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Episode 8: 2817年12月 心の鏡

 鏡は自分を映し出す。


 嘘偽りのない姿が、自分の目の前に晒される。


 しかしそれを見なければ、泥まみれの顔に気付くことはできない。


 己の目は、まっすぐ前を向いているか?




 ケント。


 その名前は、ソニアの古い記憶を呼び覚ました。


 ただしその記憶のフィルムに写し出された姿は、アシビの小石川賢人でもなく、ミューズ評議員のケント・バンクスでもなく、やんちゃで陽気な少年であった。


 一時期、彼はソニアの家によく遊びに来ていた。イオンと三人一緒に、鬼ごっこをしたり、おままごとをしたりしていた。


 彼が来ていたのは、親同士の繋がりがあったからだ。ソニアの父は、当時まだ議長ではなく評議員だった。そしてケントの父親も評議員を務めていた。政治的な思惑もあったのだろうが、二人はプライベートでの付き合いがあった。その延長線上で、ケントがスウィフト家に遊びに来ていたのだろう。


 しかしそれも長くは続かなかった。ケントの父が病で亡くなったのである。ケントは母とともに別のコロニーへ引っ越してしまい、以降顔を合わせることはなかった。


 ただしソニアは風の噂で耳にしていた。ケント・バンクスが若くして評議員に当選したということを。ついでに成長した凛々しい姿の写った写真でも見ていれば、会ってすぐに気付いていたかもしれない。しかしその時には、評議会とは一切関わるまいと心に決めていた。だから顔を見てみようだなんて考えは浮かばなかった。再会することはないはずだと、決めつけていた。


 ところが偶然か、あるいは必然の導きによって、意外な形で二人は再会してしまった。


 もし小石川が言うことが真実であるならば、由々しき事態である。ミューズの評議員が反体制組織に加担しているだなんて聞いたことが無い。


「あなたがケント・バンクスであるという証明は?」


「疑い深くなるのも当然のことです。しかし私がケント・バンクスであることに違いはありません。評議員バッジも、ここに」


 コートの内ポケットから取り出したそれを、小石川はソニアの前に置いた。


「これでもまだお疑いですか?」


「偽物かもしれません」


「ならば、何を証明すれば信じて頂けますか?」


「あなたが本当にケントなら、かつて私の家に来た時の記憶があるはずです」


「確かにその通りですね。しかし随分昔のことですから、多くのことは覚えておりませんね……」


 小石川は腕組みをして少し考えてから口を開いた。


「少し口にするのがはばかられますが、それでもよければ」


「えぇ、どうぞ」


「あの頃に私とソニアのした他愛もない約束なのですが、覚えておいでですか?」


「?」


「ソニアが言ったのです。ソニアが成人したら、私と結婚してくれると」


「えええっ!?」


 あまりに唐突な話だったが、それを聞いてソニアも記憶が蘇ってきた。当時は外に出る機会も少なかったから、男の子の友達はケントくらいのものだった。そこで子供ながらに淡い恋心を抱いたソニアは、恥ずかしさを隠しながらこう告白したのだ。


「どうせケントなんて誰も好きになってくれないもん。だから私、大人になったらケントと結婚してあげる」


 思い出すだけで顔から火を吹きそうとはまさにこのことである。


 耳の先まで真っ赤に染めながら、ソニアは平静を装った。


「た、確かにそんなこともありましたね。まあ、今となっては時効ですが」


「なんだ、時効ですか。残念ですね、少し期待していたのに」


「ご冗談を」


「フフフッ。何はともあれ、私がケント・バンクスであることは信じて頂けたみたいですね」


「今のところは」


「では、本題に入りましょう。イオンの安否についてですが」


「何か分かったんですか?」


「『分かった』というよりは『分かっていた』と言うべきでしょうか」


「?」


「イオンが崖から転落した、というのは私の偽装工作です。イオンは別の場所で安全に保護されています。しばらくしたらミューズ側へ解放されることになっています」


「どういうことですか?偽装工作というのは?」


「全ては、イオンを運ぶ担当でいる人物のアシビでの評判を下げさせるためなのです。イオンの輸送に失敗すれば、彼女への信頼は下がる。それが私にはどうしても必要だった」


「なぜそんな嫌がらせをする必要があるのですか?」


「その人物というのが、かの有名な怪盗ファイだからですよ」


「怪盗ファイ!?」


 あのモナリザを狙っていた人物が彼らの仲間であることに、ソニアは少なからず驚きを覚えた。


「そもそも彼女は外部協力者のはずでした。しかしながら、ここ最近の活躍のせいで、組織内では彼女を我々のシンボルとして大々的に宣伝しようという声まで上がっている。それが私には気に入らないのです」


「外部の、つまり日本人ではないから、反対ということですか?」


「いいえ。私は人種にはこだわりません。私自身、純粋な日本人ではありませんから。それよりも我々アシビの理念にそっているかが重要なのです。


 怪盗ファイの行動の根本にあるのは、歴史の画一化への反逆です。歴史の教科書をミューズという一つの本に集約するのではなく、多様な教科書があっていいという考えですね。


 それに対して、我々アシビは日本という国の再興が目的だ。確かに地球平和連合ユニオンの作ったミューズという教科書には反対している。だが、教科書に日本という国が載れば、教科書は一冊でもいい。日本という国を再興することさえできれば、世界を外から変えるか、中から変えるかは大した問題ではありません。


 怪盗ファイとは、そこが違うのです」


「そうなのですか。できることなら仲良くされた方がいいとは思うのですが」


 ソニアのその態度を見た小石川は、深い溜め息をついた。


「貴方は甘すぎる。誰もいがみ合うことのない平和で優しい世界だなんて幻想にすぎないということを、ソニアは本当の意味で理解していない」


 小石川の厳しい視線がソニアに向けられた。しかしソニアは、あえて言い返すことを選んだ。少し視線を伏せながら、穏やかな口調でソニアは語った。


「……幻想だと決めつけていては、理想は実現しないのではありませんか? あなた達も自分たちの国を再興するという目的のために努力しているはずです。ならば、平和な世界を目指すということも初めから無理だと決めつけるべきではないと、私は思います」


「まあ、いいでしょう。貴方にもいずれ分かることです。それは意外と近いかもしれませんが」


「?」


「先程も言いましたが、我々はミューズを外から変えるか、中から変えるかについては、重視していません。そしてここには、ミューズ評議員のバッジがある。


 私の言いたいことがお分かりになりますか?」


「……測りかねます」


 だがそれは嘘だった。ソニアは、小石川の意図に少なからず気付きつつあった。


「怪盗ファイは、アシビのシンボルとしては不適切です。しかし怪盗ファイを持ち上げようとするグループが、アシビの中には存在しています。


 評議員としてミューズを内側から変えることで日本の再興を目指している私にとって、彼らは邪魔でしかない。


 だから私には、ミューズとの平和的な対話者としてのシンボルが必要なのです。怪盗ファイに匹敵するだけのね。


 それが貴方だ、ソニア・スウィフト」


「……!? まさかそのために私をここへ連れてきたと?」


「そうです」


「私が引き受けるかも分からないのに?」


「いえ、私は信じています。ソニアなら、アシビの力になってくれると」


「そんなことを言われたって、私には無理です」


「さっきは強い口調で言ってしまいましたが、ソニアの平和を好む性格を、私は長所だと思っているのですよ。だから私はソニアが適任だと思ったし、こうして無理をして連れ出したのです。


 実は、今回の作戦を立案したのは私ですが、実行の最終判断はリーダーであるタイガーに一任されていました。実際にその眼でソニアに十分な素質があるかを見極めたい、という理由でね。そしてタイガーは実行に移した。彼も貴方に才能があると認めたということです。


 とはいえ、いきなりこんな話をされて混乱されていることでしょう。急いでお答えになる必要はありません。ひとまず今日は休んで、後でゆっくりお考え下さい」


 席を立った小石川は、最後に一言付け加えた。


「そうそう。今聞いたことは秘密にしておいて下さい。アシビの中でも、今回の作戦の全てを知っているのは、ごく一部なのでね。特に、朝倉二尉には偽装工作のことを決して言わないように」


「どうしてですか?」


「あれは怪盗ファイに惚れているのでね」


 苦笑いを浮かべながら、小石川は部屋を出て行った。


 一人部屋に残されたソニアはソファにもたれかかって、ふうと一息ついた。途端に緊張が解けて、どっと疲れがのしかかってきた。


(もう何も考えたくない……。情報量が多すぎて、頭がパンクしそう。


 これからどうなっちゃうんだろう、私は。


 でも、ケントの言葉を信じるならお姉ちゃんは無事のはず。


 それだけが救いね……)


 グウ、キュルル。


 気が抜けたせいで、ソニアの腹の虫も騒ぎ出した。


 そこにタイミングよく、ドアをノックする音が聞こえた。


「スウィフト嬢。お食事をお持ちしました」


 朝倉が、出来たての夕膳を載せたトレイを持って入ってきた。途端に良い匂いが部屋の中に広がって、味覚神経を刺激する。


 トレイの上には海老と野菜の天麩羅、刺し身、茶碗蒸し、そして豆乳鍋。見ただけで涎が垂れそうな一品ばかりである。


「わぁ、美味しそう!」


「どうぞ、ごゆっくり召し上がって下さい」


「はい! 頂きます!」


 ソニアは箸を器用に使って、料理を次々に口の中へと運んでいった。


「あぁ、外のパリッとした天麩羅の衣と、中のプリプリの海老がたまりません! 手をかけずに食材の味を最大限に引き出す。これぞまさしく天麩羅という料理の醍醐味ですね」


「ありがとうございます。料理長も喜ぶことでしょう」


 朝倉は思わず笑みを零しながら、ソニアに視線を注いでいた。


「……何か私の顔についていますか?」


「いえ、そういう訳ではないのです。ただ、美味しそうに食べている姿が知り合いによく似ていたので」


「どんな方なのですか?」


「面白い人です。飄々としていて、誰にも縛られない渡り鳥みたいな感じですね」


「へぇ。仲が良いのですか?」


「彼女は半年くらい前にアシビに来たのです。それからしばらくこの部屋に宿泊していたのですが、ちょうどその時の世話役も私だったのです。それから仲良くさせて頂いています」


「是非会ってみたいですね」


「可能ですが、今すぐには無理でしょうね。実は、彼女はスウィフト嬢のお姉様を輸送する担当だったのです」


 その言葉で、ソニアはすぐに気付いた。朝倉の話している彼女とは、怪盗ファイのことだ。


「今回は本当に申し訳ないことをしました。彼女も悪気があったわけではないのです。許してやって下さい。


 見た目と違って生真面目な性格なので、他人には縛られない代わりに、自分で自分をがんじがらめにしてしまうのです。だから、きっとまだ罪悪感に苛まれている最中だと思います。


 でも義は通す人です。必ず謝罪するために彼女の方から会いに来るでしょう。それまでは、会うのはお待ち下さい」


「よく理解されているのですね」


「どうでしょう。私はただ推測を述べているだけですから」


「日頃の行いは、心の鏡です。日頃からその人を思いやっていなければ、先程のような台詞は出てきませんよ。きっと朝倉さんは思いやりのある方であると皆さん知っているからこそ、こうして来客の相手を任されているのではありませんか?」


「褒めても何も出てきませんよ」


「まあ、朝倉さんがその方に気がある可能性、というのもあるのですが」


 わざとらしいソニアの言葉に、朝倉は苦笑いを浮かべた。


「ところでスウィフト嬢。デザートにアイスはいかがですか?」


 二人の間で意味深な視線が交わされる。


「頂きましょう」


「ありがとうございます」


 深々と頭を下げた朝倉は、急いで部屋を出て、仕事の後に自分で食べるために買っておいたアイスを取りに戻っていった。


 再び一人になったソニアは、鯛の握りを口に運びながら物思いにふけった。


(心の鏡か……。自分で言っておいてなんだけど、そもそも私自身が自分のことを分かってないんだよね。


 ケントの誘いにのって、アシビに協力するべきだろうか。


 確かに怪盗ファイによってミューズが混乱し続けるよりは、平和的な対話による解決を目指した方がいいのかもしれない。


 でも日本の再興と私は、何も関係ないのに?


 ふーむ。やっぱりムズカシイ。


 さて、私の日頃の行いは、私に何を教えてくれるのかな?)

お読み頂きありがとうございます。


今回は、拉致の真の目的が明らかになりました。


細かい点を解説しておくと、偽装工作はタイガーの指示で小石川が立案して、実行されています。

ただし藤堂は、拉致計画は知っていますが、偽装工作は知りません。

そのため偽装工作がバレた場合、タイガーに責任は無く小石川の独断によるものとするため、タイガーは偽装工作を知らないという態度を示す必要がありました。

ソニア来訪直後のタイガーの謝罪は、こうした意図によるものです。


ただし藤堂は怪盗ファイ支持派という訳ではありません。

藤堂よりも小石川の方がタイガーの信頼を得ていて、側近中の側近として行動しているのです。


その他、小ネタを紹介しておきましょう。


小石川のモチーフの一つとして、北欧神話のロキの狡賢いイメージを入れています。

ただし全くの悪という感じにはしたくないので、「大岡越前」の榊原伊織の誠実でインテリなイメージも入っています。名前の小石川は、小石川養生所から。


朝倉の名前は、「涼宮ハルヒの憂鬱」の朝倉涼子から。

世話好きなイメージを取り入れています。

その意味では「長門有希ちゃんの消失」の朝倉さんに近いでしょうか。

ただし個人的には「涼宮ハルヒちゃんの憂鬱」のあしゃくらさんが好きです。


また、ソニアの食べた刺し身に鯛を選びましたが、これは桂三枝の創作落語「鯛」のオマージュです。

料理屋の生け簀に捕らわれた若い鯛が、生け簀で長い間生きている老鯛から生き延びる術を教わるというあらすじです。


それでは。


葦沢


2017/06/25 初稿

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