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Episode 2: 2817年12月 アヘンの誘惑(中編)

 人には誰しも明かせぬ思いがある。


 思いが大事であればあるほど、それは心の奥底にしまわれてしまう。


 いつしか奥底へ追いやった本人でさえ、取り出し方が分からない程に。




 ソニア・キャスの涙は、もはや全て枯れ果てていた。


 今は床に力なくへたり込んだまま眠っている。


 それを確認したココ・レオーネは、ソニアの姉の前に立った。ココの鋭い眼差しが、逃すまいというようにヤンキー女の顔を捉えている。


「ソニアのお姉さんですね? 初めまして。上司のココ・レオーネと申します」


 ココの差し出した握手に、ソニアの姉も渋々応じた。


「私はイオン。よろしく」


「単刀直入に聞きます。イオンさんは、なぜここに?」


「……」


 イオンは不貞腐れた顔でそっぽを向いて、ココの話を無視した。


「話しにくいのはお察し致します。しかし時間が無いのです」


「……そっちの事情なんて知らねぇよ」


「もはやあなたも当事者ですよ。推測するに、イオンさん、あなたはここに麻薬を貰いに来ましたね?」


「そうだったとしたら、どうなのさ?」


「最悪の場合、あなたに麻薬を渡すはずの人物が私たちの存在に気付き、仲間を引き連れて襲ってくる可能性があります」


「はぁ!? んなわけねぇし。見てみろよ」


 自信満々にイオンが鞄から取り出したのは、札束であった。


「毎度こんだけ払ってやってるんだぜ? こんな良い客、奴らが襲うはずが――」


 パァン。


 薄暗い倉庫に乾いた音が響いた。


 イオンの手にしていた札束が、散り散りになって舞った。それらには銃弾の通り抜けた穴がはっきりと残っていた。


「おいおい、なんだよ、これ!?」


「みんな、物陰に隠れて!」


 複数の銃声が上がる中、それぞれが棚の陰に入って身を隠した。


 しかし不運なことにハルとイオンは、ココたちとは通路を挟んで反対側の棚に隠れてしまった。反対側へ出ようとすれば、銃撃をもろに受けてしまう。しかも学芸課の彼らは十分な装備を持っていない。


 銃声は容赦なく続いており、しかも距離が近づきつつあった。一瞬の判断の遅れが命取りになることを、ココはよく理解していた。


「ハル君、その人を頼んだよ!」


「了解です!」


「こっちは俺に任せとけ!」


 眠りこけるソニアを背負ったジム・ブラウンは、ハルに向けて親指を立ててから、ココを追って棚の奥へと走って行った。


(あの人に言われると、なんとなく不安だ……)


 しかし今は二手に分かれるしかない。ハルはイオンに尋ねる。


「運動神経は良い方ですか?」


「昔、合気道は習ってたが……」


「それは上々。なら、行けますよね?」


 そう言って頭上を指差す。


「行くってどこだよ?」


 上を向いたイオンの目に飛び込んできたもの。それは倉庫の天井に張り巡らされた太い木の梁だった。それとなくイオンはハルの作戦を察した。


「マジ?」


「マジです」


 ニコリと笑ったハルは、早速人の背丈の二倍ほどある棚に手をかけて上まで登る。梁はちょうど手が届く高さだった。そのまま梁へと身軽に乗り移り、後から登ってきたイオンに手を貸す。


「登ったはいいけど、これ見つかるんじゃないのか? 下から丸見えだぞ」


「確かに真下から見ればね。だが倉庫の中は背の高い棚が並んでいるから、実際は下からの見通しは悪い。それにこの時代には明るい光源が発明されていないから、備え付けられている明かりでは天井を照らすのに不十分だ」


 それにハルの透視義眼があれば、追っ手の動きは完全に把握できる。気付かれないように移動するのは容易かった。


「なるほど。じゃあさっさと合流しようぜ」


「いや。合流はしない」


「どうしてさ?」


「もし見張りが偶然俺達を見つけて撃ってきたのなら、銃声の数は少ないはずだし、応援を呼ぶ声がするはずだ。しかしあれは明らかに大人数が連携して動いていた。あらかじめこちらの動きを把握した上で、作戦目標を明確に持っているはず」


「……つまり、どういうことだ?」


「罠だよ。恐らくどこかへ追い込んで一網打尽にする気だ。そこで貴方に一つ、尋ねたいことがある。麻薬の密売組織の名前は?」


「それにどんな意味が?」


「別に貴方の罪を問う訳じゃない。もし彼らが反体制派の活動家なら、容赦なく殺すはずだ。だが麻薬商人であれば、人質は殺さない。良い交渉の道具になるからだ」


 だがハルは、彼らがダンタリアンのような反体制組織ではないと勘付いていた。もしダンタリアンなら、銃撃なんてしない。毒ガスを撒くか、倉庫ごと爆破するか。とにかく殺すことに主眼が置かれるはずだった。


「それなら大丈夫。奴らはスミルノフ商会だ」


 その名前にはハルも聞き覚えがあった。


「スミルノフ商会?……あれは宇宙貿易会社だろう?」


 かつてテロ組織の傭兵として輸送会社のパイロットとして潜入していた時、スミルノフ商会の荷物を運んだことが何度もあった。彼らはミューズの建造時から物資の搬入を担っている大スポンサーだ。


「あぁ、それが表の商売だし、そっちでも稼いでる。でも奴らは元々、武器商人。裏では並行して麻薬の密売にも関わってる。地下街と通じているという噂もあるくらいだ」


「それは面倒なことになったが、しかし逆に安心できる。学芸員と分かれば、すぐには殺さないだろう。少なくとも上の命令を待つはず。それまでに俺達で救出するんだ」


「俺"達"?」


「ああ」


「ふざけんな。なんで私があんたを手伝わなきゃなんないんだよ。私は逃げるからな」


「嫌ですか?」


「嫌だね。手伝わせたいなら金を寄越しな」


「でも妹さんの命が危ないのですよ?」


「……別にソニアがどうなったって、私には関係ないし」


 その時、二人の近くで追っ手の声が聞こえた。


「こっちにはいたか!」


「いや、いないぞ。あっちじゃねぇか?」


 一瞬の緊張が走る。しかし二人は冷静だった。ハルが逃げる方向を指差すと、二人で物音を立てないように梁の上を移動していった。




 その頃、ココ達は既に追っ手に捕まっていた。三人とも後ろ手に縄で縛られ、ホコリっぽい小部屋に放り込まれていた。扉には錠がかけられ、外には見張りが立っているようだった。


「ココ先輩。僕ら、殺されちゃうんですかね?」


 声を潜めながら、ジムが不安そうに尋ねる。


「いや。殺すつもりなら捕まえはしないさ。恐らくは人質にするつもりだな。私らは良い"商品"になるから。その前に、なんとか抜け出さないといけない」


「何か策があるんですね!」


「もちろん」


 自信有りげにココは微笑む。


「どうやるんですか?」


「待つ。ただただ待つ」


 ジムは呆気にとられた。


「それが策なんですか?」


「最適解さ。ここにハル君たちがいないということは、まだ捕まっていないということ。ハル君は人質救出に慣れてるだろうし、今は透視する力がある。私たちの居場所もすぐに分かるはずだ」


「まあ、そうなんですけどね。ソニア先輩のお姉さんも捕まってないみたいですから、割と頼りになりそうですし」


「姉は来ません」


 力のない声で、ソニアが呟く。横たわったまま誰もいない方の壁を向いていて、表情は分からない。


 ジムは口を開こうとして一瞬躊躇いを見せたが、思い切ったようにソニアに尋ねた。


「お姉さんとは何があったんですか?」


「ジム、聞いて良いことと悪いことがあるでしょ」


 たしなめるココに、ジムは反論する。


「隠したいのは分かりますけどね。喧嘩か何か知りませんが、こっちは命がかかってるんですよ。教えてもらう権利はあるはずです。それとも僕が他人のプライベートを言いふらすような人間だとでもお思いですか?」


 ジムのまっすぐな眼差しがココに向けられている。ココは返す言葉が見つからなかった。


「そうね。良い機会だから、ジムにも教えておきます」


 ソニアは壁を向いたまま、自らの呪われた過去を、滔々と語りだした。


「姉は、優しい人でした。小さい頃は、忙しい両親に代わって絵本を読んでくれたり、一緒にお散歩をしたりして、私の面倒をよくみてくれていました。


 でも学校に通うようになると、姉は徐々に変わっていきました。両親が姉をないがしろにし始めたのです。成績がそこそこの姉より、成績上位の私に期待するようになったのが原因でした。両親はそれでしか子供を評価できない人だったのです。しばらくすると姉は両親に反抗するようになりました。私は止めようとしましたが、火に油を注ぐだけでした。高校に入る頃には不良グループに入って、夜帰るのも遅くなるようになりました。でも両親は、そんな姉を叱ることはありませんでした。


 逆に私は、両親の言いつけで政治家の道を歩まされることになりました。でもそれが嫌で、私は家を出て学芸員の道に飛び込みました。当然、両親からは大反対されました。でも最終的には、二つの条件付きで許されました。一つは、学芸員として大成すること。もう一つは、姉と同居すること。お目付け役として、という大義名分でしたが、姉を家から追い出したいのは明らかでした。


 以来、私と姉の二人で暮らしていますが、同じアパートというだけで、生活はバラバラ。たまに顔を合わせても挨拶はありません。なぜなら、姉がそうなってしまったのは、私のせいなのですから。


 だから姉は来ません」


 その時、錠を開ける音がした。三人に緊張が走る。


 倉庫の扉を開けて入ってきたのは、上等のスーツに身を包んだ、細身の若い男だった。眉間にシワの寄った表情は石のように固く、その威圧感をスキンヘッドがさらに強めている。部下から手渡された三人の身分証に目を通してから、まるで商品の値段を見積もるように冷たい視線を三人に向けた。そして深いため息をついた。


「すこぶる厄介だ。いっそ私が来る前に処分していてくれれば良かったものを」


「申し訳ございません。すぐ殺しますか?」


 後ろの部下らしき男が恐縮した声を上げた。


「良い。些細なことだ。こんな中国の故事がある。『人間万事塞翁が馬』。幸福だと思っていたことが不幸につながり、逆に不幸だと思っていたことが幸福につながる。今現在の価値に囚われてはいけないのだよ。ゴミでもいくらか役に立つ時が来る」


 しばらく考え込んでから、男は言った。


「ひとまず生かしておこう。欲しがりそうな奴に心当たりがある。それまでは丁重に扱ってやれ」


 男は振り返って部屋から立ち去りかけた。その時。


「ちょっと待った」


 声を上げたのはココだった。


「何か?」


「あなた、スミルノフ商会の会長、ユリウス・スミルノフですよね?」


「だとしたら?」


 ユリウスの表情は微動だにしない。


「いえ、なんでもありません」


 素直に引き下がったココの泰然とした態度は、ユリウスの目に留まったようだった。


「……君はココ・レオーネと言ったか。覚えておこう」


 部屋から彼らが立ち去り、再び錠がかけられたところで、ジムがココに尋ねた。


「ココ先輩。さっき何気に危ない橋を渡りませんでした?」


「ヤバかったな」


 ココは苦笑いを浮かべていた。


「やっぱり!」


「あの顔には見覚えがあったから確かめておきたかったんだけどね」


「本人は否定してましたよ」


「いや、でも間違いなく本人だ。足がつかないように殺すこともできるって意味だよ、あれは」


「それってマズイんじゃ……」


「まだ殺されないという点ではラッキーだよ。ただ早く助けに来てほしいけれどね」


 そしてココは、さりげなくソニアを見遣った。ソニアはまだ壁を向いたまま、じっとしている。


(ハル君は間違いなく来てくれる。でもソニアのお姉さんは……ハル君次第かな)


 ココの憂鬱が、溜息として漏れた。




 一方、ハルとイオンは追っ手に見つかることなく、ある場所に辿り着いていた。


「あそこにある扉が見えますか?」


「見張りが立ってるな」


「三人は、あの部屋に監禁されています」


「おい、私は手伝わないって言ったじゃねぇか。わざとここまで連れてきやがったな」


「しかし早くしないと命に関わります」


「でも……どうして分かるんだよ、ここにいるって?」


「信じられないかもしれませんが、この義眼、透視できるんですよ」


「そんな分かりやすい嘘に騙されるかよ。もう知らね。あとは勝手にどうぞ」


 イオンは梁の上で方向転換して、今来た道を戻っていく。


「待ってくださいよ。妹さんを助けないと」


「知らねぇって言ってんだろ」


 イオンの後ろ姿が暗闇の中へ消えていこうとしている。ハルはなんとかそれを止めたかった。二人いた方が、救出できる確率は高いからだ。


「どうしてそんなに妹さんを嫌うんです」


「……」


 彼女の歩みは止まらない。


 ハルには、彼女がどうしてソニアを嫌っているのか、想像がつかなかった。


(ソニアはそこまで他人に嫌われるような性格ではない。だとしたら何が姉妹の仲を引き裂いているのだろうか?)


 不意にハルの頭の中に、あの日の記憶が蘇った。黒猫を追いかけた、あの休日。ソニアが大事にしていた、親から貰ったフリージアの髪飾り。そこに込められた意味は"期待"。


 ハルは謎が解けたような気がした。


「妹だけ親から期待されていたから、ですか?」


 ハルの問いかけに、イオンの足が止まった。


「そうであるなら、許してあげて下さい。ソニアも、その期待に苦しんできたのですから」


 その言葉に、イオンは再び身を反転し、ハルに詰め寄るとその頬を引っ叩いた。


「何も分かってないくせに、分かったような口を利くな! 私はな、別に期待されたい訳じゃねぇんだよ。あの繊細なソニアに無理に期待を背負わせようとしても、何も感じていない、何も気付かないあの親が許せないんだ!」


 そこでようやくハルは気付いた。イオンはソニアを憎んでいたのではないのだと。むしろソニアを最もよく理解していたのだと。


「ソニアもソニアだ。あんな親の言うことなんか聞かないで私みたいに反抗すればいいのに、結局家は出たけれど、親の許可を取ってしまうし。あの子は昔からああいう子なんだ。中途半端で、周りに流されて。優しすぎるから」


 イオンの眼からは大粒の涙が零れていた。ずっと心の内に押し込めていたものが溢れてくるようだった。


「すみません。僕が勘違いをしていました。非礼を詫びます。その埋め合わせに、と言ってはなんですが」


 そこでハルは下方を指差した。今のやり取りで、こちらの場所が気付かれてしまったらしい。追っ手が近くまで迫ってきていた。


「俺が囮になって敵を引きつけます。あなたはその隙に部屋の錠を開けて、三人を解放してください。妹さんを助けない理由は無いでしょう?」


 涙を堪えながら、イオンは首を繰り返し縦に振った。


「では、お気をつけて」


 韋駄天のようにハルは梁の上を駆け出した。合間に立つ柱も、まず柱から横方向に伸びる梁へと飛び移り、次の跳躍で進行方向の梁へと戻ることで避けていく。そして追っ手の頭上に、姿を見せた。


「さ、お楽しみの時間ですよ」


 暗闇に灯るランプに照らされながら、ハルは死神のようなほほ笑みを浮かべた。

お読み頂きありがとうございます。


ソニア・イオン姉妹の過去がようやく明らかになりました。個人的に、ここまで書かないと可哀想な気がしていたので一安心です。


イオンの名前の元ネタは、某スーパーマーケットではなく、時間の神アイオーンです。あまり深い意味はありませんが。


あとユリウスは聖ゲオルギウスが元ネタ。本当はユーリ・スミルノフにするつもりでしたが、純血のロシア人にしたくなかったので変えました。


きっかけは聖ゲオルギウスの竜退治をWikiでちらりと見たことです。村を助けると言って竜を退治しにいったと思ったら、竜を連れてきて村の人々を脅し、キリスト教徒にしたそうで。侵略戦争の歴史を反映しているのでしょうが、なんだかね。


そうそう。イングランドの白地に赤十字は聖ゲオルギウスに由来するそうです。


あとは……分かりますね?


では。


葦沢


2016/12/25 初稿

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