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Episode 4: 2818年3月 霧の都に咲く花

 民は神を崇めた。


 人々は神に救いを求めた。


 不変の権威が語った言葉はルールとなり、人々は集団となる可能性を授かった。


 集団は、知識の集積をもたらす。


 知識、それはすなわち情報である。


 かくして集団のエントロピーは相乗的に減少を始めた。


 その先に人々が得たものは、文明である。


 不義と不自由と戦争が変わることなく存在し続ける世界を、神が望んだのだ。




 暦の上では春になった。しかし日が落ちてガス灯に火が灯るようになると、まるで北極圏からトンネルを通ってきたかのような冷気が、街路を支配し始める。


 人の交通が少なくなってきた頃、学芸員の一団が石畳の通りに現れた。ガス灯が、雪のように白い吐息を照らす。


「そろそろ時間だ」


 ジムはセレーネで市街地の地図を広げていた。場所は十九世紀末、ロンドン展示地区。産業革命により発展し、世界各地に植民地を有する一大国家の首都である。その傍らではハルがコートに手を突っ込んで、立ったまま瞑想していた。二人から少し離れたところでは、厚手のダウンに身を包んだイオンが、冷えた両手に息を当てて温めていた。


 宵闇に紛れるようにして塀に寄りかかっていたココが、何かに気付いて顔を上げた。薄暗い通りの向こうから人影が歩いてくる。足取りはぎこちなく、覚束ない。それはまるで生まれたばかりの仔馬のようだった。


 気付けばその後ろにも、生気を失った人影が歩いている。瞬く間に人の気配は増えていった。数十はいるだろうか。その光景は、さながらゾンビ映画のようである。


 普通の神経の人間ならばその異様さに気圧されてその場を去るところだが、もはや神経の麻痺した彼らは、その光景がまるで日常の一コマだとでもいうように、微動だにしなかった。


 もっともそれは、彼らがこの後に起きることを知っているからに他ならないのだが。


 不意に集まってきた人々が、一斉に足を止めた。そして一人が手を叩き始めた。ある者はバイオリンを狂ったように弾き、ある者はバグパイプを吹き鳴らした。緊張感のある夜の空気の中に、軽快なリズムが響き渡る。


 すると一人、また一人と、リズムに合わせてステップを踏み始めた。そこに手の振り付けが加わり、掛け声が上がる。人々は笑顔を浮かべながら、ただただ踊りに興じていた。


 これが祭りであるならば納得できるのだが、しかしそんな祭りなどはない。


「これがアンドロイドの集団ヒステリーですか」


 興味無さそうにハルは呟いた。しかしハルが興味を惹かれたと思ったジムは、あらかじめ調べておいたメモを開く。


「1581年にフランスのストラスブールで、人々が飲まず食わずで狂ったように踊り続けたという逸話が残されている。今回の現象は、それに近い」


「ふぅん」


 そっけないハルの受け答えに、ジムは少し肩を落とした。


「楽しそうでいいじゃない。放っておけばいいのに」


 踊る人々を眺めているイオンの楽観的な言葉に、ジムが口を挟んだ。


「そうは言っても、アポロンからそのような指令は出されていない。原因も不明だ。誰かが捜査する必要がある」


「学芸員は暇なのね」


「”学芸員は”じゃない。”第十七学芸課は”だ」


 ジムの顔には自虐的な笑みが貼り付いている。


「そうでしたか」


 ミューズ評議会は、現在、アシビとの冷戦状態にある。幾度か交渉の場が設けられたが、議論は平行線を辿り、事態は全くと言っていいほど進展してない。


 その間、学芸員たちが何もしていない訳ではない。戦闘が起こりそうな展示地区から展示品を避難させるという重大な任務があるのである。ただでさえ人的資源が足りない学芸員が、この非常事態に総動員されていた。


 だから、たかがアンドロイドの集団ヒステリーに構っている暇はないのである。


 そこで白羽の矢が立ったのが、第十七学芸課イチナナの面々だった。活発な問題児たちをアシビから引き離すために、ミューズ評議会は遠方での雑務を任せることにしたのである。さすがの問題児たちもそれを拒むことはできなかった。


 そしてまた同じく行き場の無くなったイオンは、第十七学芸課イチナナと行動をともにしていた。学芸員の資格はなかったが、ココはアルバイトという形で同行を許可した。かつてのハルと同じである。


 イオンは、彼らと一緒にいれば、いずれはソニアと接触できるだろうと考えているようだった。


「でもダンスの理由なんて分かるものなの?」


「分からないから調べるんだ」


「彼らはただ踊りたいから踊ってるんじゃない? ダンスってそういうものでしょ?」


「確かにイオンさんの言う通りかもね」


 傍らで聞いていたココも同意の声を上げた。


「冗談ですよね、先輩?」


「踊りっていうのは、さして高次な脳機能を必要としないのさ。求愛のダンスを踊る動物って多いでしょ? 極楽鳥やシオマネキ、アゲハチョウなどなど、挙げたらキリがない。複雑な神経回路を必要としないという意味では、アンドロイドの踊りは本能と言えるのかもね。それが理性としての制御が外れたことで発露したと」


「本能だなんて大袈裟な。きっと製造時にディープラーニングしたデータの中にダンスの動作データが入っていて、それを誤って読み込んでいるんですよ……ん?」


 ジムの視線は、狂乱の集団の中心に釘付けとなった。


 そこで行われていた行為を理解した瞬間、ジムはそのおぞましさに身の毛がよだつのを感じた。


 踊りの中心には、両脇を抱えられた少女のアンドロイドがいた。彼女の目はどこか遠くを見ているようで、焦点が合っていない。


 少女の前に一人の男のアンドロイドが歩み寄ってきた。何をするのかと思えば、突然、男はその手を少女アンドロイドの左胸に突き刺した。


 そこから引き抜いた男の手には、少女の心臓、つまり駆動バッテリが握りしめられていた。男がそれを高々と掲げると群衆は奇声を上げて喜んだ。


「人身御供……」


 さすがにジムも、こればかりは説明がつけられないようだった。


「ありえない。アンドロイドが人身御供を学習しているはずがないし……。どうしてこんなことが……」


 そこでハルが口を開いた。


「人類の歴史の中で、人身御供は世界に普遍的に存在していますからね。アンドロイドがそうしないとは言えないんじゃないですか?」


 直感的なハルの発言に、ココも頷いていた。


「そもそも自己犠牲は、社会性を持つ生き物には見られる行動だよ。例えばミツバチは、働きバチが巣を襲う外敵を集団で取り囲み、その熱で敵を殺し、自らも死ぬ。こうした自己犠牲は、遺伝子を共有している近縁者の繁殖を助けることで結果的に自己の遺伝子の増加につながることが、計算から裏付けられているんだ」


 それでもジムは納得がいかないというように首を傾げていた。


「アンドロイドは繁殖なんてしませんよ。それに生贄を捧げる行為は、生存本能というより、むしろ宗教じゃないですか。心臓を捧げる儀式だなんて、まるで古代アステカの太陽信仰ですよ」


 それを聞いていたハルが呟く。


「太陽信仰なら、よほどアポロンが好きなんですね、彼らは」


「君達は面白いことを言うなぁ」


ココは腕組みをして、眉間にシワを寄せた。


「どうかしたんですか?」


「原始人類において国という概念は無く、近縁者による群れしかなかった。その群れ同士が集合して国ができていった。では、群れが集合していく過程で必要になったものは、何だと思う?」


「うーん、要するに他人とチームを組む訳ですからね。信頼とか、絆とか、そういうものじゃないですか?」


「ジムにしては、なかなか鋭いじゃない。でもそれだけでは足りない。個人同士の信頼が高ければ、確かにチームは強くなる。でもそれは言ってしまえば、個人という一人一人の人間がチームという巨人を形成したに過ぎない。巨人同士の戦いならば、それを決めるのは何だと思う?」


「それは強い武器を持っている方が勝ちますよ」


「残念。じゃあ質問を変えよう。ジムが大きな剣を持っていて、私が小さなナイフを持っていた場合、どっちが勝つと思う?」


「それは……僕と言いたいところですが、実際は先輩に戦略的に負けそうですね。……つまり高度な戦略をもっている方が有利ということですか?」


「そう。戦略と言っても、戦いの場面以外にも当てはまる。より正確に言えば、方向性かな。原始人類に例えれば、冬までに食料をこれくらい貯蔵しようとか、男の子は狩人に育てよう、とかね。でも方向性だけでは足りない。いるでしょ? 目標だけ決めて達成できない人間って」


「よく分かります。貯金しようと思っても、つい使い過ぎちゃって全然貯まらないんですよね。だから週の小遣いはこのくらいって決めて、目標を達成できるようにします。つまりはルールが必要ってことですね」


「その通り。目標とルール。それに個人同士の信頼が加わることで、集団は強くなる。強い集団は、他の集団を従えて、さらに規模が大きくなっていく。そしてこの三つを兼ね備えたものが、宗教だ。概して宗教とは、集団に目標を与え、規則で統一化し、お互いの信頼を高めさせるための装置なのさ」


「なるほど。ソクラテス、孔子、イエス・キリスト、仏陀が同時期に出生して『軸の時代』と呼ばれているのも必然なのかもしれませんね」


 しかしそこでジムは疑念に行き着いた。


「まさかアンドロイド達が宗教行為をしていたのは国を作るため、とか言わないですよね?」


「そのまさかだよ」


 困惑の混じった表情を、ココは隠さなかった。


「私たち人間は、アンドロイドに人権を認めていない。昔から議論はあったけれど、結局アンドロイドに人間性は生まれていなかった。だが近年、あのクレイグ・ミラー博士の功績によってアンドロイドが人格を持つようになり、人間に極めて近くなってきている。もっともミューズではアポロンの制御が働いているから、人間のような振る舞いは抑えられているのだろうけれど」


「じゃあ、もしアポロンの制御が無くなったら……」


「アンドロイドが原始人類と同じ道を辿る可能性はある。今回も、何らかの理由でアポロンの制御が無くなってしまったのかもしれない」


 そこでココは表情を緩めた。


「でも安心していいよ。誰かが彼らに文明を教えない限り、急速に今の人類と同等の文明を持つことはありえないからね」


 それを聞いたハルが、ふと顔を上げた。


「それなら、なぜ彼らは人間が何世紀もかけて生み出した宗教を獲得しているのですか?」


 ココもジムも、まるで気付いてはいけないことに気付いてしまったような気がして、言葉を失ってしまった。彼らの間にしばしの沈黙が訪れ、アンドロイドたちの舞踊の妖しいリズムだけが霧の都の闇の中に響いていた。


 その時である。


「宗教を教えてやったのは私だよ」


 夜の闇の奥底から湧き上がるような謎の声が、どこからともなく聞こえてきた。


「誰だ!?」


 咄嗟に学芸課の面々は身構えた。


 すると踊り狂うアンドロイド達とは反対側の通りを、こちらへ歩いてくる人影があった。そして近くのガス灯の下で立ち止まる。ぼんやりとした光に照らされたその姿は、闇に溶け込むような黒衣をまとっていた。


「我が名はダンタリアン。ようこそ、私たちのゲームへ」


 ハルは自らの鼓動が高鳴るのを感じた。


(やはり生きていたのか、ダンタリアン。過激派テロリストにしてアネモネの仇。奴はこのミューズで、一体何をしようとしている?)

お読み頂きありがとうございます。


更新予定の21時ギリギリに書き終わったので、ちょっと遅くなってしまいました。すみません。


今回はちょっと概念的なお話に終始してしまいましたが、分かりやすいように色々と工夫したつもりです。


宗教学には疎いのですが、最近少し本を読んで勉強したことを反映しています。


宗教という文系的な記述に終始しがちな事柄を、理系的なロジックで説明できたのが、個人的には大きな収穫ですね。


最終的に組織理論的なところに行き着いたのですが、ここで挙げた三点はどんな組織においても通用する普遍的な原理ではないかと思います。


今後、掘り下げる機会があったらやりたいですね。


では。


葦沢


2017/10/22 初稿

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