三
北山の夜。恐ろしい田舎の夜のはずなのに、不思議と京の夜より怖くない。夜の勤行の声、大人たちのささやき声、女房の衣擦れの音。小さい家だから、みんなすぐ近くで聞こえる。月の無い夜なので、庭を照らす篝火の明かりがほんのりと私の部屋の中も照らしている。
「さぁ寝よう」
私と桂と犬君は三人で、一つの帳台に飛び込む。それぞれ衣を引き被り、身を寄せる。少納言に見つかっては叱られる、三人での共寝。楽しくてくすぐったくて、私たちは隙を見ては一緒に寝る。
「ねぇ、ご存知ですか。今、あの源氏の君がこの家にいらっしゃっているのですよ」
桂が嬉しそうに言う。
「源氏の君って、あの、帝の皇子でいらっしゃるお方?」
「それはもう素晴らしいお方で、光り輝くようだというんで、光源氏の君なんてお呼ばれになっていらっしゃいますのよ」
「お母君の桐壺の更衣様を早くに亡くされて、帝が大変不憫に思われて、それは大切になされているのでしょう」
「臣籍降下なされているので、かえって自由にお暮しのようですよ。いろんな女君と浮名をお流しだとか」
「でも・・・そんなお方がどうしてこのようなところに?」
「さぁ・・・」
詳しいことは桂も知らないようだ。
「でも、姫様のことを僧都様にお伺いでしたのよ」
「私のことを!?どうして・・・」
「さぁ・・・」
「全く、桂はいつも肝心なことが抜けている」
犬君にそう言われ、むっとした桂が続ける。
「源氏の君は、姫様のお爺様にあたられる按察使大納言様のことや、お母君のこと、それから、姫様のお父君であらせられる兵部卿宮様のことを熱心にお尋ねでしたよ。姫様のお血筋にご興味がおありなんじゃないかしら」
「どうして?」
「さぁ・・・」
答えを探し出せぬ内に、あんなに喋っていた桂が真っ先に寝息を立て始め、犬君もすぐに眠り始めた。まだ大人たちが何かを話す声が聞こえている。それが本当に私のことで、しかも源氏の君のお声だと思うと、何となくそわそわして寝付けなかった。一体どうして私のことをお知りになりたいと思われるのか。少し不気味だと思う反面、なんとなく嬉しい気もするのだ。
一旦気になり始めたひそひそ声は耳に付いて離れず、さらさらとした衣擦れの音や、すぐ横で聞こえる小さな寝息までもが耳に付き、ますます眠れなくなっていく。仕方なく、肘をついて頭を起こし、無心に眠る桂の顔を見てみる。柔らかみのある可愛らしい顔だと思う。周りの人は、私を桜のようだ何だと言うが、桂はもっと親しみのある、この前見た菜の花とかいう可愛い花、あんな感じだ。でもそんなことを言うと、桂は嫌がりそうだなぁ・・・、とか考えてみる。
こんなにじろじろと見られていながら、一向に目を覚ます気配がないのが面白く、爪先で桂の足をつついてみる。温かくて柔らかい足。足でこんなに柔らかいのなら、頬は、胸はどれ程のものだろう。確かめてみたい気持ちを抑えて、今度は反対側で眠っている犬君の顔を見てみる。格子も下さずに寝てしまったので、庭の篝火の明かりがほんのりと犬君の顔を照らしている。大きくて少し切れ長の目。つんと尖った鼻。涼しげな色白の顔で静かに眠っている。花ならば、真っすぐに凛として咲く桔梗。そんな感じかしら。そんなことを思いながら、犬君の足も爪先でつついてみる。犬君の細い足首が爪先に当たる。真っすぐに伸びる足首を爪先で撫でると、犬君の少し冷たい、でもしっかりと強い足の感触が伝わってくる。空に向かって力強く伸びる竹の美しい姿が目に浮かんだ。その時、犬君の目がこちらをじっと見ているのに気付いた。いつから目を覚ましていたのか。なんとなくきまりが悪くなり、私はひそひそ声で取り留めもなく話し始める。
「今、桂ちゃんが菜の花に似ているなぁって思っていたの。あ、でも桂ちゃんには言わないで。あんなどこにでもある花は嫌だとか言われそうだもの。犬君ちゃんは、えっと、桔梗かな・・・ね、犬君ちゃん、ちょっと寒いんじゃない?足が冷たい・・・」
犬君は唐突な私の話に少し戸惑いながらも、静かに答えた。
「少し・・・」
犬君の目がじっと私を見つめる。私は吸い寄せられるように、犬君の体に寄り添った。足首の冷たさとは裏腹に、犬君の胸は温かい。やっぱり竹の方が似合ってるな。力強くて真っすぐで、私を支えてくれる美しい竹。犬君の背に腕をまわすと、心を覆っていた不安がふいに和らぐような気がして、私は静かに眠りに落ちた。




