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黄昏

「そういえば奏助は、どうして公園に居たのですか。

 お仕事は何をしているのですか」

「あー……えっと」

「もしかして、『ムショク』というやつです?」


 直球に訪ねてきた鈴にぐっと息が詰まる。

 彼女からすればただ疑問を解決したいだけで何の悪気もないだろうが、

 さすがに言葉が胸に刺さった。

 項垂れながらも肯定の言葉を吐露すれば、

 鈴はそっと手を伸ばして奏介の頭をぼさぼさの髪ごと撫でる。

 何時ぶりだろう、こんな風に頭を撫でられるのは。

 ああそうだ、小学校の運動会の徒競走で惜しくも二位だった時、

 あまりの悔しさにわんわんと泣いていたところを、

 父親が大きく節くれ立った手で撫でてくれた時以来か。


「奏助、大丈夫です。きっといいところが見つかるです」


 鈴の言葉は、まるで魔法のように奏助の心に染み渡った。

 気休めでもなんでもいい。

 ただ大丈夫と言ってもらえてこんなに嬉しい気持ちになるなんて。


 心優しい少女に感謝の気持ちを伝えようと目線を合わせるためにかがむと、

 突然けたたましい警報が鳴り響いた。

 驚いたようにあたりを見渡す鈴の肩を叩いて警報器の傍から離れるように促すと、

 少女はやや駆け足でその場を離れていく。


「奏助!これは!」

「ああこれはね! たぶんいつもの避難訓練じゃないかな! 

 抜き打ちなんて珍しいけどね!」


 大声で話さないと互いの声が聞こえない状況で説明してやると、

 鈴は納得のいかない様子で警報器を睨みつけていた。

 隣国と冷戦状態であるこの国は、

 万が一の時に備えて日々自分の身を守れるように訓練をしている。

 爆撃にも耐えられる地下シェルターに駆け込み戦火から逃れるために。

 この公園の近くにシェルターがあったはず。

 奏助は鈴の手を掴んで足先をシェルターの方向へ向ける。

 初めて街に出たという鈴のためにシェルターの場所を教えておいた方がいいだろう。


「奏助! こちらへ!」

「えっ、ちょ、待って! そっちにシェルターなんて……」


 しかし、奏助の予想に反して鈴が奏助を連れてシェルターとは別方向へ走り出してしまった。

 体勢を立て直しながら少女が導くまま走ると、すぐに大きな建物が視界に入った。

 この国に住んでいる者ならば誰もが知っているそこは、

 普段よりも慌ただしい様子を見せている。


「ここ、旧ニッポン帝国軍本部だよ鈴! シェルターじゃないって!」

「駄目なんです、奏助! これは……!」


 華奢な体からは想像もつかないほどの力で奏助を帝国軍本部に連れて行こうとする鈴に奏助は困惑した。

 彼女の言う「これ」とはいったい何の事であろうか。

 これはただの抜き打ち訓練で、放送のあとはいつもどおり無機質な声で訓練お疲れさまでしたと流れるのではないのか。


 徐々に本部に近づくなか、大きく大地が揺れた。

 咄嗟に鈴を抱き寄せ辺りを見渡していると、遠くで土煙と炎の柱が立ち上がる。

 と、同時に響く悲鳴。

 じっとりとした汗が背中を伝う。


 何か、いつもと違うことがこの国に起こっているのが嫌でもわかった。


「く、訓練じゃないのか……!?」

「――危ない奏助!」


 どん、と腹に痛みが走るとともに体が宙に浮く。

 背中を強く打ちつけ息が詰まったが、そんなことを気にしていられるような状況ではないと悟る。

 先程まで奏助が立っていた場所に、信じられない程の大きな弓矢が突き刺さっていたからだ。

 ひ、と情けない声が己の口から漏れたが、すぐに我に返ると鈴を小脇に抱えて一気に駆け出す。


 向かう先は旧ニッポン帝国軍本部。


「ななな、なんだよあれぇ! 人間業じゃねえって!」

「あれは人型戦闘鎧機『ガルゼノン』の放った弓矢です!」

「が、ガルゼノン!? 

 えーっと、よくわかんないけどやばいもんなのは理解した!」


 一般兵ならばまだしも、あんな大きな弓矢を放つことが出来るものに奏助のようなちっぽけな人間が敵うはずがない。

 ひとまずは背後から絶えず聞こえる爆発音と火薬のようなにおいから何とか逃れなければ。

 

 奏助は必死で駆け旧ニッポン帝国軍本部の門を目指した。

 先程まであんなに静かだった道が、

 状況を確認しに家から出てきた者や奏助たちのように逃げ惑う人々であふれかえる。

 人波を何とか掻き分け道と同じくごった返す軍本部の門に辿り着いたはいいものの、

 分厚い鋼鉄製の門が開くことはない。

 怒号と悲鳴が響く中、地面が規則的に揺れる。


 恐る恐る振り返れば鋼鉄の巨大な鎧兵がゆっくりと恐怖を与えるかのようにこちらへ歩を進めている姿が見えた。

 全長は15メートル強といったところか。

 愛らしい薄紅色の装甲なのが尚更不気味に感じてしまう。

 幼いころに観たロボットアニメではあんなに格好よく感じたというのに。


「しっかりしてください奏助! 諦めないで!」


 膝を折りそうになった瞬間、可憐な手が奏助の緩んだネクタイを掴んだ。

 その力に思考を一気に覚醒させ、奏助は強く頷くと再び鈴を小脇に抱えて走り出した。

 ここにいてもきっと門は開かないだろう。

 それに留まったままではあの巨人の格好の餌食になってしまう恐れがある。


 ここではないどこかへ行かなければ。

 震える足を叱責しながら走り続けていると、背後から複数の悲鳴が聞こえてきた。

 次いで感じる何か焼けたようなにおい。

 恐る恐る振り返ると、先程まで奏助たちがいた場所に大きな火柱が立っていた。

 炎の中で人影がまるで踊っているかのように動いている。


 ――地獄絵図。


 そんな言葉が合うだろう。

 じょじょに小さくなっていく悲鳴にぐっと奥歯を噛んで、鈴の視界を手で塞ぐ。

 こんな景色を幼い少女に見せるわけにはいかない。

 大人である自分でさえ目を塞ぎたくなるような光景なのだから。


『――旧ニッポン帝国軍の皆さま、ごきげんよう』


 地獄のような光景が広がる中、高い声が響く。

 変声機でも使っているのか非常に機械的な声だったが、

 おそらく鈴と同じくらいの少女だろう。

 鈴を抱きしめたまま辺りを見渡してみたが、

 見えるのは火柱と人だったものとガルゼノンと呼ばれる巨人だけだ。


『降伏しなさい、降伏しなさい。

 私は、真ニッポン帝国軍三獣士のひとり、紅獅子。

 降伏しなさい、さもなければ皆殺しにします』


 国中に響き渡っているのではと錯覚してしまう声は、冷酷にもそう告げた。

 嫌な汗が背中を伝う。

 喉が張り付いて上手く声が出せない。


「奏助、紅獅子は本気です。

 あれは言葉の通り皆殺しにしてしまうです」

「じょ、冗談……でしょ?」


 奏助の問いかけに、鈴は静かに首を横に振った。

 紅獅子とはきっと薄紅色の装甲を纏う巨人のことなのだろう。

 ただ悲鳴を上げ、逃げ惑う人々を巨人は静かに見降ろしていた。


 奏助でもわかる。

 あれはただ人々を見ているのではない。

 僅かな返答の時間を旧ニッポン帝国に住む者たちに与えているのだ。

 紅獅子の中での許容時間が過ぎたその時、

 あれはまた動き出して地獄絵図を広げていくに違いない。


 早くこの場から離れなければ。

 ぐっと鈴の手を掴んで当たりの状況を確認する。

 今、紅獅子は動く様子はない。

 この間に出来る限り走って遠くへ行かなければ。

 恐怖と動揺のせいでうまく働かない頭を何とか動かして作戦を練っていると、

 大きな爆発音のようなものが頭上から聞こえた。

 きいん、と酷い耳鳴りに耐えながらも見上げてみると、

 旧ニッポン帝国軍本部から筒のようなものが伸び、先端から一筋の煙が立っていた。


「あれは……――対巨人砲バルガス!」


 腕の中の鈴が驚いた様子で叫んだ。

 少女の声に応えるように、筒の先端に光彩が集まっていく。

 やがて光彩は大きな球体になると爆発音と同時に筒の先から放たれる。

 光彩の柱の先には、紅獅子が立っていた。

 しかし紅獅子は逃げる様子を見せない。

 それどころか装甲と同じ色の巨大な弓を構え、光彩目掛けて放った。

 弓矢は光の柱となった光彩を真っ二つに裂き、帝国軍本部に深く突き刺さった。

 じりりり、とけたたましい非常ベルが本部から鳴り始める。

 真っ黒な煙が立ち上がり、一気に騒々しくなった。


『――抗戦の意志あり。戦闘続行す』


 吐き捨てるように紡がれた言葉は、氷のように冷たい。

 巨人が一歩踏み出す。

 街灯が踏み潰され、

 街路樹が折れ、

 アスファルトが盛りあがる。

 生き残った人々がまるで濁流のように押し寄せくる。

 誰も彼もが生き延びようと必死に足を動かし、

 悲鳴を上げ、

 答えのない逃げ道を探す。

 そんななか、奏助は動けないでいた。

 今度こそ足が使い物にならない。

 鈴が必死に奏助の腕を引っ張るが、周りと同じように走って逃げれば助かるのだろうか。

 虫けらのように踏み潰されるのがオチではないのか。


「奏助!」


 ふ、とすぐ近くに影がかかる。

 あの巨人がすぐ近くまで来ていた。

 薄紅色の装甲にべっとりと赤い液体がついている。

 きっと自分もすぐにその一部となってしまうのだろう。


『無力な己を呪って死ね』


 紅獅子が片足を上げる。

 そうだ。

 巨人の言う通り、己は無力だ。

 理由も分からずリストラされ、住む場所も無くし、

 こうして虫のように踏み潰される。

 思えば己は今まで何か人生や世界に爪痕を残すようなことをしてきただろうか。

 ただ寝て起きて息を吸って食べて仕事をして――特に深く考えず毎日を堕落的に過ごしていただけだ。

 こんなことになるなら悔いが残らないように自分のやりたいことをやればよかった。

 

 ああ、出来ることなら。

 願いが叶うなら。


 ――人生をやり直したい。


 ぎゅう、と強く瞼を瞑る。

 しかし、いくら待っても痛みや衝撃は奏助を襲わない。

 もしかしたら痛みもなく死んでしまったのではと恐る恐る目を開ける。

 するとそこにはあの薄紅色の巨人の足、

 そしてその足を受け止めている別の巨人の手が見えた。

 手はどうやら奏助たちがいる場所の下から伸びてきているらしく、本体の姿はなかった。


『ガルゼノン……? この下に……?』


 紅獅子が微かに動揺の声を漏らす。

 それもそうだろう、予想外の場所から助けが入ったのだから。

 それは奏助たちも同じで、未だに巨人の足を受け止めている大きな手を信じられないといった様子で見つめる。

 大きな手は、動かない。

 どうやら紅獅子とは違って誰かが搭乗しているというわけではないようだ。

 ぐ、ぐ、と掴まれた足を振りほどこうと巨人が動くが、もう動けないからなのか、

 それとも何か大きな意思が働いているからなのか、

 大きな手は決して巨人の足を放そうとしない。


『面倒、面倒。その手、粉砕してくれる』


 苛ついた様子を隠そうともせず、再び大きな弓矢を構えた。

 自らの足ごと壊す気なのだろう。

 あの矢が放たれてしまえば、この大きな手諸共奏助たちも殺されてしまう。

 ひ、と張り付いた喉から乾いた声がこぼれた。

 だが大きな矢が奏助たちに向かって放たれることはなかった。

 鋼鉄同士がぶつかるような音がしたかと思うと、

 紅獅子が街に土煙を上げて転がっていったのだ。

 すぐに紅獅子は体勢を立て直すと、ぎりぎりと奏助たちがいる場所とは全く違う場所を狙う。


『粉砕されんのはテメエの頭部だ』


 ずし、と地が揺れると今まで虐殺を繰り広げていた巨人の足とは別のものが現れた。

 それは、燃えるような朱色。

 まるで美しい夕陽のような色だった。

 自分たちを庇ってくれた手から顔を覗かせると、

 その巨人は奏助たちに気が付いたのかゆっくりとこちらに目を向ける。


『走れ』


 巨人は一言告げると、一直線に薄紅色の巨人へ突っ込んでいった。

 足の関節球が軋む音がここまで聞こえてくる。

 すっかりこちらのことなど忘れてしまったのか、

 それとも突然現れた別の巨人に苦戦しているからなのか、

 紅獅子が奏助たちを追ってくる様子はない。

 何か言いたそうにしている鈴の手を掴んで、

 奏助は朱い巨人に言われたとおりに走り出した。

 今の街の状況に悲観するのは後でいい。

 一度は諦めようとしてしまったが、もう迷わない。


 生きるんだ。

 生き抜かなければ。


 息を切らしながら走り、ようやく見つけたシェルターに身を滑り込ませると、

 震える腕で鈴を抱きしめる。

 小さな体は奏助とは違って震えてはいなかったが、心配そうにこちらを仰ぎ見ていた。

 頭上から聞こえてくる爆音と衝撃音のなか、奏助は強く瞼を瞑った。

 これがすべて夢であればいい。

 次に目を開けた時には何もかもが元に戻っていて、

 また平凡な生活で苦しい就職活動が始まればいい。


 そう、願いながら。


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