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Episode 5: 2817年11月 正義の道

 人は道を選ぶ。楽に歩ける道。歩くのも難しい道。それを選ぶのは、個人の自由である。


 果たしてそうだろうか。


 楽な道は、目的を曲げてでも苦労を嫌う人間が歩く。困難な道は、目的のためには苦労を厭わない人間が歩く。


 道が人を選んでいると言っても、過言ではないだろう。


 きっとそれが運命と呼ばれるものなのかもしれない。




 学芸員都市ライムシティの真空列車(チューブ)ステーション近くに、第十七学芸課オフィスはある。学芸課のオフィスともなれば大層ご立派な事務所なのだろうと想像されることも多いが、実際はただの事務室である。


 オフィスのチェアに座ったココ・レオーネは、珈琲を片手に書類に目を通していた。


 不意に扉をノックする音がした。来訪者の到着である。


「どなた?」


 入り口へ向かってココは尋ねた。


「ハル・ウォードンです。ご依頼の件で参りました」


「待ってたよ。そのまま入ってくれたまえ」


「失礼します」


 扉を開けて中に入ったハルは、ココの前へと歩きながら辺りを見回した。割と小さい部屋の中に、数人分の机が並んでいた。ハルがここを訪れるのは初めてだった。


「すまないね。こんな仕事まで引き受けさせてしまって」


「いえ。むしろ、いつもお仕事を頂き感謝しております」


「それならいいんだけどね。さて、今回のお仕事を改めて説明しておこうか」


 ココは書類に視線を移す。


「今日は、全くもって面倒なことに、ユニオン側から査察が来ることになっています。しかしソニアもジムも別件で不在でね。私たち第十七学芸課は存続に必要な人員数を満たしておりません。そこで君には、あれを着てもらいます」


 そう言うとココは部屋の片隅を指差した。そこには学芸員の濃紺の制服が一着、ハンガーにかけられていた。


「学芸員に変装したら、後は学芸員らしく仕事をしているふりをしてくれればいいから。もし査察官に何か聞かれても、当り障りのないことを言っておけば大丈夫。色々と見てきたから、学芸員の仕事はそれとなく分かるでしょ?」


「了解です」


「それから……」


 そこでココは意味有りげな視線をハルに向けて、言う。


「今週末に学芸員採用試験があるんだけどさ、君、エントリーしといたから」


「……え?」


「優秀な君ならウチでもやっていけるし、お給料は今よりずっと高くなるよ。いやー、良かった、良かった」


「ちょっと待って下さい。それって正式な学芸員になるということですか?」


「そうだね」


「それは困ります」


「どうしてさ?」


「事情がありまして、今日でこちらでの仕事は辞めさせて頂こうと思っています」


 ハルの決断は、ペトラを考えてのことだった。このままハルが学芸課の護衛官として働いていれば、いずれは怪盗ファイに素顔を晒すことになってしまう。そうしたら、ペトラとの共同生活は今のままという訳にはいかなくなってしまう。もちろんハルが自らの稼ぎだけで生活していくことはできるだろう。しかし、ハルは今の生活に少なからず居心地の良さを感じていたのだった。


「えぇっ!? 辞めるなんて言わないでよ。君は必要な人材なんだからさ」


「申し訳ありません」


 ハルの表情に、翻意する余地は見えない。ココは静かに問いかける。


「もう決めたんだね?」


「はい」


 少しの沈黙。ココはその言葉を噛み締めるように頷いた。


「そっか。それなら私は、これからの君の活躍を祈ることにしよう」


「ありがとうございます」


「でも今日のお仕事はちゃんとやってもらうからね。そろそろ時間だから、隣の更衣室で着替えてくるように」


「了解です」


 ハルが制服を持って出ていった後、他に誰もいないオフィスの中でココは呟く。


「また本音を隠してしまったよ。つくづく自分が嫌になるねぇ」




 査察団が訪れたのは、それから間もなくのことだった。ハルがジムのデスクを借りて、書類に目を通しているふりをしていると、ノックも無しに彼らは入ってきた。ユニオン軍の軍服が目に入った時、ハルは内心焦った。


(ユニオン軍の査察とは聞いていない)


 なにせハルは、ユニオン軍の特殊部隊にかつて所属していたのである。もし顔見知りに会えば疑われかねない。


 しかし査察団の中に、ハルの知る顔は無かった。査察団の先頭を切って入ってきたのは、気位の高そうな女性だった。髪型はツインテール。歳は二十代に見える。恐らく査察団のリーダーであろう。その後ろには、官僚のような風体をした部下が十人ほど並んでいる。彼らも軍服こそ着ているが、その見てくれからして、一度も人を殺したことがないだろうとハルは確信した。


 先頭の女は、黙々と作業しているココに話しかけた。


「お茶くらい出しなさいな」


「手土産の一つも無いんですね」


「査察官のリリィ・ノイマンだ。茶を出せと言っている」


「あぁ、さっき使った紅茶の出がらしがそこのティーポットに入ってますから、お湯を沸かして飲んで下さい」


 ココは作業をしながら、顔も見ずに返答した。当然、女査察官は不機嫌そうに眉をひそめた。


「査察開始!」


 その言葉で、査察団は部屋の中の書類やデータを漁り始めた。それからリリィ・ノイマンは、良いことを思い出したとでもいうように、またココに話しかけた。


「アンタ達さぁ、最近、怪盗ファイに手を焼いてるらしいじゃない?」


「それが何か?」


「それって学芸員の怠慢よね? だって収蔵品を守るのも学芸員の仕事なんでしょう?」


「私達は、怪盗ファイから収蔵品を無事に保護しました」


「問題はそれなのよねぇ。他の学芸課ではどこも盗まれてるのに、ここだけは未遂で終わっている」


「既に報告書に記載した通り、当日は護衛官を伴っていたため、怪盗の襲撃に対処できました」


「でも怪盗ファイは護衛官に紛れ込んでいた。違うかしら?」


「何が言いたいのですか?」


「アンタ達の中に共犯者がいるんじゃないかってことよ。いや、むしろ組織ぐるみで隠蔽しているのかしら?」


 そこで初めてココはリリィの方を向いた。冷静さを保っているその表情の裏には、かすかに焦りが感じられた。


「今回の査察は、相次ぐ怪盗事件を受けて、各学芸課に問題が無いか点検するためのものだと聞いていますが?」


「そうよ。だから"問題が無いか"確かめてるんじゃない」


「しかしミューズは自治区です。軍が警察権を行使することは、重大な主権侵害になります」


「誰も捜査するとは言ってないじゃない? 私たちはただ、ミューズ評議会に依頼されて第三者機関として査察に来ただけ。もし問題があれば、私たちはそれを評議会に報告する。それだけのことよ。何を焦っているのかしら? まさか図星だった?」


「……お好きにどうぞ」


 引き下がったココを見て、リリィは満足そうな顔を浮かべていた。一方、マズイことになったのはハルの方であった。


 もしハルが学芸員でないとバレれば、同居人であるペトラにも軍の手が及ぶだろう。そこでペトラが怪盗ファイであると分かれば、第十七学芸課は怪盗ファイと内通していたと疑われることになる。ましてや今のココとリリィのやりとりを見るに、両者の関係は最悪だ。無いはずの罪を被せられても不思議はない。


 しかし切り抜ける名案が浮かぶ前に、リリィがハルに近付いてきた。


「アナタは見たことない顔ね。新入り?」


「えぇ」


「義眼の学芸員とは珍しいじゃない。いくら金を積んだのかしら?」


「無い金は積めませんよ、少佐」


「あら? 確かに私は少佐だけど、いつ名乗ったかしら?」


 ハルは内心「しまった」と思った。軍服の襟章から相手の階級を把握するのは、軍に所属していた頃の癖だった。相手が上の階級だった場合は、失礼な行動をしないように注意する必要があったからである。


「襟章を見て少佐だと分かるなんて、アナタ、軍マニア? でなければ、元軍人? とすると、その義眼は戦場で負傷したせいかしら?」


「……」


 黙るハルを見て、リリィは怪しいと確信したようだった。


「怪盗ファイは素早い身のこなしで逃げ回るから、元軍人ではないかという推測もあるのよね。アナタの履歴書を見せてもらいましょうか?」


 ハルは、物理的に走って逃げるのは得意だが、言葉で逃げるのは全くもって不得意であった。


(頭を使うのはどうも苦手だ。やはり学芸員には向いていないな)


 ハルは横目でココを見遣ったが、ココも策がないというように渋い顔をしているだけだった。


「さ、早く。アナタの無実を証明しようじゃない?」


 いよいよ打つ手が無くなったその時、オフィスの扉を開けて入ってきた人物がいた。


「ノイマン少佐。次の査察場所の予定時刻を遅らせてほしいと先方が言ってきましたが、いかがしましょう?」


「駄目よ。査察は予定通り行うと伝えて」


「承知しました」


 去り際、彼の視線がハルを捉えた。


「あれ? ハルじゃないか!」


 その声がする方を向くと、背が高くガッチリとした体格の、まるで熊のような男がハルの目に入った。その精悍な顔つきは、歴戦の勇士という言葉がよく似合う。


「隊長!」


 ハルも、その意外な出会いに驚いていた。ブレット・ホーキンス。かつてハルの所属していた特殊部隊の隊長を務めていた男である。


「久しぶりだな。どうしてこんな所にいるんだ」


「色々とありまして。隊長こそ、どうしてここに」


「今は、このお嬢の親衛隊長だ。ちょっとしたコネでな」


「ちょっと、待ちなさいな」


 二人の久々の再開に、リリィが割って入った。


「今、アナタは彼を隊長と呼んだわね? ということはやはり元軍人なのね。そうでしょ、ホーキンス親衛隊長?」


 ハルは、もはや絶体絶命だと思われた。しかし詰め寄ってくるリリィに、ブレットは首を横に振った。


「違いますよ。お嬢は、いつも早とちりするからいけないんですよ。昔、どっかの街が戦場になった時に、ある学生を助けたことがありましてね。それが彼なんですよ。この眼の傷は、その時のでね。応急処置も、俺がしてやったんです」


「あの時は、お世話になりました」


「そう。本当に?……それならいいのだけど」


 渋々納得したリリィは、ハルへの興味を失ったようだった。


「さ、次の査察場所に早く行きましょう。予定時刻を早めてくれ、だなんて怪しいわ。何かを隠しているのかも」


「お嬢、私は後から遅れて行ってもいいでしょうか? 久しぶりなのでね。彼と少し話をしたいんですよ」


「いいわ、好きにしなさい。ただし次の査察場所で必ず合流しなさい」


「ありがとよ、お嬢」


 リリィが部下を引き連れて帰るのを見届けてから、ハルはブレットに頭を下げた。


「ありがとうございます、隊長」


「いいっての。困ってるみたいだったからな」


「……あの~」


 ココがそっと近付いてきて尋ねる。


「ハル君のお知り合い、なんですか?」


「ブレット・ホーキンス大尉だ。よろしく。リリィ少佐のお守りをさせられていてね」


「私はココ・レオーネ。第十七学芸課の主任です。ところで、さっきのお話は本当なんですか?」


 そこでブレットは、ハルの方を向いた。ハルは頷く。


「彼女は信用できる人ですし、ちょうどいい機会ですから」


「そうか。実は、かつてハルは俺の部下だったんだ。だがある作戦に失敗して、ハルは恋人を亡くした。ハル自身も負傷して退役。ついでに俺は責任を取って降級。そして今に至る、ってところだな」


「そんなことが」


「あまり難しく考えないで下さい。過去の話ですから。ただ他の人にはあまり言わないで下さいね」


 落ち着いた様子で話すハルに、ブレットが口を開いた。


「しかし、ここで学芸員をやっているということは、ハルも知っていたのか」


 だがハルに思い当たる節はない。


「何のことですか?」


「知らなかったのか? 俺の聞いた話では、アイツがミューズにいるらしいんだよ、ダンタリアンが」


 途端にハルの瞳孔が開く。


「いや、待って下さい。ダンタリアンは我々の作戦によって死んだはずでは?」


「それがどうも体は義体化して生きているらしい。確証こそないが、噂は絶えない」


 そこにココが口を挟んだ。


「ダンタリアンって何者なんですか? 悪魔の名前ですよね」


「そう、悪魔を名乗る反体制派の活動家さ。素顔を仮面で隠していて正体は不明。そして奴は、ハルの恋人を殺した張本人でもある」


 ブレットが説明している傍で、ハルは俯き、拳を握りしめていた。


「だからハルが学芸員になっているのを見て、奴を追うために学芸員になったのかと思ったんだよ。それを邪魔したくなかったから、あのお嬢さんには嘘をついたんだがね」


「しかし学芸員であっても、活動家を捕まえることまではできないと思いますよ。私たちにできるのは、あくまでも収蔵品の管理ですから」


「それがそうでもないらしい。ユニオン軍にはミューズ自治区をよく思ってない派閥がいる。あのリリィお嬢さんもその一人だ。彼らは、昨今の怪盗事件を好機と捉えて、軍警察を派遣しようと動いている。あわよくば実権を握ることも考えているようだ。それを受けてミューズ評議会でも、学芸課の任務として警察も行っている現状を改めて、新たに警察組織を設立しようという動きがある」


「待って下さい。ミューズは、歴史の守護者としての立場から、武力であれば警察組織すらも否定しているはずですが」


「その通りだ。そこでミューズ評議会は、学芸課の中に学芸員による警察専門の組織を作る方針を固めた」


「それはつまり、今は一つの学芸課内で収蔵品の管理も警察も行っているのを、学芸課ごとに管理専門と警察専門で分けるということですか?」


「飲み込みが早いね。それならリリィお嬢さんがここに査察に来た本当の理由も分かるんじゃないかな?」


 ココは顎に手を当てて少し考えてから、嫌そうに答えを言った。


「新たに警察組織に区分されるであろう学芸課を調査するため、ですか?」


「そうだ。怪盗ファイから収蔵品を奪われなかった学芸課は、ここだけ。ミューズ評議会も、君たちを最優先候補としてリストアップしているそうだよ」


「その話は聞きたくなかったですねぇ……」


「だがハルにとっては朗報さ。学芸課のバックアップの下でダンタリアンを追えるのだから」


 そう言ってブレットはハルの肩を叩いたが、しかしハルは無言で俯くだけであった。


「言い忘れていましたが、ブレットさん。実は、ハル君は学芸員ではないんです」


「そうなのかい!?」


「査察のために、学芸員に変装するよう頼んでいただけなのです。本来は、護衛官として働いてもらっています。ハル君が望むなら学芸員試験を受けることも可能ですが、あまりその気はないみたいで」


 二人がハルに心配そうな視線を向けると、ハルは無理に笑いながら言葉を返した。


「もうあれは過去の話ですから。私は今のささやかな生活が気に入っているのです」


 その言葉は、どこか自らに言い聞かせているようにも聞こえた。


「では隊長。今日はお世話になりました。もう行かないと、あの性格キツそうな人に怒られますよ。それからココ先輩。今までお世話になりました。制服はどうしましょうか?」


「あぁ。ハンガーにかけて更衣室に置いておいてくれればいいよ」


「了解しました。では、お先に失礼します」


 そう言って、ハルは第十七学芸課のオフィスを去っていった。




 その週末。学芸員試験の会場に、ココとソニア、そしてジムの姿があった。彼らは、試験監督と面接官を任されていた。そしてブレットの言っていた通り、学芸課に警察組織を作る上で必要な人材を見極めるように、との指示が出されていた。


「最適なのはハル君だったんだけどな~」


 ぼやくココに、二人も頷いた。


「本当にハルは辞めてしまったんですか? また連絡を取ってみたら、気が変わってるかもしれませんよ?」


「無駄ですよ。男ってのは、決めたら曲げない生き物ですから」


「分かったようなことを言って」


「僕だって男ですから」


「でもハル君とは根本的に違うよね」


「ジムには芯がないというか」


「これは僕の持論ですけどね、硬すぎる柱は力がかかると折れちゃうんですよ。適度にしなる方が頑丈なんです」


「でもジムの場合は、しなるというより、ぐにゃぐにゃじゃない?」


「そこまで言いますか……」


 ベルが鳴った。気付けば試験の集合時刻になっていた。


「さ、ではお仕事を始めますか」


 その時、試験会場に駆け込む人影が一人。


「すみません、遅れました!」


 それは見紛うことなきハルの姿であった。


お読み頂きありがとうございます。


リリィとブレットの初登場回でした。この二人、意外と重要人物です。


リリィは、初めはあまり好きではなかったのですが、構想を練るうちに個人的に好きなキャラになりました。今後どうなっていくのか、期待して下さい。


ブレットは、名前の元ネタはキャプテン・アメリカの偽名です。仮面ライダーとか本多忠勝の中の人のイメージも入っています。あと「ガンダムユニコーン」のジンネマンとか。そんなキャラだと思って頂ければいいのかな。


この先の展開は結構柔軟に考えているので、この二人がどんな運命を辿るのか、筆者にも正確には分かりません。ただ今後も活躍してくれるのは確かだと思います。


ストーリー的には、「ブレイクブレイド」でライガットが再び王都を守ることを決意した場面のオマージュです。


あと学芸員に変装する展開は、ヒーロー物によくあるパターンらしいので、取り入れてみました。ロボット物で、物語序盤でパイロットでもないのにロボットに乗ってしまうパターンに近いのかな。


では。


葦沢


2016/10/10 初稿

2016/12/25 第二稿

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