一
いずれの帝の御代のことでございましょう。
京の都の花の盛りも過ぎ、都人たちが味気なく過ごしていた三月の暮れ、北山の山里では遅い春の盛りを迎えておりました。趣深く造られた僧坊が点在し、山桜に藤の花、小川の水清く、山鳥の声は澄み渡り、京からいらした方が立ち去り難く思われるのも無理はございません。
そんな北山の花の錦の中を、童女が三人、衣の裾が露に濡れるのも構わず駆け抜けております。先を行く童は、すっかりと着馴れた上衣を脱いで空へと掲げ、必死に逃げるすずめの子を捕まえようとしている様子。はしこい性質の童のようで、もう少しですずめの子に手が届きそうなところでしたが、惜しくも逃げられてしまったようです。後を行く童は、着馴れて萎れた紅色の上衣を着て、髪に纏わりつく小花の蕾が気になるのか足も止まりがちに、何とか後を追っています。
さて、中を行く童ですが、この童は他とは比ぶるべくもなく、花の錦の中にいて、いずれの花よりなお輝き、ただ人などとは思われぬ光が備わっています。着馴れた山吹色の上衣に、この上なく美しい髪がつやつやとかかり、居ずまいを正して座っていたならば、いずれの高貴な姫君かと思われる御姿です。
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「犬君ちゃん、犬君ちゃん!」
露に濡れて冷たい足元、ずっしりと重くなっていく裾、袖に跳ねる泥、むせ返る草の匂い。もう息をするのも苦しくて、前を走る犬君を必死で呼び止める。でも犬君は、この何の道しるべもない草むらの中を真っすぐに走って行ってしまう。私は、この先に何があるのか不安で堪らなく、小さくなる犬君の背中を追いながら、真っ暗闇をひた走っているような心地だった。
その時、ついに沓が脱げ、私は膝をついて転んだ。犬君の足が止まり、すずめの子が高く空へ飛んで行くのが見えた。露なのか汗なのか、衣はぐっしょりと濡れ、髪も重く、もう一歩だって動けないほどに苦しかった。
「うわあぁぁぁぁん!」
逃げて行ったすずめの子、どんどん小さくなる犬君の背中、堪らない苦しさ。色んな感情が頭を過ぎり、涙となって溢れて来る。鼻に、口に広がる涙の味と温かくなっていく体。どうしてだろう、泣くのは少し気持ちいい。
「そそっかし屋の犬君のせいで大変な目に遭われましたね、姫様」
かなり後ろの方を走っていた桂がやっと追いついた。ふわふわと柔らかい髪には小花だの草だのが絡みついている。
「さ、帰りましょう、姫様。もう暮れかかってまいりましたよ」
桂に促され、立ち上がる。桂が私の衣についた汚れを払ってくれた。犬君は私の脱げた沓を持って来て、履かせてくれた。私は大声で泣いたことが恥ずかしくなり、顔を少し伏せた。
私と桂と犬君は今年で十歳。世話を焼かれてばかりの私と違って、桂も犬君もどんどん大人になってゆく。