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Episode 3: 2817年12月 アヘンの誘惑(後編)

 人が何かを得るには対価が必要だ。


 生きるためには飯が要る。


 前に進むためには時が要る。


 未来を得るためには過去が要る。


 ならば平和を得るためには、どんな犠牲が要るのだろうか?


 誰の涙が要るのだろうか?




 梁の上で腕を組んで待ち構えるハル・ウォードンを、追っ手達が指差す。


「おい、いたぞ! 梁の上だ!」


 銃で狙おうとするが、ハルが猿のようにちょこまかと動き回るせいで一向に当たらない。ヤクザまがいの追っ手達は痺れを切らして、棚から梁へと登ってきた。だが彼らの動きはぎこちない。落ちまいと慎重に進んでくる。


「滑稽だねぇ」


 ハルはタイミングを見計らって駆け出すと、彼らの立っている所に迫った。ぶつかるかと思われたその瞬間、彼らを避けるように跳躍して下方へ落ちて行く。


「下へ落ちたぞ!」


 しかしすぐに彼らはそれが間違いであることに気付いた。


 ハルは梁に手をかけており、落下の勢いを利用して梁を一回転すると、足を振り回して彼らをなぎ倒した。ヤクザたちが梁から次々と落下していく。一方のハルは身軽に梁の上に舞い戻ると、すっかり腹を立てている彼らを見下ろしながら、笑顔で手を振ってみせた。


「お元気で。さようなら」


 そしてハルは再び梁の上を軽快に走っていった。


「おい、待て!」


 もはや追っ手達にはハルしか見えていなかった。


「うわー、あの人、礼儀正しそうに見えてやることエグいな」


 それを遠目に見ながら、イオンは覚悟を決めていた。


「ではこっちも」


 イオンは部屋の扉の前にいる見張りの頭上まで忍び寄った。見張りは、ハルを捕まえようとする追っ手たちの様子が気になっているようだった。これ以上の好機はない。イオンはそのまま見張りの肩に飛び降りると、瞬時の早業で関節技をきめ、気を失わせた。すぐに見張りの腰に着いていた鍵を奪い、錠を開ける。


 扉を開けると、ハルの言っていた通り、手を後ろで縛られた三人がいた。


「助けに来ました」


「やった!」


 とりわけソニアの驚きは、他の二人よりも大きかった。


「そんな……お姉ちゃん、どうして」


 目を丸くするソニアに、イオンは笑って答えた。


「私はお目付け役だからな。ソニアに何かあれば、私の責任だ」


 ソニアの眼に涙が浮かぶ。それはもう悲しみの涙ではなかった。


「ありがとう、お姉ちゃん」


「今までゴメン。これからはお姉ちゃんが恩返しをする番だ」


 だがその時。


「よそ見してんじゃねぇぞ!」


 いつの間にかイオンの背後にヤクザが一人忍び寄っていた。その手に持った鉄パイプを振りかざしている。


「危ない!」


 もはや避けられない。誰もがそう思った時だった。


「ニャアァッ!!」


 ソニアの制服のポケットから黒い影が飛び出して、男に飛びかかった。よく見れば、それは黒猫キティだった。


 ヤクザは顔面を何度も引っかかれ、もんどり打って倒れた。それでもキティは容赦しない。今度は耳に噛みついて、何をされようが離そうとしない。その激痛に男が悶えているところをイオンが組み伏せ、失神させた。


「その子はペット?」


「えぇ。出てきちゃダメだって言っておいたんですけどね。でも今回は助かったよ。ありがとう、キティ!」


「ニャア」


 キティは胸を張るようにお座りすると、ドヤ顔を見せつけた。一同の顔に笑顔が浮かぶ。


「さて。時間はないよ。ここを脱出しないと」


「でもハルはどうするんです?置いていく訳にはいきませんよ?」


「それはそうだけど、通信機は盗られちゃったし」


 その時、遠くから大勢の怒声が鳴り響いた。


「何事!?」


 まさか敵に加勢が現れたのだろうか。するとそこに声が聞こえてきた。


「我々は欽差大臣直属の親衛隊なるぞ。貴様ら、押収したアヘンの貯蔵庫で何をしている!捕まえろ!」


「あれは?」


 ジムの問いに、ココが答える。


「欽差大臣というのは、林則徐のことだね。この当時、アヘンの禁輸政策を推進したが故に、欽差大臣の職を追われてしまった人物だよ。


 つまりここは彼らが押収したアヘンを処分する前に一時的に置いておく倉庫ということだろう。確か、彼らアンドロイドは、定期的にアヘンを焼却するイベントを行っていたはずだ。そのイベント用の疑似アヘンの倉庫を、スミルノフ商会は本物の麻薬の倉庫に使っていたんだ。さすがにアポロンによって統括されている場所に隠されているだなんて、誰も思わないからね」


「なるほど」


 そこに梁の上を飛び回って、ハルがやってきた。


「ご無事で何よりです」


「いやー、よくやってくれたよ、ハル君。二階級特進だ」


「俺はまだ死んでませんから。それに学芸員に階級は無いですよ」


「ま、細かいことは気にしない、気にしない」


 ココが思いっきりハルの背中を叩くので、ハルは苦笑いを浮かべるしかなかった。


 その時、彼らに近付いてきた人影があった。


「学芸員の方々ですかな?」


 顎髭を生やし、鋭い眼光を放つ男がそこに立っていた。当時の中国の礼装を身に纏っている。


「貴方はもしや」


「欽差大臣、林則徐です。初めまして。このたびはご迷惑をおかけしました。不逞ふていの輩は捕縛しましたが、逃げた者もおるようです。力不足で申し訳ない」


「いえいえ、こちらもお陰様で助かりました」


「ところで、急遽これから押収したアヘンの処分を行うことに致しましたが、ご覧になっていかれますか?」


「後学のために、是非」


「ではどうぞ、こちらへ」


 林則徐の後について、ココ達は麻薬倉庫を後にした。




 到着したのは、意外な場所だった。海の近くに大きな人工池が造られている。


「これは池ですか?焼却するのですよね?」


「焼却?いえ、アヘンは石灰とともに海水に入れて無毒化するのです。その時に煙が上がるので、燃やしていると思っている人々も多いと聞き及びますが」


「なんと。そうだったのですね。勉強になります」


 そうしているうちに、作業員によって疑似アヘンの箱が池に放り投げられていく。するとたちまち入道雲のような白煙が池から立ち上った。


 それを見上げながら、ソニアはイオンに声をかけた。


「お姉ちゃん、ありがとうね」


「それ、さっきも聞いたぞ」


「ううん。さっきのは、助けてくれたことに対して。今のは、こんな私の傍にいてくれることに対して」


「もう。湿っぽいのはやめにしよ。今日の晩御飯は私が作るからね。ソニア、私の作る卵焼き、好きだったろ?」


「うん!大好き!」


「ニャア!」


 私も食べたいと言うようにキティがポケットから飛び出してきたのを見て、ソニアとイオンは笑い合った。


 それを横目に見ながら、林則徐が誰に話しかけるでもなく、呟く。


「平和とは何でしょうか? 今この時、我が国は荒んでいます。


 だがイギリスはどうでしょうか? 彼らは我々の犠牲の上に平和を謳歌しています。


 その平和は正しい平和なのでしょうか?


 何かを犠牲にしなければ平和は手に入らないのでしょうか?


 ……今の私の心の救いは、イギリス議会の清国への派兵の決議に反対する票が僅差であったこと。かの国にも、平和を愛する人々がいるのです。人と人とが手を取り合って前へ進むのは難しいものですな。


 あの子達がうらやましい。本当に」


 立ち上る煙を見つめる彼の背中が、ココには寂しげに見えた。




 アヘンの処分によって立ち上る煙を、小高い丘から一人の少女が眺めていた。


「ウサギさん、速かったわね。天井をぴょんぴょんって、楽しそうに跳ね回ってたわ。でしょう、父上?」


 アデルが振り返ると、そこには男が寄り添うように立っていた。


「そうだな。でもアデルだって、あんな風に遊べる日が来るんだ。それまでもう少しの辛抱だぞ」


 風になびくアデルの髪の毛を、ノトロブは骨張った手でくしゃくしゃと撫でてやった。




 第十七学芸課イチナナの面々は、それぞれ帰途についていた。ソニアは、もちろんイオンとともに真空列車の駅へと向かっていた。


「あ、移動喫茶店があるよ、お姉ちゃん!」


「……寄っていきたいのね。全く、ソニアは昔からちっとも変わらないんだから」


 その言葉とは裏腹に、少し嬉しそうな顔を浮かべてイオンとソニアは移動喫茶店の席についた。


 移動喫茶店は、フロートカーを改装して造られたもので、車体の側面がカウンターになっている。店名は「Tiger's Tea」と書かれていた。


「いらっしゃい、お嬢さんたち。何にしますか?」


 人当たりの良さそうなマスターが、ひょっこりと顔を出してメニューを指差す。


 メニューには、各種の紅茶が並んでいた。一般的な喫茶店よりも、種類が多い。中には聞いたことが無い名前もあった。


「わぁ、いっぱいある」


「迷っちゃうねぇ」


「うちの店は、文字通り各展示地区を飛んで回ってるからね。珍しい茶葉を求めて、あっちへこっちへ。ちなみにここに来たのは言わずもがな。良質な紅茶が手に入るからだ」


「そうですよね。じゃあ折角だし、ここで手に入ったお茶を頂けますか?」


「はいよ。今から淹れるから、ちょいとお待ち下さい」


 するとそこに、一人の女性が買い物袋を持ってきた。


「トラ。頼まれてたレモンとミルク、買ってきたけど」


「ありがとよ。冷蔵庫に入れといてくれ」


 そこで彼女は、二人の客が来ていたことに気付いたようだった。


「あら、お客さんが来てたのね。ごゆっくりどうぞ」


 にこやかに挨拶をして、ペトラ・ヨハンソンは奥に姿を消した。

お読み頂きありがとうござます。


年末年始を利用して、早めの更新となりました。


アヘンの処分の方法については、これを書き始めてから調べる中で知りました。


勉強って大事ですね。


ネット情報ですが、確からしいので採用させて頂きました。


なお欽差大臣の親衛隊については、完全な創作です。


というか流石にそこまで調べるのは難しかったので、手を抜きました。


ご了承下さい。


さて。ここに来てペトラの再登場。さらに謎の喫茶店のマスターの登場。


実のところ、ここまでの三話は、ここに持ってくるための前置きなのです。


諸事情で長々と書いてしまいましたが、思わぬ収穫もありました。


特にユリウス・スミルノフは、思いつきで登場させたのですが、なかなかいいアクセントになりそうです。


アデルとノトロブは、まだ秘密。


今後の展開をお楽しみに。


では。

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