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邂逅

「申し訳ないけど、うちはもういっぱいだから。他当たってよ、ね」


 その言葉は今月に入って、もう何十回も聞いている。


 奏助は無情にも閉まった扉にため息を吐いてゆっくりと踵を返した。

 空は憎たらしいほどの晴天。

 しかし、近くの公園では子供が遊んでいる姿は見受けられない。


 仕方ない。こんなご時世では。

 奏助が会社をクビになってからもう一ヶ月が経とうとしている。

 理由なんて簡単だ。

 たとえ有能な者であっても断捨離していかないと皆食っていけなくなるからだ。

 先月は一つ上の先輩が、

 その前は会社の中でも腕が良いと言われていたプログラマーがリストラを宣告されていた。


 ああ可哀想に、

 次は誰が死の宣告をされるのだろうと他人事のように考えていたある日、

 何の前触れもなく上司から一度も目を合わせられることもなくリストラを宣告された。

 まさかそんな、と問い詰めたが、

 上司は今すぐ荷物をまとめて出ていけと言うだけで詳しいことは教えてくれなかった。

 自分が何か大きなミスでもしたのならまだしも、そんな覚えもない。


 結局その日で会社から籍を外され、

 同僚から憐みの目を向けられながら慣れ親しんだ職場を離れた。

 しかも追い打ちをかけるように不幸は続き、

 同じようにリストラされた面々とは違って会社の寮に身を寄せていた奏助は、

 その寮さえ追い出される羽目になってしまい、

 簡単に荷物をまとめてふらふらと公園内を歩き回り、

 雇ってもらえそうな企業に片っ端から頭を下げつづけるという過酷な日々が待っていた。


 そして断られるたびに手帳に書かれた会社の名前に赤いペンで大きくバツ印を付ける。それが今の奏助の毎日の日課だ。


「……俺、生きている意味あんのかな」


 配偶者なし、

 家なし、

 仕事なし、

 金なし。


 人生のどん底とはこのことだ。 

 近場の公園に足を運んでペンキの剥がれたベンチに腰を下ろすと、

 情けない腹の虫が悲鳴を上げる。

 そういえばここ何日もまともな食事をとっていない。

 ほんの少し前ならば自分のような浮浪者などのために炊き出しがあったのだが、

 今現在のご時世ではそれすらも難しい。

 皆、自分の身を守る事で精一杯だ。

 他人の生き死になどで心をすり減らしている場合ではないのだ。


 大きなため息とともに奏助は公園一帯を見渡す。

 風に吹かれて揺れるブランコ、

 昨晩降った雨のせいで泥と化した砂場。

 本来ここで元気よく遊ぶ子供たちの姿はない。

 ふ、と視界に放置されたままの縄跳びが映った。

 持ち主はこの縄跳びの存在などとっくに忘れてしまっているのだろうか。

 縄跳びにほんの少し親近感を抱きながら、

 奏助はベンチから立ち上がると少し雨で濡れている縄跳びを手に持った。

 しばらくじっと見つめた後、

 おもむろに頭がすっぽり入るほどの輪を作る。

 十分な強度があることを確認し、

 次にぐるりと公園を囲むように植えられた木に向かった。

 出来るだけ枝が太く丈夫そうなものを選び、縄跳びの端を括りつけた。

 思い付きで作ってみたが上手く出来たのではないだろうか。

 しかし、ここまでやって奏助の動きが止まる。

 木に括りつけられた輪を見て我に返ってしまったのだ。

 ふ、と笑みを浮かべて緩く頭を振る。

 こんなことをしている暇があるのならば別の就職先を探したほうがいい。


「あの……」


 赤いペンでいくつもバツ印が記入された就職情報誌を鞄から取り出していると、

 背後から鈴を転がしたような声がかけられた。

 そっと振り返ると、

 そこにいたのは深刻そうな表情を浮かべた愛らしい少女が。

 今年で三十路を迎える男に一体何の用だろうかと首を傾げていると、

 彼女は震える手で奏助の服を掴む。


「ここは公園です、子供が遊ぶ場所です。自殺は、駄目です」


 手と同じく震える唇でそう告げた彼女の言葉に、奏介はようやく合点した。

 この少女は奏介が自殺しようとしている姿を見て止めに来たのだと。

 彼女が止める前にそんな気も薄れていたが、

 木に括りつけられた輪とその前に立つ男の姿なんて見てしまえば、

 誰だっていい顔をしない。

 奏介は服を掴む少女の手を取って、出来るだけ自然な笑みを浮かべた。


「ごめんね、もうしないよ」

「本当ですか?」

「うん、約束する」


 奏介の言葉にようやく安堵の表情を浮かべた少女は柔らかく手を握り返してきた。

 年は十二、三歳といったところだろうか。

 くりくりと大きな瞳いっぱいに奏助を映し、

 興味津々といった様子だった。


「お嬢ちゃん、一人? そうだとしたら今のご時世は物騒だから気を付けないと」

「蜘蛛と一緒に来たので一人ではないです。でもはぐれました」

「蜘蛛?」


 蜘蛛と言えば大半の人間が気味悪がる、あの足が何本もある生き物のことだろうか。

 少女におそるおそるペットとして飼っているのかと聞いてみると、

 彼女は何の疑いもなく「主従関係なのです」と答えた。


 蜘蛛を従える少女という酷く不思議な言葉に首を傾げてはみたものの、

 奏介はそれ以上追及することをやめた。

 知ったところで自分の人生にこれから関わるわけではない。

 少女の言う「蜘蛛」が迎えに来るまで、

 奏介はお守りもかねて少女の話に付き合うことにした。


 この不思議な少女は鈴という名前らしい。

 なかなか外に出歩くようなことが出来なかったらしく、

 今回は特別に蜘蛛が供につくことを条件に外出が許されたのだとか。

 着ている服も上等なもののところをみると、

 少女――鈴は良いところのお嬢様なのだろう。


「ところで奏助。公園という場所はこんなにも静かな場所なのですか? 

 蜘蛛からは公園という場所は多くの子供が遊ぶ場所だと聞いていましたが」

「ああ……それは今の国の情勢のせいかな」


 子供が公園で遊べない理由、

 それは今この国が隣国と冷戦状態であるからだ。

 

 現在この島国には二つの国家が存在する。

 

 ひとつは奏助が暮らす旧ニッポン帝国と呼ばれる国家。

 緑が豊かな反面、鉄や銅などといった資源が乏しい東に位置する。

 そしてもうひとつが西に腰を据える真ニッポン帝国だ。

 先に説明したこの国とは真逆で、

 資源は豊富であるものの土地柄なのか作物がなかなか採れない。

 ここ最近まではにらみ合いだけだったのだが、

 風の噂で真ニッポン帝国が戦争の準備をしているというのを聞いたことがある。

 おそらくこの国が豊富に持つ食料の奪取が目的だろう。


 そんな噂のせいなのか、すっかり子供が公園で遊ぶ姿を見なくなり、

 国民は不要な外出を控えるようになってしまった。


「戦争なんて誰も望んでいないのにね」


 奏助の言葉に鈴は深く頷いて、

 手入れも碌にされていないブランコに腰かけた。

 どこか申し訳なさそうな表情を浮かべる少女に首を傾げながら、

 奏助は小さな背中の後ろに立つ。

 先程の発言からして公園には初めて来たのだろう。

 ならばブランコでの遊び方もよく知らないのではないだろうか。

 幼いころ父親にされたように小さな背中を押してやると、

 少女を乗せたブランコは掛けた力の分ゆらゆらと揺れ始めた。

 わ、と小さく驚いた声が聞こえてきたが、

 揺れるたびに体がほんの少し空に近づくのが楽しいのかほんのりと笑みを浮かべる。


「素敵、ブランコって素敵ね奏助」


 足をパタパタと動かすことで喜びを表現した少女は、

 もっと強く背中を押してとせがむ。

 言われるがまま先程よりも強い力で押してやると、

 鈴は先程よりも笑みを濃くした。

 ずっと昔に親戚の子とも、こうしてブランコで遊んだような覚えがある。

 前に漕ぎ出すたびに少しずつ空へ近づくのが嬉しいのだと言っていた。

 鈴も同じようなことを考えているのだろうか。


 しばらく鈴に付き合って小さな背中を押していたが、

 そろそろ飽きてきたのか鈴はぴょんと飛び降りて奏助に振り返った。

 遊んでいた最中は子供らしい様子も見て取れたが、

 今奏助の目の前に立つ少女は非常に大人びた表情をしているような気がした。



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