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Episode 9: 2817年12月 I Wandered Lonely as a Canary

遥か彼方まで、霧が果てしなく広がっている。


濡れた蕾は頭を垂れている。


滴がポタリと流れ落ちる。


朝が来た。




 ソニアは、アシビのコロニーにやって来て初めての朝を迎えた。ベッドが藁のように優しくソニアの体を包み込んでくれたお陰で、昨日の疲れはさっぱり取れていた。


 まだ寝ぼけたままのソニアは、再び眠りに落ちようとしてた。その時、ソニアの耳は部屋の外のひそひそ声を拾った。


「さすがにまだ眠られていらっしゃるよ。もう少し経ってからまた来ればいいじゃないか」


「イヤ。ここで待つ」


「だから、僕の仕事上、他の人を近づけさせる訳にはいかないんだよ」


「無理は承知よ。リョウだから頼んでるんじゃない」


「そうやってワガママばかり言ってるから嫌われるんだぞ」


「嫌われるって誰に?」


「小石川参与」


「私も嫌いだし、あのメガネ」


「そう言うなって。あの人も近寄りがたいところはあるけど、意外と男らしいんだぞ」


「意外と、って時点でダメね」


「手厳しいねぇ」


 朝倉が説得しているようだが、その女性は頑なに拒んでいる。どうやらソニアに会いたいらしい。


(どんな人かしら)


 頭がゆっくり回り始め、ソニアは記憶の世界に入り込んだ。


 扉を開けると、そこは見慣れたリビングルーム。


 ソファでは、イオンと母が座って談笑している。父は安楽椅子に深く座って、難しそうな分厚い本を読んでいた。かつての住み慣れた実家の風景である。


 階段を上がると、すぐそこにソニアの部屋がある。机の傍には、ココ、ジム、そしてハルの三人が立っており、コルクボードに貼られたソニアの幼少期の写真を眺めている。何を話しているかは分からないが、どうやらジムがおどけたことを言って二人を笑わせているらしい。


 それを横目にして開かれたバルコニーへ出ると、心地よい風が肌を撫でる。樹々の緑の中からは、小鳥のさえずりが聞こえてくる。


 ふと見下ろせば、庭ではケントが手を振っていた。その幼い面持ちの向こうから、氷像のように冷たい微笑みが彫り込まれた大人のケントが現れる。


 隣では和服を纏った藤田虎次郎が、不釣り合いな紅茶をすすりながら立っている。その眼は何かを見定めるように、ソニアをじっと見据えている。


 たまらず踵を返して廊下へと駆け戻ると、両脇をすばしっこい子供たちがすれ違っていった。


 振り返るとあっという間に子供たちは走り去ってしまい、それを藤堂の背中が追いかけていく。


 ほっとしたのも束の間、がちゃんと何かが割れる音がした。


 音のした方を見遣ると、階段の踊り場に置かれた黒百合の花瓶が倒れていた。その先で、朝倉が階段を駆け下りている。階段を転げ落ちていく愛用の手帳を追いかけているようだ。


 急いで後ろ姿を追っていったが、朝倉は階段の下で立ち止まっている。どうやら手帳を見失ったらしい。


 すると朝倉の肩を叩く人がいる。それはニンフのような美しい女性だった。まるで水仙が初めからそこに咲いていたかのように、しゃんと立っている。朝倉の頬がほんのりと赤らむのを、ソニアは見逃さなかった。


 それから彼は、思い出したように彼女をソニアに紹介する素振りを見せた。


(一体、誰なのだろう?)


 何と言っているのかは、はっきりと聞き取れない。


 だがすぐに気付いた。


 彼女が、朝倉の惚れた女性であり、ケントの偽装工作の標的であり、悪名高き怪盗ファイなのだと。


 その瞬間、ソニアはパッチリと目が覚めた。


 洗面所で顔を洗い、手早く髪を整えると、部屋の出口へ向かい、パジャマのまま扉を内側からノックした。


「私はもう起きましたよ」


 すると外の囁き声がやみ、扉が開いた。恐縮した朝倉の顔が見えた。


「すみません。起こしてしまいましたか」


「いえ。ちょうど起きたところです。それより、こちらの方は?」


 そこでようやく彼女の顔をまじまじと見ることができた。あの朧げな夢の中で見たニンフのような女性が、まさにそこに立っていた。


「初めまして。私はペトラ・ヨハンソンと申します。どうしてもスウィフト嬢に謝らなければならないことがありまして――」


「姉のことですね」


 偽装工作のことは知らないふりをした。小石川が「朝倉には教えないように」と言っていたからだ。下手に明かせば自分の身が危うくなるということを、ソニアは十分に理解していた。


「そうです。私は、貴方の姉をここまで安全に運んでくるはずだった。でも、私の不注意で……」


 両眼に溢れる涙が零れないよう必死に堪えている。


「あなたの本心でないことはよく伝わりました。姉は丈夫な人ですから、きっと生きて帰ってくるはずです。希望を持ちましょう」


「ありがとうございますっ!……」


 今にも泣き崩れそうなペトラをソニアは優しく胸に抱いた。


 するとペトラは、それまで堪えていたものを全て吐き出すように、人目も憚らずに涙をボロボロと流した。


 ソニアは、複雑な胸中を押し殺して、優しくペトラの頭を撫でてやった。自分が嘘をついていることに罪悪感があったが、イオンが無事だと分かればペトラの肩の荷も降りるだろうと考えていた。


 しばらくすると、朝倉のデバイスに着信があった。


「ちょっと失礼します」


 朝倉が少し離れた所まで行ったのを見て、ソニアはこっそりペトラに囁いた。


「ところで、小石川参与はお嫌いなのですか?」


 涙を拭いながら、ペトラは答えた。


「大嫌いです」


 やっぱり、とでも言うようにソニアの口元に笑みが浮かぶ。


「顔は笑っているのに、本心が見えないところとか」


「メガネをかけてインテリぶってるところとか」


「卑怯な手を使うところとか」


「神経質なところとか」


 二人は顔を見合わせて、くすっと笑い合った。


「私たち、気が合いそうね」


「同感です」


「ついでにもう一つ質問をしてもいいかしら?」


「どうぞ。ご遠慮無く」


「逆に、ヨハンソンさんは朝倉さんのことが好きですか?」


 ペトラは目を丸くした。咄嗟に視線を背けたが、顔は全体的に紅潮し始めていた。


「まさか。そんなこと、ある訳ないじゃないですか」


「真面目で誠実な方のようにお見受けしますが」


「そう見えるだけです。本当は間抜けで忘れっぽいんですよ。だから彼はいつもメモをするために手帳を持って歩いているんです」


「そうですか。ちなみに朝倉さんには好きな方がいるみたいですが」


「えっ」


 思わず驚きの声を上げてソニアの目を見たペトラは、恥ずかしさの余り耳まで紅くなっていた。


「いや、今のは違うんですっ!」


「何が違うのですか?」


「あぁっ、もうっ!」


 顔を両手で覆ったペトラの耳元で、ソニアはこっそり囁いた。


「からかってごめんなさい。朝倉さんの好きな人というのは、ヨハンソンさんのことですよ」


「そっ、それは本当ですか?」


「えぇ。確実な情報です」


「……そ、そうですか。ふーん、そうなんですね」


 必死で平静を装うペトラだったが、口元のニヤつきは抑えきれていなかった。


「せっかくですから、『ヨハンソンさんが話があるそうですよ』と私から朝倉さんにお伝えしましょうか?」


「それは……」


「お断りですっ!!」


 朝倉の大きな声が二人の耳に届いた。だがそれは今の会話に対する答えではなく、朝倉の通話相手への返事であるようだった。


「ですから、レイア・オーガンという人物との面会なんて聞いてないんですよ。これは小石川参与からの命令なんです。えぇ、藤田首領からの許可であっても、です」


「何かあったのでしょうか?」


「さぁ?」


 二人が不安げに見つめる先で、朝倉はうんざりした顔を浮かべていた。


「首領に確認しろって? しませんよ。どうせ『早朝に首領を起こすのはマズイから、そのまま通せ』って言うんでしょう? 映画で見ましたよ、そうやって騙すシーン」


 その時だった。


 突如、唸り声のような轟音が鳴り響き、壁は割れんばかりに揺れた。天井はミシミシと音を立て、今にも落ちてきそうである。


「何なんだ?」


 三人共、予想外の出来事に呆然としていた。


 しかし朝倉は即座に事態を飲み込んだようだった。床にへたり込んで狼狽している二人の元へ駆け寄り、手を差し伸べた。


「逃げましょう」


「逃げるって、どこへ?」


「大丈夫。私にお任せ下さい」


 余裕の笑みを浮かべた朝倉が、胸を叩く。


 それだけでソニアは、胸に重くのしかかった不安が軽くなった気がした。


 すると朝倉は懐からあの手帳を取り出し、ページをめくる。


「避難経路は……よし、こっちだな!」


 一瞬のうちに、ソニアの不安は倍増した。

お読み頂きありがとうございます。


今回のタイトルは、ワーズワースの詩である"I Wandered Lonely as a Cloud"が元ネタです。


Canaryはカナリアです。どんな鳥かは調べてみて下さい。


日本語訳すれば、「カナリアのように一人彷徨い歩く」という感じですね。


前半のソニアのイメージの世界も、詩の影響です。


途中で出てきたレイア・オーガンは、スターウォーズのレイア姫が元ネタ。


朝倉が映画でみたというシーンに関しては、私もよく覚えていません。どっかで見たような気がするのですが。「逃走者」だったかな?


第2章は、残すところあと1話となりました。


お楽しみに!


葦沢


2017/07/01 初稿

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