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Episode 6: 2817年11月 学芸員試験

 虹は何色あるだろうか。


 ある人は七色だと言い、ある人は五色だと言う。三色と言う人もいる。あるいは沢山と言う人もいる。


 それは誰もが正しいだろう。


 本物の虹も見ずに、誰かがそう言っていた、などと宣う輩以外は。




「始め!」


 その一声で、試験会場は問題用紙をめくる音で溢れかえる。


 学芸員試験。午前の部は学科試験。人類の歴史、芸術、自然誌に関する広範な知識と理解力が問われる。


 それは例えば以下のようなものだった。


「博物館が成立するまでの歴史的経緯について述べよ」


「スフマートについて述べよ」


「恐竜の獣脚類と竜脚類の差異を簡潔に述べよ」


「火薬の発明と現代までの利用方法について簡潔に述べよ」


 これらの設問は、一般人には少々答えに詰まるものではあるが、学芸員試験の対策をしていれば難なく答えられる程度に設定されている。


 しかしハル・ウォードンにとってはそうではなかった。ハルは、勉強というものが苦手なのである。ましてや学芸員試験を受けるかどうか、迷いに迷って決断したのが今日の朝。となれば、手に持ったペンが名前を記入しただけで止まってしまうのも当然であった。


(あぁ、でも火薬の利用方法なら書けるか。銃、大砲、ダイナマイト、手榴弾、地雷……時限爆弾も使いようによっては、暗殺に脅迫にと色々使えるし)


 設問の趣旨から外れた解答を記入しかけたところで、ハルはふと気付く。


(そういえば透視できるのだった)


 カンニング行為が許されるものではないことくらいは、ハルにも分かる。しかし背に腹は代えられない。


 ハルは、左の手の平で両目を覆って考えているようなふりをしながら、前の席に座る男の答案を透視した。手をかざしていようが、透視できるのだから関係ない。ハルは解答を書き写した。


(一人からカンニングするとバレるよな……)


 それとなく周囲の席に座る受験者の解答も透視することで、ハルはもっともそれらしい答案を作成していった。皆が答えに窮している設問については、カモフラージュのためにあえて空欄にするという念の入れようである。


 何も考えずに他者の解答を書き写している間、ハルは透視能力のことを考えていた。


 ノトロブと名乗る技師から渡された義眼によって得た透視能力だったが、彼は極力使うことを控えてきた。何しろ軍事機密に指定されても不思議ではない性能である。そんなものを使っていて良いのかと、ハルには躊躇いがあった。


 だから透視能力のことは口外しないようにしていた。唯一知っているソニアには、ノトロブという人物について学芸員の情報網から何か分からないか、調査を依頼していた。しかしこれまでのところ、ノトロブという人物に関する情報は皆無であった。


 一体、ノトロブとは何者なのか?


 なぜこの義眼を渡したのか?


 何か別の意図があるのではないか?


 溢れる疑念をぼんやりと考えているうちに、試験時間の終わりを告げるベルが鳴った。


 他の受験者が退室していく中で、ココとソニアがハルに近付いてきた。


「まさか来てくれるとは! ありがとうハル君、君は私たちの希望の星だ!」


「また一緒にお仕事できるんですよね?」


 すっかり歓迎ムードの二人に、ハルはカンニング行為をした罪悪感で言葉に詰まってしまった。


 助け舟を出したのはジムだった。


「先輩たち、まだ試験は終わってないんですから、受験者と親しくするのはやめてください。それにハルを休ませてやらないと」


「そうね。じゃあ、次の実技面接で待ってるから。気張るんじゃないぞ、青年!」


 騒々しく去って行く三人の後ろ姿を、ハルは見えなくなるまで見送った。一度は仕事を辞めると言ったにも関わらず温かく迎えてくれる人達がいるということに、ハルは感謝の気持ちを抱いていた。


 昼休みを挟んで、午後。今度は場所を変えて、実技面接が行われる。一人ずつ部屋に呼ばれ、学芸員として有用な技術があるかを審査するものだ。


 ハルは受付で整理番号が書かれた紙を係の人間から受け取った。その脇にあるボードには、面接の順番が書かれている。面接用の部屋は四部屋あり、一人あたり十五分の時間が割り当てられていた。ハルはA室の二番目。係に誘導されるまま、A室前の廊下に置かれた椅子に座る。


 ハルは耳をそばだてたが、中のやりとりは聞こえない。


 事前に何一つ勉強をしていないので、ハルには実技試験で何をするのか見当がついていなかった。


(見てみるか)


 A室はハルの背中側にあるから、後ろを振り返らないと中が透視できない。しかし幸運なことに、ハルの座る目の前の部屋がB室として試験会場になっていた。もしその姿を誰かに見られても、廊下の壁を眺めているようにしか見えないから、怪しまれることはない。


 B室の中には、三人の試験監督が受験者の前に座っていた。そのうちの一人はココだった。


 そこでハルは気付く。


(そうか。試験監督に必ずしも知り合いがいるとは限らないのか)


 ハルは、すっかりココたち三人を相手に面接するものと思い込んでいたのである。ある程度は甘く採点してもらえるはず、と気が緩んでいた部分もあったのだろう。ハルは自分の甘さを恥じた。


 しかも今回、面接室は四部屋。ココがB室にいるとなると、あと三部屋にソニアとジムがいることになる。A室に知り合いがいない可能性は十分考えられる。


 であればこそ、ハルは実技試験の内容を把握しておかなければならない。B室の様子を、ハルは注意深く観察した。


 声こそ聞こえないが、受験者と試験監督達の間でしばらく会話が交わされた後、ココが受験者の前のテーブルに置いてあるものを指し示した。


 そこには収蔵品らしき油絵が置かれていた。その絵について受験者が説明し、それに対して試験監督が質問をしているように見えた。


(流石に質問の内容までは分からないか)


 その受験者は、ココの度重なる質問に対して、徐々に焦ったような表情になっていった。相当難しいのだろう。


 不意にA室のドアが開いた。


(もう終わったのか)


 十五分にはまだ早いと思ったが、出てきた受験者の青ざめた顔を見て、全てを察した。見限られたということだろう。


「次の人」


 淡白な声に呼ばれ、ハルはA室の中へ入った。


 ハルにとって幸運なことに、三人座る試験監督の左端にソニアがいた。お互い表情こそ変えなかったが、一瞬だけ視線が合う。


 受験者用の椅子の前には、やはりテーブルが置かれていた。しかしその上には、一冊の古い本が開いた状態で置かれていた。


(そうか。向こうの部屋とは差別化されているのだ。恐らくは、個人の特性に応じて。だがしかし俺はなぜ書物なのだろうか)


 募る不安を押し殺しながらハルが椅子に座ると、まず真ん中に座る試験監督が口を開いた。白髪交じりの紳士的な中年男性だった。


「ハル・ウォードン君。ふむ、面白い経歴だね……しかし我々は学芸員だ。遺物の歴史にはちとうるさいが、人の経歴には頓着しない性分でね。義眼だろうがなかろうが、それは気にしない。とにかく今、君ができることを見せてくれたまえ」


 そして右端のメガネをかけた試験監督が、目の前の書物を指差した。


「この本を見て、何でもいい、君の所見を聞かせて欲しい」


「……少し観察してもよろしいでしょうか?」


「ご自由にどうぞ。君に与えられた十五分で、君の魅力を伝えられるなら」


 紳士は、柔和に、しかし厳格に、ハルに課題を課した。


(魅力と言われてもな……)


 何を答えればいいのか分からなかったが、とりあえずハルは立ち上がって本に近付いた。


 その開かれたページには、植物の挿絵が描かれていた。その挿絵の周りにはアルファベットのような文字が書かれているが、ハルには分からなかった。


(勉強していれば分かるのだろうけれど、今更どうしようもないな)


 ハルは分かることを探そうとしたが、しかし描かれている植物の名前すら分からない。


「この本は、触ってもいいのでしょうか? 他のページも見てみたいのですが」


「いえ、触らないでください。貴重な品ですから」


「そうですか……」


 他のページを透視することもできるのだが、透視能力を他の人に明かすのは躊躇われた。


 しかし。


「ウォードンさん。あなたなら他のページも分かるはずです」


 その声はソニアのものだった。


「それは、どういうことですか?」


 中央の試験監督がソニアに尋ねた。


「ウォードン君は素人なのでしょう? だから私たちが面接しているのでは?」


「えぇ、素人です。でも彼には、何が描かれているのかは分かります。そうですね?」


 ソニアの真剣な眼差しが、ハルを捉えた。


 ハルは覚悟を決めた。謎の植物の開かれたページを見つめる。そしてハルの意識は、古びた本の奥深くへと潜っていった。ハルの眼には、一枚一枚重なったページが風に吹かれて、ハルの周りを飛び回っているかのように映った。


えました」


 静まり返った室内に、ハルの落ち着いた声が響いた。


「不思議な植物が多数。それから裸の女性たち、円形の天体図のようなものも描かれています。それらの絵の周りには、どのページにも似た文字が書かれています。図鑑のようにも思えますが、それらが何を示すのかは分かりません」


 その透視結果に、二人の試験監督は目を丸くした。


「君は、その本を知っていたのではないのか?」


「すみません、全く分かりません。不勉強なもので」


 すると真ん中の試験監督が笑い出した。


「愉快だ。実に素晴らしい。合格だ」


「これでよろしいのですか?」


 困惑した表情のハルに、ソニアが説明をする。


「他の受験者には内緒の話ですが、この本は、名をヴォイニッチ手稿といいます。一見、植物やら何かを説明しているように見えますが、実は違います。ただのデタラメなのです。書かれているのは、実在しない植物や、意味有りげに見える絵ばかり。


 この面接は、勉学には秀でていない受験者向けに、学芸員の素質があるかどうかを確かめる試験なのです。このヴォイニッチ手稿を見せた時に、知ったかぶりで説明をしたり、黙ってしまうような人たちは、残念ながら素質はありません。学芸員に求められているのは、対象そのものが何であるか、最後の最後まで見つめる素直な眼なのです」


 さらに真ん中の試験監督が続ける。


「歴史というものは、歴史に関わる者の眼を通して語られる主観的なものだ。正しい歴史は存在しない。だからこそ、歴史を他者に語る学芸員は、純粋な眼を持っているべきなのだ。


 そして今、君はヴォイニッチ手稿を見て『分からない』と言った。この緊張する場で、率直な意見を言えるその力。学芸員向きと言っていいだろう。


 しかも君には透視の力があるようだね。どういう原理かは知らないが、収蔵品の分析にはもってこいの力じゃないか。死海文書みたいな、開けば崩れてしまうようなボロボロの本だって君には見える。そんな君を合格させないという手はないよ」


 紳士風の試験監督は、微笑みを浮かべながらハルを眺めていた。まるで将来の成長した姿が見えているかのように。


 かくしてハルは、学芸員試験に晴れて合格したのだった。




 試験からしばらく経ったある日。第十七学芸課(イチナナ)のオフィスに、真新しい濃紺の制服を身にまとった新学芸員ハル・ウォードンの姿があった。


 主任ココ・レオーネが、イチナナのメンバーに告げる。


「喜べ、みんな! 新人を迎えてから初めての大きい仕事が入ったよ。気合を入れていくよ!」

お読み頂きありがとうございます。


もうバレてる気がしますが、学芸員になるための試験とか、その辺りの設定は「鋼の錬金術師」のオマージュです。学芸員の濃紺の制服も、そのせいです。今後も影響が強いエピソードを書く予定なのでお楽しみに。


本エピソードで扱っている学芸員のあるべき姿については、、E・H・カーの「歴史とは何か」の影響が大きいですね。


それと実のところ、ヴォイニッチ手稿は元々入れる予定ではありませんでした。


大筋の流れだけ決めて、試験の内容はなんとかなると思って書き始めたものの、何を課題にしようか悩むことになり、最終的にこうなりました。結果オーライ?


次回、いよいよ第二章突入です!


葦沢


2016/10/30 初稿

2016/10/31 第二稿

2016/12/25 第三稿

2017/06/24 第四稿

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