Episode 10: 2817年12月 十二月のゲーム
悲しみは、誰が生み出すのか。
否。悲しみは誰かが生み出したものではない。
目に見えない人と人との繋がりから、悲しみは湧き出すのだ。
まるで歴史が記憶を無くす時に涙を流すかの如く。
迷路のように入り組んだ建物の中を、三人の人影が駆け抜けていく。地図の描かれた手帳を片手に朝倉が先導し、その後にソニアとペトラが続く。
絶え間なく銃声が聞こえてくるが、それが近いのか遠いのか、判別はつかない。
「リョウ、どこへ行くの?」
「脱出用の港へ。最悪、計画の前倒しもあるかもしれない」
「マジか……」
そのペトラと朝倉の意味深な会話も、ソニアには聞こえていなかった。
ソニアの頭の中は、果たして襲撃者は何者なのか、という疑問に支配されていた。
最も可能性が高いのは第十七学芸課である。しかし、もし第十七学芸課であるなら、これだけの規模の戦闘が行えるのかは疑問だった。
元軍人のハルはともかく、ココとジムはまともに銃を扱った経験すら無いはずである。第十七学芸課が積極的に武力行使を望むとは考えにくかった。
どこかから軍事的支援を受けられれば別だが、ミューズにそんな力は無いし、ユニオン軍ともつながりは薄いから、その可能性は低いとソニアは見ていた。
それなら戦力が十分にあるユニオン軍なのだろうか。あるいは別の裏組織だろうか。それともアシビのクーデターなのか。
しかしその場合、なぜ襲ってきたのか、という疑問が残る。ソニアを救出して人質にしようという算段だろうか。
何はともあれ、とりあえず逃げた方が得策だろうとソニアは判断した。
要するにソニアは、第十七学芸課とリリィが結託しているという可能性には全く気付いていなかったのである。
この作戦の綻びは、ソニアの欠けた第十七学芸課にとって、仕方のないことであった。
もしもソニアが救出する側であれば、絵を描きたいというダヴィンチの意思に気付いたように、救出される人物の気持ちを察することができたはずだった。そうなっていれば、救出される人物へ何かしらの形で作戦の意図を伝える行動が作戦に含まれていただろう。
しかし賽は投げられてしまった。
悲劇は始まってしまった。
大きな銃声が鳴り響き、朝倉の右腕を銃弾がかすめた。
「伏せて!」
二人に指示をしながら、朝倉は前方の襲撃者に向けて二発撃って牽制した。相手が壁に隠れた隙を逃さず、朝倉はスモーク弾を投げる。通路の先が白煙に覆われる。視界は完全に遮られた。
その間に、朝倉は二人を別の通路へ誘導した。
幸いなことに、襲撃者が追ってくる様子は無い。
背後を振り返りながら、ペトラは尋ねた。
「リョウ、怪我は無い?」
「大丈夫。申し訳ないけど、ちょっと遠回りするよ」
朝倉は通路の先にある階段を指差した。
一方、襲撃者は煙幕を前に手をこまねいていた。
「ソニアは!?」
「姿はちらりと見えましたが逃げちゃいましたよ、レイア姫」
「ふざけたこと言ってんじゃないの」
「先にふざけたのはココ先輩じゃないですか」
ジムは白煙に包まれた通路を見遣る。二人が普通の戦闘員ならば、とっくにスモークの中を進んでいるだろう。しかしジムとココは銃撃戦の素人である。深追いが命取りであるということは、二人ともよく理解していた。
「偽名は女の嗜みなの。そろそろ、行くわよ、チューバッカ」
ようやく晴れてきた煙幕を、ココが指差す。
「後でハン・ソロと呼びたくなっても知りませんよ」
「それはたのもしいことで」
その時、ココが気付く。
「ところでハル君は?」
さっきまで一緒に行動していたはずのハルの姿が、忽然と消えていた。
朝倉たちは、脱出ポッドの近くまで辿り着いていた。
「あと少しです。頑張って下さい」
「ねぇ、あそこに人影が」
ペトラの指差す通路の先には、まるで仁王のような大男が立ち塞がっていた。腕組みをして、獲物を待っているかのように瞑想をしている。
ソニアはその男を知っていた。ブレット・ホーキンス。リリィ親衛隊所属のユニオン軍人である。
(この襲撃はユニオン軍の仕業だったのね……)
それは、結果論から言えば、早とちりではあった。しかしソニアに第十七学芸課が助けに来たのだと確信させるようなことは何一つ無かった。
たじろぐ三人に対して、その男は閉じていた瞼を片方だけゆっくりと開けた。
「どうした? 通りたいんじゃないのか?」
「それなら通してくださいよ」
気を取り直した朝倉は、素早く拳銃を構え、引き金を引いた。
「遅い、遅い」
ブレットの大きな体躯は、まるでネズミのように俊敏に銃撃をかわしながら距離をつめていく。朝倉は次々に銃弾を撃ち込んでいくが、それはブレットの残像を貫いているに等しかった。
「早すぎっ……!」
次の瞬間には目と鼻の先にまで詰め寄られ、ブレットの重い拳が朝倉のみぞおちをえぐるように放たれた。朝倉の小さくはない体が、軽々と宙を舞う。
「狙いをつけるまでに0.1秒。引き金を引くまでに0.1秒。狙わずとも撃てるくらいできねぇと、女は守れないぜ?」
「ご忠告どうも」
朝倉の口元からは鮮血が滴り落ちている。
「女は男に守られるべき、なんてダサいことを考えてる人間がまだいるんですね」
そこに進みよってきたのはペトラだった。
「ペトラ、やめろ」
「忘れないで。今のあなたの仕事はスウィフト嬢を守ることでしょ、リョウ?」
「……くそっ!」
床を拳で叩いた朝倉の表情には、悔しさがにじんでいた。そのままソニアの腕を乱暴に引っ張ると、別のルートへと向かっていった。
「さて、おじさま。楽しくおしゃべりしましょうか?」
「うるさい子猫は嫌いでね」
「私はおじさま好きよ。イジメ甲斐がありそうだから」
ペトラは右手を前に差し出す。その瞬間、服の下に隠された射出デバイスからワイヤーアンカーが飛び出した。不意をつかれたブレットの右腕を挟み込む。
「これは……貴様、怪盗ファイだな?」
「ご名答」
「悪戯猫には手加減しないぜ」
ブレットはワイヤーを力いっぱい手繰り寄せた。さすがにペトラの腕力では太刀打ちできない。ペトラの体はバランスを崩し、やすやすと引きずられていく。
「うわぁっ!……なぁんてね」
いたずらっぽく笑ったペトラは、引っ張られる勢いを逆に利用して軽業師のようにブレットの脇をすり抜けた。
「すばしっこい奴め」
「ほーら、おじさま。こっち、こっち」
蛇のように密着しながら、ペトラはブレットの体の周りを跳ね回る。気付けばブレットの両腕はワイヤーでがんじがらめになっていた。力任せにワイヤーを切ろうともがくが、とても切れそうにはない。
「ちっ!」
ブレットは自由のきく両脚を振り回した。これにはペトラも距離を取らざるを得ない。
その一瞬の攻撃の緩みを逃さず、ブレットは攻め手に転じた。素早い動きで近づき、勢いをつけた右脚で回し蹴りをペトラの脇腹へお見舞いする。
「ゲホッ!」
このまま攻め続ければ勝てる。ブレットがそう確信したのも束の間。ブレットの視界に、ペトラの口元がニヤリと微笑むのが見えた。
「コイツ、わざと……っ!」
一瞬の間にペトラはブレットの右脚へしがみつき、頭を下にする。そしてそのまま左脚をブレットの頭部めがけて振り下ろした。
咄嗟にブレットは避けようとした。が体が動かない。ワイヤーでペトラと繋がっているからだ。
「遅い、遅い」
ペトラの機械でできた左脚が頭部を直撃した。その衝撃でブレットはよろめき、そのまま倒れてしまった。
立ち上がったペトラは、昏倒したブレットを見下ろす。
「狙いをつけるまでに0.1秒。脚を振り回すのに0.1秒。狙わずとも蹴るくらいできなきゃ、自分すら守れないわよ?」
そう言い残して、ペトラは朝倉達を追っていった。
一方、朝倉とソニアは道を急いでいた。
「まだつかないんですか?」
「確かそろそろだったかと。手帳によると……あれ?」
朝倉は懐をまさぐるが、いつもそこにあるはずの感触が無い。ポケットも探るが、それらしきものは無い。
「無くしたんですか?」
「いや、そんなはずは……」
「もし敵に地図を見られたら、敵に先回りされちゃうじゃないですか」
「確かにその通りですね。もしかしてそのせいでさっきの大男が……」
その時、全身をまさぐる朝倉の指先に、慣れた感触があった。
「あった! 慌ててベルトに挟んでたんだった」
二人は胸を撫で下ろした。
「それで場所は?」
「もうすぐです。あの出口が目的地ですよ」
朝倉は通路の先を指差した。敵が来ないように祈りながら、二人は通路を駆けていく。
出口を抜けると、そこには一機の飛行艇が停泊する小さな港になっていた。飛行艇はフロートカーよりも大きく、三十人程度は収容できそうに見えた。
港の一面は外へ向かって開いていた。恐らくミューズの地表面であろう。
既に飛行艇は出航準備を整えつつあった。エンジンの噴出のせいで、港には強い風が吹いている。飛行艇から港へ乗船用のタラップが伸びていた。
「こちらへ」
朝倉がソニアを先頭にしてタラップを渡っていた時、一発の銃声が鳴り響いた。その銃弾は、朝倉の右の太腿に命中した。
「こんなところでっ!」
反射的に朝倉はスモーク弾を投げた。襲撃者は白煙に包まれる。
右脚の痛みに耐えながら、朝倉は白煙の中めがけて銃を乱射していた。
ソニアはタラップの途中で振り返る。
「朝倉さんもこっちに!」
「スウィフト嬢は早く乗船をっ! こちらにあなたがいれば、向こうも容易には撃ってこないはずですから」
ソニアを安心させようと、朝倉は精一杯の笑顔を見せた。
そして一発の銃弾が、朝倉の心臓を貫いた。脚から力が抜けた朝倉は、その場に崩れるように倒れ込んだ。
ほんの一瞬の出来事だった。
ソニアには何が起きたのか分からなかった。
「朝倉さんっ!」
危険も顧みず、ソニアは引き返して朝倉のもとに駆け寄った。
「しっかりしてください!」
「私には構わないで下さい……。早く船にっ!」
そこにタラップへ近付いてくる死神のような足音。
白煙の中にぼんやりと輪郭の現れてきた襲撃者を、ソニアは睨みつける。
その襲撃者の左眼は、死者の血を貪る黒き龍のように赤く光り輝いていた。
はっきりと姿を現した彼を見たソニアは、現実を信じたくなかった。
第十七学芸課所属、学芸員ハル・ウォードンの姿がそこにはあった。
「スモークなんて、俺には無意味だってのに」
「どうしてハルがここに……?」
「少し前、すれ違いざまに彼が大事そうに持っていた手帳を透視させてもらったんです。だからここが分かりました」
「そうじゃない。なんで学芸課のあなたがここにいるの? 襲ってきたのはユニオン軍じゃないの?」
「俺たちはソニアを助けるためにここに来たのです。ユニオン軍の援護は、ノイマン少佐のお陰ですよ」
そこに何者かが走ってくる足音が聞こえてきた。そして通路から姿を現したのは、ブレットを退けたペトラだった。
「ちょっと、なんでこんなところにハルがいるの?」
「……ただの仕事だ」
ペトラはハルの手にしている拳銃に気付き、それから倒れている朝倉が目に入った。
「リョウっ!!!」
ペトラは、すぐに彼に駆け寄って、血だらけの朝倉の体を抱きかかえた。その瞳には、大粒の涙が溢れている。
「なんでこんなことに……なんで……」
さすがにハルも、ペトラと朝倉が浅からぬ関係であることに勘付いた。しかしだからといってここで引き下がる訳にもいかなかった。
「さぁ、帰りましょう、ソニア」
そこでようやくソニアは、ハルが自分を助けに来たのだということを思い出した。
「でも……」
その時、飛行艇の中から小石川が顔を出した。
「ソニア! ペトラも早く朝倉を連れてくるんだ! もう船が出てしまう!」
ソニアはハルの差し伸べた手を受け取ろうか、躊躇っていた。
不思議な感覚だった。
助けに来てくれたはずなのに、ハルの姿がまるで死神のように見えてしまう。
ハルの仕事が命のやり取りであるということは十分理解していたはずだった。だが、こうして目の当たりにすると、体が拒否反応を起こしているのだった。
その時、不意にソニアは思い出した。
行動は、心の鏡。
つまり、体が学芸課に戻ることを拒否しているということなのだろうか。
そもそも学芸課に入った理由は、家から出ていきたかったからだった。歴史は好きだったが、それも結局は方便に過ぎなかった。
少なくとも、人殺しに加担したいとは思っていない。
一方、ソニアの知る限り、アシビは防衛のために武力を使ってはいるが、積極的に人殺しをしている訳ではない。
それにアシビに滞在している間、監視がついていたとは言え、逃げ出そうとはしていなかった。むしろ居心地は良かったのかもしれない。学芸課ではいつも捕まってばかりで、自分がここにいていいのかと思うこともあった。
こうして見ると、もはや迷いはなかった。
目の前のハルに向かって、ソニアは言い放つ。
「私は戻りません」
「どうしてです?」
ハルは驚きを隠せなかった。
「人の命を奪う人たちとは一緒にいたくありません」
「別に俺だって喜んで殺している訳じゃないですよ」
「でも、あなたは恋人を失ったのでしょう?」
そのソニアの言葉に、ハルは言い返せなかった。
下を見遣れば、息も絶え絶えになった血まみれの男と、それを介抱するペトラの姿が見える。彼らの苦しみを生み出したのは、他でもない、恋人を失った過去に縛られたハルの銃弾であった。
飛行艇は徐々に前に進み出した。飛行艇から伸びたタラップが港のコンクリートと擦れてざらついた音を立てる。
ソニアは強風に乱れた髪をかき上げてハルに背を向けると、ペトラと一緒に朝倉へ肩を貸した。そしてそのままタラップを渡り、飛行艇の中へ姿を消した。
エンジンが怪物のような唸り声を上げる。タラップを収容しながら徐々に速度を上げていく。
それと同時に、世界が割れんばかりの地響きが空気を揺らした。ハルも立っていられない程だった。
その地響きの正体はすぐに分かった。港の外、あまり遠くない所で地下から巨大な岩が浮き上がってくるのが見えたのである。
土煙が舞い上がって全体がよく見えないが、ハルは透視をすることではっきりと捉えることができた。
それは大鷲のような一隻の巨大な飛行戦艦だった。
恐らくは地下コロニーとして秘密裏に建造されていたのだろう。
ここからさらに争いが激化していくだろうと、ハルは直感した。
まだ現実を受け入れきれていないハルだったが、このまま立っていてももはや無意味であった。
ハルはココ達と落ち合うために、合流ポイントを目指して来た道を戻っていった。
その日の夜。作戦失敗を報告し終えたハルは、シェアハウスに帰宅した。キーを開けて中に入る。もちろん部屋の中には誰もいない。
ペトラの個室は鍵が開いていた。中を覗いてみるが、家具の他に荷物は残っていない。元より旅人だったのだから、荷物を増やさない主義だったのだろう。
ただし、部屋の真ん中の小さな丸テーブルの上に一冊のノートが残されていた。
表紙に「フリージアの君へ」と書かれたそのノートは、この世界でただ一人のために書かれたマリリンの詩集だった。
もちろん、ハルの欲しがっていたサイン入りである。
お読み頂きありがとうございます。
タイトルはレイ・ブラッドベリの「十月のゲーム」のオマージュです。
今回は、ハルの描写の中に「ニーズヘッグ」、そして地下から現れた巨大な戦艦について「フレースヴェルグ」を用いました。
この辺は北欧神話を題材にした裏設定のようなものです。
ニーズヘッグは世界樹ユグドラシルの第3の根をかじっている蛇です。
またフレースヴェルグはユグドラシルに留まっている大鷲です。
ニーズヘッグとフレースヴェルグはケンカばかりしているとされています。
その辺りの関係性をハルとアシビに重ね合わせています。
この設定は、割と初期から構想に入っていました。
第1章と第2章のタイトルも、実はこれが元ネタです。
ただしハルはニーズヘッグだけではなく、実は北欧神話のオーディンの要素も取り入れています。
ウォードンという名前はオーディンの別の呼び方です。
実は第一章一話のモチーフである「冷たい方程式」の中にも、ウォードンという星が登場します。
またオーディンはミーミルの泉の水を飲みために片眼を差し出した、というエピソードがあります。
ここから義眼の着想につながりました。
さて、これで第二章は完結となります。
色々と考えましたが、次の第三章が最終章になるかもしれません。
カオスになりそう……。
でもその前に、少し前の章に単独のエピソードを挿入しようと思っています。
それでは。
葦沢
2017/07/09 初稿