第8話 胸裡
うさみんとリリーの自己紹介が終わり、次は細川の番だ。
「ウィンド」
その場にしゃがみこんだ工藤さんが何ごとかを呟くと、ちょうど正面に立つ細川の髪が、何かに持ち上げられて揺れ始めた。不思議な輝きを放つ銀の髪の毛が、陽光に照らされて様々な色に変化する。
ひと昔前の平面アニメーションで、ヒロインが崖の上に立って何かを見つめているような、そんなポーズだ。
工藤さんがやっているのは、おそらく風魔法。でも、なんで風を吹かせる必要があるんでしょうね。嫌な予感しかしないよ。
細川が、右手で顔を覆い隠し、少しだけうつむいて、口を開いた。
「我が名はカーレイル」
右手を外し、少しだけ首を傾けて、髪がきれいに後ろへ流れていくように調整した彼女は、最高のキメ顔を作って、こう続ける。
「嵐を掌握せしヴァルキリー・Káraと、癒しの力の根源たるヴァルキリー・Eirの名を受け嗣ぎし、歴代最強のヴァルキリーとは、この私のことです!」
VRMMOはじめたら、おしとやかだと思っていたお嬢様がガチの中二病患者だった。
これタイトルにして小説書いて投稿したら、ネットのサイトでそこそこ人気出るんじゃなかろうか。俺は現実逃避がてら、こんなことを考える。
うさみんの方に、目を向けてみる。困ったときの賢斗だ、きっと何とかしてくれ――なさそうだな、あれは。目が泳ぎまくってる。
いや、ほんと、これ、どうすればいいの。このお嬢様と、どうやって付き合っていけばいいの。
やがて、工藤さんが放っていた風が止まり、細川の髪も、重力に従って垂れ下がった。
彼女がポーズを解いた瞬間、先ほどまで纏っていた圧倒的なオーラは雲散霧消して。
「――という設定で、このゲームを遊ばせていただきます。本名は細川香織と申します。よろしくお願いしますね、皆さん」
その一瞬で、細川は元の物腰柔らかなお嬢様に戻っていた。
え? さっきの、夢じゃないよね?
切り替え、めちゃくちゃ早くないですか。
「えーっと、つ、つまり、中二病RPってことでいいのかな?」
いまだ状況を整理しきれていない様子の、うさみんが聞く。
「端的に言ってしまえば、そうなりますね」
我が意を得たり、という表情で、彼女は答える。
「昔から、ずっと考えていたんですよ。もし、私が『細川』の名から離れて、自由に振る舞える世界に行けたら、何をしよう、って。どんな名前を、名乗ろうって」
彼女の顔が、「お嬢様」ではなく、年相応の、いや、もっと幼く純粋な「楽しさ」を湛えているように見える。
「だから、今回、このゲーム『エインヘリヤル・オンライン』のことを耳にして、やっと、小さな頃の想像を形にできる、夢の機械が完成したんだな、と、感動したのです」
ああ、こいつ、本当に、このゲームを楽しみにしていたんだな。
「他の皆さんと、少しばかり違うことくらいは、自覚しています。でも。それでも、私はこのようにして、ゲームを遊びたい」
何かを決意するような、そんな目つきをした彼女は、この世界全体に叩きつけるように宣言する。
「『細川』ではなく、『香織』として、『カーレイル』として、精いっぱい、このゲームを――いや、この世界を生きていきます。ご迷惑をかけることもあるかもしれませんが、皆さん、よろしくお願いします」
腰を90度に折り曲げた完璧な礼をして、彼女の演説が終わった。
「えっと、実務的なところで、取得スキルは?」
賢斗は相変わらず、抜け目がないな。
「ああ、お伝えしていませんでしたね。ヴァルキリーとしての一般教養である<片手剣術>、<盾術>、<騎乗>、<調教>に加えて、Eirの力を受け継いで<回復魔術>を取得しています」
なんですか、「ヴァルキリーとしての一般教養」って。
「まともに<騎乗>ができるようなモンスター、出てくるのはだいぶ後だよ?」
「はい、承知しています」
賢斗も、適応が早いな。もう攻略トークしてるよ。
「じゃあそれまでは、アタッカーとサブ盾って感じかな、よろしく頼む」
いやー、しかし、細川がこんなことを考えていたなんてな。一年ちょっとを同じ部活で過ごしてきたのに、全然、知らなかったよ。
別に、教えてくれなくて残念というわけじゃあ、ない。人の趣味は尊重されるべきだし、尊重されにくいような趣味なら、それはわざわざ表沙汰にする必要はないだろう。
とはいえ。それでも、なにか、もやっとしたものが、俺の心の中を満たしていた。
少し短いですが、エピソード的にキリがいいので、今日はここまで。