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Episode 5: 2817年12月 決別

 重力があるから、人は前に向かって歩くことができる。


 しかし重力がなければ、手から落ちたカップが割れることも無かっただろう。


 誰も重力からは逃れられない。


 重力は歩くことしか許してくれない。




 夜九時過ぎ、ハルは大荷物を抱えて帰宅した。玄関ドアをノックしたが、もう帰っているはずの同居人の返事はなかった。キーを開けて中に入るが、部屋の明かりはついていない。


(寝ているのだろうか)


 そう思いながら共用リビングへ向かうと、明かりのない部屋の中に差し込んだ月明かりが、テーブルに突っ伏したペトラを照らし出していた。窓の方を眺めたままで、その表情はハルには見えなかった。


「おかえり」


 ペトラの声は、まるで解けかかった氷のように、今にも消えてしまいそうだった。


「ただいま。頼まれてたスイーツを買うのにいくつもお店を回ってたらこの時間になっちゃったよ」


 山積みになったケーキ屋の箱をテーブルに置く。ペトラの元気が復活することを期待したのだが、彼女はため息をついただけだった。


「怒ってる? 遅くなったことなら謝るけど」


「ううん。怒ってない」


 幽霊のように音もなく起き上がると、ペトラはハルに顔を向けて白い歯を見せた。


「食べよっか」


 二人の共同生活にとって最後のクリスマスパーティは、そうして静かに始まった。




 二人の会話は、いつも通りを装っていた。ペトラはケーキの一つ一つを賞賛し、その中世の貴族のような佇まいを写真に収めてから、フォークを巧みに操って口の中に放り込んでいった。


 それを全て描写するのはあまりに冗長的なので、ここにはそのごく一部を抜粋するに留めておこう。


「次の中身は何だろなー……君か、ブッシュ・ド・ノエル! せっかく招待したのに姿が見えないから心配していたんだよ。


 いやー、しかし君のそのドレスは、いつ見ても溜息が出るね。樹皮を模した表層には粉雪のようなチョコレート! その中で、雲のように柔らかいスポンジケーキが、大人の香りを漂わせるカカオ・クリームを優しく抱いている。


 では、こっちのレンズを向いて笑って頂戴。うん、いい笑顔だ。……よーし、これで君との思い出はフィルムに焼き付けられ、永遠のものとなったわ。さあ、私とダンスをしましょう。心ゆくまで。


 あぁ、生クリームが体温で溶け出したチョコレートと混じり合って、舌の上でワルツを踊ってる。そこにフワッフワのスポンジの食感がマッチして、あぁもうこの世の物とは思えないわ!」


 感嘆の声をあげるペトラを、ハルは親のように見守りながら控えめに微笑んでいるのだった。


 それはいつもの二人のようでいて、しかし実際のところはお互いが自らの役割を演じているに過ぎなかった。


 つまりペトラはケーキに舞い上がっているような気分ではなかったし、ハルはペトラが気落ちしている理由を尋ねたくてしょうがなかった。二人とも、無理をしていた。


 もしこの時の二人に余裕があれば、奇妙な共同生活はもうしばらく続いていたことだろう。


 引き金を引いたのは、電話がかかってきたことを知らせる機械音だった。


 自らのデバイスを手に取ったハルは、表示された呼び出しの相手を見て一瞬不安げな表情を浮かべた。


「もしもし」


「ハル君、緊急事態だ。急ぎオフィスまで来て下さい」


 ココの震える声が、スピーカーから聞こえてきた。


「何があったんですか?」


「私も今さっき聞いたばかりなのだけど、イオンさんから連絡があって、崖から落ちたらしくて」


「崖から落ちた!? しかしどうしてそんなことに」


「そうだった、そこから説明しないと。ええっと、イオンさんたちが何者かに拉致されて、イオンさんは脱走したんだけど、崖から落ちて怪我をしたけど命に別状はないみたい。だけど、」


「ソニアは拉致されたまま?」


「その通り。誰が、何の目的で、どこに監禁したのか、生死も含めて全く不明な状況よ。だから早くこっちに来て情報収集を手伝ってもらえると助かるわ」


「分かりました。すぐに向かいます」


 電話を切ったハルに、ペトラは不安げに尋ねた。


「どうしたの?……崖から落ちたって」


 学芸課に所属していることはバレないように注意しながら、ハルは説明した。


「ああ、職場の人が事故に遭ったみたいでね。申し訳ないけど、今から事後対応に行ってくるよ」


「待って」


「待ってあげたいのも山々だけど、急がないと」


「その人は生きてるの?」


「あぁ、怪我はしてるが命に別状は無いって」


「銃で撃たれたのに?」


「ん? いや、銃で撃たれたのではないと思うが」


 眉間にシワを寄せたハルの顔を、消え行く流れ星を追いかけるようなペトラの目が見つめていた。


「そっか。外れたのか」


 胸のつかえが下りたようにペトラの緊張が解れたのを、ハルは見逃さなかった。そして居心地の良かった生活をペトラが自らの手で終わらせようとしていることを察したのだった。


「その眼、やっぱり知ってたんだね。私が"そういう人間"だってことを」


「……全てを把握している訳じゃない。ただ俺が知っているのは、ペトラ・ヨハンソンも怪盗ファイも左脚が義足だってことだけだ」


「どうして怪盗ファイの左脚が義足だって知ってるの?」


「サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の大聖堂の天井から落ちたことがあるのは、怪盗ファイだけだろうな」


「あぁ。あのすばしっこいのはハルだったんだ。じゃあ私が義足だってことはどこで知ったの? まさか覗き?」


「そうとも言えるかもな」


「え、やだ、変態」


「そういう意味じゃない。この義眼、不思議なことに透視ができるんだ。だから気付いた」


「ふぅーん。変なことに使ってないといいけど?」


「疑わないんだな。そんな力が使えることを」


「そりゃ分かるって。ハルが嘘をついているかどうかくらいならね」


 そう言うとペトラは卓上のナイフを手に取って、ブッシュ・ド・ノエルを一片切り分けた。それを小皿に載せて、ハルに差し出す。


「ほら、ハルも食べなよ」


「……うん」


 勧められるがままに、ハルはそれを頬張った。ペトラはそれを微笑しながら眺めていた。もはやその表情に演技の色は見えなかった。


「なぁ」

「ねぇ」


 あまりにタイミングよく、二人の言葉が被った。お互いに視線を見合わせる。それから堰を切ったように笑いあった。


「いいよ、ハルから話して」


「じゃあ、遠慮なく。ペトラは、彼女が銃で撃たれていて欲しくなかったんだよな?」


 ペトラは首を縦に振った。


「やっぱりな。そうだろうと思った」


「どうして?」


「怪盗ファイは、未だ殺人を犯していないからさ」


「あら、意外と怪盗ファイのファンだったりするのかしら?」


「そうだな。サインくらいは貰っておけば良かったよ」


 くすっと笑ってから、ペトラが口を開いた。


「私もさっき言おうと思っていたところなんだけどね、私は小さい頃に両親をテロリストに殺されたんだ。その時に、私の左脚も機械になってしまった。だから、銃を使う時はできるだけ致命傷にならないように注意しているんだ。銃を撃っている時点で矛盾しているのは分かっているんだけどね」


「しかし、それならなぜソニアとイオンを拉致したんだ? 人命に関わるのは火を見るよりも明らかだと思うが」


「計画したのは私じゃない。アシビの連中ね」


「アシビ?」


「旧日本の再興を目論む日系人の集団よ。地下コロニーの一つを拠点にしていて、私の盗品を保管してもらっているの。その交換条件として、彼らの目的とする旧日本の遺産も私が盗んであげているの。敵の敵は味方ってことね」


「じゃあ彼らは、議長の娘を誘拐して、その身代金として自分たちの国を要求するっていうのか?」


「私も詳しくは知らないけれど、おおよそそんなところかしら」


「それならソニアの命は、今のところは安全だということだよな?」


「今のところは、ね」


「そうか。ありがとう。じゃあ、そろそろ行かないと」


 ハルは簡単に身支度を整えると、玄関へ向かった。ペトラはそれを珍しく見送った。


「次に会った時は、敵同士ね」


「そうだな」


「悪いんだけど、この部屋の賃貸契約は任せても良い? 住み続けたければそうすればいいし、解約しちゃってもいいから」


「なんでペトラが出ていくんだよ。本来なら居候している俺が出ていくべきだ」


「犯罪者がこんなところにいる訳にはいかないでしょ? お金は多少置いてくから――」


「要らないよ。自分の給料でなんとかするさ」


「……そう。じゃあ、行ってらっしゃい」


「うん。行ってきます」

お読み頂きありがとうございます。


長期に渡って更新が止まってしまってすみませんでした。


今回は、ハルとペトラの別れのシーンとなりました。


宇宙船での奇妙な出会いから始まった共犯関係。


それをお互いの社会的な立場の対立が引き裂いてしまいました。


こういう切なさは好きなのですが、二人の関係もお気に入りなので、いずれはショートストーリーをどこかに挿入しようと思っています。


この二人の関係性についてはモデルにした作品がありますが、あえて読者の皆さんのご想像にお任せしようと思います。


では。


葦沢


2017/05/14 初稿

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