Episode 6: 2817年12月 救世主の名は
やるか、やらないか。
人は時に重要な決断に迫られる。
大きな時のうねりの中で。
何が正しいとも分からぬままに。
ただただ、希望を求めて。
ハルが学芸課のオフィスに到着すると、椅子に座ったままテーブルに突っ伏したココが目に入った。完全に脱力しているココの姿というのは珍しい。
隣でテーブルによりかかっていたジムが、事情を説明した。
「ついさっき、この件はミューズ評議会の管轄になると連絡が入った」
「つまりイチナナは手出しができないってことですか?」
ジムが頷く。
「だが、何かしらはできるはずだ」
その言葉をココが起き上がって咎めた。
「ちょっと。三人だけで何ができるっていうのさ」
「三人も、ですよ。ハルの身体能力。ココ先輩の頭脳。これだけあれば怖いもんなしです。これまでだって四人で怪盗ファイを追いかけたり、麻薬マフィアと戦ったりしてたんですから」
「でもね、今回ばかりは相手が違うでしょ? ソニアが何処にいるかも分からない。敵が何人いるかも分からない。それにこっちの装備は拳銃しかないんだから。そもそも私たちは学芸員であって、軍人じゃないの。分かってる?」
「じゃあ軍人ならいいのでは? ほら、あのガラの悪い奴」
ジムは両手を側頭部から下に降ろして、ツインテールのジェスチャーをした。
「……気が進まないわね。それに彼らが首を縦に振るかしら」
それまで黙っていたハルが口を開いた。
「少なくとも、ミューズに反乱分子がいるならユニオン軍が黙ってはいないでしょう。自治区であるミューズに介入する絶好のチャンスですから。逆に言えば、敵はそれも計算した上で行動に移したはず」
ハルはあえてアシビの名前を出さなかった。もしここで実行犯の名前を出せば、ペトラが捕まってしまうかもしれない。だから、それとなく議論を誘導するのが精一杯であった。
「そう簡単にユニオン軍に勝てるとは思えないけどな」
ジムの疑問に、ハルは即座に答えた。
「その通りです。結論から言えば、勝てない。だが敵は、勝つつもりがない」
「それってどういう?」
「なるほど。それは厄介だな……」
ココが腕を組んで考え出す。
「ちょっとちょっと。二人で勝手に話を進めないでくださいよ」
ハルの顔に、いたずらっぽい笑みが浮かんだ。
「現状で敵について分かっている情報を整理すれば、自ずと見えてきますよ」
「情報?……ソニアと姉が拉致されて……つまり敵の目的は、議長に要求をすること、だろうな」
「良い線いってますね」
「そうか? それに基いて考えれば、その、つまり……そうか! 議長に要求がある組織の犯行であると推測できる。それはずばり、ミューズの権益が欲しいユニオン軍だ。だからユニオン軍が介入しても、戦う必要がない。きっと内通しているんだ。この機に乗じて、大量の軍勢を送り込もうとしているのかもしれない。それに軍人なら、武装していない人間を拉致するのは容易いだろう。そういうことだな?」
「いいえ、違います」
「それなら途中で止めてくれよ……」
天井を仰いだジムは、がっくりと傍の椅子に腰を下ろした。
「重要なのは、拉致されたのが二人であることではなく、拉致が起きたという事実そのものです。コロニー外なら拉致はしやすいでしょうが、二人がコロニー外にわざわざ出ていったとは思えない。つまり敵は、地下街だけでなくコロニー内部に十分な活動拠点があると見ていいでしょう。恐らくは観光客に紛れているか、IDを改ざんしているはずです。だからユニオン軍が介入したら彼らが取る行動は一つ。コロニー内部の展示物を盾にしたゲリラ作戦です」
「なるほど。だから勝つつもりがないと」
「ユニオン軍が介入しても事態は泥沼になるだけ。かと言って、手をこまねいていれば敵にジョーカーを持たせたままになる」
「ならどうすりゃいいんだよっ!」
「お困りのようね」
オフィスの入口の扉を開けて、聞き覚えのある声が入ってきた。
「ノイマン少佐……!?」
「お久しぶりね。十時間ぶりといったところかしら」
その後ろからブレットも姿を現した。ハルに意味有りげな視線を送る。
「今はあなたの相手をしている暇はないんですよ」
少し不機嫌そうなジムは、手で払う仕草をした。
「仲間の拉致事件の捜査権を上に持っていかれたばかりの連中が忙しいだなんて、仕事熱心で感心しちゃうわね」
「ノイマン少佐……いえ、リリィ。何かあったの?」
何かを察したココの問いに、リリィの表情が少し緊張気味に強張った。
「まあ、朗報といったところかしらね」
「朗報?」
「どうしても独断で救出に向かいたいとはいえ、どこに捕われているかも分からない。それに戦力的にアナタ達だけでは不安でしょう? そこで、私達二人がサポートをしてあげるというのはどうかしら?」
すかさずココが尋ねる。
「それはユニオン軍からの命令? それともあなたの独断行動?」
「安心して。私の独断行動よ」
「それは俺も保証しよう。お嬢は本当に困ったもんです」
心底迷惑そうな顔をしたブレットは、さっきまで寝ていたのだろう、大きな欠伸をした。
「でも、ボランティアではないでしょう、リリィ?」
「話が早いじゃない、ココ」
ココの前まで進んできたリリィは、意を決したように唇をキッと結んでいた。
「拉致されたスウィフト家の娘を救出できたなら、私達を学芸課に入れて頂戴」
言ってから、リリィは少し恥ずかしそうに顔を横に逸らした。ココは予想外の要求に、しばらく眼を丸くしたまま固まってしまった。
「ど、どうなのさ、そこんところ」
その言葉で何とか我に返ったココは、慎重に言葉を選んだ。
「……できなくはない。けれど、そっちこそどうなの? 確か親御さんが反対していたはずじゃ」
「そのことならもう大丈夫。学芸員になることに猛反対していた父は昨年亡くなったから。母はやりたいことをやりなさいと前から言っていたから、多分大丈夫でしょう」
「……そっか」
ココは深い息を吐いてから、目を閉じた。夜のしんとした空気が部屋の中にまで入りこんだみたいに、物音一つしない時間が続いた。そこにいる全員が、ココの次の言葉を待った。それは冬の夜のように長く感じられた。
そしてココの瞼が開いた。視線をハルと交わす。その強い気持ちを受け取ったハルは、ゆっくりと頷いた。
次いでジムに視線が送られた。ジムは即座にサムズアップで答えた。
そしてココの視線は、リリィの瞳を真っ直ぐに捉えた。
「その話、乗った!」
お読み頂きありがとうございます。
朝起きたらココとリリィの中身が入れ替わっていて、さぁ大変!……なんてお話ではありません(笑)。
今回のストーリーですが、初めはココからリリィに依頼する形にしようと考えていました。
しかし初めの3人のシーンを書いていたところで、議論が袋小路に入ったところでリリィが救世主のように現れるというインスピレーションが浮かんだので、そのまま書いてしまいました。
たしかにその方が、理由もしっくりくるんですよね。リリィは、チャンスと思ったらすぐに行動に移しそうな感じです。一方、ココもリリィに依頼することは当然考えますが、考えすぎて腰が重いようなイメージがあります。
キャラクターが勝手に動き出す、とはまさにこのことでしょうか。
それでは。
2017/06/05 初稿
2017/06/25 第二稿