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Extra Episode 1: 2817年12月 壊れた時計の直し方

 形あるものは、いつか壊れる。


 壊れていくものを、歴史は忘れていく。


 しかし人間は、石板を介して、本を介して、メモリーチップを介して、物を情報として保存することができる。


 故に歴史の顔は、保存された人間のエゴで醜く歪んでいる。


 ただし見誤ってはいけない。


 それは情報媒体メディアらしさであって、人間らしさでは決してないのである。


 石板にも本にもメモリーチップにも残されなかった日常は、すぐに歴史から忘却されていく。


 未来の歴史は紙の本とメモリーチップで構成され、失われた石板に書かれていたラブレターは無視される。


 さらに遠い未来には紙の本は喪失し、ダヴィンチのノートも、ワーズワースの詩も、ダーウィンの論文も無視される。


 歴史は過去というスクリーンに投影された影絵に過ぎないのである。


 影絵の登場人物達の台詞だけでは、人間らしさを全て語ることは不可能である。


 本当の人間らしさは、あなたに見えているか?




 十八世期末のジュネーブを模した展示地区。昼下がり、コロニー上空にはどんよりとした灰色の雲がかかっていた。


 繁華街の表通りからひっそりと伸びる横道を、学芸課の制服を着た男が二人歩いている。大通りとは打って変わって人影はまばらだ。黒ぶちの野良猫が一匹、壁際を早足で通り抜けていった。レンガの塀の根元からは雑草が芽を出している。何も始まらずとも、何も変わらずとも、時間はいつも同じ速さで進んでいく。光のような速さで運動すれば別だが、それを証明した天才が同じスイス連邦において特殊相対性理論を発表するのは、約百年先の話である。


 レンガ造りの家々の間の細い道を進むと、彼らはある看板の前で立ち止まり、その店に入っていった。木彫りの看板には、懐中時計がデザインされている。


 壁際の棚には、様々な意匠いしょうの施された懐中時計が陳列されている。その奥のカウンターの前に立ったジムだったが、椅子は空っぽで店の人は見当たらない。呼び鈴を鳴らしたが、返事はない。


 その後方で、ハルは懐中時計を眺めていた。


「なぜジュネーブで時計産業が盛んになったのだと思う?」


 ジムの問いかけに、ハルは上の空で答えた。


「一人は全てのために、そして全ては一人のために、という国民性が合っていたんでしょう」


「その答えは本質的ではないね。人が行動するために最も必要な要素は、それをするに値する動機があることだ。前向きにしろ、後ろ向きにしろ、ね」


 ジムはポケットから小箱を取り出して、ふたを開けた。そこには銀色に輝く懐中時計が静かに眠っていた。


「例えるなら、時計の高精度化は最たるものだ。時間を知るだけなら、日時計だって水時計だってある。ならなぜ歯車を組み合わせて、秒を刻み、時刻が狂わない時計を作ったのか? 正確な時間を知る必要性があったからさ。大航海時代によって、船の正確な位置を計測する必要が生まれたからね。これは、前向きな動機と言っていいだろう。


 だがジュネーブで時計産業が盛んになった理由は、後ろ向きだ。1685年、フォンテーヌブローの勅令ちょくれいによってナントの勅令が撤廃された。多くのプロテスタントはフランスに居場所を失い、国外へ流出した。フランスに近いジュネーブはその受け入れ先の一つだった。プロテスタント達は高い技術を持っていたから、ジュネーブで時計産業が発達した、という訳さ」


「ためになる講義はいいですけど、早く店の人を呼んだらどうですか? 俺は付き添いで来ただけですし」


「先輩に冷たいなぁ」


「その時計を壊したこと、みんなにバラしますよ?」


「ここはヘルヴェティアの『一人は全てのために、そして全ては一人のために』の精神でいこうじゃないか?」


 実はその懐中時計は、展示品の整理中にジムが誤って落として壊してしまったものだった。物音に気付いて寄ってきたココやソニアは何とか誤魔化せたものの、ハルだけには見破られてしまった。なぜならジムが背中に隠していたものを透視できたからである。


 ハルはみんなに言いふらすことはしなかった。それと引き換えに、この十八世期末ジュネーブ展示地区で時計を修理するついでに、ジムに飯をおごってもらうことになった。


 無論、展示品を壊した場合は正式な手続きを踏む必要がある。だが、真面目に申告して諸経費を給料から天引きされるよりも、この展示地区でこっそりと修理して、ついでにハルに飯を奢る方が財布に優しかったのである。学芸員としては望ましくないが、実践的な行動を好むジムらしい選択だった。


 そうこうしている間に、店の奥から子供の声が聞こえてきた。


「お父さーん! アンジェがお客さんだってー!」


「はいはーい」


 間もなく、男性のアンドロイドが出てきてカウンターに立った。


「お待たせしました。ご用件は?」


「この時計、壊れてるんですけど直せますか?」


 ジムは箱の中の時計を差し出したが、時計屋の男はそれを一瞥いちべつしただけで、顔をしかめた。


「壊れた物が元に戻るものか」


 その予想だにしない言葉に二人は呆然としてしまい、言葉も出なかった。


「用事はそれだけですか? ではお帰り下さい」


「いや、ちょっと待って下さいよ」


 その時、店の奥につながる入り口から女性が顔を出した。彼の妻だろうか。


「ご飯できたわよ……って、お客さんがいたのね。ごめんなさい」


「いや、もう用は済んだから、すぐに行くよ」


 ここまで頑なに断るので、ジムは他の店にしようと考えていた。


 しかし次の瞬間、不思議なことが目の前で起こった。


「そう。アンジェは?」


 彼の奥さんが、空っぽの椅子に向かって声をかけた。もちろん誰も答えない。しかし彼女はまるでそこに誰かがいるかのように会話を続けた。


「じゃあ食卓の準備を手伝ってもらえる?……上がってくる時、段差に気を付けるのよ……あら、こないだも転んで泣いてたじゃないの。ねぇ、あなた」


 彼女の微笑みが夫に向けられた。


「……あぁ、そうだったな。気を付けなきゃダメだぞ」


「全くもう、やんちゃなんだから。ほら行くわよ」


 彼女が奥へと戻っていってから、時計屋の主人は二人に話しかけた。


「可愛いだろう、うちの看板娘は?」


 二人はポカンとしたまま顔を見合わせた。ジムにも、そして透視のできるハルにさえも、そんな子は見えなかった。


「おや? まるで私の娘が見えないとでも言うつもりかい?」


 全く面白い冗談だ。ジムは事情を探るべく、情報を聞き出すことにした。


「まさか、そんなことはありませんよ。元気なお子様ですね」


「そうだろう? あの首に巻いているスカーフを見たかい?」


「えぇ、もちろん」


「あれは私が買ってやったんですよ。一年前にパリへ出張した時のお土産でね。あの柄はアンジェに似合うと思ったんだ」


「いやー、良い色のスカーフでしたね。お似合いでしたよ」


「なら、スカーフが何色だったか分かるかい?」


「……それは、そのー、つまり、優雅で繊細な色合いでしたね」


「私は何色だったかと聞いているんだよ」


「まぁ、それは言うだけ野暮ってもんじゃないですか」


 そこにハルが口を挟んだ。


「あなたも見えてないんですね?」


「やはりそうか。君達にも見えてなかったんだね」


「先に言ってくださいよ」


 ジムは、どっと襲ってきた疲れで今にも崩れ落ちそうだった。


「何があったんですか?」


「私が知りたいくらいだよ。一ヶ月ほど前から、妻にも他の子供達にも、さらには客にも店番しているアンジェの姿が見えて会話をしているのに、私には見えないんだ」


 彼は振り向くと、カウンターの後ろにかかっている肖像画を眺めた。そこには青いスカーフを首に巻いた、丸い目の可愛らしい幼女が描かれていた。写真の発明は十九世紀まで待たねばならず、それまでは肖像画がその人物がいたことを示す方法の一つだった。


「そして俺達にも見えていないと」


 ハルは腕組みをしながら、犯罪の匂いを嗅ぎとっていた。アンドロイドがそこにいるかのように見せかければ、本体を別の場所でいかようにもできる。もしかしたらダンタリアンに繋がる糸口になるかもしれないと考えていた。


「しかしどうやって調べたものか……」


「何を?」


「彼と俺達には見えなくなった原因ですよ」


「あぁ、それは見えなくなったんじゃない。むしろ特定のアンドロイドに見えるようにされたんだ」


 見ればジムは携帯用デバイス「セレーネ」を操作している。セレーネの空間投射ディスプレイをハルは覗き込んだ。


「何か分かったんですか?」


「ほら、ここ。更新日時が新しい。見事にデータが改ざんされてる。アマチュアのやり方だね」


「学芸員になると、こんな情報も簡単に取得できるんですね」


 感心するハルに、ジムは表情を変えずに真実を口にした。


「いや、このデータは学芸員どころか、評議会議員レベルでも閲覧禁止だよ。見れるのは、せいぜいアポロンの保守をしてる人間くらいじゃないかな」


「……なら、なぜここにデータが?」


「ハッキングしたから」


 さも当然だというようにジムは画面をスワイプして、より深い階層のデータを映し出した。そこでジムは、不自然に手を止めた。


「……一旦、外に出ようか?」


 ハルは大人しく従い、時計屋の主人を残して店を出た。適当な路地の塀に寄りかかるジムに、ハルは率直に疑問を尋ねた。


「何かあったんですか?」


「ここにはあの家族の戸籍データが載ってる。アンドロイドだから擬似戸籍のようなものだけど、これを見るとアンジェという少女は一年前に亡くなった、という設定になっている」


 データを見たハルは、上手く言葉が出なかった。確かにそこには、出生日とともに死亡日が明確に記載されていた。片手で足りてしまうくらいの年齢だった。


「つまり?」


「生きていた人物が消えたのではなく、死んでいた人物が生き返ったんだ。もっとも彼らはアンドロイドだ。実在の人物をモデルにしているわけではない。ただし当時の社会を反映しているけどね」


「反映しているというのは?」


「例えば、当時の平均寿命はおよそ四十歳前後。子供の死亡率も高かった。それが、このアンジェという亡くした子供がいる設定につながっているんだろう。亡くなったアンジェが見えない姿で生き返ったのは、さしずめ当時亡くなった子供達の声無き声、と言えなくもない」


「詩人ですね」


「ホラー作家だよ」


 冗談を言いつつも、ジムは仮想キーボードを叩く手を止めず、アンジェのデータを細かくチェックしていた。


「ここを見てくれ。位置情報が奇妙だ」


 ジムはGPSから得られた経度と緯度の数字を指差した。


「この地点はこの展示地区。だけどこっちは遠すぎる。これも、それからこれも。真空列車チューブを使ったとしても、短時間のうちにこんなに移動できるはずがない」


「とするとアンジェは複数いるということですか?」


「正確に言うなら、アンジェに成りすました偽物が複数いるんだろう。各展示地区を移動する際には入り口でタグを読み取って入出管理をやってるんだが、それを通り抜けるためのバックドアとして、本来はデータだけの存在だったアンドロイド、つまりアンジェが実在することにされてしまったんだろう。そしてそのタグは、複数の人物によって利用されているはずだ」


「地下組織の仕業ですかね?」


 ハルの質問にはダンタリアンのことが念頭にあった。


「いや、そうとは限らない。ミューズを自由に移動できるタグなんて、欲しがる奴らはいくらでもいる。需要があるなら、タグを売る奴らがいても不思議ではない」


「タグの密売人という訳ですか」


「そいつからタグを買った奴らが、アポロンにはアンジェとして認識されているんだ」


「そうすると、家族にアンジェが見えているのはなぜなんでしょう?」


「これはあくまでも仮説だが、この細工によってアンジェが家の中に住んでいるべきなのにも関わらずいない、という矛盾をアポロンなりに解消した結果なんじゃないかな。アポロンは膨大な情報量を処理しているから、大なり小なり矛盾は生まれる。ここにいるはずなのに、実際は三十センチメートル先にいた、とかね。だからそれを回避するためのアルゴリズムが組み込まれている。それが作用して、あたかもいるかのように見えていた。あの父親アンドロイド以外にはね」


「じゃあ、あの人に見えなかったのはなぜなんです?」


「これも推測するしかないけど、あの父親は店のカウンターに立っている間、亡くした娘の肖像画をいつも眺めていた。だから娘がいないということが深層意識の中にあったんじゃないかな」


 ハルは納得出来ないというように眉をひそめた。


「アンドロイドに深層意識があるんですか?」


「さぁ、無いかもね。僕には全ては分からない。アポロンにだって分からないだろう。でもそれはそれでいいんじゃないの? 無知の知というやつさ」


 せわしなく仮想キーボードを叩いていた手が止まった。


「よし。じゃあ時計屋に戻って懐中時計を修理してもらおうか」


「え? この事件は放っておくんですか? 何か手を打たないと」


「誰がこんなバックドアを作ったのかは分からないし、突き止めるのは難しい。だったら、わざわざ面倒なことに首を突っ込むよりは、分からないままにしておいたって別に構わないだろ?」


「しかし重大な犯罪につながっているかもしれませんし」


「じゃあハルが言ってみるかい? 『アポロンの重大機密情報を覗いてみたら犯罪者が細工してました』って」


 事情を理解したハルは、小さく頷いた。

 

「透視したと言っても、信じてもらえないでしょうね」


「だろ?」


 ジムは再び時計屋の扉を開けて、中に入っていった。


 主人の姿はカウンターに見えない。呼び鈴を鳴らすと、少しあってから主人が出てきた。


「何かご用ですか?」


 まるでさっき会ったのを忘れているかのように、彼は言った。


「この時計を修理して欲しいんですが」


 ジムが箱の中の懐中時計を差し出すと、時計屋の主人はそれをよく吟味ぎんみした。


「直してみせましょう。良い時計ですよ。腕がなりますね」


 その面持ちは、さっきよりもどこか柔和に見えた。


 ジムが主人の後ろの肖像画を指差す。


「可愛い絵ですね」


「あぁ。私の亡くした娘でね。アンジェと言います」


「これは失礼しました」


 しかし主人は機嫌を損ねた様子はなかった。むしろ話題に上ったことを嬉しく感じているようだった。


「いえいえ。青いスカーフをしているでしょう? 私がパリに出張に行った時のお土産なんです。私が帰ってきた時にはもう息も絶え絶えでしたが、このスカーフを首に巻いてやると、ニッコリ笑ってね。それからすぐに天国に行ってしまいましたが、最後になんとか親らしいことをしてやれたかなって」


「えぇ、きっと天国でも喜んでいるでしょうね」


「でも、なんだか最近、私の近くにいるように感じるんですよ。私の妻や子供達もそう言ってるんです。そこに椅子があるでしょう? アンジェが元気な頃は、いつもそこに座って店番をしてくれていたんです。ウチの自慢の看板娘でした」


「さぞ人気だったでしょうね。僕も一度、お会いしたかった。また今度、時計を取りに来た時には会えるかもしれませんね」


「そうかもしれません。では時計はお預かりします。一週間後に、また来て下さい」


「よろしくお願いします。それでは」

 

 そして店を出た二人は、冗談交じりの会話をしながら、軽い足取りで繁華街へと向かっていった。


 いつの間にか立ち込めていた雲は切れ、青空が顔を見せていた。街は午後の柔らかい陽光に包まれている。




 それから二週間が経った。懐中時計の修理は無事に終わっていた。ジムはその日の仕事が終わり、学芸課のオフィスに寄っていた。デスクで書類にサインしていると、ココが後ろから近寄ってきた。


「ジム、ついでこれもサイン頂戴ね」


「はいはーい。えーと……『始末書』?」


 顔をしかめたジムが振り返ると、ココは笑顔のまま、異様な威圧感を放っていた。


「君が落とした展示品の懐中時計あったでしょ? あれね、元から壊れてたのさ。なのにチェックしたらチクタク動いててビックリしたよー。壊れた状態に修復する大変さ、君に分かる?」


 恐怖におののきながらも、ジムは最後の抵抗を試みた。


「でもこの金額、今月の給料と同額ですよね?」


「あら? 来月のお給料もカットして欲しいの?」


「ちょっ、待ってください! 十分ですっ! 今月分だけで勘弁してくださいっ!」


 そんなやり取りをオフィスの外からハルは透視しながら、自分の分の始末書もあることに一人戦慄せんりつしていたのだった。

お読み頂きありがとうございました。


色々あって更新が遅れてしまい、すみませんでした。


初めは冒頭のジムが時計を壊すシーンを詳しく書いていたのですが、途中でこれは要らないなと思って全削除して、一から書き直しました。


勉強しながら書かないといけない部分も多かったので、それも時間がかかった理由の一つです。


時計の歴史や、十八世紀末のジュネーブについて、齟齬の無いように注意して書いていました。当時の庶民生活とか、写真の発明・普及の時期とか。


でも最終的に、偶然ではありますが、お盆の時期にこのような話を投稿できたのは良かったかもしれません。


次回からは第三章に取りかかります。


なんとなくプロットは考えてありますが、時間がかかるかもしれません。


その時は、何卒ご容赦下さい。


それでは。


葦沢


2017/08/13 初稿

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