Episode 3: 2818年2月 未来の語る宣託
渡り鳥は、自由に空を飛んでいるように見える。
だがそれは見かけだけだ。
実際は、地磁気を感知して明確な目的地へと向かって飛んでいる。
だから渡り鳥は、海を渡って遠くへ行ける。
自由を履き違えた者たちの言葉は、渡り鳥の背中にも劣るのである。
リビングへと戻ったペトラを待ち受けていたのは、テーブルの上にそびえ立つトランプのタワーだった。
「何これ?」
「おかえり。帰ってくるのが遅いからって、勝手に違う遊びを始めてしまって」
そう言う朝倉の膝の上には、デイビッドが図々しく座っている。二枚のトランプを慎重に傾け合わせ、立たせようとしていた。
「倒したらダメだからね」
「ふーん」
鬱憤晴らしをしたかったのか、ペトラは無意識のうちに意地悪を思いついた。
「おっといけない」
ペトラは自分の席に座るふりをして、わざとらしくテーブルを揺らした。三段目に突入していたタワーは呆気なく崩れ落ちた。
「あっ、エリザお姉ちゃん、アウトー! 100点減点ね」
「減点? 何よ、それ」
「この子が考えたゲームですよ。交代でタワーを作っていって、三分の制限時間内に一組のトランプを立たせることができないと10点減点。全部倒したら50点減点。わざと倒したら100点減点。それで持ち点の100点が無くなったら負けだそうです」
「あっそ。じゃあ私は早速失格という訳ね」
「失格じゃないよ。あくまでもエリザお姉ちゃんは負けだから」
「どっちでも変わんないでしょ」
「そんなことないよ。これは僕の作ったゲームなんだから、僕のルールに従ってもらわないとね」
妙に笑顔を浮かべながら、デイビッドはペトラの顔をまっすぐに見つめていた。
「私の顔に何かついてる?」
「ううん。理解できたかなと思って」
「理解って、何が?」
「自分でルールを作ること。それこそが本当の自由を生み出すんじゃないかな?」
デイビッドの言葉に、ペトラはハッとした。
ペトラは、アポロンという歴史の統一装置を否定することしかこれまで考えてこなかった。しかし考えてみれば、それよりもアポロンに代わる新しい自由な歴史を定義するルールの方が重要だ。それを自分の手で作らなければ、真の自由を達成したとは言えない。
「ませたガキね。もっと子供らしくしなさいよ」
それを聞いたデイビッドは、悪魔ベリアルのように口角を上げた。
「そうかな。怪盗ファイみたいな幼稚な泥棒ごっこよりはマシだと思うけどね、ペトラ・ヨハンソン?」
ペトラと朝倉は、一瞬にして凍りついたように動きを止めて、デイビッドを見つめた。
この少年はどこまで知っている?
この少年の目的は何だ?
少年がアンドロイドなら、つまりはアポロンの制御下にあるということ。
もしやアポロンに自分たちの隠れ家を把握された?
様々な可能性がペトラの頭の中を駆け巡るが、少年は笑顔を貼り付けたまま何も喋ろうとしない。
その時、玄関の電子ロックが勝手に開いた音がした。
「えっ?」
犯人はすぐに判明した。玄関から入ってきた人物が、のっそりと廊下を歩いてやってきた。首に巻いたネクタイをぶっきらぼうに解くと、くしゃくしゃにしてジャケットの懐へ突っ込んだ。
その人物は、先程ペトラが見送ったばかりの、少年の父親だった。さっきは持っていなかった大きなスーツケースを引きずっている。表情は固く、他人を寄せ付けない雰囲気があった。
「早かったな」
少年は朝倉の膝の上から飛び降りると、父親の傍へ駆けていった。
「そう? 遅いくらいだったけど」
「ちょっと、これはどういう?」
事態が掴めていないペトラをよそに、スーツ姿の紳士は空いている椅子にどっかりと座った。
「ペトラ・ヨハンソン。25歳。幼い頃にテロに遭い、両親を亡くす。自身も左脚を失い、義足となる。以来、孤児院で幼少期を過ごす。マリリンというペンネームで詩人として活動し、好評となる。印税を元手に孤児院を出て、各地を旅する生活を送る。惑星ミューズ計画に反対する思想を持ち、アシビと内通。昨年、惑星ミューズに不正入国。アシビの協力の下、怪盗ファイと名乗って遺物を奪取する活動を実行する。現在はアシビ所属の朝倉涼二尉の世話係として、シトロンシティで生活中」
ここまで言うと、紳士は鋭い視線をペトラに向けた。
「なお少年には好かれない模様」
「最後のは余計ね」
紳士は口元に少しだけ笑みを浮かべたが、石像のように固い表情は崩さなかった。
「君は自由な世界を欲している」
病を診断する医師のように、紳士の視線がペトラの全身を観察していた。その存在感に圧倒されながらも、ペトラは否定も肯定もしなかった。
「しかし君は、自由という言葉に溺れている。
熱力学第二法則によれば、ブラウン運動から仕事は取り出せない。つまり、自由という大義名分の下でフラフラと行動するだけでは何も生み出せない。そうして無為に時間を過ごせば、やがて熱エネルギーは失われ、自由運動は静止する。それが、現実世界の不変の原理だ。
だが、もしも君が世界の法則を再定義することができれば、話は別だ。常にエネルギーを与え続ければ、自由運動は持続する。火を絶やさなければ、釜の中の湯が冷めないように」
「何が言いたいのですか?」
「君には素質がある。歴史を解放する伝説的英雄、怪盗ファイという肩書きがね。君こそが、自由の火を守る”巫女”に相応しい」
「……私に何かをさせる気ですか?」
「一つ、面白い話をしよう。そう遠くない未来、君の知人であるハル・ウォードンは、ミューズの中央制御センターを訪れる。アポロンを破壊するために」
「ハルが?……面白いフィクションね」
「アポロンが破壊されるなら、君にとっても喜ばしいことだろう。しかし彼がそこにあるコンピュータをいくら破壊したところで、アポロンは破壊できない。なぜだと思う?」
「……?」
「デイビッド。今は晴れているかい?」
「うん。でも、そろそろ雨が降るかな」
二人の意味深な会話に、朝倉が口を挟む。
「いえ、天気スケジュールでは今日は一日晴れの日ですが」
コロニー内の天気は全てアポロンによってコントロールされている。異常でもない限りは、スケジュールが変わることはない。
ところが、急に外が暗くなり始め、雨粒の窓を叩く音が鳴り始めた。
「そんな、まさか」
「ねぇ、お姉ちゃんたちは雹って見たことある?」
デイビッドがそう言うやいなや、ビー玉くらいの大きさの氷の塊が窓ガラスにぶつかってきた。
もはやペトラと朝倉は驚きで言葉が出なかった。
「デイビッド。こちらへ」
驚く二人を尻目に、紳士はスーツケースを横にして開いた。中から姿を現したのは、美しい少女のアンドロイドだった。しかし起動はしていない。
すると突然、少年が倒れて床に転がった。と同時に少女のアンドロイドに生気が宿り、むっくりと起き上がった。
「やっぱりこっちの体の方が落ち着くわね」
「そりゃそうだ。アデルのためにチューニングしてあるのだから」
アデルは深呼吸をしてから、ペトラと朝倉に向き直った。
「初めまして。私はアデルと申します。と言っても、ペトラ”お姉ちゃん”とは二回目かしらね」
「どこかで見たような……あぁ、ダヴィンチの時の! あなたは一体、何者なの?」
「言ったでしょう。私はアデルよ。でもあなた達は、まるで神様か何かのように私を呼ぶわよね。”アポロン”って」
続いてアデルの肩に手を置いた紳士が口を開く。
「そして私はノトロブ。この子の生みの親だ」
ペトラも朝倉も、彼らの言葉をとても信じることはできなかった。何しろミューズの各コロニーの天気から物流、遺物の適切な保存環境の設定、偉人アンドロイドのスケジュールの設定と実行、その他あらゆることを制御しているのがアポロンである。それが少女のアンドロイドにできるとは、とても思えなかった。ミューズを制御するからには、アポロンとは大型のコンピュータであろうと誰もが信じていた。
ただしその存在こそ広く知られているが、どこにあるのかといった情報は、安全管理上の問題から完全に隠匿されている。その実体は誰にも分からない。だから少女のアンドロイドではないとも言い切れない。
だがこうしてコロニーの天気を制御できる能力を見せつけられた今、このアデルがアポロンであるということは疑いようのない事実だった。
その事実をどうにか消化しようと、朝倉が疑問をぶつけた。
「ミューズを制御するためには、大型のコンピュータが必要なのではありませんか? 今のようにアンドロイド間をワイヤレスで転移できるようなものだとは思えないのですが」
それをノトロブは嬉しそうに聞いていた。
「その通り。初めは確かに大型のコンピュータだった。ワイヤレスでの転移も不可能だった。だが、私が可能にした。アデルが外を歩きたいと言ったからね」
その言葉の裏に、朝倉は何かを察した。
「よく分かっていないのですが、ノトロブさんはアポロンという人工知能を造って、その人格をアデルと名付けたのですか? それとも――」
「君の考えている通りだよ。アデルは私の実の娘だ」
ノトロブは一旦そこで話を切った。心の中のざわつきを押さえるようにしばらく目を閉じてから、彼は自身の過去を語り始めた。
「ある時、アデルは病に倒れ、生死の境を彷徨うことになった。その頃、私はアポロン開発計画の責任者だった。そこでアポロンの人工知能にアデルの人格を移すことを思いついた。当時、既に仮想の人格をアンドロイドに転写する技術はあった。それなら本体を大型のコンピュータにすれば、生身の人間の人格を移すことも可能なのではないか。私はそう考えたのだ。
幸いなことに、開発チームにいた専門家の助けを得ることができた。しかし理論はできても実証実験は全て失敗だった。それに本番は一度きり。アデルの命もいつまで持つか分からなかった。それでも奇跡は起きた。本番でどうにか転写は成功したのだ」
「なるほど。確かに、嘘とは言い切れませんね」
「いいさ、信じてもらえずともいずれ分かる」
一方、話についていけていないペトラは、椅子の上で頭を抱えていた。
「えっと……要するにアデルがアポロンなんでしょ? でも、なんでハルがアポロンを壊すって分かるのさ?」
再びトランプを手にとってタワーを立てていたアデルがニコリと笑う。
「未来予知ができるからよ。世の中の全ての事象について確率を計算していけば、未来がどうなるかはある程度、予測ができるの。実際、私はソニア・スウィフトがアシビに寝返ることを予測していた。だから一つ、布石を打っておいたしね」
「布石?」
「ソニア・スウィフトは黒猫を持っていたでしょう? あれは父が造ったものよ。黒猫を通して、ソニア・スウィフトの周辺情報を詳細に得られるようにしたの」
ノトロブもそれに続けて口を開いた。
「それからハル・ウォードンについても対策済みだ。彼には特殊な義眼を渡してある」
「……透視できる義眼ね」
「ご名答」
それを一人知らない朝倉は、目を丸くしていた。
「透視なんてできるんですか?」
「厳密に言えば、透視ではない。種明かしをすれば、あれはミューズ内に仕掛けてある無数の微細カメラの映像から再構成した映像を見せているだけだ。もちろん実際にはカメラに映っていない部分もあるが、そこは過去の映像から類推させる機能を搭載している。
なぜ透視できるようにしたと思う?」
ノトロブの質問に、ペトラと朝倉は首を傾げた。
「いずれ彼は、アデルがかつて体としていた大型コンピュータを破壊しにやってくる。あれはもうアデルの存在には関わりないが、予備の体を破壊されるという点では好ましくはない。
しかし予測に基づけば、彼には大型コンピュータを破壊しに来てもらわなければならないのだ。それまでは彼に死んでもらっては困る。だから彼が戦闘で有利となるようにした」
「それはどういう意味ですか?」
「我々の予測では、ダンタリアンというテロリストが近々ミューズを標的に大規模なテロ攻撃を行う。ダンタリアンの目的は、アポロンを奪い自らの支配下に置くこと。まあ、本物のアポロンはアデルなのだが、その事実までは知られていない。だからダンタリアンは、大型コンピュータへとやってくる。
ハル・ウォードンには、そこでダンタリアンと鉢合わせし、殺害するという役割があるのだよ」
「しかし、いきなりダンタリアンだのテロだのと言われても」
「一応、君達も既に巻き込まれているのだがね」
「?」
「私はさっき、生きている人間の人格の転写は困難だったと言ったね。それは今の技術でも同じだ。私が知っている成功例は、過去に二つだけ。一つはアデル。そしてもう一つは、君だ」
ゆっくりと持ち上げられたノトロブの指先が、朝倉に向けられた。
「確かに涼は成功したけれど……それとテロリストに何か関係が?」
「ダンタリアンは、テロのための戦力を欲していた。しかし同志を集めるのは容易なことではない。もし集まっても、裏切ったり逃げ出したりすることも多い。
そこでダンタリアンはこう考えたのだ。
アンドロイドならば忠実な兵士になる、とね。
そのアンドロイドが多く居住している場所。それがミューズだった。奴にとっては、ミューズにいるアンドロイド全てが兵士に見えているのだよ。
だが肝心のアンドロイドは、アポロンによって制御されている。だからダンタリアンは、アポロンを乗っ取ることを考えた。
つまり、自らの人格をアポロンに転写しようとしているのだ。
そのために必要な人格転写技術の開発を依頼されたのが、ご存知ミラー博士だ」
「じゃあ涼の人格を転写した技術は、テロのために開発されたということなの?」
「いや、ミラー博士自身はテロになど興味はないはずだ。彼は人格転写に興味はあれど、その活用方法は頭にない、研究者肌の人間だ」
その言葉には熱がこもっていた。
「ミラー博士のことを、よくご存知なのですね」
「彼はアポロン開発計画のメンバーだった。アデルの人格転写の時にも大変助力してくれた人物だ。
だが人格転写技術は、彼だけの力では成し得なかった。あれはチーム全員の協力があったから成功したのだ。しかしミラー博士は、この人格転写技術は自分の手柄だと言い張った。だから私は、開発計画の途中で彼をチームメンバーから外した。苦渋の選択だったがね。
以来、彼は独自に人格転写の技術を研究していたようだった。だが研究には金がかかる。バックに資金源が無ければ続けることはできない。生活を切り詰めて、細々と研究を続けていたようだ。
しかし最近、風向きが変わった。スミルノフ商会がパトロンになったのだ。それを仲介したのがダンタリアンだ。
結果、ミラー博士の人格転写技術の開発は急速に進んだ。そして最終段階まで進んだ研究の試験体として選ばれた人物。それが朝倉君なのだよ」
「上手く利用された、と言う訳ね。そのお陰で涼は助かったのだけど」
「だが喜んでもいられない。朝倉君には、秘密裏にプログラムが仕込まれていた。ダンタリアンの指令があれば、奴の思い通りに動く人形になるようにね」
「まさか」
ペトラと朝倉は目を見合わせた。二人とも、そんな兆候は感じていなかった。
「君達の部屋にアデルを預けた時、この子が初めにしたことは何だと思う?」
「えっ? 私の手を払って、さっさとリビングに走っていって、それで涼に抱きついて……じゃあその時に」
「その通り。アデルが悪性のプログラムを排除したのだ。そのためには接触する必要があったのだ。決してペトラ君が嫌われていた訳ではない」
「私、ペトラ”お姉ちゃん”も大好きよ」
急に後ろからアデルに抱きつかれたペトラは、頬を赤らめながらその手を解こうとした。
「ちょっと、別に貴方に好かれたい訳じゃないんだから」
しかしアデルの手は固くペトラを抱きしめていた。
不意にペトラの耳元で、アデルが囁く。
「自由な旅の行く着く先にあるものは、結局行きたい場所など無かったという後悔だけよ」
「えっ?」
「貴方が目指す理想の世界は、歴史が一つに縛られない、アポロンのいない世界。
そして私も、歴史を一つに縛るつもりはない。父が私をアポロンしたのは、あくまでも私を死なせないため。それに今は、私がアポロンである必要性は無くなった。私が欲しいのは、父と穏やかに過ごせる日常だけ。こんな窮屈な世界なんて壊れてしまえばいいのよ。
貴方の理想と私の理想は合致していると思うのだけど、違うかしら?」
ペトラは口をつぐんではいたが、アデルの腕を解こうとする手は力が抜けていた。
「私たち、手を組まない?」
しばらくペトラは目を瞑って考え込んだ。彼らを信用していいものか、疑問は残っていた。だが冷静に現実を見つめてみれば、ハルとの共同生活は終わり、そしてソニアが求心力を得つつあるアシビの中にもペトラの居場所は無かった。朝倉との隠遁生活も、いつまで続くか分からない。
ペトラは目を開き、澄んだ瞳を朝倉に向けた。朝倉はペトラを優しく包み込むように微笑んだ。
「僕はペトラについていくよ。記憶が無いから、どこかに愛着があるという訳でもないし」
その言葉に背中を押されるようにして、ペトラは自らを後ろから抱き締めるアデルの腕を、強く握った。
「私が欲しいのは自由な世界。真の自由を得るためならば、平和も正義も犠牲にする覚悟よ」
「よく言ってくれたわ、ペトラ・ヨハンソン」
アデルは、そっとペトラの正面に回り、その額に接吻をした。
その接吻が天使の施しなのか、それとも悪魔との契約であるかは、まだ誰も知らない。
お読み頂きありがとうございました。
いよいよ物語は核心へ。
乞うご期待!
葦沢
2017/09/19 初稿