、いつも通り過ごしてました。
運が良ければ遠くからその御姿が見えるかも、とすっごく、すごく期待はしてましたけど。
見てみたいなぁとは思っても、会っても困るだけ。
だって、国中で噂の美形の剣聖さまですよ?
顔が素敵な人ってのは、雑貨屋の姿絵で確認ずみです。
顔だけ?
豪華な全身鎧姿の絵姿しか売ってないので、唯一見えてる顔以外は、すごい鎧だなーくらいしか感想が出てきません。
洗濯女の仕事はとても大変です。
領主さまの家で使用される布製品を、全部洗うのが仕事です。
領主さまご一家の服や、寝室のシーツなどの布製品の管理は専用の上級使用人がいるので、見たことも触ったこともないけれど、使用人たちが家の中で使用するものは、全部こっちに回されてきます。
じゃぶじゃぶ力任せに洗っていいものが、回されるって言えばわかりやすいかも。
本当なら三人はいないと回らない仕事なのに、間の悪いことに今はあたし一人しかいないので、きつすぎます。
手の空いた使用人仲間が手伝ってくれるとは言え、午前中一杯では洗いきれなくって、いつもクタクタです。
今日も、必死で午前中に全部洗い尽くして、干しまくって、ようやく休憩できる、と洗濯用の大桶を日干しする傍らで座ったら、洗い場の壁にもたれて寝てしまいました。
どれだけ寝ていたのか、気がついたら、洗濯を取り込む頃合いでした。
昼ごはんを食べ損ねた上に、早く取り込まないと終わらない!と真っ青になってシーツやお仕着せを取り込んでいると、ふと変なものが見えました。
「??」
白っぽい銀色のバケツを逆さまにしたような、底が丸くて転がってしまいそうなそれが、物干し場のすみっこに逆さまで置いてあるのです。
なんでバケツ?
午前中に洗濯を干した時に、片付け忘れた?
……あれ?
高価な金属製のバケツなんて、あたしの仕事場内では見たことない、けど。
そんなことを思いながら、誰の忘れ物だろう、とバケツに手をかけて引っ張ったら。
「うわっ!?」
「え、ひゃあっっ」
バケツがしゃべりました。
ウソォォォ!?
◆
バケツには、頭がついて、いいえ、入っていました。
いや、ええと、なんていうか、バケツじゃなかったです。
白っぽい銀色のヘルムをかぶった……たぶん人??が、そこに埋まっていました。
あたしがバケツだと思ったものは、ヘルムでした。
ヘルムってのは、頭を守る金属製の防具です。
埋まってた人?が「ヘルムを取らないでっ!」と今にも泣きだしそうな声で言うので、すっぽ抜けて手の中にあったそれを慌ててかぶせました。
慌てすぎてどんな顔なのか、髪の毛の色すら見ない勢いで振り下ろしたので、ゴツン!と音がした時は焦りましたけど、何も言われなかったのでセーフ。
ヘルムを戻してあげてからも土の中でもぞもぞしているので、ナンダコレ?と本気で思いました。
よく見れば、ヘルムが埋まっている周囲の土が、フカフカに掘り返されています。
わざわざ自分で掘って、自分の意思で埋まったってことなんでしょうか?
それにしては、掘り返した道具が見当たらないんですけど。
「あ、あなたは、誰ですか?」
ここは領主さまのお家です、知らない人が頭だけを出して地面に埋まっているなんて、どう考えてもおかしいので、思わず聞いてしまいました。
「えーと、あの、その、ごめんなさい、それで……」
と、ここでまず一回「誰も呼ばないで欲しい」と言われました
ええ?そんなこと言われても、と思いながら謎のバケツを、じゃなくてヘルムを被った人を見ましたが誰なのかすら分かりません。
なんで、埋まっているのかも。
今は頭だけのピカピカしたバケツ、じゃなくてヘルム姿ですけど。
どう考えても不審者なので、あんまり関わらない方がいいかも。
「……あの」
「はい」
「……ええと」
「はい」
「……その」
「はい」
早くしてくれないかな。
仕事が終わらないんですけど。
ゆっくりと赤みを増して行く日差しを浴びた、白っぽい銀色のヘルムは、眩しいほどキラキラと光ってきれいなのですが、中に入っている人?はとても以居心地が悪そうです。
ヘルムで覆われているので、顔立ちは見えません。
いつまでも待っていても仕事が終わらないので、何かを言いかけて、言いだせずに口ごもっているのを片目で見ながら、急いで洗濯を全部取り込んで、ロープも回収しました。
あとは誰かを捕まえて、シーツをたたむ手伝いを頼んで……と頭の中で段取りを考えていると「あのっ!」と声をかけられました。
ヘルムの中身さんの声は男性の声ですが、くぐもって響いて聞こえるので年齢は不明です。
「何かご用ですか?(あたし、忙しいんですけど?)」
地面に埋まっていたヘルムですが、何者かが不明なので無視しにくいです。
怪しすぎるけれど、関わりたくない。
新参の使用人のあたしは、領主さまのお家でも裏方仕事をする下級使用人にしか会ったことがなくて、本館の使用人の顔も名前も知りません。
ヘルム姿の使用人ってことは、領主さまの護衛とかでしょうか?
埋まっている理由は聞きづらいんですけど。
「ええと、その、水をいただけませんか?」
「あ、はい」
もしかしたらこのヘルムは、植物なんでしょうか。
どうみても金属製のバケツにしか見えないけれど、植物なのかもしれません。
世の中には不思議なものがいっぱいありますし。
話す植物なんて初めて見ましたけど、お水をあげるくらいは大丈夫のはず。
分かりました、と先輩に教わった使用人のお辞儀をして、ヘルムに魔法で作ったお水を優しくかけてあげました。
気分はすくすくと大きくなぁれーですよ。
「わ、わわわっっっ!?」
「え?」
ところが水をかけられたヘルムは突然慌てだすと、すごい勢いで土の中から這い出してきたのです。
「ふぎゃっっっ!?」
「ご、ごめんなさいっ!!
ああっ、血がっ!」
避ける間もなく、ヘルムがあたしの鼻にぶつかったので、目の前をチカチカと星が飛んでしまいました。
アワアワとするヘルムさんの声を聞きながら、ポケットからハンカチを取り出して鼻に押しあてると、真っ赤に染まりました。
骨は折れてないと思うんですけど、婦女子に傷をつけるなんて最低なバケツです。
おのれバケツ!
思わずじとーっとした目で見てしまうと、バケツが慌てたように土まみれのアーマーを探って、やっぱり土まみれの布を引っ張りだしました。
差し出されたそれを見て、土だらけなのでいりません、と首を振るとショックを受けたようにうなだれるバケツ。
もう放っておくことにして、鼻血が止まるまで待っていると、ガシャリと音がしてバケツが膝をつきました。
土まみれのアーマー姿なので、これ以上汚れることはないでしょうけど、そこで座らないで何処かに行って欲しいな、と見下ろすと、鼻を押さえていなかった方の手を取られました。
そして、ヘルムの顔を隠していた部分を外し、冒頭のセリフにつながるのです。
「どうか、誰にも言わないでくれ」
そう告げる声は、鳥肌が立って全身が熱くなって、腰から砕け落ちてしまいそうな素敵な声で。
そう告げる顔は、見たことがないような整った、でも凛々しくも美しい顔立ちで。
真紅の宝石のような瞳は、キラキラでウルウル。
え、これ夢?
神様っ、あたしは一般人です、試練とかいりませんから!!
バケツの中に隠されていた、優しそうな麗しい顔が誰のものなのか気がついてしまい、思わず神様に助けを求めてしまいました。
だって、イケメンで宝石のような真紅の瞳で、(汚れているけど)白銀色のフルアーマー姿って言ったら、剣聖さましかいないって!!
なんで、剣聖さまが地面に埋まってんの!?
誰か助けてぇ。
「こんなところにいたのか」
低い男性の声に、ハッと我にかえって振り向くと、そこには黒い服に身を包んだ黒い髪と黒い瞳の人がいました。
白いのの次は、なんか黒いのキター!
あ、でもこの人の絵姿も知ってる。
たしか剣聖さまの副官で、名前までは知らないけど、優しそうな顔立ちの剣聖さまの絵姿と対で並べられていることが多い人です。
きりりとした黒い眉、一重の切れ長の瞳。
男らしいすっきりとした頬のラインと、高いわし鼻。
黒系で目張りを入れたら、極悪人の役が似合いそうな人です。
絵姿で見たときに怖そうな人だな、としか思えなかった本人が、目の前に!
「すまないクラム、つい寝てしまって」
「休めたなら良い、で?」
クラムと呼ばれた黒い副官が、アゴであたしを示します。
バケツの剣聖さまは顔を再び隠すと、音もなく立ち上がりました。
「彼女の仕事の邪魔をしてしまった」
「で?」
「……み、見られた」
「……どアホウ」
「ご、ごめんなさい」
今の会話だけで、二人の力関係がわかる気がします。
どう考えてもバケツ剣聖さまより副官の方が偉そうで……というか、頼りないからサポート役が怖そうな人なんでしょうか?
ふと向けられた鋭い視線が怖い、怖すぎです。
「言いふらす気はあるのか?」
「いいえ!」
一度した約束は破りませんよ!
今は見習い以下とはいえ、一度は上級魔法使いを目指した身なんですから!
ムッとしながら答えると、副官が悪人ヅラでニヤリと笑いました。
ヒィ!極悪人だ!
「信じよう、人を見る目はあるつもりだ。
それで一つ聞きたい」
「なんですか?」
なんかこの人に認められても嬉しくないなーと思いながら、それでも領主さまの客人であることは間違いないので、無視もできません。
「この場で仕事をするのは、君だけか?」
「え、はい、今はそうです」
洗濯用のロープを繋ぐための柱が何本も立っている以外は、草と土くらいしかない広い物干し場をぐるりと見回し、一箇所だけ掘り返されたような地面を見て、副官は頷きました。
「ここに滞在する間、こいつをここで休ませてやってくれ」
こいつ、と言いながらバケツ、いいえ、剣聖さまを指差す副官。
人を指差すのは行儀が悪いんですよ!じゃなくて、ええええええ!?!?
「嫌です!」
「誰にも言わないんだろう?
礼もするぞ」
「そういう問題じゃないです!」
「洗濯女として働いていたら稼げないような額の金や、宝石ではどうだ?」
「お金の問題でもないです!」
お金で買収できると思われるのは心外です。
魔法使いがお金で倫理感を売っていたら、信用を失ってしまうんですよ!
「それなら何が望みだ?」
「真実を教えてください、あたしは魔法使いの見習いでした。
事情があって学校はやめましたけど、覚えた魔法を失いたくないので、魔法使いの心得は変わりません」
「魔法使いか、厄介な小娘に知られたものだな」
「そういうことは思っても、口に出さない方がいいと思います」
「世の理を知り、真実を口にするのが魔法使いなのだろうが?
それならば、本心を告げた方が付き合いやすい」
副官の言葉は間違ってませんけど、納得もいきません。
嘘をつけないし、ついて欲しくないからって、傷つけられたいわけじゃないんですよ。
「クラム、ぼくならだいじょ「黙ってろ、どアホウ」うぶ……はい」
剣聖さまの言葉をぶった切って、副官はこちらを向きます。
夕焼けの赤に照らされた瞳は底のない穴のようで、黒い髪の毛がゆらゆらと陽炎をまとっているように見えました。
「このアホウはアナウサギ系の獣人の血を引いている。
定期的に穴に潜らないと体調を崩す」
「……はぁ」
副官の言葉を聞いて、自分の中で理解してみようとしたけれど、できませんでした。
「あの、獣人という人々がいることは知っていますが、アナウサギ系ってなんですか?」
「まさかそこからなのか、そうだな、辺境じゃないのに獣人に詳しいはずがないな」
副官が、すぐ横でしょんぼりとしている白銀のバケツ、いやヘルムへと手を伸ばします。
「や、ダメ、クラムっいやだぁっ」
「うるせぇ、嫌じゃねぇんだよっ」
どこの婦女子だ!と思うような悲痛な声を出す剣聖さまと、婦女暴行犯としか思えない副官の発言を聞きながら、仕事が終わらないので帰っていいですか?と思ってしまいました。
あたし、なんでこんなことに巻き込まれたんでしょうか?
◆
目の前でふわふわと揺れる、一対の耳。
髪の毛と同じ色のふわふわの毛に覆われた耳が、ひょこりと動きます。
真っ白いそれに見とれていたら、横からつつかれました。
「そのアホヅラは女としてダメだ」
慌てて開きっぱなしになっていた口を閉じ、副官を睨みますけど、顔が熱くなるのは止められませんでした。
「も、もうヘルムをかぶってもいい?」
プルプル震えて首まで真っ赤になっている剣聖さまは、頭に耳が生えてました。
見事なまでの素敵なウサミミです。
あれ?絵姿の剣聖さまにはそんなもの描いてなかったような。
「こっちの秘密は教えた、魔法使い、フォローを頼むぞ」
「はい?!」
「待って、ぼく、泥まみれで……」
副官は言いたいことを言うと、剣聖さまの頭にバケツ、じゃなくてヘルムをかぶせて、ずるずると引きずっていきました。
力持ちだ……って違う!
もしかしたら、これから毎日あれの相手をしないといけないの?!
無理、仕事だけでいっぱいいっぱいなのに、あんなの相手していられない。
その場で呆然としていたら、後ろから声をかけられました。
「ポポー、どうかしたの?」
「アムク助けてぇっ」
振り返ったら下級使用人仲間のアムクがいて、思わずたたんでいない洗濯物を押し付けてしまいました。
◆
翌日、朝、いつもの使用人朝礼に、突然領主さまが顔を出しました。
なんで下級使用人の集まりに領主さまが来るの!?
「洗濯係のポポはいるか」
「ひゃ、はいっ」
「……なるほど、そうか、そうなのか。
うむ、今よりそなたをアキュレイクロスさま付きの侍女とする」
「は、はいっ!?」
「うむ、そなたの身に何があろうとも、アキュレイクロスさまのご機嫌を損ねぬようにせよ、良いな」
「は、はいっ?!」
なんか、領主さまの視線があたしの胸元に向けられていた気がするんだけど、どういう意味?
それよりもアキュレイクロスさまって……剣聖さまだよ!!
なんでそんな話になってんの?
ムリムリ、ぜったいムリ!
だって、あたし侍女の仕事なんて知らないよ!
洗濯女の仕事だって、魔法でたくさん洗濯ができるから、って理由で雇ってもらえたようなものなのにぃ!
昨日は地面に埋まるのを見逃せって言われただけなのに、なんでこんなことに!
他の使用人の女性たちから、すごい目で見られているのはなんででしょう?
押し付けられた上級使用人の服に着替え、上級使用人の筆頭、家宰のペデンさんに連れられていく。
「剣聖さまがお望みであれば、誠心誠意を込めてご奉仕をするように、よろしいですね?」
「はい、ペデンさん」
ご奉仕って言われても、侍女って何をする人なの?
部屋の掃除は掃除係がするし、洗濯は洗濯係がいるし、ご飯はもちろん料理人に配膳係がいる。
家のことはペデンさんたちが管理しているはずだし。
あたしのできそうな仕事が思いつかない。
もしかして、言わないって約束したのに、信じてもらえなかったってこと?
それって許せないかも。
未満とは言え魔法使いの言葉を疑ってるってこと?
もう見習い以上にはなれそうにないけど、すごく悔しい……。
あたしが抜けちゃったら、人手が足りない洗濯係はどうするんだろう。
魔法なしで煮洗いするなら、最低でも三人は必要になるのに。
「失礼いたします、ポポを連れてまいりました」
「どうぞ」
派手な飾りがついた扉の前でペデンさんが声を張ると、中からくぐもった男性の声がする。
あれ、昨日の副官とも剣聖さまとも違うような?
「いらっしゃい、ポポさん」
「え?、ええと」
副官だったらペデンさんに見えないように睨んでやろうと思っていたのに、扉を開けてすぐの所にいたのは、初めて見る背の高い女性だった。
え……女性?だよね?
ゆるくウェーブする長い金の髪を腰まで垂らして、線の細い顎と鼻筋はすっきり。
目元は優しそうに細められていて、薄いくちびるも笑みの形を作っている。
胸がぺったんこなのは、あ、あたしといい勝負。
なるほど、領主さまの視線の意味はこれか!
剣聖さまは薄い女が好き、だと思われたってこと?
失礼すぎるでしょ!!
「失礼いたしました」
ペデンさんは部屋の奥にいた副官と何か話した後、さっさと出ていってしまった。
せめて誤解を解かないと!
あたしは剣聖さまに女として気に入られたのではなく、秘密を知ってしまったので囲い込まれたのです!と。
あ、だめだ、これ魔法使いとして言えないやつだ。
だって昨日約束しちゃった。
魔法契約まではしてないとは言え、口約束でも約束は約束だもんなぁ。
困っていると、背の高い女性がふわりと微笑んだ。
そのままでも優しそうだったのに、本当の笑顔になると女神みたい。
「初めましてポポちゃん、僕はアビー、歳は百を超えたあたりから数えてないけど、これでも最上級魔法使いだよ」
「……ええ、えええっっっ!?
ま、まさか大魔法使いアビュソリュニティベルスケラスさまですか!?」
「へえ、その名前を知っているってことは、本当に魔法使い見習いなんだね」
女の人かと思ったのは、まさかの〝不老艶冶〟の魔法使いさま、らしいです。
男性なのに女性より美しいお方というのは有名で、二百歳を超えられてなお若々しく美しすぎるせいで、ただ街を歩くだけで勘違いした女性に嫉妬される、と言われる魔法使いです。
本物は、本当に美しい方でした。
憧れます、素敵すぎます、あたしも理不尽な魔法が使える魔法使いになりたいです。
うわぁいいなあ。
「アホヅラはダメだと言っただろうが」
寄ってきた副官に昨日と同じようにつつかれ、慌てて口を閉じます。
なんで驚くと口が開いてしまうのか、うぅ恥ずかしい。
「ポポちゃん、君のことを調べさせてもらったよ、魔穴病って本当かい?」
「う……はい」
「そうか、魔法使いにとっては絶望的な病気だ……苦労したんだね」
「う……ありがとうございます」
優しい言葉をかけられて泣きそうになった。
魔法学校にいる間に発症し、結果として学校をやめるしかなくなった病気。
穴が空いたように魔力が抜けていく病気、その名は魔穴病。
魔法使いじゃない人にとっては、ちょっと疲れやすいかな、くらいの症状しか出ないけれど、魔法使いにとっては、治さない限り仕事ができない致命的なものでした。
両親もコネも金もないあたしは、治療することができず、学校をやめるしかなかった。
魔力消費量が少ない魔法なら少しは使えるから、洗濯くらいならできる。
でも、魔法使いとしては半人前以下。
どこの誰が魔法使いに洗濯物を洗ってほしい、なんて望むのよ。
「そうか、うーん、僕が治療費を出してあげるから、これから先、ずっとアークの侍女にならない?」
「え!?」
「侍女と言っても肩書きだけ、ただ、各地で押し付けられそうになる女性から、アークを守る虫除けとして頑張ってほしいかなって。
了承してくれるなら、治療と一緒に、僕が魔法を教えてあげられるよ、弟子になる気はある?」
「やりますっ、弟子になります!!」
「……おい、バカ娘」
「人のことをバカとか言わないでください!」
「バカにバカって言って何が悪い」
「クラム、女性に汚い言葉遣いをしてはいけないよ?」
「……どうなってもしらねぇからな」
信じられないけれど、あたし、やりました!
夢だった魔法使いになれそうです!!
◆
すごい最高の仕事を見つけたって思ってました。
最高のお師匠様を得たって思ってました。
すごい魔法使いになれるって思ってました。
「離して下さいっ」
「そんな、ポポ、そんなこと言わないでよ」
「いーやーでーすー!」
これを忘れてたんです。
一番忘れていたらいけない人を!
うっとりとしたキラキラウルウルの瞳で見つめられて、必死で目をそらしているものの、すごく罪悪感を感じてしまいます。
素敵すぎるっ。
でも、これを本気だと思っちゃいけないんです!
「ポポ、大好きだよ」
やめてー、そんな目で見ないでー!!
鎧で包まれた硬い指先で、人の顎を優しく捕まえないでくださいっ。
高すぎる身体能力を無駄に使って、あたしを捕まえないでくださいよっ!
魔法で撃退しろって?
普段はどんなに甘ったれだとしても、剣聖の名は伊達ではなかったんです。
剣聖さま、いや、普段は頑固で寂しがり屋で怖がりのアークさんなので、ちょっと副官に叱られただけでもしょんぼりするのに、この状態の時は逃げきれません。
知らなかったんですよ!
アナウサギ系の獣人が一年中発情期状態で、子沢山が普通なんて!
「僕の秘密を知っていて、普通にしてくれるのはポポだけだよ、僕にはポポしかいないんだ」
普段は女性にビクビクしているくせに、発情期に入るたびに迫ってくるのやめて下さい!
なんで毎月のように、キラキラウルウルになって迫ってくるんです?
本気で泣きますよ!
剣聖さま御一行に付き添って(剣聖さまをからかって遊んで)いるアビー師匠が、あたしを雇おうとした理由が、迫ってくる女性対策というよりも、発情中の剣聖さまの気をそらすため、と知ったのは、初めての発情期で迫られた時でした。
言葉にしなかった本音は、発情期のせいで変な女に引っかかって、(遠征先の人類至上主義国家に)獣人だってバレると困る、って。
先に言ってよぉ!!
その日の朝までは気弱なアークさんだったのに、夕方ごろに突然キラキラの剣聖さまになったかと思ったら、押し倒されそうになり。
悲鳴をあげてぶん殴って、慌てて師匠の元に逃げ出したら「なんで逃げてきたの?」って。
魔法使いだから、何をされても誰にも話せない、ってそれ、どんな扱いですか!?
その時はクラムさんが助けてくれたんですけれど、アビー師匠は発散すれば早くおさまるのに、って、ひどい!!
一番ひどいのはアークさんです!
さっきまで普通だったかな、って思ってると、目を離した隙に突然キラキラ度が増して、潤んだ瞳で迫ってくるんですよ!
色気がやばい。
衝動がおさまるたびに這いつくばって謝られても、乾いた笑いしか出ないんですよ。
もうちょっと抱き心地が良いと嬉しい、って耳元で甘く言われたの、しっかりと覚えてますからね。
剣聖さま一行の中で、極悪人顔で苦労人のクラムさんだけがまともでした。
アークさんもアビー師匠もサイッテー!
とりあえず、治療は順調なので、アークさんが剣聖さまモードになるたびに穴に埋めることにしています。
すっぽりとおさまっているのがとても落ち着くらしく、自分から出てこないので助かります。
初めて出会った時も、衝動をごまかすために穴に詰まってたんですって。
対処法はあるので、偉大な魔法使いになるために、今日もアークさんを蹴散らしながら進みます!
目指せ二つ名持ちの上級魔法使い!
早く上級魔法使いになって、剣聖さま御一行から離れないと、乙女の危機ですから!
魔法使いは嘘をつくと力が弱くなる、言霊っぽいざっくり設定